2003年8月
田中治彦
9・11事件(米国中枢部への同時多発テロ)とそれに続く米国などによるアフガニスタンでの戦争は、開発教育の実践者たちに大きな衝撃を与えた。なぜなら、9・11事件の背後には、経済のグローバル化による世界規模の貧富の格差の増大と、文化、宗教、民族間の対立の激化といった問題が存在していたからである。開発教育は「共に生きることのできる公正な地球社会づくり」をめざす教育活動であり、9・11事件が共生と公正を否定するところから起きた事件であることから、開発教育協会(DEAR)としてこの問題に対して教育学習の観点から早急に取組む必要性を感じていた。
DEARは2001年11月5日付けで「”米国同時多発テロ事件”および”米国などによる報復的軍事行動”に関する声明」を理事会有志の名で発表するとともに、「平和を築く学習キャンペーン」を開始した。そのために作成された学習ハンドブックが、本書の前身に当る『Talk for Peace! もっと話そう−平和を築くために私たちができること』である。このハンドブックの特徴は、これまでDEARが開発してきたさまざまなワークショップの学習活動を組み合わせることで、戦争と平和の問題に迫ろうとしたことである。その構成は以下のようになっている。
『Talk for Peace!』の学習活動の内容
1.部屋の四隅(意見によって4グループに分かれる)
2.フォト・ランゲージ(国当てクイズ)
3.地図のパズル(中東・中央アジア地域の地図を完成させる)
4.ブレイン・ストーミング(テロや戦争についてキーワードをつなげていく)
5.新聞くらべ(複数の新聞を読み比べる)
6.新聞づくり(色々なメディアから情報を集めて、自分で紙面をつくる)
7.ランキング(問題解決の方法を考えて、それに順位をつける)
8.ディベート(与えられた課題について賛成と反対に別れて討論する)
9.私の願い(自分たちの思いを文字にして確認する)

学習活動の1から3までの活動が導入部である。問題への関心を高めたり、自分たちが従来もっている知識やイメージを確認する作業が中心である。4から8が、問題の特定と解決策に至る中心的な学習活動である。そして9の「私の願い」で、自分たちの希望を表明することで今後の活動への動機づけをねらいとしている。このハンドブックは約1000人のDEAR会員に配布された他、各地のセミナーや講演会などでも活用された。
平和の学びキャンペーンにおいてDEARが次に行ったことは、機関誌『開発教育』での特集である。2002年2月刊行の機関誌第45号では、「『テロ』と『戦争』から考える」という特集が組まれた。非常に大きな広がりと深みをもつ9・11事件に対して、開発教育編集部では「平和学」「平和教育」「メディア」「非暴力」「紛争調停」の5つの観点から編集を行った。その内、メディアについては事態が急速に進行しつつあり、メディアの動きを捉えきれないために記事としては十分展開されなかった(しかし、メディアについてはその後イラク戦争や北朝鮮問題における報道のあり方や「メディアを読み解く力」が開発教育の大きな課題であるとの認識のもとに、2003年8月刊行の機関誌第48号で改めて特集されることになった)。平和の学びに関連して『開発教育』においては、これまで以下のような記事が掲載されている。
第45号(小特集−「テロ」と「戦争」から考える)
米国中枢自爆攻撃と開発・教育〜「非正規性」の時代と平和学〜(横山正樹)
PEACE IS POSSIBLE−気付きから築きへ(岩崎裕保)
「テロ」「報復」から人権を守るために−国際刑事裁判所の可能性(山口充)
テロ事件を学校でどう扱うか−メディアリテラシーとして(高野剛彦)
第46号
「実践事例報告@ アメリカ同時多発テロ事件を通して」(谷口康代)
第47号
「『時事問題』を教室に−『グローバル・エクスプレス』の経験から」(キャシー・ミドウィンター)
「課題別分科会B Talk for Peace! 今、改めて「平和」を考える」(木下理仁)
9・11事件があった2001年の年末に書店に並んだある1冊の本が話題となり、たちまちベストセラーのとなった。その本の名は『世界がもし100人の村だったら』である。この本は、もともとインターネット上を飛び交っていたある物語を翻訳家の池田香代子氏が再録したものである。インターネットに100人村物語が急速に広まったのは9・11事件の直後のことである。そして、この本がベストセラーになったのも9・11事件の衝撃をのぞいては考えられない。
