参加型開発による地域づくりの方法 −PRA実践ハンドブック

ソメシュ・クマール著、田中治彦監訳、 開発教育協会(企画協力) 明石書店、2008年8月、408頁、3990円
本書はソマッシュ・クマールによる『Methods for Community Participation - A Complete Guide for Practitioners』(2002年)の翻訳である。筆者のクマールは、若い頃にインドのアンドラ・プラデシュ州政府に勤務し、徴税官や治安判事を務めた経験がある。1996年からはNGOひとつであるインド・アクションエイドで働き、PRA部部長として活躍した。そして参加型開発の実践で名高いプラクシス(パトナ参加型活動研究所)を立ち上げ、初代の代表となった。この間インドのNGOの指導者養成のみならず、政府の開発担当者の研修を数多く行ってきた。本文中にもあるように彼は世界銀行「貧しい人々との対話」研究にも責任者として加わり、その成果は『2000/2001年版人間開発報告』に所収されている。本書にロバート・チェンバースの序文が寄せられてように、クマールはチェンバースの盟友であり、チェンバースの参加型開発とPRAに関する理論と実践も彼に多くのものを負っている。
本書を翻訳するきっかけとなったのは、(特活)開発教育協会(DEAR)が2005年から3か年にわたって「参加型開発と参加型学習」を全国研究集会の研究テーマとしたことと関係がある。私はこの分科会の企画に関わり、また立教大学においても2006年度にこのテーマで大学院の演習を展開した。演習ではチェンバースの『参加型開発と国際協力−変わるのはわたしたち』(明石書店)を読み、かつPRAの手法を学ぶための合宿を行った。その間に感じたことは、日本にはまだPRAの良いテキストがないということであった。DEARの事務局長であり、当時大学院の私の演習に参加していた湯本浩之氏が、あるPRAのセミナーに参加してそこで参考文献として取り上げられた本書を紹介してくれた。そこで、PRA、PLA、参加型開発などをキーワードとして検索してひっかかる英語文献を軒並み取り寄せて、それらを比較してみた。その結果、内容的にも分量的にも翻訳するのに最も適当と思われたのが本書であった。
チェンバースの著書を刊行してきた明石書店編集部の黒田貴史氏に本書の翻訳についてご相談したところ、出版の意義と重要性を即座にご理解いただき、スムーズに翻訳発刊の運びとなった次第である。訳者は全員がDEARに理事などで関わり、PRAの実践に大いに関心を寄せてきた。また、DEARや自身が関わる団体で参加型ワークショップを頻繁に行うファシリテーターでもある。幾人かは本書の実践の基礎となったインド亜大陸でのNGO活動の状況に詳しい。そのため翻訳についても予想以上に順著に進んだ。
本書の内容についていくつか述べておこう。本書はPRA(参加型農村調査法)と呼ばれる手法の手引書である。しかし、本書は書いてある通りに行えば確実に結果を得られるというような単なるマニュアル本ではない。PRAが生れてきた背景には「開発観の転換」ともいうべき開発戦略の理念的、思想的な背景がある。そのためチェンバースの序文にもあるように「(PRAの)マニュアルに抵抗する向きもある」(p.4)のである。なぜなら、PRAには本来的に一定の「型」があるのではなく、ファシリテーターはいつでも「自分がベストと思う判断」をして、その場にあったPRAを行うべきと考えられているからである。しかし、クマールは「他のマニュアルとは違って本書は創作の余地を残し、実際に読者による創作を奨励」(p.7)している。そして彼は「理念と実践を提供できて、しかも創造性や実験や成長を促す本を書こうと努力を傾けた。」その努力の成果は本書に十二分に果たされていると言ってよかろう。
