田中研究室・南北ネットワーク


開発教育と持続可能な開発のための教育(ESD)

−参加型社会に向けた社会教育の役割

 

 2005年9月   

田中治彦(立教大学)


これまでのESD論に欠けていた「開発論からみたESDの系譜」について解説しました。

日本社会教育学会編『グローバリゼーションと社会教育・生涯学習』に所収されている同名の論文の元となった原稿です。


はじめに

 

 持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development、以下ESD)はその内容も方法も多岐にわたっているが、その中心的な教育活動としては環境教育と開発教育とが想定されている。しかしながら、「持続可能な開発」の概念が地球環境の文脈で使われることが多かったため、ESDもこれまで主として環境教育との関連で議論されてきた。また、環境教育関係者からはESDが「開発」の用語を含んでいることに違和感を示す向きも多いため、持続可能な開発(SD)が開発論の観点から論じられることがほとんどなかった。そこで本稿では従来あまり議論されて来なかった、SDと開発論との関係そして開発教育とESDとの関連について主に論じたい。

本稿においてはまず第1節において従来の開発論の系譜のなかで持続可能な開発がどのように位置づくのかを考察したい。そして第2節で開発教育とESDについて、第3節で環境教育とESDとの関連について述べる。その上で、第4節でESDと社会教育をめぐる課題について特に、ハンブルグ宣言の内容を検討しながら整理してみたい。ハンブルグ宣言は環境、開発を含む地球的課題と成人学習とについて述べた文書である。従ってESDと社会教育との関連を考える上での出発点となる文書である。続く第5節でそのキー概念のひとつである参加型学習について検討したい。地球的課題群の解決には国際協力とともに参加型市民社会づくりが必要であると文書には述べられており、成人学習の関連でみたときにそのための参加型学習が重要となるためである。最後にESDに関って、今後の日本の社会教育研究についていくつか課題を提起をしたい。

 

1.開発論から見たESD

 

 「持続可能な開発(Sustainable Development)」の概念は、1987年にブルントラント委員会より出された『我々の共通の未来』という報告書の中で明確にされた。1) 報告書のなかで、持続可能な開発は「将来の世代が自らのニーズを充足する能力を損なうことなく、現在の世代のニーズを満たすような発展」と定義された。これは従来のように開発と環境を対立的に捉えるのではなく、地球の生態系が持続する範囲内で開発を進める考え方である。現在の世代が将来の世代のための資源を枯渇させぬこと(世代間の公正)と、南北間の資源利用の格差すなわち貧困と貧富の格差を解消することをめざしている(世代内の公正)。

 持続可能な開発は、もともと海洋資源の保護をめぐる「最大維持可能漁獲量」という考え方から始まっていて、環境保全の文脈において成立した概念である。ブルントラント報告は「持続可能な開発」を環境と開発とを統合する概念として提起したところに特長がある。持続可能な開発を開発論からみると、それは1970年代後半に論じられ始めた「もう一つの開発(Another Development)」「オールタナティブな開発(Alternative Development)」の系譜に位置づけることができる。この議論は1977年にスウェーデンのダグ・ハマーショルド財団が発表した『もう一つの開発−いくつかのアプローチと戦略』において、従来の経済開発路線に代わる新たな発展の道を模索したことから注目を浴びることになった。2) 同報告書では「もう一つの開発」を次の5つの特長をもつものとして定式化した。それらは、(1)基本的ニーズを充足する、(2)内発的である、(3)自立的である、(4)エコロジー的に健全である、(5)経済社会構造の変化を必要とする、である。オールタナティプな開発については、主として民間開発団体であるNGOの開発戦略において採用され、その実現が目指された。

 1992年の国連環境開発会議(地球サミット)においては、持続可能な開発の理念が国際的に合意されて、具体的な行動計画として「アジェンダ21」が採択された。持続可能な開発は、1990年代に行なわれた国連会議、国際会議において中心的なテーマとなり、次第に地球社会が抱えている課題の相互関連性が明らかにされることとなる。それらの会議は、世界人権会議(ウィーン)、国連人口開発会議(カイロ)、世界社会開発会議(コペンハーゲン)、第4回世界女性会議(北京)、国連人間居住会議(イスタンブール)である。これらを通じて、人口、貧困、環境、ジェンダー、居住、人権などの課題が国境を超えた地球規模の問題であるだけでなく、それらは相互に深く関連していること、そしてその解決には国を超えた国際協力とともに参加型市民社会が不可欠であるということが表明された。

