田中研究室・南北ネットワーク


地球的課題に取り組む開発教育・グローバル教育

 

 

 2005年2月   

田中治彦(立教大学)


 

9.11.事件以後の世界

 

 2001年9月におきた米国中枢部への「テロ攻撃」は、その後アフガニスタンでの戦争に引き続き、米国のイラクに対する先制攻撃とフセイン政権の崩壊へとつながり、21世紀初頭の世界情勢を大きく揺り動かしている。この9.11事件は世界のグローバル教育・開発教育関係者にとって見過ごすことのできない大きな事件であった。というのは9.11事件の背景には、1990年代に進行した経済のグローバリゼーションにより世界規模で貧富の格差が拡大し、とりわけ最も貧しい層のひとびとにより大きな影響を与えているという現実がある。また、戦争がイスラム教と米英の対立というように、文化、宗教、価値の違いに対する誤解や不寛容によって増長されている側面がある。貧富の格差の是正、そして多文化の共生というテーマはグローバル教育・開発教育が一貫して追求してきた課題であり、それらを否定する形で起きた一連の事件は関係者に大きな衝撃を与えた。

 英国開発教育協会所長のダグラス・ボーンは、2002年8月に開発教育協会主催の第20回開発教育全国研究集会に出席するために来日した。彼は、この年欧州、米国、豪州の開発教育・グローバル教育会議に参加し、日本が世界ツアーの最終目的地となった。日本に来ることは以前から決まっていたのであるが、9・11事件以降世界のグローバル教育関係者が自分たちの活動を見直し再度強化するために、各地で会議を開いたためにこのようなことになったのである。そして、同年11月にはマーストリヒトで、2003年9月にはロンドンで欧州グローバル教育会議(欧州評議会南北センター主催)が開催されて、グローバル教育・開発教育の世界ネットワークの形成が進みつつある。1)

 

開発教育・グローバル教育の起源

 

 開発教育もグローバル教育も当初から今のような世界状況を想定していたわけではない。そこでこれらの教育運動の歴史に立ち返って考えてみよう。2)

開発教育 (Development Education) は、南北問題が世界的な課題となった1960年代に欧米諸国の国際協力NGOの間から提唱された。当初は国際協力NGOがその支持者に対して第三世界の現実を知らせたり、国際協力のための募金キャンペーンとして展開されていた。この頃は開発教育は南北問題や開発問題の体系的な理解を促す教育活動として発展する。

 日本では、1970年代に中央青少年団体連絡協議会や青年海外協力隊事務局がその機関誌などで開発教育を紹介してきた。当時はベトナム戦争の終結とその後のカンボジア内戦に伴って、大量の難民がインドシナ3国から出ていた。これに伴い、日本でも多くの国際協力NGOが誕生した。それらのNGOは難民救援にとどまらず、農村開発、教育、保健、住居など特にアジア地域の農村やスラムが抱える貧困問題に関わっていた。1979年に国連広報センター、国連大学及びユニセフ駐日代表事務所の共催により東京で「開発教育シンポジウム」が開催されて、日本における開発教育の普及への最初のステップとなった。その後、青少年団体、国際協力NGO、国連機関などの有志が定期的な研究会を組織し、1982年にはこれらの人々を中心として開発教育協会(DEAR、当時は開発教育協議会)が結成された。

 開発教育協会では発足当時、開発教育を次のように説明していた。「開発教育は、これから21世紀にかけて早急に克服を必要としている人類社会に共通な課題、つまり低開発についてその様相と原因を理解し、地球社会構成国の相互依存性についての認識を深め、開発をすすめていこうとする多くの努力や試みを知り、そして開発のために積極的に参加しようという態度を養うことをねらいとする学校内外の学習・教育活動である。」 