それではPRAの背景にある「開発観の転換」とは何であろうか。それは本書の理論部分である「第1章 概念の明確化」にわかりやすく語られている。参加型開発について十分理解していると自認している方も、ぜひ第1章をお読みいただきたい。実際、私自身この章から新たに学ぶことが多かった。「開発観の転換」を一言で言うならば、それは村には「何もない」という発想から、村にはすばらしいものが本来「ある」はず、という発想への転換である。インドやネパール、あるいはフィリピンでもタイでもよい、それらの国の村落を訪問した人ならばまず最初に「ない」ことに気付くであろう。例えば、村には学校がない、あるいはあっても貧弱である、村には診療所がない、病院がある町までは一日歩かなくてはならない。他にも水道がない、潅漑がない、舗装された道路がない、仕事がない、などなど。従来の開発はこうした欠乏状態を補うべくプロジェクトが企図されてきた。学校がないならば学校を建てよう、診療所がないならば診療所を建てよう、潅漑を作ろう、道路を舗装しよう、雇用を作ろう、などなど。村人と話しながら、あるいは外部者の独自の判断で、そうしたアイデアをプロジェクトにしていくことが「開発」であった。そうして、外部から資金と技術が持ち込まれて、それらの施設が作られていく。その結果がどうであったか。村のために役立つこともあるけれど、無駄になることも多かった。なぜなら、それらのプロジェクトを行うか否かの最終的な決定権は村人にはなく、外部者の側にあったからである。そのため村に本来必要である真のニーズを捉え損ねてしまうのである。あるいはプロジェクトの終了とともに村人の興味は薄れて、プロジェクトそのものが村に根付かず持続しなくなるのである。
これに対して新しい開発観は「村にはすぐれたものが本来存在する。一見何もないように見えても、それは外部者に見えていないだけか、社会的な圧力で隠されているからである」という考え方をする。確かに学校はないかもしれないが、それでは伝統的な教育はどのように行われていたのであろうか。診療所はなくても、それまで村人はどのように病気を治していたのであろうか。より深く追求していくと、近代学校以前には寺子屋があったりする。あるいは村には薬草に詳しい人がいて、ほとんどの病気はそれで治していたかもしれない。村にあるリソースを村人自身によって顕在化にするための手法としてPRAが開発されてきた。その結果驚くほど多くの伝統的なリソースが判明した。それまで何もないかに思われた村に実にいろいろな資源があり、知恵があり、人材があるのである。村に本来備わっていた力(パワー)を引き出することを「エンパワーメント」と呼んでいる。まさにエンパワーメントのための学習の手法がPRAなのである。エンパワーメントには二つの意味があって、ひとつは本来の力を引き出して能力を向上させること、そして力を奪ってきた社会的な抑圧力を発見しそれを取り除くことである。
こうした開発観の転換や、PRA導入による成果についてはチェンバースの『参加型開発と国際協力』を紐解いていただきたい(ただしチェンバースの饒舌につきあうのは時に苦痛である。読者は1章と2章で基本的な考え方を捉えたならば、第7章以下に飛ぶことをお薦めする。そこにPRAの基本的な解説と成果が述べられている)。開発観の転換なしにPRAを導入しようとするとさまざまな弊害を生じる。PRAの誤用による弊害や問題点については本書の1章12〜14節に詳しく述べられている。「PRAを採用する組織の文化や活動についての変革の必要性を認識しないで、PRAが大規模に採用されている」(p.58)というのが現状なのである。PRAを行う組織が官僚的で上意下達であるのに、「貧しい人々、弱い人々、不安定な立場におかれている人々への関わり」をもち「主導権と責任を他者に譲る」(p.52)ことなどできない相談である。
最後にPRAと日本の開発教育との関係について述べておこう。DEARがPRAから積極的に学ぼうとしたのは2000年頃からである。ネパールの著名なファシリテーターであるカマル・フュヤル氏の日本滞在を機に、とくに関西の開発教育関係者と経験交流をした。2002年に京都で行われた開発教育全国研究集会では、カマル氏によるPRAのワークショップが行われ、筆者もそのとき始めて実際のPRAに触れた。村の権力構造を再現したり、木や石でおこなうワークショップは新鮮であった。2003年から4年にかけて私はタイのチェンマイに滞在して、現地のNGO活動の調査を行った。その過程で住民参加型開発をめざしてPRAを活用する多くのNGOに出会った。北タイでは1990年頃より4か年かけて意識的にPRAを導入していたのである。それらのセミナーにはチェンバースも講師として招かれていた。
