私のインターネット体験

 

        田中治彦

最終更新 2003年2月2日


ホームページができるまで

メーリングリストに入ったぞ

さばの味噌煮

ありがとう、アポロサーバー

家中のパソコンをLANで接続するの記 

ブロードバンド物語


 ホームページができるまで

 

 このホームページが出来たのは全く偶然でした。今でこそ多くのコーナーがありますが、その発端はももすけエッセー集にある「一緒にタイランド」でした。一緒タイランドはもともとはPC−VANというパソコン通信の「緑の地球」ボードに旅行記として1997年3月に連載したものでした。その後、これをWNN(World NGO Network)というメーリングリストにあらためてアップしました。

 これを見つけてホームページにしてみないか、と誘ってくれたのが愛媛大学の越智元朗先生です。WNNはもともと阪神大震災をきっかけに出来たメーリングリストで、越智先生は救急医療の立場からこのメーリングリストに参加していたのでした。

 私は驚きました。ホームページというのは、由緒ある企業や団体がその活動内容を紹介するフォーマルなものと思っていたからです。まったく私的な旅行記なんかがホームページになるのだろうか、ということと、ホームページがそう簡単にできるだろうか、という疑問があったのです。

 ホームページはまさに「一夜にして」立ち上がっていました。昨年6月7日のことです。越智先生は救急医療やボランティア活動について興味深い記事や論文があれば、愛媛大学のアポロ・サーバー上でホームページ化するように勧めておられるのです。その後WNNでは、ボランティアやNPOに関する議論が交わされました。私は、かつて書いた「ボランティア・ネットワーク」と「仕事としてのボランティア」の2論文を再びWNNで連載しました。この2論文も越智先生のおかげで一夜にしてホームページ化されました。ホームページには「南北ネットワーク」という名前が付けられました。この時点では私は岡山大学にいたのですが、10月には東京の立教大学に転任することが決まっていたのであえて「南北ネットワーク岡山」とはしなかったのです。将来的に「南北ネットワーク茨城」や「南北ネットワーク東京」ができてもよいからです。

 最初はとまどっていたのですが、あこがれのホームページが出来てしまったのでともかく充実しなくてはなりません。しかし、私は転勤や引っ越しのどさくさで全く手を加えることができませんでした。あのHTML言語を一から学ぶ時間的精神的余裕などなかったのです。9月に松山で講演の機会がありました。そこで越智先生にお会いすることになりました。私は、南北問題・国際協力・開発教育に関するこれまでの論文を何点かと、タイの写真を持参しました。越智先生もお忙しいときだったのですが、これらをホームページに付け加えていただきようやくホームページとしての体裁が整いました。そこで、YAHOOやINFOSEEKに登録したのです。

 この時点でわずか200そこそこのアクセス数だったこのホームページも平均月200ヒットとじわじわと伸びていきました。10月に立教大学に来たので、立教の方でもホームページを作成しなくてはと考えていたのですが、なにしろ精神的余裕がありません。それに教育学科の他の皆さんはまだホームページを作っていませんでしたし、文学部全体でも研究室のホームページは数えるほどしかありません。

 年が改まり、2月の入試を終えるとようやく自分の時間がもてるようになりました。ホームページ作成ソフト(クラリス・ホームページ)を引っ張り出していじってみました。何のことはない。HTML言語なんか覚える必要はないんだ! 越智先生に作ってもらったページを加工して、文章だけ挿入していけばホームページになってしまうではありませんか。

  立教のサーバーはなじみがなかったので、試しにアポロサーバーで研究室のホームページを作ってみました。この時できたのが「研究室の人びと」「授業科目と内容」「研究テーマと主な論文」「プロフィール」です。もっとも研究室の人びとはまだ学生がいないので表紙だけですけれど。出来上がった「田中治彦研究室」をアポロサーバーから立教大学に移すには手間がかかります。ここでハタと考えました。インターネットは世界中のサーバーに瞬時で移動できるはずだ、そうすると何もホームページを移す必要はないのではないか? 立教大学教育学科からリンクを張りさえすれば、あたかも立教大学のホームページの続きであるかのようにアポロサーバー上の田中研究室は働くのです。各頁が別々のサーバーにあってもかまわないというのはさすがインターネットです。