開発教育が日本に導入されるに当たっては、ユネスコの「国際教育」や英米のグローバル教育も合わせて紹介された。グローバル教育という用語は、1970年代にアメリカ合衆国の教育界に登場した。これは国家中心主義に彩られた従来の教育を批判し、地球的な立場から教育を捉えなおそうとする教育活動である。グローバル教育がカバーする領域は、多文化、開発、環境、平和、人権などの地球的な課題であり、ユネスコの国際教育がカバーする領域に重なる。ただ、米国自身が多民族国家であるために、多文化間のコミュニケーションに焦点を当てた教育活動に優れた実践が多い。3)

 

開発教育の発展

 

 初期の開発教育の担い手には、青年海外協力隊のOB・OGや国際協力NGOの関係者や、YMCAやガールスカウトなどアジアや世界の組織と交流がある社会教育団体の人々が多く、当初は教員の参加者が少なかった。この頃の開発教育は、アジアやアフリカの現実を見てきた人々が、自分たちの体験をビデオやスライドとともに語る、という程度の活動であった。開発教育協会では毎年夏に全国研究集会を開催して、その時々の重要なテーマを学習するとともに、経験交流を重ねた(表1)。

 当初、開発教育が日本の学校に採用されることについては関係者の間でも悲観的であったように思う。というのは、1980年代の学習指導要領は非常に過密であり、開発教育のような新しい教育内容が入り込む余地などないように感じられた。開発教育には答えが複数あり、しかも場合によってはそれが「未来」に存在する。「受験戦争」の最盛期でもあり、○×に慣れた学校教育が開発教育のような答えが一義的に決まらない教育活動に関心を向けるとは到底考えられなかったし、関心を向ける先生がいたとしてもどうやって学校教育に取り入れてよいのかとまどうことが多かった。。

 このような認識は開発教育協会の多くのメンバーに共通していたように思うが、DEARが催す全国研究集会やセミナーの雰囲気は明るく、楽天的と言ってもよかった。開発教育が世界の民衆の貧困からの脱出という極めて思い課題を背負っていて、それゆえに非常にやりがいのある「現代のフロンティア」であったし、多くの人はアジアの農村やスラムの人々と直接間接に関わっていて、そのリアリティがまわりの冷淡なまなざしを跳ね返していた。また、アジアの草の根の人々の「明るさ」や「暖かさ」をもらっていたとも言えよう。

 開発教育の転機となったのが1989(平成元)年である。この年にはベルリンの壁が崩壊し、それまで最大の地球的課題であった「東西問題」が消滅のきざしを見せて、代わって「南北問題」がクローズアップされた。日本のODA(政府開発援助)がアメリカを抜いて世界一の額となって、マスコミは盛んに国際協力を取り上げて一種の「援助ブーム」を演出した。また、新しい学習指導要領が告示されて、その中で「国際理解」「国際的視野」「国際人」が強調された。この頃から、開発教育協会には、教材の照会や講師派遣依頼が増大した。

 1990年代の開発教育は1980年代のそれとはさまざまな点で異なっていた。まず、その担い手は青少年団体や国際協力NGOのみではなく学校の教員、地域の国際交流協会、環境・人権・ジェンダーなどのNPO、公民館などいわゆる行政社会教育へと広がっていた。さらに、開発問題自体が他のグローバルな課題と深い関係をもつことが認識されるに連れ、国際教育、グローバル教育、環境教育、人権教育など類似の教育活動と開発教育とが深い関わりをもつことになった。

 

地域の国際化と開発教育

 

 地域にとっての大きな出来事は1980年代後半から、大量に流入した外国人労働者である。今ではバブルと呼ばれているが、空前の好景気による労働者不足と急速な円高に支えられて、一時期は推定50万人とも言われる外国人が日本に職を求めて入国した。彼らは大都市に限らず、中小企業が存在する各地に点在した。それまでの外国人と違って、地域の隅々に住居を求めたために、各地の住民との間にあつれきも生じた。開発教育の観点から言えば、もはやアジアや開発問題は「遠い南の国」のことではなく、「隣に住む見知らぬ人」の問題になった。

