田中研究室・南北ネットワーク
2005年9月
田中治彦(立教大学)
持続可能な開発のための教育の推進については2002年のヨハネスブルグ・サミットで採択され、同年の国連総会において2005年から10年間を「国連・持続可能な開発のための教育の10年」とすることが決議された。持続可能な開発のための教育という用語は長いので英文の頭文字をとって以下ESD(Education for Sustainable Development)と略すことにする。
ESDについては一方で従来の環境教育の流れを汲んでいると同時に、南北問題や人権問題を扱ってきた開発教育の内容を含んでいる広範な概念であるために、各方面から注目されている。実践面から見ると、1990年代に体験学習が主流となった環境教育に対して、世界や地域の問題のリアリティを持ち込み、その解決に向けて参加する技能や態度を養う教育である、という点で問題解決型の環境教育を提起している。その意味では環境教育の原点であったかつての公害教育と共通する側面をもっている。持続可能性の概念については、従来考えられてきた生態系の持続可能性のみならず、人間社会そのものの持続可能性が強調されている。そのため、自然科学・理科的な内容に加えて、社会科学・社会科に関する内容が多く含まれる他、生活科学をベースとしている家庭科や保健体育などほとんど全教科・全領域にまたがる内容を含んでいる。
本論では、まず従来の環境教育とESDとの関係についてインドネシアでのセミナーにおける筆者の体験をもとにみていきたい。次に、筆者が20数年にわたってかかわってきた開発教育についてその中心的な考え方と教材やカリキュラムについて紹介したい。そして、最後にESDの中心となる子どもの参加論について述べてみたい。
筆者と開発教育協会(DEAR)のスタッフは、2005年4月にインドネシアのスラバヤで開かれた「環境教育とESD(持続可能な開発のための教育)」というセミナーに講師として招かれた。このセミナーは従来型の環境教育とESDとの関係、あるいは開発教育と環境教育との関連を理解する上で筆者らにとっても貴重な体験であった。
セミナーはBIMA(太陽の種という意味)というNGOの主催で、会場はスラバヤ市内から約一時間、標高900メートルにある「自然文化教育センター」である。下界は30度を越える暑さでも、ここは夜は涼しい風が吹きぬける。スマトラ、ジャワ、スラウェシ、カリマンタンと文字どおり全国各地から参加者が集まった。参加50名のうち半分が学校の教員、あとの半分が環境NGOの人々である。インドネシアの環境教育はNGOのなかから始まっており、学校ではまだ正課のなかには位置づけられておらず、教科外活動として環境教育が行われている。日本で言えば『環境教育指導資料』以前の1980年代の環境教育と状況が似ている。
私と開発教育協会のスタッフにまかされたのは四日間プログラムの中の内、二日めと三日めのほぼ半分。まずは、DEARのスタッフが「何がESDか?」というワークショップを行った。参加者のほとんどがESDは初めてなので、こちらで用意したカード(インドネシア語訳)をESDに相当するかどうか話し合ってもらい、模造紙に貼り付けていく。その後に、私が「環境教育とESD」と題する講義をOHPを使いながら一時間ほど行った。二日目の夜に、本日の学びの振り返りということで、自分が学んだことをカードに書いてそれを模造紙に貼り付けていく作業があった。しかし、開発問題とのつながりはあまり理解されていなくて、リサイクルや森林など従来の環境教育関係のカードばかりであった。
三日目に、私たちは環境教育をESDとつなげるための教材として「貿易ゲーム」行った。これはすでに北タイでの経験があり、経済のグローバリゼーションを理解するための入門として最適であると感じていた。貿易ゲームは、「先進工業国」「途上国」「最貧国」を模した三つのグループに分けて、与えられた道具と材料で一定の製品を作り、稼いだ額を競うシミュレーション・ゲームである。私は何回か貿易ゲームをやったことがあるのが、今回テロ国家が出現したのには驚いた。資源も技術もない国のひとつがついに自暴自棄になり、他国の道具を盗みに走ったり、偽札を作ったり、銀行を襲撃したりした。このグループは「私たちはアフガニスタンだ」とか「国連は何も助けてくれないではないか」と叫んでいた。
ゲームが終わった後に、このワークショップに参加して何を感じたか、ゲームの目的は何であったか、などを出してもらう。そして最後に、国際貿易と環境との関連は何か、とたずねると、「インドネシアのような国は環境を犠牲にしても貿易でもうけなくてはならない」とか「労働条件の悪化も問題である」などいくつか出てくる。貿易と環境、人権、そして「テロ国家」のおかげで平和の問題までつながり始めた。
そこで私が「従来の環境教育はいかにしてESDになるか」について三点まとめた。まず、これまで参加者がそれぞれの現場でやってきた環境教育の実践そのものを大切にすべきことを強調した。ESDといっても特殊なことを新たに始めるのではなく、これまでの実践にいくつかの観点を付け加えればよいことを説明した。その上で、第一に「地域の環境問題であっても、それをグローバルな視点で捉えかえしてみること」、第二に「環境問題を生態学的、自然科学的側面のみで考えるのではなしに、経済的、社会的、政治的文脈のなかで捉えるべきこと」を強調した。第三番目に「環境問題を解決するに当って、子どもたちの『参加の意欲』や『参加するためのスキル』が大切であること」を指摘した。
