NGOと学校がつくる開発教育・国際理解

 

2003年10月

田中治彦

 


本稿は「学校とNGOとの新しい関係づくり」として『NGOスタッフのため国内事業ハンドブック』(「NGOの国内活動と開発教育」研究会編、開発教育協会刊、2004年8月)に収録されています。内容とご注文については開発教育協会のホームページをご覧ください。


はじめに

 2002年に新しい学習指導要領が公立学校に導入されてから、学校とNGOとの関係が大きく変りつつある。各地のNGOの事務所の訪問を希望する中学生や高校生が増えてきたり、国際協力や途上国の実情について授業をしてほしいという依頼が以前よりめだって多くなっている。これは、新しい指導要領にある「総合的な学習の時間」に国際理解や環境がテーマとして位置づけられたことや、学校と地域との連携が奨励されたことによる。

 NGOが学校と頻繁に接触するようになって新たな問題も起っている。学校がNGOに期待する内容に対して、NGO側がこれに十分応えられなかったり、逆に丸投げの格好で授業をまかされてしまって困ったと話すNGOスタッフもいる。また、学校側は国際協力NGOが募金を行うことをおそれていたり、NGOは貴重な時間を割いて有給スタッフが授業をしたにもかかわらず一切謝金がない、というような苦情もある。

 いずれにしろ、学校とNGOとが広範に関りをもつようになったのはここ数年来のことであり、お互いにとまどいが見られるのも仕方ないことである。そこで本稿では、学校とNGOとの関係について簡単に歴史的に振り返り、なぜ今学校とNGOとの連携が求められるようになったのかを開設し、そして最後に学校とNGOとが協力を深めるためのいくつかの課題について述べてみたい。なお、主として国際協力NGOを想定して記述しているが、国際協力以外の国際交流、環境、人権、福祉などに関るNPO(非営利公益団体)や広く地域の諸団体が学校と関わる際にも参考になるであろう。


NGOと学校との関り

 

 NGOや青年海外協力隊OB・OGが学校に呼ばれて話しをするようになったのは1980年代である。というのも国際協力のNGO自体がそれまでにはごく少数しかなかったし、南北問題と国際協力を扱う開発教育が始まったのも1980年頃からである(開発教育協会=DEARは1982年の創設)。その頃は学校においては国際理解や開発問題を扱う教科や領域がなかったので、もっぱら学校行事やクラブ・部活動などの特別活動において講演会などの形で行われていた。

 1989(平成元)年に学習指導要領が改訂されると、その内容として国際理解教育や地球環境問題が強調されるようになる。国際理解を扱う単独の教科や領域こそなかったが、国語、英語、社会科、理科などの教材として、教科書にも開発教育や国際理解につながる内容が増えてきた。1990年代に入る頃から、青年海外協力隊や国際協力NGOに対して学校での講演の希望が増えるとともに、DEARに対しても講師派遣や教材の問合せが増加した。DEARでは毎年、教材作成のワークショップを開いて教員とNGO関係者とが一緒になってさまざまな教材の開発を行った。また、青年海外協力隊も「サーモン・キャンペーン」事業を始めて、協力隊のOB・OGが地元の学校などに出向いて講演することを奨励した。

 文部省に設置された中央教育審議会は1996年の答申で、学校五日制を完全実施するとともに、各教科の時間数を大幅に減らし、代わりに「総合的な学習の時間(総合学習)」を設けることを提言した。総合学習の内容としては「国際理解、情報、環境、福祉・健康」が例示された。ここに至って開発教育がめざす内容が、学校教育の正規のカリキュラムの中に位置づく可能性が大きく広がった。そこでDEARとしては、総合学習の導入に焦点を当てて、開発教育のカリキュラム、参加型学習、学校・地域・NGOの連携に関する研究会を立ち上げた。これらの成果は『わくわく開発教育−参加型学習へのヒント』(1999年)、『いきいき開発教育−総合学習に向けたカリキュラムと教材』(2000年)、『つながれ開発教育−学校と地域のパートナーシップ事例集』(2001年)として刊行された。また、この間身近なコーヒーやカレーなどを題材とした教材や、貿易、環境などを扱った教材を毎年製作してきた。


「総合的な学習の時間」

 