 これは各県各都市でオープンしつつあった地域の国際交流協会や国際交流センター(以下地域国際化協会)にとっても大きな課題であった。国際化協会では、それまで特に欧米の留学生や旅行者を対象にホームステイを斡旋したり、パーティなどを開いて市民との交流を促していた。また、日本の若者や市民を姉妹都市である米国などに派遣していた。国際理解のセミナーや講座も、欧米先進国の文化や生活を紹介し理解するプログラムが中心であった。

 しかし1990年代になると、すでに地域の外国人住民のほとんどがアジア系か南米系となった。各地の大学や専門学校で受けいれる留学生も中国、台湾、韓国、タイなどの国の学生が多くなっていた。また、姉妹都市交流自体が中国や韓国など近隣のアジアの諸都市が増加した。こうした状況のなかで、地域国際化協会のプログラムも、欧米中心からアジアへ、先進国から途上国へ、外国の理解から「足元の国際問題」へ、「理解」から「共生」へとシフトすることが求められていた。

 

開発教育協会の地域セミナーと総合学習の導入

 

 こうした時期にあって開発教育協会は1993年に外務省との協力のなかで、長野、大阪、岡山の3地域において開発教育推進地域セミナーを開催した。これを皮切りに毎年全国5−6か所で地域セミナーを開催した。それまで主として首都圏と関西圏で展開されていた開発教育がこの地域セミナーによって全国津々浦々に広がっていく。これらのセミナーの多くは地域国際化協会で、あるいはその協力のもとに行なわれた。2003年度に終了するまでに全国44都道府県で開発教育地域セミナーが行なわれている。各地で地域セミナーを企画、実施した実行委員会が、その後各地域の開発教育のネットワークとして活動を継続するケースが多く、現在でも地域での開発教育推進にとって重要な役割を果たしている。

 これらのセミナーでは、ワークショップと呼ばれる参加型の学習形態が意欲的に導入されていった。当初は欧米で使われた教材の翻訳であり、日本の土壌に合わないものや、意味がよくわからないものも多く含まれていた。それらは、次第に取捨選択されて現場で使えるものだけが残っていった。これらの成果は『わくわく開発教育−参加型学習へのヒント』としてブックレットにまとめられ、今でもロングセラーを続けている。4)

 文部省の中央教育審議会は1996年の答申で、学校五日制を完全実施するとともに、各教科の時間数を大幅に減らし、代わりに「総合的な学習の時間」を設けることを提言した。2002年度から導入されることになる総合学習の時間の内容としては「国際理解、情報、環境、福祉・健康」が例示された。ここに至って開発教育がめざす内容が、学校教育の正規のカリキュラムの中に位置づく可能性が大きく広がった。

 開発教育協会は、総合学習の導入に焦点を当てて、「開発」の理念、開発教育のカリキュラム、参加型学習、学校・地域・NGOの連携などに関する研究会を立ち上げた。これらの成果は先の『わくわく開発教育』の他、『いきいき開発教育−総合学習に向けたカリキュラムと教材』、『つながれ開発教育−学校と地域のパートナーシップ事例集』に結実している。また、この間コーヒーやカレーなどを身近な題材を取り上げた優れた教材が製作された。5)

 

開発教育の定義とアプローチ

 

 開発教育協会では1997年に、従来の定義を再考して開発教育を次のように説明することにした。「開発教育は、私たちひとりひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加することをねらいとしている。」その上で具体的な教育目標として以下の5項目を上げている。