 持続可能な開発の概念に大きな影響を与えたのが、「参加型開発」と「社会開発・人間開発」の考え方である。DAC(開発援助委員会)は1989年に「1990年代の開発協力」を発表して、1990年代の開発協力を主導する理念として「参加型開発(Participatory Development)」を提唱した。参加型開発とは、開発の受益層自身が開発の意志決定プロセスに参加すること、そしてより公平にその恩恵を受けることが含まれる。これは民主的なシステムの確立と公平な分配を保証する概念でもある。この場合の参加は強者の参加ではなく、社会的弱者の参加である。社会的弱者とは都市のエリートに対する農村の住民、男性に対する女性、大人に対する子ども、支配民族に対する少数民族や先住民族などである。ILOなど複数の国連機関は共同で調査を委託し、参加型開発の現状、方法、そして課題をまとめて『民衆と共にある開発』を1991年に発表した。3) 後に、持続可能な開発においては「参加」が中心的なテーマであると認識されるようになる。

 従来の経済成長中心の開発観に代わって、人間そのものそして社会の開発に焦点が当てられたのが「人間開発」「社会開発」の考え方である。UNDP(国連開発計画)は1990年に『人間開発報告書』を公表し、人間開発を1990年代の開発戦略の中心に位置づけることを提言した。4) 社会開発の考え方は人間開発が可能となるような社会条件を整備することに主眼が置かれたものである。社会開発の理論の基礎となるのは、人間優先の開発分野の重視であり、栄養、飲料水、識字、教育、保健医療、雇用、環境などの分野に重きを置く。そして、性差、民族などによる差別をなくし、社会的弱者に権利の擁護とエンパワーメント(能力、権限の獲得)の促進をめざす。社会開発は1995年にコペンハーゲンで開かれた世界社会開発サミットにおいて国際的に認知された。ここでは「コペンハーゲン宣言・行動計画」が採択されて、1996年からの10年間を「貧困根絶の10年」とし、各国政府は公共支出のうち少なくともその20%を社会開発に向け、またODAの20%を社会セクターに向けるべきという「20:20協定」が合意された。環境保護に発した持続可能な開発の考え方に対して、人間開発・社会開発の理念は人権の擁護や社会制度の変革の必要性を提供していったのである。

 このように環境保護や貧困の解消や人権の擁護に向けて国際会議などでさまざまな合意がなされるなか、経済のグローバリゼーションという別方向の動きが顕著となったのも1990年代の特長である。ウルグアイ・ラウンドの合意により、1995年にはGATTを引きつぐ形でWTO(世界貿易機関)が発足した。WTOは物品、サービスなどの貿易の自由化を目的とした諸協定の実施と管理を行う国際機関である。これにより世界の貿易は一層促されることになる。また、金融や投資についてはその促進や規制についての国際的な協定が未整備ななかで、事実上国境を超えた投資が広範に行なわれている。経済のグローバリゼーションはこのように、カネやモノの取引きが国境を超えて広く行なわれ、ボーダーレスの経済となる傾向を指している。これは世界規模の市場経済を発展させる一方で、貧富の格差を世界的な規模で増大させる結果を生む。多国籍企業や国際金融機関による開発プロジェクト融資が、現地住民の生活破壊や環境破壊を引き起こす事例も見られる。世界各地で起こっている広汎な経済のグローバリゼーションの影で、果たして「持続可能な社会」は可能なのか、という深刻な問いが投げかけられている。

 

2.開発教育とESD

 

 以上のような国際的な開発の問題を理解して、私たちがこれに対していかに考え、いかに行動できるかを考える教育運動が開発教育(development education) である。開発教育は、1960年代に欧米の国際協力NGOが提唱して、1970年代にユニセフなどの国連機関の会議を通して概念としてまとまりを見せた教育活動である。5) 日本では1979年に国連大学、国連広報センターなどの主催で開かれた「開発教育シンポジウム」がきっかけとなり、1982年に関係者によって開発教育協会(DEAR、当初の名称は開発教育協議会)が結成された。当時の開発教育は、開発途上国における貧困や飢餓といった「低開発」や「欠乏」を問題として、その解決のために先進工業国の住民としてできることを考えるための教育活動であった。従って担い手も、青年海外協力隊OB・OGや国際協力NGOの関係者や、YMCAなどの国際的なつながりのある青少年団体等であった。同時に、途上国の貧困の原因が北側にもあるという認識があり、単なる「南」の問題の学習以上の広がりをもっていた。また、1980年代からの外国人労働者の大量の流入の下では多文化共生の「内なる国際化」を問題としてきた。