 ここでNGOと学校との関係に大きな影響を与えた「総合的な学習の時間」について説明しておこう。総合的な学習の時間については学習指導要領では「各学校は、地域や学校、児童の実態等に応じて、横断的・総合的な学習や児童の興味・関心等に基づく学習など創意工夫を生かした教育活動を行うものとする」と説明されている。そしてこの時間のねらいは二つあり、第一は「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること」であり、第二は「学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること」である。

 すなわち、教師から児童・生徒に対して一方的に行われていた従来の授業形式を改めて、子どもたちが自ら学ぶように動機づけ、知識だけでなく問題解決や創造的な活動を生み出すような学習が期待されている。しかもそれは子どもたちの生き方や価値観につながるものである。総合学習の内容としては、何が想定されているのであろうか。指導要領では、「例えば国際理解、情報、環境、福祉・健康などの横断的・総合的な課題、児童の興味・関心に基づく課題、地域や学校の特色に応じた課題などについて、学校の実態に応じた学習活動を行う」とだけ例示されていて、具体的な展開は学校にゆだねられている。各学校や教師自身が子どもたちにとって必要と思われる内容を選択することができる。しかし、例示とはいえ国際理解、環境、情報、福祉・健康が示されたことの意味は大きく、実際現場においてもこの4つの領域をカバーしようとしていることが多い。

 さらに指導方法については若干のコメントが付いていて、「自然体験やボランティア活動などの社会体験、観察・実験、見学や調査、発表や討論、ものづくりや生産活動など体験的な学習、問題解決的な学習を積極的に取り入れること」とある。いわゆる参加型で体験型の学習が奨励されているわけである。時間数は小学校においては3年生以上で年間105〜110時間(平均週3時間)、中学生では年間70〜130時間、高校では卒業までの3年間に105〜210時間が割り当てられている。週平均3時間というのは、従来の理科や社会科の時数に相当するので、総合学習はそれなりに大きな位置を占めることになる。

 基本的には、総合学習のカリキュラムは現場にゆだねられていて、文科省からは指導書や教科書を出さないことになっている。しかも5段階や3段階の数字による評価も行わなず、通知表には記述式で教師の評価が書かれることになる。ここで大切なことは、カリキュラムの編成については現場の学校や教師にすべて委ねられたことである。自らカリキュラムの作成した経験がほとんどない現場の教師にとっては、経験不足もさることながら、上意下達ではなく現場で作るカリキュラムという発想の転換を行うだけでも大変なことである。また総合学習の内容に示された国際理解の領域については、他の環境や福祉に比べて現場での経験が浅く、また参加体験型の学習方法にも教師は慣れていない。2002年頃から国際協力NGOやDEARに対して講師派遣や教材の照会が急に増えた一因である。


国際理解教育と開発教育

 

 それでは総合学習のひとつの分野として例示された「国際理解」はどのように学習されているのであろうか。中教審答申は国際化と教育について次の3点を目標とした。ひとつは「広い視野をもち異文化を理解」し「共に生きていく資質や能力の育成」である。2番目は「日本人として、また、個人としての自己の確立」であり、3つめが「コミュニケーション能力の育成」である。さらに国際理解教育の充実として、とくに「アジア諸国やオセアニア諸国など様々な国々にも一層目を向けていく必要」を述べている。

 国際理解に関する文部省関連の文書のトーンは一貫して、自国理解、自文化理解を基礎において、その上で他国理解、他文化理解を図るものである。そこでは技法としてのコミュニケーション能力、さらにいえば英語能力の向上を強調してきた。しかしながら、このような国際理解教育は1970年代以来の国際社会での国際理解教育のとらえ方と大きくずれるものである。ユネスコは1974年の「国際理解勧告」決議において、国際理解教育を平和・軍縮、開発、環境、人権などの国際的な課題を理解し、その解決に向けて参加するための能力を養う教育として従来の国際理解教育を「国際教育」とするように枠組みの変更を求めている。ユネスコ主催の1994年の国際教育会議でも、1997年の成人教育会議でも、国際理解の内実は、平和、環境、人権、開発、ジェンダー、多文化共生といった地球的な課題を解決するための教育学習活動であることが強調されている。