 @ 開発を考える基礎として、人間の尊厳性と世界の文化の多様性を理解すること。

 A 地球社会の各地に見られる貧困や格差の現状を知り、その原因を理解すること。

 B 開発問題と環境破壊などの地球的諸課題との密接な関連を理解すること。

 C 開発をめぐる問題と私たち自身との深い関わりに気づくこと。

 D 開発をめぐる問題を克服するための努力や試みを知り、参加できる能力と態度を養うこと。

 それではこれらの目標に向けてどのような学習プログラムが可能であろうか。『いきいき開発教育−総合学習に向けたカリキュラムと教材』には開発教育の12のテーマについてその学習プログラムの事例が紹介されている。それらは、子ども、文化、食、環境、貿易、貧困、識字、難民、国際協力、ジェンダー、在住外国人、まちづくり、である。図1のようにこれら以外にも南北問題や開発問題に関する広範な領域が開発教育のテーマとなりうるが、この12テーマが開発教育における主要な学習内容を構成していると考えてよかろう。

 これらのテーマについて学習プログラムを作る上で、テーマの性格によりいくつか異なったアプローチが用いられる。

1.文化理解アプローチ

 開発教育の前提ともなる人間の尊厳性や世界の文化の多様性を理解するためのアプローチである。子ども、文化などのテーマを学習するうえでとくに有効である。文化理解だけでも学習を構成することができるが、以下の学習の前提ともなるアプローチである。

2.課題分析アプローチ

 開発教育においては、地球社会の各地に見られる貧困や格差の現状を知り、その原因を理解することはその中心的な学習テーマである。貧困、識字、難民、ジェンダーなどの課題において、その原因や構造を発見するためのアプローチであり、4番目の課題解決アプローチへとつながっていく。

3.関係理解アプローチ  

 私たち自身あるいは身の回りのものが、開発をめぐる問題や地球的な課題とどのような関わりにあるのかを理解するアプローチである。貿易、環境、食、ジェンダーなどの学習ではこのアプローチが採用される。

4.課題解決アプローチ

 特定された課題について、これをどのように解決していくかを考えるアプローチである。上記の2や3の学習に引き続き、一連の学習の最後に行われることも多い。国際協力、在住外国人、まちづくりなどのテーマではもっぱらこのアプローチが採用される。

 

開発教育の方法−参加型学習

 

 複雑で広範な地球的課題や経済のグローバリゼーションを理解し、自分たちの問題としてつなげていくことは決してやさしいことではない。学習方法の観点からみたとき、地球的課題の学習にはいくつかの特徴がある。それは、@問題解決的であり、A未来志向であり、B知識の獲得だけでなく態度の変容が求められていることである。そのためグローバル課題の学習を行う際には、学習者自らが主体的に参加して自己変革を行うような学習活動が求められる。このような学習方法のひとつが参加型学習と呼ばれていて、その具体的な学習形態としてワークショップ形式がある。

参加型学習は地球的課題のように答えそのものが多様であり、答えを見いだすプロセスを重視する学習活動において有効である。参加型学習は、日本では1990年前後から用いられるようになった用語であるが、その系譜は1970年代のグローバル教育やワールドスタディーズ、パウロ・フレイレによる識字教育や課題提起教育、さらにはジョン・デューイによる問題解決学習や新教育運動における実践など、いくつかの源流がある。これらの学習活動は「学習者(子ども)の興味関心」「体験・経験」「対話」「参加」などのキーワードが共通している。6)

 また学習形態としてのワークショップは、もっぱら参加型の学習手法が用いられて、参加者が協働しながら問題に気づき、分析し、計画し、提案するような道筋をたどることが多い。その際には、ロールプレイ、ディベート、ランキング、フォト・ランゲージ、シミュレーションなどの手法が用いられる。また、発表、対話、実習、見学、調査、スタディ・ツアー、ワークキャンプといった学習活動も広く採用される。

 開発教育の学習において特徴的なことは、内容も大切であるがそれ以上に方法を重視していることである。なぜなら開発問題においては解決に向けての唯一絶対の回答がないことが多く、学習者が自ら答えを見出していくプロセスが重要であるからである。

 

学校・地域・NGOの連携

 