教室を地球社会に見立てて世界の現実をシミュレーションするタイプのワークショップは実は1970年代から存在していた。子どもたちを大陸別の人口の比に分けたり、GNP比で分けたりするものである。開発教育の会員には『100人村』をテキストとして教室で使ったり、独自のワークショップを開発し実施するメンバーもあった。そこでDEARでは教材作成のタスク・チームを作り、さっそく試作版の作成にとりかかった。2002年はDEAR20周年の年に当り、全国各地を回るリレー・キャラバン隊が編成されていた。これは8月の京都での全国研究集会を起点に、近畿、中国四国、九州、北陸、北海道、東北と各地を転々と回って、12月に東京で行なわれる20周年記念行事でゴールインする事業である。各地の集会でもっとも人気があり要望も強かったのが「100人村ワークショップ」であった。
およそ30回にも及ぶ実践をもとに『ワークショップ版 世界がもし100人の村だったら』が2003年3月に完成した。このワークショップのテーマは基本的には「世界の文化・民族・言語などの多様性を理解すること」と「貧富の格差などの世界の現実を知ること」である。すなわち、9・11事件の原因となった2つの要素を理解することにつながる教材である。
「100人村ワークショップ」は約10の学習活動から構成されている。もともと世界の現実を可視的に知るための教材であり、その扱うテーマも広いので、開発教育の導入として適切な教材である。この教材を「平和を築く学び」のために活用することができる。例えば以下のような学習プログラムが考えられる(ページは『ワークショップ版 世界がもし100人の村だったら』の掲載頁)。

1.アイスブレーキング「行ったことのある国、行ってみたい国」(p.8)
2.シミュレーション
1)世界の人口(p.10)
2)男性と女性、どっちが覆い(p.12)
3)世界は今、高齢化?若年化?(p.13)
4)大陸ごとに分かれてみよう!(p.14)
5)世界の言葉で「こんにちは」(p.16)
3.世界の富は誰がもっているの?(p.19)
4.「100人村」を読む&ディスカッション(p.21)
5.原因を考える−コンパス分析(p.22)
6.未来を創る
1)30年後の地球社会を描いてみよう(p.24)
2)自分たちにできること(p.26)
以上はほとんど『ワークショップ版世界がもし100人の村だったら』の構成に従っているが、4以下は「平和を壊すもの・平和を築くもの」という観点を明らかにしながら実施することで「平和を築く学び」へとつながっていく。
戦争や紛争の直接の被害者である「難民」について、開発教育関係者は常に関心を持ち続けていた。というのは日本における国際協力NGOと開発教育の「原点」は1980年前後をピークとするインドシナ難民問題であったからである。関西を活動基盤とする「開発教育研究会」は3年にわたる研究成果をもとに、2000年に『新しい開発教育のすすめかたU 難民−未来を感じる総合学習』(古今書院)を発刊した。
このテキストには難民問題を身近に感じられるように、学習活動にさまざまなくふうがなされている。戦火にあった難民が避難する状況をシミュレーションし、難民キャンプでの生活を想像し、さらに第三国に定住した難民たちの問題を知り考えるような学習活動が盛り込まれている。子どもたちにとって遠い存在である難民問題を、参加型学習を通して自らの課題としてとらえられるように意図され構成された教材集である。
こうした教材を使用した難民問題学習が学校や社会教育で展開される一方で、難民問題やその学習についての誤解や偏見も存在した。その一つの例が、難民問題学習に関する新聞の報道である(「小学校の難民体験授業で『ワイロ指導』」読売新聞、2002年8月14日夕刊)。実際には「ワイロ指導」は行なわれておらず、しかも同新聞社主催の他の催しにおいて同じワークショップが行なわれ、好評裏に終了していたことが判明した。結局は「誤報」であったのだが、日本のマスコミにおいてすら難民問題や参加型学習について理解が浅く、初歩的な誤解が存在することを明らかにした事件であった。