  壁紙やボタンも付けました。素材集を買ってくれば何ということはありませんでした。あまりごてごてイラストを付けると読み込むのが遅くなるので最小限にとどめました。こうして私のホームページは「南北ネットワーク」と「立教大学」の双方から入れるようになりました。ホームページをリニューアルしてからというもの半月の間に400ヒットも伸びました。やはり目新しいことがあると皆さんのぞきに来てくれるのですね。これからもますます充実したいと考えています。越智先生本当にありがとう。  

詳しくは更新履歴も見てください。               (1998.3.30.)

ありがとう、アポロ・サーバーも読んでください。

 

 

 をドーゾ  

 

メーリングリストに入ったぞ

 「メーリングリスト(ML)」 をご存じですか。 これは電子メールを利用して、加入している人にいっせいに同じ情報を流すしくみです。 発信元が加入者に情報を提供できるだけでなく、加入者も自ら情報を発信できるところがこのシステムのミソです。

 このMLなるものを最初に知ったのは1987年の秋頃でした。岡山YMCAの太田直弘主事が盛んにWNN (World NGO Network)というMLに入るように勧めてくれました。私は、それがどういうものか今ひとつわからないところがありましたが、NGO Network ということばに惹かれて入ることにしました。

 WNNはとても活発なのですね。 もともと阪神大震災をきっかけに緊急救援のためにできたMLなので、世界のどこかで地震が起きようものなら、メールボックスはすぐに満杯になってしまいます。 NGOといっても自分がイメージしていた国際協力NGOや開発教育とはちょっと違うのでとまどっておりましたが、それでも次第に慣れてきて、多少は発言できるようになりました。特に、タイ旅行記やNPO法案の議論の結果、一夜にしてホームページが立ち上がったり、越智先生と出会えた経過は前項でお話ししました。

 太田さんらが中心になってYMCAでもメーリングリストが始まりました。こちらの方は週に1〜2本といったところで必ずしも活発とは言えません。MLをどう利用したらよいのか模索中といったところです。

 そうこうしている内に、昨年の6月頃、パソコン通信のNIFTYSERVEで知り合った小薗さんからメールが届きました。小薗さんは開発教育協議会の会員で、NIFTYでしばしば開発教育についてメッセージを書き込んでいました。彼は東京YMCAなどが主催している「地球市民アカデミア」の受講生を中心にMLを立ち上げていました。その経験をもとに是非開発教育協議会でも会員同志のメーリングリストを作りませんか、という提案です。

 私は短いながらもWNNの経験がありましたし、MLの効用も十分感じていましたので、この提案にすぐに乗りました。費用の点も聞いてみたのですが、入会金5000円と年会費5000円とのこと。そんなに安いのかと感心しました。開発教育協議会事務局も応援してくれて、昨年の7月から少数で実験を始め、11月からは試験運用、この4月からは約100人の会員で本格運用に漕ぎ着けました。毎日の書き込みは平均2件、常連の発言者は10数名といったところでしょうか、まずまずのスタートです。それまで年1回の全国研究集会でしか顔を合わせることのなかった地方の会員と日常的に会話できるのは嬉しいですし、海外在住の会員も5名入会してくれてこれだけでもやってよかったなと思います。

 WNNやYMCAのメーリングリストでの経験が目一杯役立っています。例えばそれは「規約やマナー」に表れています。インターネットは距離と時間と肩書きに関係なく、ひととひとを結びつける反面、文字だけのコミュニケーションなので、しばしば口論や誹謗中傷、それに名誉毀損といった事件が起きます。また、コンピュータ・ウィルスやチェーンメール(「幸福の手紙」のようなもの)といった問題点もありますし、政治宣伝や布教それに営利目的の利用にも使われやすいのです。

 これらの問題点はMLが出てくる前に、実はパソコン通信ですべて問題になったことでした。私はパソコン通信暦はPC−VANで1988年以来10年と長く、これらの問題を目の当たりにしてきました。一体どんなことが起きたのかまたいつかご紹介しましょう。              (1998.4.3.)