 開発教育協会は2001年に開発教育を推進している可能性がある団体に対して『開発教育に関するアンケート』調査を実施した。7) その中で「学校からの問合せが増えているか」、との問いに対して、回答したNGOの半数、そして地域国際化協会のすべてが「増えている」と答えた。これは2002年度から全国の公立学校に導入された「総合的な学習の時間(総合学習)」の影響である。

 学校教育で総合学習が導入された理由は大きく二つある。ひとつは、従来学校で教えられる内容が知識中心で、子どもの生活実感から離れてしまい、子どもたちが学校教育の内容に興味を示さなくなったことである。このことが不登校や学級崩壊へもつながっていた。もうひとつは、現代社会が抱えている諸問題に対して従来の教科の枠組みでは扱えなくなってきたことである。例えば、環境問題や多文化共生などの課題である。

 こうした状況の是正に向けて、教育の機能を生き返らせようとするならば、学校は、そして家庭を含む地域は、相互に連携しあうことにより、これまでの「閉ざされていた学校」を「開かれた学校」にしていかざるを得ないのである。この場合、「学校を開く」ということには概ね4つの意味が含まれている。@学校の情報が地域に開かれること、A学校施設が地域に開かれること、B学校教育の活動が地域に開かれること、C学校経営・運営が地域に開かれること、である。

 総合学習が公立学校で始まり、国際理解に関する内容が教えられてはいるが、実際にはその内容のほとんどが「英会話」「国際交流」「異文化理解」の三つである。しかし、現在の地球社会が抱える深刻な課題を子どもたちに教えることなくして、果たして「国際理解」の名に値する教育と言えるであろうか。開発教育協会が掲げた学習目標である「文化の多様性の理解」「貧困や格差の理解」「地球的課題の関連性の理解」「自分と世界のつながり」「問題解決のための参加」こそが、新しい国際理解の目標として目指されるべきであろう。

 学校とNGOや国際化協会との連携は、どのような形で進みつつあるのであろうか。まず一番多いのはNGOや国際化協会への講師派遣の依頼である。次に、総合学習が始まって急に増えてきたのが、中学生高校生による事務所訪問である。これは修学旅行の一貫として行われることもあり、また最近では国際協力をテーマにした学習グループによる訪問や「職場体験」のひとつとして行われることもある。またDEARの会員を中心にして、教員とNGOとが協働して教材やカリキュラムを作成するという形の連携も進んでいる。

 それでは学校は具体的に何をNGOに期待しているのであろうか、あるいはすべきであろうか。単に開発途上国や国際協力についての知識を子どもたちに教えるのであれば、何もNGOに来てもらわなくても教員自身でカバーすることができる。学校がNGOに期待すべきは、単なる知識や説明を超えたところにある「リアリティ」ともいうべきであろう。実際に途上国で協力活動をしてきた人の口から、その実情を語ってもらうことには、大きな教育効果がある。さらにはその人の生きかたや考え方から何らかのインパクトを受けることができる。このリアリティを学校に持ち込むことこそが、総合学習の本来のねらいでもあり、学校を開いていくことの基本的な課題であるということができる。NGOが学校と連携することの意味はまさにこの「現場のリアリティ」にあると言っても過言ではない。

 また、地域国際化協会は国際理解の学習においてコーディネータとして最適な位置にいる。学校とNGOと行政とはそれぞれ発想も文化も違っていて「異文化」どおしといってもよい。学校、国際交流団体、在住外国人、行政機関などの間にあって、官と民とをつなぐために設立された国際化協会はこれらの間をとりもつ新しい「学び」のコーディネータとしての役割が期待されている。

 

外務省・JICAが行う開発教育

 

 ここで政府系の機関が行っている開発教育に少し触れておこう。外務省は1980年代後半よりODA広報の一貫として開発教育に関心を示してきた。外務大臣の私的懇談会である「21世紀に向けてのODA改革懇談会」が1998年に出した報告書のなかで開発教育の必要性について触れられていたが、2002年の「第2次ODA改革懇談会最終報告」においてはさらに踏み込んで「義務教育における開発教育の充実」や「大学(院)生を対象とした人材育成プログラム」が提案された。