チェンマイに滞在していた間に私は、DEARがそれまで開発してきた数々のワークショップを現地のNGOに紹介した。チェンマイを流れるピン川の環境保全を行っているNGO(ピン川環境保全協力協会)では、DEARの「パーム油」のワークショップから学ぶところが多いとの評価をいただいた。北タイの村落指導者やNGOスタッフを養成している持続可能教育促進研究所(ISDEP)からは、DEARの「貿易ゲーム」や「コーヒー教材」をぜひ取り入れたいとの申し出があった。タイでは近年、自由貿易協定により近隣諸国から安い農産物が流れ込み、食料価格が下落して農民が困窮しているという状況があった。貿易の構造や経済のグローバリゼーションを理解するのにDEARのワークショップがうってつけである、というのである。
こうした交流を進めている内に、開発教育のワークショップとPRAとはその目的においても方法においても多くの共通点をもっていることに気付いた。すなわち理念のレベルで言えば、日本の開発教育は地球的課題の理解と社会参加をめざす学習活動であり、そのゴールは「共に生きることができる公正な地球社会の実現」である。そして、その方法も社会参加のための技能と態度を養うことに主眼を置いてきた。こうした理念と方法は、PRAにも広く共通するところである。ただ、開発教育は日本の子どもたちや地域の人々を対象としていて、PRAは「南」の国々の村落の人々を想定しているという点で、具体的な手法のレベルになるとさまざまな相違がある。例えば、「南」の村には模造紙やマジックなどの十分な用具がないこともあり、その場合木の枝や石を使ったワークショップを地面で行なう。総じてPRAのワークショップはシンプルであり準備すべき用具が少なく、開発教育ワークショップはより複雑であるし事前に用意すべきものが多い。そのような多少の違いはあるものの、開発教育ワークショップとPRAとの共通点は多い。
その意味で、「南」のPRAと「北」の開発教育とが交流していくことの意義は大きいと考えている。実際DEARでは、2002年以来、タイ、フィリピン、マレーシア、ネパールなどで参加型開発に取り組むファシリテーターらとの交流を続けている。本書の刊行もそうした流れの中で行われたのであり、今後の相互の交流がますます広がり、「共に生きることができる公正な地球社会づくり」の実現に寄与することを願うものである。
本書は「南」の地域づくりのための手法集ではあるが、日本の「まちづくり」にも応用することができる。実際、日本のいくつかの地域でPRAを活用したまちづくりワークショップが実施されている。本書が、開発教育のみならず国際協力NGOのスタッフ、ODAの専門家や青年海外協力隊員、日本各地でまちづくりに携わる方々の間で広く活用されることを期待するものである。
「監訳者あとがき」より
序文(ロバート・チェンバース)
はじめに(ソメシュ・クマール)
第1章 概念の明確化 [訳:田中治彦]
第2章 空間に関するPRAの手法 [丸谷士都子]
社会マップ、資源マップ、参加型模型法、移動マップ、サービスと機会マップ、トランセクト、参加型人口調査法
第3章 時間に関するPRAの手法 [奈良崎文乃]
年表づくり、傾向分析、時系列トランセクト、季節カレンダー、日課表、 参加型家系図、夢マップ
第4章 関係性を扱うPRAの手法 [上條直美・湯本浩之]
因果関係図、影響力分析図、システム図、ネットワーク図、プロセス・マップ、生活福祉ランキング法、ベン図(社会関係図)
二項ランキング法、投票ランキング法、力の場分析、パイ図、生計分析、クモの巣図、ボディ・マップ
監訳者あとがき [田中治彦]