 

 

 さばの味噌煮

  インターネットの使い方はおそらく無限にあるのでしょうが、私が最初に便利だと思ったのは検索ですね。 1年以上前ですが岡山大学の頃、広島の知人からある不思議な名前の教育学者のことを知りたいとハガキをもらいました。よほど変わった名前で思い出せないのですが、教育学事典にも出ていないし隣の教育史の先生に聞いてもわからないと言います。するとある院生がインターネットで調べましょうというのです。

 学内のネットはちょうど混み合っていて答えが出てくるのに30分近くかかったのですが、それでも3件ありました。結局研究業績からみてフランスで現役の心理学者らしいということがわかりました。名前が変わっていたからよかったのですね。

 これに味を占めて、アメリカ人の Frank Self という研究者のことを調べてもらったのですが、これはダメでした。 Frank も Self も膨大な数でお手上げでした。

 でもこの一件でインターネットを見直した、というか使いみちが少しわかってきました。最近は辞書や事典を調べるよりもまずインターネットですね。

 こんなこともありました。茨城に引っ越してきてから奥さんも働きだして家にいないことがある。そこで週に1〜2回は私が食事を作る機会が出来た。最近はジェンダーが盛んで、私まで巻き込まれて文部省の男女共同参画事業か何かの委員になったから、男は料理はしないなんて言えなくなった。 幸い独身の頃、よく家でたくさん人を集めてワイワイやっていたので鍋ものや丼は作れる。 子どもたちも最初は「おとうさんのかつ丼はうまい」とか「水炊きはおいしいね」とか言っていたが、こればかり続くとだんだん飽きられる。「おとうさん鍋と丼しかできないの」なんて言われてしまう。

 仕方がないので料理の本でとも思うが、その材料やら手順を見ただけでうんざりしてしまう。 そうだ昔おふくろが作ってくれた「さばの味噌煮」なら簡単にできそうだ。 でもどうやって作るのだろう。しょうがを加えることは知っているが、味噌は普通の味噌でいいのだろうか。 そこで思い付いたのがインターネット。 さっそく INFOSEEK で調べましたよ。 

 出るわ出るわ。たかが「さばの味噌煮」が8,923件! これではサバも恥ずかしくなっちゃう。 酒と砂糖としょうがと味噌で煮るだけのことなのですから。 しょうがで匂いを消すということと、こまめにアクをとることと、最後に味噌をさらに付け足して風味を出す、これが8,923のホームページに込められたメッセージ。

 日本中の知恵が詰まっているとあって、家族はうまいうまいと平らげてくれました。

   「サバ、ビヤン!」 

(1998.4.10.)

 

 ありがとう、アポロ・サーバー

 

 いつかはこうしなければならないとは思っていました。愛媛大学のアポロ・サーバーのお世話になって立ち上げたホームページでしたが、自分が立教に来た以上いつまでも居候しているわけにはいかない。立教のメディア・センターからも、充実したホームページなので早く立教サーバーに移すように、と勧められていました。

 それでも膨大な量のページを移設することを考えるとなかなか踏ん切りがつきませんでした。直接のきっかけは「2000年問題」です。コンピュータ2000年問題はいろいろ風聞が流れて、一体どうなることかと心配したものですが、実際2000年を迎えてみると大きな事件は起きませんでした(我が家では一応ミネラル・ウォーターだけは用意したのですが・・)。

 ところが小さな事件は各所で起きていたようです。アポロ・サーバーではホームページが更新されないという問題が発生していました。正確に言うと、インターネット・エクスプローラーやネットスケープ・ナビゲーターでより新しいページが表示できなくなったのです。これを修正するためにはそれぞれの閲覧ソフトで過去のログをすべて削除しなければなりません。