 開発教育が大きく変貌するのは1990年代である。先に述べた、環境、人口、人権、ジェンダーなどの課題に関わる国際会議を背景として、それらの地球的課題が地球社会の「開発のあり方」に密接に関わると認識されるようになり、それらの隣接領域を含んだ幅広い内容領域が模索されることになった。そうした状況を踏まえて開発教育協会は1977年に従来の定義を次のように変更した。

 開発教育協会では、開発教育を「私たちひとりひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加することをねらいとしている」と説明している。その上で具体的な教育目標として以下の5項目を上げている。 6) 

(1) 開発を考えるうえで、人間の尊厳性と尊重を前提とし、世界の文化の多様性を理解すること。

(2) 地球社会の各地に見られる貧困や南北格差の現状を知り、その原因を理解すること。

(3) 開発をめぐる問題と環境破壊などの地球的諸課題との密接な関連を理解すること。

(4) 世界のつながりの構造を理解し、開発をめぐる問題と私たち自身との深い関わりに気づくこと。

(5) 開発をめぐる問題を克服するための努力や試みを知り、参加できる能力と態度を養うこと。

 ESDの学習内容は、人口、開発、環境、ジェンダー、人権、平和などの多様な、しかし相互に密接に関連する地球的課題をカバーしているが、開発教育も1990年代半ばから上記の(2)(3)(4)項に見られるように、こうした領域とそれらの関連性を教育目標としている。また、開発教育がめざす「共に生きることができる公正な地球社会づくり」は、ESDがめざす「持続可能な地球社会づくり」と深く関連している。その意味では、1977年以降の日本の開発教育はそれ自体ESDである、ということができる。また、ESDの最終的な目的としては「共生と公正を基本とした持続可能な地球社会づくり」というように表記することでその内容が明瞭に表現される。

 開発教育協会では1998年以降、新しい定義に基づき中期3か年計画を策定して、開発の概念、参加型学習、カリキュラム、学校・地域・NGOのパートナーシップの4つの研究会を設けて研究を重ね、出版物を刊行し、各種セミナーを開催してきた。7) 開発教育協会は、2005年の「国連持続可能な開発のための教育の10年」の発足を受けて、これを推進するために3つのことを提案している。8) それは、(1) 次の学習指導要領の中に、できるだけ多くESDの内容を盛り込む。総合学習についてはこれを維持発展させる。(2) 各自治体においてローカル・アジェンダをESDの観点から見直して、環境のみならず、在住外国人、福祉、子育て、など幅広い分野を含んだ新ローカル・アジェンダを作るように働きかける、(3) ESDのアジア・太平洋のネットワーク作りを積極的に推進する、の3項目である。

 

3.環境教育とESD

 

 環境教育とESDとの関連については他の執筆者が論じているので、ここでは結論を簡単に述べるだけに留めたい。筆者は別の論文で環境教育とESDに関するジョン・フィエン、新田和宏、阿部治の議論を検討した。9) そして、従来の環境教育がESDとして発展するためには以下の3点が必要であると考えた。第一は、環境問題はすぐれて地域的な課題ではあるが、これを地球的な視野から見直す必要があるということである。例えば、パーム油は食品、医薬品、化粧品などに幅広く使用されていて、植物油であるために「健康にやさしい」「環境にやさしい」として宣伝されている。しかし、その実マレーシアのパーム・プランテーションではすべての自然の木を伐採した上でパームを栽培しているのであり、これにより深刻な環境破壊を引き起こしている。10) グローバリゼーションの下、このような事例は数多く存在するため、地域に視点を限定している限りは問題の本質が見えてこないケースが多い。

 第二に、環境問題を生態学的、自然科学的視点で見るのみならず、経済的、社会的、文化的文脈で考える必要がある。エコ・ツーリズムを例に上げれば、それは環境保護と観光産業と地場産業との共同、協力がなければ成立しない。肝心の農林水産業が衰退しては、最大の観光資源を失うことになるのからである。第三に、まちづくりなど広い意味での公共政策に関わる参加のための知識や技法が重要である。参加型社会をつくるための参加型学習が求められているのである。この点はESDの学習論として重要であるので、第5節でさらに詳しく議論したい。

 

4.ESDと社会教育

 