 民族国家がすぐに消えていくものではないにしろ、すでに「国際化」「国際理解」という用語自体が国際社会の現実に合わないものとなっており、代わって「グローバル化(globalizaton)」や「地球市民教育(global education)」という用語が頻繁に用いられている。今後の国際理解教育は、現在人類社会が抱えている地球的諸課題を理解し、その解決に参加するための技能や態度を養う教育である、と捉え直す必要がある。地球的課題における南北問題解決の重要性からいって、開発教育は環境教育、多文化教育、人権教育、平和教育など他の地球的課題を扱う教育と並んで、今後の国際理解教育の重要な一翼を担うものである。

 開発教育協会では現在、開発教育を「私たちひとりひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加することをねらいとした教育活動」と説明している。この定義にある「共に生きることのできる公正な地球社会づくり」は、まさに21世紀に生きる人類共通の課題であり、新しい教育の目標である。DEARはさらに開発教育の具体的な目標として5項目を上げている。

 @ 開発を考えるうえで、人間の尊厳性の尊重を前提とし、世界の文化の多様性を理解すること(文化の多様性)

 A 地球社会の各地に見られる貧困や格差の現状を知り、その原因を理解すること(貧困や格差の理解)

 B 開発をめぐる問題と環境破壊などの地球的諸課題との密接な関連を理解すること(地球的課題の関連性)

 C 世界のつながりの構造を理解し、開発をめぐる問題と私たち自身との深い関わりに気づくこと(自分と世界とのつながり)

 D 開発をめぐる問題を克服するための努力や試みを知り、参加できる能力と態度を養うこと(問題解決のための参加)

総合学習が公立学校で始まり、国際理解に関する内容が教えられてはいるが、その内容のほとんどが「英会話」「国際交流」「異文化理解」の三つである。しかし、現在の地球社会が抱える深刻な課題を子どもたちに教えることなくして、果たして「国際理解」の名に値する教育と言えるであろうか。DEARが掲げた目標である「文化の多様性の理解」「貧困や格差の理解」「地球的課題の関連性の理解」「自分と世界のつながり」「問題解決のための参加」こそが、新しい国際理解の目標として目指されるべきであろう。


学校・地域・NGOの連携

 

 次に、なぜ学校と地域やNGO・NPOとの連携が強く求められるようになったのであろうか。その背景には、子どもと学校を取り巻く状況が大きく変化し、教育を学校という閉鎖空間のなかに閉じこめておくことが許されなくなったことが上げられる。つまり学校では子どもの無気力、無関心、いじめ、不登校、学級崩壊、非行と少年犯罪などの問題状況が顕在化し、地域では家庭や地域の教育力や地域文化の衰退が問題となっている。こうした状況にもかかわらず、従来からの教育が、地域や世界のリアリティから遊離して知識のみを覚えさせ、結果的に子どもたちの学習意欲を衰退させ、学校そのものに対する信頼を失わせてきた。

 こうした状況の是正に向けて、教育の機能を生き返らせようとするならば、学校は、そして家庭を含む地域は、相互に連携しあうことにより、これまでの「閉ざされていた学校」を「開かれた学校」にしていかざるを得ないのである。この場合、「学校を開く」ということには概ね4つの意味が含まれている。@学校の情報が地域に開かれること、A学校施設が地域に開かれること、B学校教育の活動が地位に開かれること、C学校経営・運営が地域に開かれること、である。

 それでは学校とNGOとの連携はこの内のどのような形で進みつつあるのであろうか。まず一番多いのはNGOへの講師派遣の依頼である。次に、総合学習が始まって急に増えてきたのが、中学生高校生によるNGOの事務所訪問である。これは修学旅行の一貫として行われることもあり、また最近では国際協力をテーマにした学習グループによる訪問や「職場体験」のひとつとして行われることもある。またDEARの会員を中心にして、教員とNGOとが協働して教材やカリキュラムを作成するという形の連携も進んでいる。すなわち、NGOに期待されかつ実施されているのは上記の「B学校教育の活動が地域に開かれること」に相当する。簡単に言えば、授業や学校行事の一部にNGOが協力を求められているのである。