 このトラブルはアポロ・サーバー側では修復不可能ということでした。そこで、まずは頻繁に更新する「南北ネットワーク」フロント・ページと同じものを立教サーバーにも作りました(ミラー・ページと呼んでいます)。そして新しく作成するページは必ず立教側に置くようにした他、更新が必要となったページから立教に移転するようにしました。

 それでも過去に作成した多くのページはそのままアポロ側に残りました。

 2001年に入ってすぐ、新年のあいさつを両方のサーバーにアップしました。ところがアポロ側がこれを受け付けないのです。早速、愛媛大学の越智先生にメールしたところ、アポロ・サーバーが満杯になってなってしまった、とのお返事。もう、待ったなしです。

 それでも年度末の忙しさにかまけてサボっていたのですが、4月に入ってアポロ側のファイルがフロント・ページを残して消滅していることに気づきました。

 4月13日から週末を利用してふうふう言ってすべてのファイルを移転した次第です。

 アポロ・サーバーにはつくづくお世話になりました。越智先生の親切がなければ私のホームページは1年以上遅れていたでしょう。アポロと別れるのは寂しいですが、これも仕方がありません。これまで本当にありがとうございました。

 

                      (2001.4.17.)


家中のパソコンをLANで接続するの記

 

 

3月22日(金) LAN接続を思い立つ

  家の中にある4台のパソコンを無線LANでつなぎたいとかねてから思っていた。しかし、作業はそう簡単にはいかないだろう。春休みにまとまった時間がとれるので、いよいよ断行したい。

 まず、つくばの電気街まで行って関連の製品を買い求める。午後パソコンに強い息子の友だちのY君も来てくれて、いよいよ決行。

 無線LANのキーステーションを接続したところでエラー・メッセージ。作業は最初からストップ。キーとなる私のパソコンのOSに問題があるらしい。私のパソコン(GATEWAY2000-G300)はもともとはウィンドウズ95で動いていた。それを98にアップ。さらにMeに再アップ。ここで多くの障害が発生した。そのため再びWin98にダウングレードしたのであった。しかし、その後も起動時にさまざなメッセージが出るなど調子が悪かった。

 無線LANを組むならば、OSの再インストールという大技がどうしても必要である。(^^;)

 無線LANのセット一式(4万円)は買ってしまったし。将来のことを考えればちゃんとしたOSに戻したいし・・・

む、む、む、む、む・・・ 

 

3月27日(水) OSの入れ替え

 意を決してパソコンのOSの入れ替えをすることに。必要なソフトを手許に集めるのに時間がかかる。Win98をピュア・インストールしようとしたが、うまく行かない。

 マイクロ・ソフトに電話。アップ・グレード版ではインストールできないので、一旦95でインストールしてから再度98にする必要があるとの説明。

 せっかく決心したのに、ここで完全にやる気を失くす。今日の作業は中止。

 

3月28日(木) メイン・コンピュータがつながった!

  気を取り直して、言われた通りにすることにした。まずWindows95をインストール。そして98にアップ。ここまでで午前の作業は終わり。

 午後からLAN接続。まず、主パソコンに接続して、ドライバーをインストール。各種の設定を行うが、つながらない、つながらない (^^;)。

 いろいろいじってみて、午前2時に突然開通! 深夜なのに興奮してしばし眠れない。

 

3月29日(金) 2台目も難航

 メイン・コンピュータが接続できたので後は楽勝かと思いきや、すべてのパソコンで障害あり。まず、最新のパソコンはOSがWin-XPなので新しすぎてLANカードがサポートしていない。他の1台はWin95なので古すぎてやはり対応していない。

 比較的簡単に接続できたのはWin98のノート・パソコン。2台目開通。バンザイ、バンザイ!

 XPパソコンは仕方ないので有線の電話線で接続する。無事応答。3台目、スマートではないけれど開通。バンザイ。

 さて、残るはWin95のパソコン。98にアップした後に、LANカードを差し込まねばならない。カバーをはずしてボードを差し込む大手術。必死の努力もむなしくパソコンは新しいハードを認識してくれない。メーカーが休みなので聞くこともできず、作業は来週に持ち越し。

 やれやれ・・・

 

4月1日(月) どうしてもつながらない!