 地球的諸課題と成人教育との関係については1997年のハンブルグ宣言において明確化されている。ハンブルグ宣言とは、同年7月にドイツのハンブルグで行われた第5回国際成人教育会議において採択された「成人学習に関するハンブルグ宣言」である。11) この宣言では、1990年代の前記の国際会議・国連会議の決議や行動計画を総括する形で、地球的課題群と成人教育の課題について述べている。その意味でESDと社会教育の関係を明らかにした重要な文書と言えよう。宣言は冒頭で次のように述べている。

 「参加者は、人権の最大限の尊重を基礎にした、人間中心の開発ならびに参加型の社会のみが、持続可能かつ公正な開発をもたらしうることを再確認する。もし人類が生き延び、未来の課題に応えようとするのであれば、生活のあらゆる領域において、人びとが情報を得て、効果的に参加できることが必要である。」

 ハンブルグ宣言は地球的諸課題として、貧困・南北格差の解消、地球環境問題の解決、平和で民主的な社会の達成、被差別者・弱者(女性、障害者、先住民、高齢者、等)の権利としての学習の保障を上げている。これらの解決のためには冒頭にあるように人間中心の開発と参加型社会が必要であり、そしてそのためには成人教育こそ必要不可欠であるという基本認識がある。このことは続く第2項により明確に述べられている。

 「成人教育は権利以上のものであり、21世紀への鍵である。それは積極的な市民性の帰結であると同時に社会生活への完全な参加の条件である。それは生態学的に持続可能な開発を育み、民主主義と公正、男女平等、科学的社会的経済的な開発を促進し、暴力紛争が対話と正義に基づいた平和の文化に転換された世界を創るための強力な概念である。成人学習はアイデンティティを形成し、人生に意味を与えることができる。」

 経済のグローバリゼーションの進展は、特に南の弱い立場の人々により深刻な影響を及ぼしている。また、日本のような先進工業国にあっても、すべての人すべての地域に同じように作用するのではなく、いわゆる「勝ち組」と「負け組」を生じさせている。すなわち、国際的にも国内的にも貧富の格差の拡大を伴うものである。第2項の後段では「生涯にわたる学習は、年齢、ジェンダー平等、障害、言語、文化的経済的格差といった要因を反映した学習内容への変革を迫っている」として生涯学習の内容論の再考を求めている。 成人教育という営みは、弱い立場に立たされた人々が自らを解放するための学習活動としても重要である。例えば、被抑圧者自身が自己のプライドと自信を回復し、自らの状況を改善するための諸能力を獲得することである。これは「エンパワーメント(力の回復、獲得)」と呼ばれ、ジェンダー論やオールタナティブな開発論においてもキーワードである。エンパワーメントのための学習は、識字教育、職業訓練にとどまらず、それらを通して抑圧的な社会構造を理解したり、また被抑圧者どおしが連帯し声を上げていくための人間関係訓練や組織経営法なども含まれる。ハンブルグ宣言は、女性、高齢者、少数民族、先住民・遊牧民、障害者などの被抑圧者が学習する権利を保障するための教育施策をとるように各国政府と成人教育関係者に求めている。12)

 

5.ESDと参加型学習

 

 複雑で広範な地球的課題や経済のグローバリゼーションの構造を理解し、自分たちの問題としてつなげていくことは決してやさしいことではない。学習方法の観点からみたとき、ESDの内容である地球的課題の学習にはいくつかの特徴がある。それは、(1)問題解決的であり、(2)未来志向であり、(3)知識の獲得だけでなく態度の変容が求められていることである。そのためグローバル課題の学習を行う際には、学習者自らが主体的に参加して自己変革を行うような学習活動が求められる。このような学習方法のひとつが参加型学習と呼ばれていて、その具体的な学習形態としてワークショップ形式がある。

 参加型学習は地球的課題のように答えそのものが多様であり、答えを見いだすプロセスを重視する学習活動において有効である。参加型学習は、日本では1990年前後から用いられるようになった用語であるが、その系譜はイギリスの開発教育やグローバル教育、パウロ・フレイレによる識字教育や課題提起教育、さらにはジョン・デューイによる問題解決学習や新教育運動における実践などにも遡ることができる。これらの学習活動は「学習者(子ども)の興味関心」「体験・経験」「対話」「参加」などのキーワードが共通している。13)