 それでは学校は具体的に何をNGOに期待しているのであろうか、あるいはすべきであろうか。単に開発途上国や国際協力についての知識を子どもたちに教えるのであれば、何もNGOに来てもらわなくても教員自身で十分カバーすることができる。学校がNGOに期待すべきは、単なる知識や説明を超えたところにある「リアリティ」ともいうべきであろう。実際に途上国で協力活動をしてきた人の口から、その実情を語ってもらうことには、大きな教育効果がある。さらにはその人の生きかたや考え方から何らかのインパクトを受けることができる。このリアリティを学校に持ち込むことこそが、総合学習の本来のねらいでもあり、学校を開いていくことの基本的な課題であるということができる。NGOが学校と連携することの意味はまさにこの「現場のリアリティ」にあると言っても過言ではない。


学校とNGOの連携の課題

 

 学校とNGOとの協力はまだ始まったばかりといってもよい。お互いに相手のことがよくわからないので、暗中模索しているような状況である。そこで、今後のよりよい連携のためにいくつか提言しておきたい。講師派遣、事務所訪問、教材作りについての具体的な方法や留意点は本書中で詳しく解説するのでここではあまり細部にわたって触れることはしない。

 第一に、NGOの側が子どもたちに対して何を伝えるのか、そのメッセージを明確にしておく必要があろう。これは実際にはNGO活動の目的や活動の紹介であったり、途上国の人々の実情の紹介であったり、特定の問題(例えば、児童労働、スラム、エイズ)への理解であったりする。そして具体的にはそれは教材として提示されることになる。そこでどのような素材を教室に持ち込むのか、あるいは事務所で見せるのかについてはあらかじめ一定の教材を作成しておくことが望まれる。私は「一NGO、一教材」を提唱している。あらかじめNGOが示す教材が明確であれば、学校側もNGOに対して要請がしやすくなる。

 第二に、授業をしたりNGOの説明をするスタッフの側の課題である。NGOのスタッフやボランティアは多くは教育や指導に関してはしろうとである。しかし、子どもたちの前に立ち、また子どもらに説明するわけであるから、一定の話しの仕方や学習の進め方を習得しておくことが望ましい。もちろん教員のような専門的な訓練を受ける必要はないし、また現実的でもない。そこで、現在各地で行われている「ファシリテーター養成講座」などに参加することをお薦めする。短時間参加するだけでも、最近の参加型学習の動向を知ることができて、学ぶところは多いであろう。

 子どもらに話すに当たっては、その話しをしている「あなた」自身が実は最大の教材であることを知っておいてほしい。あなたという人間を通して語られることすべてが子どもたちに何らかの影響を与えている。ときには、話されている内容そのものよりも、NGOや協力隊で働いてきたあなた自身の生き方に子どもたちは最も影響されているかもしれないのである。

 第三に、学校とNGOとの対等なパートナーシップをできるだけ築くように努力してほしい。現在のところ学校側がNGOに期待しているのは授業の「補完」であり、またNGOもそれ以上の責任を負うところまで関わることは難しいであろう。しかし、たとえ一時間の授業のみのつきあいであっても、その関りの質を高めることは可能である。例えば、講師派遣を依頼された際に、教員に対して期待されている話しの内容が何であり、その目的はどこにあり、カリキュラムのどこに位置づくかをたずねることは当然のことであろう。それらに答えてくれないようであれば依頼を断ることも考えてもよい。また、そのような質問を受けることで、教員の側もより真剣にNGOに来てもらうことの意味を考えるのである。あるいは、講演の後にその評価を教員に求め、また子どもらからも反応をもらうことも必要である。NGO側も行った授業の感想を教員に伝えるようにする。お互いが率直に評価しあうことが、授業の質を高め、ひいては学校を開くことにつながる。

 もし、同じ学校から再び呼んでもらえるようであれば、その関係を大切にしたい。前回よりもじょうずに授業を組むことができるであろうし、こうした関係が続くことによって授業作りにまで協力が進むかもしれない。こうして、NGOが学校の中に「リアリティ」を持ち込み、学校を少しでも「開いて」いくことが、今の子どもや教育の状況を改善し、また、将来のNGO活動の後継者やサポーターを育てていくことにつながるのである。


[参考文献]

『つながれ開発教育−学校と地域のパートナーシップ事例集』 開発教育協会、2001 年

『参加型学習で世界を感じる−開発教育実践ハンドブック』 開発教育協会、2003年

『開発教育キーワード51』 開発教育協会、2002年

「NGOと学校がつくる総合学習−開発教育の経験から」『人権教育』第11号、2000年5月

 


もくじ

冒頭