 朝9時半からアイ・オー・データに電話。午前中何度かけてもつながらない。

 お昼を食べて午後1時。つながった!奇跡だ。

 急いでパソコンの前に。あれこれやってみるが、結局もう一度パソコンを空けてボードをはずして最初からやり直すことに。応対は親切だったが、ここで電話を切らなくてはならない。後はFAXのやりとり。

 最初からやり直してもボードを認識してくれなかった。む、む、む。 このパソコンもWin95からの再インストールか?

 今日の作業、終わり。次は水曜日。

4月3日(水) 進展なし

 もう一度ボードをはずして、最初からやり直し。しかし、どうしてもドライバーのインストールができない。振り出しに戻る。春休み中のLAN完成は無理か?

4月4日(木) ともかく4台LAN接続、無線ではないが・・

 サポート・センターからFAXが届いた。IRQに空きを作るとかBIOSの設定の変更とか、かなりディープな話しになってきた。これを実行するにはメーカーとのやりとりも必要である。ちょっと私の手には負えない。

 でも4台目がつながらなければ、一体この春休みは何だったのだ?! 最後の手段。XPパソコンにつながっている電話線を2つに分岐する。電話線をパソコンまでひいて、内蔵モデムでダイヤル・アップ。何のことはない、こちらはほとんど一発。ともかくこれで4台目開通。

 部屋から部屋に電話線がはりめぐらされてスマートではないが、ともかくインターネットはできる環境になった。娘はこれでもよいと言ってくれている。 とりあえずこの春休みはこれで休戦。

 結局、メイン・コンピュータの他に無線LANでつながったのは妻のノート・パソコン1台だけ。あとの2台は、私の部屋から子どもの部屋への有線接続。

 しかし、無線の1台が威力を発揮。妻の仕事場から居間に持出して、どこでもメールが送れるとすこぶる好評。私も朝食をとりながらメール・チェック。子どももときどき居間でゲームをやっている。まっ、このままでもいいか。

 親切に対応してくれた3社のサポートの皆さん、息子の友だちのY君、そして自分にも、ご苦労さまでした。

(2002年4月10日)


ブロードバンド物語

 

1.これまでのあらすじ

 

 昨年4月、わが家の4台のパソコンをLANでつないだ。とはいっても無線LANでつなげたのは2台だけで、あとは部屋から部屋へ這いまわらせたケーブルでの接続である。なぜそうなったかというと、1台は95パソコンで古すぎてダメで、1台はXPパソコンで新しすぎて無線LANが対応していなかったからである。それでもISDNを通して4台からインターネットが見られるので、家族で喜んでいたものだ。このとき、ルーターなどに4万円以上を投資した。

(以上の苦労話しは、上記「家中のパソコンをLANで接続するの記」をご覧ください)

 しかし、昨年の夏頃この内1台のモデムが機能しなくなった。また、無線LANで快調だった妻のパソコンにもトラブルが生じて、修理に出した。修理はできたものの、秋頃には私が超多忙で無線LANにつなごうなどという意欲がわかなかった。

 すなわち、昨年秋の段階でインターネット接続できたのは、私のメインのパソコンと、息子の有線接続のパソコンのみであった。つまり、無線LANに投じた4万円余は全く生きていなかったのである。

 

2. これではいけない

 何のための4万円だったのか、と悔やんでみても先が見えない。私は、昨年春のLAN接続のときのわずらわしさを考えると、とてもやる気が出なかった。ところが、娘が家電ショップでバイトすることになった。そのときにパソコンに強い友だちがいるという。

 そこで年が明けてすぐ、竜ヶ崎の家まで来てもらうことになった。頼もしいではないか! 妻のパソコンをすぐに設定してくれて、これで無線LANが復活した。そのとき彼は「ADSLにしてはどうですか。その方が安いし速いですよ」という。