DEARではこの事例を重く受け止めて、この報道についての声明を出すとともに、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と協力して難民問題学習のセミナーを開催することとした(声明については機関誌『開発教育』47号、p.112-113。また難民問題報道の経緯についてはホームページ参照のこと)。セミナーは2003年3月にUNHCR東京事務所の主催、DEARの共催で「難民問題ワークショップ−難民問題をどう教えるか」として東京で行なわれた。また8月に立教大学で行なわれる開発教育全国研究集会では、基調講演に前国連難民高等弁務官の緒方貞子氏をお招きして難民問題について学び、平和を築く学びの進め方について議論する。
アフガニスタンにおける戦争が終結した後も、米国はイラクへの攻撃を警告し続けていた。2003年2月には国連安全保障理事会において大量破壊兵器の査察をめぐり、イラクへの軍事攻撃を容認するか否かの決議をめぐる論議が佳境を迎えつつあった。イラクへの攻撃が目前に迫るなかで、国際世論は分裂し、世界各地で市民による戦争反対の行動が盛り上がりを見せた。こうした中で、DEARは3月12日付けで「あらゆる戦争と暴力に反対し、平和築く学習キャンペーン(第2期)を推進する声明」を発表した(開発教育協会ホームページ参照)。
声明と学習キャンペーンの趣旨は、先の9・11事件の際のものとほとんど同じであるが、その後の活動成果を受けていくつかの点で発展がある。まず、学校、地域、社会教育、NGO活動などにおいて平和を築く学習活動を2003年度を通して積極的に展開することとした。本書はそのための学習ハンドブックとして編集されたものである。そして新たに、難民問題や人間の安全保障などについてUNHCRや難民関連NGOと協力して学習活動を推進することが盛り込まれた。また学習課題として、中東地域のみならず韓国・朝鮮と日本に住む私たちとの関わりについての学習を進めることも重視された。これは2002年来の北朝鮮をめぐる報道のなかに、偏見や差別につながるものがあることや、過去の歴史を踏まえないで議論されていることに対する危惧があったからである。さらに今回最も強調されたのは「メディアを読みとく力(メディア・リテラシー)」である。マスコミが伝える情報を批判的に読み解き、NGOなどが持っている生の情報と比較しながら、その問題の背後にある事実を分析して、自らの意見をつくりあげる作業を学習活動として展開していくことが今求められている。本書のワークショップにおいてメディアに関するものが多いのはそのためである。
9・11事件に衝撃を受けたのは日本の開発教育関係者だけではなかった。事件の現場である米国そしてカナダ、またオーストラリアやニュージーランドでも、従来の開発教育をめざしてきたものを再度確認して新たな学習活動を展開する動きが起きた。ヨーロッパでは欧州評議会南北センターを中心に、欧州44か国でグローバル教育を推進するための会議が2002年3月と11月に開かれた。DEARの提携団体である英国開発教育協会(DEA)を通じて、DEARにも11月のマーストリヒト会議に参加するよう働きかけがあり、私と岩崎氏とが参加した(その様子は『開発教育』第47号に報告されている)。
そして2003年9月にはロンドンにおいて、開発教育・グローバル教育の世界ネットワークを結成するための会議が開かれる。DEARとしては世界ネットワークに参加するに当り、アジア太平洋地域での開発教育ネットワーク作りを今後積極的に行う方針である。ヨハネスブルグ・サミット以降の「国連・持続可能な開発のための教育の10年」(2005年より開始)とあいまって、今後開発教育・グローバル教育は国際的な協力のもとに推進されることになるであろう(持続可能な開発のための教育については、『別冊開発教育 持続可能な開発のための学び』2003年、を参照のこと)。

平和を築く学びは日本の国内だけで行なわれるのでなく、こうした世界のさまざまな教育学習団体や平和・人権・環境・国際協力NGOなどとネットワークを組みながら推進される。わたしたち一人一人の学びや実践は小さいものであるけれど、世界中の仲間と協力しながら行うことによって、戦争や貧困のない公正で共に生きることができる地球社会づくりに参加することができるのである。
『もっと話そう!平和を築くためにできること−Talk for Peace! 』 開発教育協会(2003)より
参考: 開発教育協会ホームページ・Talk for Peace! 平和を築く学習キャンペーン