 さらに近年特に開発教育の推進に力を入れはじめたのがJICA(国際協力機構、旧称国際協力事業団)である。JICAでは1998年度に「国民参加型協力推進基礎調査『開発教育のあり方』調査研究」を実施し、開発教育の支援に向けてのアクションプランを作成した。これを受けて、JICAでは本部および全国19か所の地域センターにおいて、開発教育セミナーの開催、小中学校への講師派遣、修学旅行生等の受入れ、教員のODA現場の視察、論文コンテストなどの事業を幅広く実施している。JICAが実施する開発教育のメリットは、青年海外協力隊員のOB・OGなど国際協力の現場を体験してきた人材リソースを活用していることである。

 これら政府系機関が行う開発教育の特徴は、「国民参加型援助の推進」を目的としているために、その内容が「国際協力の推進」に偏っているという問題がある。開発教育というよりは「国際協力教育」と名付けた方がよいようにケースも多い。また「広報」と「教育」との概念の区別もあいまいである。しかしながら、今後においてはJICAが、学校教員や地域のNGOそして地方自治体等との学習ネットワークを形成していくことにより、「国際協力教育」や「ODA広報」に偏らない、幅広い開発教育が展開されていくことを期待したい。

 

国連・持続可能な開発のための教育の10年

 

 日本で開発教育が紹介されてからおよそ四半世紀がたった。世界の状況が急速に変化するなかで今後の開発教育に求められている課題は何なのであろうか。この問題を2005年から始まる「国連・持続可能な開発のための教育の10年」と関連させながら考えてみたい。8)

 「持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development、以下ESD)」は2002年9月のヨハネスブルグ・サミットにおいて提唱され、同年12月の第57回国連総会において2005年からの10年間を「持続可能な開発のための教育の10年」とすることが決定された。ESDの起源は「持続可能な開発」がキーワードとなった1992年の地球サミットで採択された行動計画「アジェンダ21」に求めることができる。アジェンダ21を受けてユネスコは1997年に、ギリシャのテサロニキにおいて「環境と社会に関する国際会議―持続可能性のための教育とパブリック・アウェアネス(世論の喚起)」をテーマに会議を開催した。その最終文書である「テサロニキ宣言」では、「環境教育を『環境と持続可能性のための教育』と表現してもかまわない」(第11節)と表現している。9) そして、「持続可能性という概念は、環境だけではなく、貧困、人口、健康、食糧の確保、民主主義、人権、平和をも含むものである。最終的には、持続可能性は道徳的・倫理的規範であり、そこには尊重すべき文化的多様性や伝統的知識が内在している」(第10節)と述べられている。

 すなわち、ESDの中には従来の環境教育に加えて、貧困、人口、健康、食料などをメインテーマとしてきた開発教育が含まれている。さらにESDは人権教育や平和教育をも包含する幅広い概念である。このESDの定義や10年計画の内容については、2003年秋の国連総会において改めて明示されることになっているが、この間の議論の中で日本の開発教育の課題がいくつか明らかになってきているので、最後にそれらについて述べよう。

 その第一は、開発教育が「地域」により深く関わることである。開発教育が扱ってきたテーマは地球大の広がりをもっているだけに、例えば一般の人から見れば「遠い世界のこと」であったり「関係ないこと」であったりする。彼らがこれらの問題を「自分のこと」としてとらえなければ学習活動の効果は持続していかない。開発教育がより深く地域の課題と関わることにより、これまで開発教育の発想に距離をおいてきた人々に対しても世界の課題を感じてもらうことができるであろうし、また開発教育自体が地域の人々から示唆を得ることでより豊かな実践が可能となるであろう。