 そもそも昨年春にLANをつなぐときにADSLを考えないではなかった。しかし、その時点ではISDNから変更する際に、電話番号を変える必要があったのである。それは困る、ということでISDNに甘んじていたのである。しかし、今は電話番号を変えなくてもADSL変更が可能になった。

 むむむ、変更したらしたで、接続に同じような苦労をするのではないか、自分一人でできるだろうか、などとあれこれ悩んだ。「今のルーターでADSLに換えられますか」と聞くと、「マニュアルではADSLも使用可能と書いてあります」とのこと。

「申込みはインターネット上でもできますよ。今やりましょうか」

 ここが決断のときである。今のルーターが使えるならばやってみてもよい。常時接続なので何時間つなげても同じ値段だという。今はテレホーダイなので午後11時以降は時間制限がない。しかし、私は昼間に仕事することが多いので、常時接続はありがたい。

 「よし、決めた! ADSLに申し込んでください。」

 「わかりました」

しかし、それからの道のりはやはり長かった。地獄と天国を見るのである。

 

3. 奈落

 

 Yahoo BB からモデムが届いた。同時にNTTから回線変更の工事完了のメールも来た。

 よし!やるぞ。

 Yahoo BB のモデムをルーター(NECWarpStar)に接続する。あちこちのランプがチカチカ点灯している。いいぞ、その調子。あれこれ設定を変える。なかなかつながらない。ここはがまん、マニュアルに従って設定すればいつかはつながるのだ。そう信じて作業を続ける。

 しかし、一向につながらない。 Yahoo BBのマニュアルに小さな注記があった。「Yahoo BB のADSLモデムは、PPPoEは使用しないのでチェックは外してください」

 はあ?

今使っているルーター(NECWarpStar)の設定項目を見ると「ADSL(PPPoE)」しかない。「まさか、対応していないの?」

 がーん!

LAN接続では何度も奈落の底に落とされたが、今回の底はマリアナ海溝くらいに深い。

でもまだ希望があるかもしれない。Yahoo BBのサービスセンターに電話する。

「あのー、PPPoE方式に対応していないようなのですが、どのようにしたらよいでしょうか」

「はい、少々お待ちください。係の者に聞いてみます。・・・・誠に申し訳ありませんが、当社のモデムは対応しておりません。」

「でも、申込みのときに、そのような確認はなかったですよ。責任もって対応してもらえませんか」

「当社ではLAN接続までは保障しかねます。NECさんにおたずねになってください。」

 また、これだよ。トラブルが起きるとタライ回し。結局、利用者が泣きをみる。NECに電話する気はしない。WarpStarの設定のときに何度も電話したが、一度たりとつながったことがなかった。

 

4. 決断

 

 池袋東口、BICカメラ・パソコン館にて。

 無線LANのルーターの前をうろうろ。買うべきか買わざるべきか。ADSLで行くべきか、ISDNに戻すべきか。追加投資は約2万円。しばしハムレット。

 

 「決めた! 行くしかない。あの4万円は学習費だったのだ。うっ、うっ、うっ。」

 IOデータ社の極めてシンプルなデザインのルーターを買う。

 

 翌日、自室のパソコンの前。私の体に何かがみなぎっていた。

 できる、今度こそできる!

 作業をすればどうせトラブルがあるに違いない。それでも、今回は乗り越えられる気がした。何か確信に近いものが私の体に充満した。

 

 まずは、Yahoo BB のADSLモデムをルーターを通さずにメインのパソコンに接続してみよう。それで開通すれば半ばできたようなものだ。

 はなからつまづいた。

「ない!パソコン側にLANケーブルをつなぐ差し込み口がない!」

 これまではルータとの間はUSBケーブル接続だったのだ。

 しかし、体のなかには力がみなぎっている。今日の私は昨日の私ではない。近くのパソコン・ショップで、イーサーネット・ボードを買ってくる。900円と値段は安いが、このボードを使うにはいったんパソコンの本体を開けねばならない。

 かつての私ならばここでめげたはずである。パソコンの本体をネジで開けてボードをはさみこむなどという大手術をする気にはならかっただろう。しかし、今の私には力がみなぎっている。

 やってみれば何ということはないのだ。パソコンの横板を外して、ボードをカチっとはさめばよいのだ。その後、附属のフロッピーからドライバーを読み込んで設定する。

 わっはっはっは、できたぞ、何のトラブルもない。今日の私は昨日の私とは違うのだ!

