田中治彦(上智大学)
2010年4月
18歳成人の議論は、もともとは安部内閣の時に、憲法改正の手続きを定める国民投票法案の審議過程で浮上してきた。当時の政権与党である自民党が、この法案を通すために民主党と妥協して、投票年齢を18歳に下げることに同意したところから始まった。法案では3年以内に18歳選挙権を実現することになっていて、今年がその3年めに当たる。また、こうした動きの中で、2009年8月には法制審議会が「民法の成年年齢を18歳に引き下げるのが適当である」という答申を出した。ただ、答申の中では18歳成人が契約の主体になれることに対して懸念が表明されている。悪徳商法やマルチ商法に巻き込まれる可能性が増大するからである。
成人年齢の引き下げについては、もともと世論の後押しがあって始まった議論ではないために、一般の人々の関心は高くはない。また、各種の世論調査を見ても、18歳成人については反対意見が賛成意見を常に上回っている。先の法制審議会の議論の内容をみても、18歳成人に無条件で賛成という人は少なく、消費者教育やキャリア教育の充実など一定の条件が必要であるとする意見がほとんどである。
もし成人年齢が18歳ということになると、高校3年で誕生日を迎える生徒が次々と選挙権を得ることになる。これまで大学や専門学校への準備としての「受験教育」が中心であった高校は、成人直前の子どもたちを教育する最終機関として新たに位置づけられることになる。その意味で高校教育の独自の目的が明確になるわけであり、現在の高校カリキュラムの内容に変革が迫られるであろう。その大きな柱のひとつが成人を準備するための「市民教育」である。
18歳成人の問題を選挙権の拡大の観点から捉えるならば、日本社会は過去二度にわたって大幅な選挙権の拡大を経験している。最初は1924(大正13)年の普通選挙法の成立である。それまで一定額以上の税金を収めた者だけに選挙権が与えられる制限選挙であったのが、この法律により20歳以上のすべての男子成人に選挙権が付与されることになった。二度めは、第二次世界大戦直後の1945(昭和20)年の衆議院議員選挙法改正による婦人参政権の実現である。これにより女性も含めてすべての成人が選挙に参加する現在の制度になった。今回、選挙権を18歳に引き下げるとすれば、これらに続く3度めの選挙権拡大ということになる。
過去二度の選挙権拡大については、その都度大きな教育改革を伴っている。普通選挙が実施されたその年には実業補習学校の「公民科」教授要綱が制定されている。そして、青年教育、成人教育を推進するための「社会教育課」が文部省の中に設置されている。実業補習学校とは、義務教育を卒業した青年たちに補習教育を施す社会教育機関である。すなわち、普通選挙によって成人になる直前の青年たちを有権者として教育する必要性が生じて「公民教育」が成立したのである。
戦後の婦人参政権の際の教育改革はより大がかりなものであった。これは占領軍のGHQの指令のもとに行われた教育改革であり、従来の軍国主義教育を一掃し民主主義教育を推進するために、戦前の終身、地理、歴史の教科を排して、あたらしく「社会科」が設置された。社会教育においても、公民館を拠点として青年学級が開始されて、民主主義の啓発が行われた。今回の18歳選挙権においても、しかるべき教育活動が行われねばならないわけであるが、それはどのようなものなのか。
現在の学校教育においても有権者になるための教育が公民教育として行われている。それは小学校の社会科に始まり、中学校の社会科(公民的分野)、そして高校の「公民」「現代社会」などの科目を中心に教えられている。しかしながら、それらは知識中心であり実践的な力を伴っていない。例えば、三権分立というような民主主義のしくみについての知識はもっていても、身近な生徒会の運営には無関心である、というように知識と態度が分離している。一方で東京都の公立高校で行われている「奉仕活動の義務化」のように、奉仕精神の涵養といった態度面が強調されてはいても、福祉や地域問題の現状に関する知識とは隔離されていて、現実の福祉問題を改革するような社会参加にはつながっていかない。
新しい市民教育はこれらの問題点を克服し、実践的な「社会力」をつけるような学習であるべきであろう。そこでは知識と技能と態度が同時に教えられ、個別具体的な課題にも対応できるような学習が求められる。こうした前提のもとに、今後に期待される市民教育、とくに18歳を目前にした中学高校段階での市民教育についていくつかの原則を考えてみよう。
第一に、現在の中学、高校教育においては進学の問題、すなわち受験という関門があるために実際の社会とは切り離された知識中心の教育が行われている。一部キャリア教育では職場体験などが導入されているが、その他にも実際の地域や社会の人々とさまざまな場面で触れることができるような教育活動が求められる。例えば、実際に地域を回って、さまざまな人と出会い、その中から地域課題を発見し、その解決策を考えるような参加型で実際的な学習である。
第二に、2年前のリーマン・ショックで若者の就職が厳しくなったように、現代社会に住む私たちはグローバリゼーションの波に否応なくさらされている。世界の経済や地球温暖化のようなグローバルな課題が自分たちとどのように関係しているのか、を把握できるような教育もまた必要である。参加型の学習として国際教育、開発教育、グローバル教育といった実践の中に多くのヒントがある。グローバルな視野をもった市民教育が求められる。
第三に、中学高校の時代は子どもから大人へと移行し、自分の将来について考える時期である。自分の近未来を見据えながら、自己の生き方を考えられるような教育が必要である。それは職業選択のみでなく、現実社会と未来展望のなかで自分の価値観をより明確にし、社会参加を促すような教育が求められる。
一言でいえば「地域につながり、世界を見つめ、自身の将来を展望しながら社会に参加する、参加型の市民教育」を構想したい。こうした展望の中に、現行のさまざまな教育活動が位置づけられる必要があるであろう。
田中治彦「18歳成人と市民教育」『私たちの広場』311号(特集:18歳選挙権を考える)、2010年3月、10-11頁に掲載。