 ESDに関連した参加のための学習内容や方法については、ロジャー・ハートの議論が参考になる。ハートは『子どもの参画』を表わしていて、同著が子どもの参画について書かれた本であるにもかかわらず、成人の参加型学習に対しても示唆するところが多い。14) ハートの議論には3つの特徴がある。ひとつは子どもの参画と環境教育・まちづくりとを結びつけることによってESDの内容を明確にしたこと、第二はその具体的な学習方法論としてアクション・リサーチを提案したこと、第三は子どもの参加のレベルを「参画のはしご」として8段階に明示したことである。参画のはしごは子どもと大人の関係のみならず、成人の学習者と指導者、開発プロジェクトにおける住民と行政ないしはNGOなど、学習活動が行われるさまざまな場面での応用が可能である。

参加型学習については、日本においては開発教育協会が1990年代にイギリスのグローバル教育などに学びながらその導入を進めてきた。それらは環境教育、人権教育、ジェンダー教育、まちづくり教育などにも広がり、2002年からの「総合的な学習の時間」の導入によって学校教育にも広範に広まった。一方、第1節で述べた「南」の開発の現場においても参加型開発が模索されるに連れ、PRA(参加型農村調査法)やPLA(参加型学習行動法)など民衆の参加を促し主体的な力量を高める(エンパワーする)ための参加型学習の手法が広がった。学習論として見たときに、日本や欧米における参加型学習と第三世界の参加型開発に伴う参加型学習とはその理念、内容、方法において共通することが多い。15) それは、開発協力の現場が従来の「北から南への援助(技術と金の移転)」という関係から「参加型社会づくりを共に行うパートナー」としての関係へと変化してきたことを示すものである。次節の2項で述べるようにこの関係性の変化について学習論の立場から考察を進めることが、今後のESDと社会教育研究のひとつの課題である。

 

6.ESDと社会教育研究の課題

 

 最後にESDに関連して今後の社会教育研究の課題を3点述べておきたい。第一は、歴史研究と比較研究に関連することであるが、現在「南」の国々で広く行われている参加型開発は、日本の近代社会教育史に多くの類似の事例があるということである。多くの政府そしてNGOは地域開発における住民の主体性の向上(エンパワーメント)や住民組織づくりにおいて困難を抱えている。水野正己は、参加型開発の文脈で戦後の日本の生活改善運動を分析している。16) この論文には社会教育の論文は引用されていないが、生活改善運動における住民の主体性の向上にあたって社会教育が果たした役割について再評価する必要があろう。社会教育の歴史には現在の参加型開発に相当する事例が数多く存在する。歴史的に見れば日露戦争後の戦後経営から始まった地方改良運動に遡ることができる。その後の展開が結局は天皇制国家体制下での国民の総動員につながったためにすべて否定的に評価されがちではあるが、現在の国際開発の文脈のなかで再評価することもひとつの課題である。また日本の事例が結局は国民総動員へとつながったことは、第三世界における参加型開発もそのような危険性をはらんでいるわけであり、その観点からの警鐘にもなるであろう。

 第二に、日本の社会教育は1970年代以降、生涯学習へと移行するなかで地域づくりや社会変革の視点を薄めてしまった観がある。ESDが提起するものは、地域おこしやまちづくりにおける住民参加の課題であり、そのための学習論である。グローバリゼーションの下での地場産業の振興など、地域のリアルな問題についてそれらを解決するための社会教育の役割について、とりわけ学習論の立場から研究を進める必要があろう。この際には参加型学習がひとつのキーワードになる。ただし、それはワークショップといった手法の問題に限定されるのではなく、参加型社会づくり(すなわち参加型開発)のための参加型学習のプロセスといった広い視野での研究が求められる。

 第三は国際研究交流の課題である。社会教育・成人教育の研究交流の場としてはUNESCO、ICAE(国際成人教育協議会)、ASPBAE(アジア南太平洋成人教育事務局)などがある。それらが実施する国際会議では、「北」側が生涯学習やキャリア教育をテーマとして持ち出すのに対して、「南」側が識字教育を含めた基礎教育をテーマとするためにしばしば議論が噛み合わず、ときには深刻な対立を生じている。この問題はそれぞれの社会状況が違うだけにすぐに解決することではないが、ESDがひとつの共通の土俵を提供することになるかもしれない。すなわち、ESDのメイン・テーマは「参加型社会づくり(参加型開発)のための参加型学習」であり、その限りでは「北」も「南」も共通する部分が大きいからである。先に述べたように最近国際協力NGOの間では、北側のNGOが援助し南側のNGOがそれを受けて開発プロジェクトを行う、という従来型の関係に疑問が投げかけられている。すなわち北のNGOも南のNGOも、共通の社会課題を解決するためにそれぞれの立場から活動するパートナーである、という認識が広がっている。成人教育の国際会議において北と南の両者が共通のテーブルで話すためには、上記の一と二で指摘した点について日本の研究者が研究を深めるとともに、その成果を研究交流の場で積極的に提供していくことが求められよう。