 

5. 開通!

 

 まずはBBフォンとメイン・コンピュータとの接続である。LANケーブルをつないで、モデムにスイッチを入れる。あちこちランプが点灯して、しばらくすると収まる。

 コンピュータのコントロールパネルをクリックして、ネットワークへ。

「IPアドレスを自動で取得」「DNSは使用しない」−以前はこんな表示が出る度にびびっていたものであった。今も意味はよくわからないが、大丈夫。

今日の私は昨日の私ではないのである。

 BBフォンの開通はあっけなかった。マニュアル通り設定して、パソコンを再起動。すると、起動と同時にインターネットにつながっているではないか。

 わっはっは、今日の私は違うのだ。体にますます力がみなぎってくる。

 

 さて、いよいよ問題のLAN接続である。カリスマに近づいていた私も、この段階ではやや慎重になる。きっと何か起こる。しかし、ひとつひとつのトラブルにめげてはいけない。スイッチ設定だけのことなのだから。

 モデムとパソコンを接続しているケーブルをいったんはずし、ルーターにつなげる。再びIPアドレスの取得。しかし、つながらない!

 どうしてだろう。IPアドレスの番号を確認すると、マニュアルとは違っている。そうか、ルーターをはさんだので新しいアドレスが必要なのだ。前のアドレスを削除して、再び「IPアドレスを自動で取得」

 「を、を、を」つながったぞ。

 わっはっは、今日の私にはパワーがみなぎっている。

 

 いよいよ2台目の妻のノート・パソコンに入る。以前のドライバーをはずし、新しいIOデータのドライバーをインストール。LANカードを差し込むとさっそく「新しいハードを検出しました」のメッセージ。

 「そうだ、それでよいのだ、待っていろよ」

 コントロールパネルをクリックして、ネットワークへ。「IPアドレスを自動で取得」に設定。

 

 おっ、おっ、いつの間にかの画面が変わっているぞ。ひょっとして? を、を、を、インターネットに勝手に接続しているではないか! 

 

 わっ、はっ、はっ、2台目も成功!

 

6.みなぎるパワー 

 

 さて、いよいよ息子のXPパソコンである。

 同じようにドライバーをインストールして、LANカードを差し込む。さて、設定はどうするのだろうか。XPパソコンはWindows98やMeとは、設定画面が全然違うのでよくわからない。

 「IPアドレスの設定はどこだ〜」せっかく宿った知識が役に立たない。

 すると! いつの間にか画面が変わっているではないか。

おやっ?と思って、インターネット・エクスプローラをいじってみる。

 

 「わーお、つながっている」

 

 どこをどういじったのか知らないが、もうインターネットに入っている。すごい、すごい。

 これというのも私の体にみなぎった不思議な力によるものに違いない。

 できたぞ。

 ついにできた。念願の夢がかなった。4台目の娘のパソコンについては今回はパス。娘は2か月ほどすると家を出ていくであろうから。

 ためしに、これまで懸案であった。インターネット・エクスプローラのバージョン・アップに挑戦。ISDNのときはインターネット上でこれを取得するのに90分かかる。2度ほど試みたが、電話回線が自動的に切れてしまって失敗。

 早速とりかかる。速い、速い、ものの10分もしない内に、新しいIEを取得したうえにインストールまで終わってしまった。ということは速さは10倍になったということか。

 気がつくと、外はすっかり日が暮れている。3台のパソコンのLAN接続が一日でできたことに体いっぱい充足感をもったのであった。

  (2003年1月30日)


冒頭へ

もくじへ

フロント・ページへ

更新履歴

つれづれなるままに

2003.2.16.