 第二は、経済のグローバリゼーションのなかで最も被害を被り、取り残された人々の声に耳を傾け、こうした現実を日本のなかにフィードバックすることである。とりわけ、貧困や人権の抑圧といった課題に取り組んでいる国際協力NGOと開発教育関係者とが協働することでこれが可能となる。日本の置かれている位置からいって、特にアジア・太平洋におけるESDのネットワークを作っていくことがひとつの課題である。

 第三に、日本の学校教育のなかにESDが根付くように開発教育関係者が働きかけることである。開発教育が日本で開始された四半世紀前と比較すれば、学校教育の中にも随分グローバルな課題が入るようになってきた。しかしながら、総合学習における「環境」や「国際理解」の位置づけもまだ不安定であり、2010年頃に予定されている次の学習指導要領の改訂に向けて、ESDの内容や方法が全ての教科・領域のなかに位置づくようにする必要がある。ESDを推進する民間側の母体として2003年に結成された「持続可能な開発のための教育の10年」推進会議(ESD−J)には、この点での活動を大いに期待したい。

 冒頭に欧州グローバル教育会議について紹介したが、ここにおいて「グローバル教育は、開発教育、人権教育、持続可能性のための教育、平和と紛争防止のための教育、異文化間教育などを含み、市民教育のグローバルな側面をあらわしている」と表現されている。そして、2015年までに欧州各国が取り組むべき課題を会議の中で明らかにした。アジア太平洋地域には多様な文化、宗教、伝統があり、欧州とは違った形の「平和と共生」への活動がある。日本の開発教育協会やESD−Jにおいても、アジア太平洋地域における持続可能な開発のための教育のネットワークを形成する過程で、戦争から始まった21世紀を平和の世紀とするための努力を始めたい。

 

[注]

1) 欧州グローバル教育会議については以下の文献に報告記事がある。岩崎裕保「報告・欧州グローバル教育会議」『開発教育』47号、開発教育協会、2003年、40-49頁。湯本浩之「欧州でのグローバル教育の新たな展開とその構図」『開発教育』49号、2004年、124-129頁。なお、第47号にはダグラス・ボーンの講演記録が掲載されている。

2) 開発教育の歴史については以下の文献に詳しい。田中治彦『南北問題と開発教育』亜紀書房、1974年、107-125頁。田中治彦「開発教育−これまでの20年とこれからの課題」『開発教育』47号、2003年、3-7頁。湯本浩之「日本における『開発教育』の展開」江原浩美編『内発的発展と教育』新評論、2003年、253-285頁。

3) 開発教育、グローバル教育、国際理解教育などの用語の異同と関連性については以下を参照のこと。『開発教育キーワード51』開発教育協議会、2002年。

4)『わくわく開発教育−参加型学習へのヒント』開発教育協議会、1999年。

5)『いきいき開発教育−総合学習に向けたカリキュラムと教材』2000年。『つながれ開発教育−学校と地域のパートナーシップ事例集』2001年。いずれも開発教育協議会刊。これらの著書および教材については直接開発教育協会に問合せのこと (TEL:03-5844-3630 E-mail: main@dear.or.jp URL: http://www.dear.or.jp)。

6) 参加型学習の系譜については以下を参照のこと。『開発教育』第42号(特集:参加型開発)2000年(特に山西論文、廣瀬論文)、中野民夫『ワークショップ−新しい学びと創造の場』岩波書店、2001年。

7) 「開発教育の実態調査」『開発教育の評価報告書』開発教育協会、2004年、17-32頁。

8) ESDについては『持続可能な開発のため学び(別冊開発教育)』開発教育協会、2003年、を参照のこと。

9) UNESCO, 1997a. Final Report, International Conference on Environment and Society: Education and Public Awareness for Sustainability, Thessaloniki Greece, 8 to 12 December 1997.

 


名古屋国際交流センター設立20周年記念誌『国際交流・国際協力・多文化共生活動の現状と課題』(2005年)所収の同名の論文の元原稿です。


もくじ