従来の環境教育をESDへと発展するための道筋として「グローバルな視点」「経済・社会・政治的文脈」「参加の技能と態度」の三点に整理したが、実はこれは開発教育が最も大切にしてきた観点である。すなわち、ESDは従来の環境教育と開発教育とが「融合」することで成立すると言ってもよかろう。
そこで開発教育とESDについて少しみておきたい。開発教育はいつからESDを意識し、その活動のなかに取り入れてきたのであろうか。日本の開発教育は1980年代に始まった教育活動で、当初は開発途上国における貧困や飢餓といった「低開発」を問題として、その解決のために先進工業国の住民としてできることを考えるための教育活動であった。従って初期の開発教育の主要テーマは貧困であり、南北の格差であり、国際協力であった。しかし、1990年代に入って環境、人権、平和、ジェンダーなどのグローバルな課題との関連を意識するようになり、1997年に開発教育協会(DEAR)は発足以来使用してきた開発教育の定義を変更することになる。実はこのときから開発教育協会はESDとしての活動を開始していたのである。その後、DEARは総合学習の導入をにらみながら、参加型学習の手法、開発問題のカリキュラムづくり、学校・NGO・地域の連携などの研究会を立ち上げて、ハンドブックづくりをしてきた。
DEARでは、開発教育を「私たちひとりひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加することをねらいとしている」と説明している。その上で具体的な教育目標として以下の五項目を上げている。
(1) 開発を考えるうえで、人間の尊厳性と尊重を前提とし、世界の文化の多様性を理解すること。
(2) 地球社会の各地に見られる貧困や南北格差の現状を知り、その原因を理解すること。
(3) 開発をめぐる問題と環境破壊などの地球的諸課題との密接な関連を理解すること
(4) 世界のつながりの構造を理解し、開発をめぐる問題と私たち自身との深い関わりに気づくこと。
(5) 開発をめぐる問題を克服するための努力や試みを知り、参加できる能力と態度を養うこと。
先にESDは「地球的視野」「経済・社会・文化的な文脈」「参加の技法と態度」の三点に特長があると指摘したが、それらがこの定義含まれていることがわかるであろう。開発教育協会では、「国連持続可能な開発のための教育の10年」の発足を受けて、これを推進するために、三つのことを提案している。それは、(1) 次の学習指導要領の中に、できるだけ多くESDの内容をを盛り込む。総合学習についてはこれを維持発展させる。(2) 各自治体においてローカル・アジェンダをESDの観点から見直して、環境のみならず、在住外国人、福祉、子育て、など幅広い分野を含んだ新ローカル・アジェンダを作るように働きかける。(3) ESDのアジア・太平洋のネットワーク作りを積極的に推進する。
ESDは環境教育と開発教育のみを内容とするわけではないが、当面両者がより連携を強めて日本とアジア地域におけるESDを推進していくことが必要であると考える。
開発教育はもともと遠い「南」の国々のことを扱ってきただけに、子どもたちに学習の最初のところでいかに興味をもってもらうかに最大限の力を入れてきた。この段階で「自分たちには関係ない」と思われたらその先の学習が続かないのである。そのため、開発教育の教材には「気づき」という点で工夫されているものが多い。また、参加型のワークショップについても、イギリスのグローバル教育の事例などに学びながら一九九〇年頃から研究を進めてきた。その成果が『参加型学習で世界を感じる−開発教育実践ハンドブック』である。ここでは参加型学習の手法として「フォトランゲージ」「ロールプレイ」「ランキング」など十一の手法が紹介されている。また、「食」「環境」「貿易」「識字」「難民」「国際協力」「在住外国人」などのテーマを題材とした一二のカリキュラムが教材とともに掲載されている。
ESDに関連する教材・カリキュラムについていくつか紹介しておこう。『世界がもし100人の村だったら』は同名の本をワークショップにしたものである。教室の子どもたちが世界のどこかの住民となり、文化や言語の多様性を体験する。また大陸ごとに分かれることにより、人口の偏りや貧富の格差を体験する。世界の現実を可視的に体験できる教材である。
『パーム油のはなし』は副題が『「地球にやさしい」ってなんだろう?』とあるとおり、環境と開発の問題を同時に考えるための教材である。パーム油は近年、化粧品、食品、医薬品など広く利用されている素材であり、しかも植物性であるために「環境にやさしい、健康によい」というように宣伝されている。しかしながら、その生産現場であるマレーシアでは、地元の木をすべて切った上でパームのプランテーションが行われており、環境破壊を引き起こしている。その生産現場での児童労働や低賃金の問題もある。プランテーション開発の実情についてロールプレイをしたり、消費者の立場から考えるのがこの教材である。