 

[注]

1) World Commission on Environment and Development, Our Common Future, Oxford University Press, 1987.(大来佐武郎監修『地球の未来を守るために−環境と開発に関する世界委員会』福武書店)。

2) M.Nerfin(ed.), Another Development: Approaches and Strategies, Uppsala: Dag Hammarskjold Foundation, 1977.

3) Peter Oakley et al., Projects with People - The Practice of Participation in Rural Development, ILO, 1991.(P・オークレー(編)『国際開発論入門−住民参加による開発の理論と実践』、築地書館、1993)。

4) UNDP, Human Development Report, 1990−.(国連開発計画『人間開発報告書』国際協力出版会)。

5) 開発教育の歴史については以下の文献を参照のこと。田中治彦『南北問題と開発教育』亜紀書房、1974年、107-125頁。田中治彦「開発教育−これまでの20年とこれからの課題」『開発教育』47号、2003年、3-7頁。湯本浩之「日本における『開発教育』の展開」江原浩美編『内発的発展と教育』新評論、2003年、253-285頁。

6) 『開発教育ってなあに?』開発教育協会、2004年、4頁。

7) 『参加型学習で世界を感じる−開発教育実践ハンドブック』(2003年)、『つながれ開発教育−学校と地域のパートナーシップ事例集』(2001年)、『開発教育キーワード51』(2002年)、開発教育協会。

8) 『DEARのESD(持続可能な開発のための教育)に対する認識と基本姿勢』開発教育協会、2005年6月1日。

9) 田中治彦「持続可能な開発のための教育とは何か? −予備的考察−」『持続可能な開発のため学び(別冊開発教育)』開発教育協会、2003年、12-21頁。John Fien, Education for the Environment: Critical Curriculum Thorising and Environmental Education, Deakin University, 1993(ジョン・フィエン著、石川聡子(他)訳『環境のための教育−批判的カリキュラム理論と環境教育』東信堂、2001年)。新田和宏「環境教育が直面する最大の課題―グローバリゼーションと持続不可能な社会―」、日本環境教育学会『環境教育』第22号、2002年、15-25頁。阿部治「『持続可能な未来を』拓こう」『季刊エルコレーダー』第12号、2002年10月、1-4頁。

10)『パーム油のはなし−「地球にやさしい」ってなんだろう?』開発教育協会、2002年。

11) The Hamburg Declaration on Adult Learning, UNESCO Fifth International Conference on Adult Education, Hamburg, 14-18 July 1997.

12) 地球的課題と社会教育については以下の論文を参照のこと。田中治彦「地球的課題と生涯学習−1990年代の国際会議の行動計画にみる」『立教大学教育学科研究年報』42号、1999年、147-156頁。

13) 参加型学習の系譜については以下を参照のこと。『開発教育』第42号(特集:参加型学習)2000年(特に山西論文、廣瀬論文)、中野民夫『ワークショップ−新しい学びと創造の場』岩波書店、2001年。

14) Roger Hart, Children's Participation: The Theory and Practice of Involving Young Citizens in Community Development and Environmental Care, UNICEF, 1997. (ロジャー・ハート著、木下勇・田中治彦・南博文監修、IPA日本支部訳『子どもの参画−コミュニティづくりと環境ケアへの参画のための理論と実際』萌文社、2000年)。

15) 第三世界における参加型学習については以下を参照のこと。Robert Chambers, Whose Really Counts? Putting the First Last, London: Intermediate Technology Publications, 1997. (野田直人、白石清志訳『参加型開発と国際協力−変わるのはわたしたち』明石書店、2000年)。プロジェクトPLA編『続入門社会開発−PLA:住民主体の学習と行動による開発』国際開発ジャーナル社、2000年。佐藤寛編『参加型開発の再検討』アジア経済研究所、2003年。

16) 水野正己「戦後日本の生活改善運動と参加型開発」佐藤寛編前掲書、165-184頁。

 


もくじ