『Talk for Peace! もっと話そう!−平和を築くために私たちができること』は、九・一一事件を契機に平和の問題を身近なところで話してみよう、ということで作成された教材である。この教材は「フォト・ランゲージ」「新聞くらべ」「ランキング」「ディベート」などの9つの学習活動から構成されている。南北問題や地球環境などのグローバルなテーマは最初は取り付きにくい問題であるが、このように簡単で親しみやすいワークショップを経ることで、どこかに自分とのつながりを見出し、またマスコミを利用しながらもそれに惑わされないような批判的な思考を行うことができるようになることが期待されている。
ESDは世界や地域の問題を扱うものであるが、最終的にはそれらの問題を解決するための「参加」の技法や態度が強調される。従って、学習内容も大切ではあるがそれ以上に学習方法やそのプロセスが大事である。この点で、ロジャー・ハートの著書『子どもの参画』は非常に参考になる。ハートの本には、子どもの参加が実効的になされている事例が先進国、途上国を問わず数多く紹介されていて、しかもその原則や方法が示されたことにより、子どもの権利と持続可能な開発のための教育について、机上ではなく現実のものとして考える上で貴重な議論を提供している。
ハートの議論には三つの特徴がある。そのひとつは、子どもの参画と環境教育・まちづくりとを結びつけることによって「持続可能な開発のための教育」を具体的に明らかにしたことである。発達段階によっても違うが、子どもが普段生活している空間は家や学校を中心として周囲半径一キロ程度である。この生活空間において子どもが課題を探してその解決策を探ることは、それ自体環境教育であり、まちづくりにつながる。ハートは、地域社会を生活領分としている子どもこそが、大人に劣らず、地球環境問題解決のための担い手となりうると期待しているのである。
第二のポイントは、その具体的な学習方法論としてアクション・リサーチを提案していることである。これは子どもが地域を回って、具体的な課題を特定し、その課題について探求し、課題解決のための計画を立てて実行に移す、という方法論である。具体的な地域課題を解決していくことで子どもは大人との信頼関係を作り、無力感ではなく効力感を得て、社会問題解決の担い手として成長していくことができる。戦後行われた「問題解決学習」に似ている。ただし、問題解決学習においては教師はその結論に至るまである程度見通しをもっていたが、アクション・リサーチの場合子どもの活動によってはまったく予期しない成果を得ることがある。
ハートの議論の第三の特長は、子どもの参加のレベルを「参画のはしご」として八段階にまとめたことである。このモデルは、子どもの参加のレベルをわかりやすく表現していまる。それは図1のとおりである。図の第1段から3段までは「非参画」で子どもが実質的に参加していない状態である。第1段(操り参加)は、子どもが大人に利用されているケースであり、第2段(お飾り参加)は、子どもがいた方が見栄えがよいので「参加」させられているケース、例えば三歳の子どもが「原発反対」のTシャツを着てデモに参加している写真などである。第3段(形式的参加)は、例えば子ども議会などであらかじめ決まったシナリオで子どもが市長に質問し市長もそれに答弁するが、その後子どもの意見が採用されたのかどうか連絡もないような場合である。
第4段からは子どもが「参加」している状態である。第4段(役割参加)は、大人が子どもに役割を与えているが、子どもには情報は与えられていて意味はわかっている場合。例えば、学校の日直や当番などでよくある。第5段(意見参加)は、子どもは意見を言うことができるが、最終決定は大人が行う場合。修学旅行の計画などで多いであろう。第6段(共同決定参加)は、子どもと大人とが一緒考えて、双方納得して意志決定する場合である。学校教育の活動では、第4段から初めて、第6段を当面の目標にするような場合が多いであろう。
第7段(子ども主導の参加)は、子どもが計画して最後までやりきる場合である。高校の文化祭におけるクラスやクラブの出し物などでしばしば見られる。第8段(大人を巻き込む参加)は、子どもが計画し実行し、その過程で大人を巻き込む場合。主導権はあくまで子どもにある。例えば、子どもたち自身で卒業パーティを企画し、教師に相談して時間をとってもらい、教師を招いて一緒に楽しむような場合がこれに当るであろう。
ESDは単に環境教育や開発教育にとどまらずに、現代の教育全般についてさまざまな示唆を与えてくれる。学校教育のそれぞれの教科や領域において何ができるか、あるいは地域やNGO・NPOとの連携において何ができるか、ぜひ具体的なレベルでお考えいただきたい。
・ロジャー・ハート『子どもの参画−コミュニティづくりと身近な環境ケアへの参画のための理論と実際』萌文社。
・『持続可能な開発のための学び(別冊『開発教育』)』『参加型学習で世界を感じる−開発教育実践ハンドブック』『ワークショップ版世界がもし100人の村だったら』『パーム油のはなし』『Talk for Peace! もっと話そう!−平和を築くために私たちができること』以上、開発教育協会(http://www.dear.or.jp)。
「開発教育とESD−子どもの参画を軸に」(『教育と文化』第40号所収)の元となった原稿です。