南北問題と開発教育 − 地球市民として生きるために 田中治彦著 亜紀書房,1994年,246頁,1900円+税
第一部 南北問題と国際協力
第二部 開発教育の理論と実際
第5章 開発教育とは何か?−歴史と定義
第6章 バングラデシュを救え−開発教育の内容と方法
第7章 子どもたちと途上国認識
第8章 学校教育の可能性
終章 世界を見つめて地域に生きる
資料 南北問題・開発問題略年表
南北問題・開発教育関係文献リスト
開発教育・国際協力関係団体リスト
この地球上には大きな富の偏在がある。国の富を仮にGNP(国民総生産)で測るとすると、人口比では世界の15.7%にすぎない先進工業国が世界のGNPの78.5パーセントを独占している(1991年)。豊かな国々が世界地図上で「北側」に位置し、貧しい国々(開発途上国)が「南側」に多いことからこれを「南北問題」と呼んでいる。(1)(2) 南北問題を私たちがいかに理解し解決に向けて行動するかということに係わる教育運動が「開発教育」である。ベルリンの壁が崩壊した今日では核兵器と平和の問題に代わって南北問題が二一世紀に向けて地球社会が抱える最大の課題として浮上した。
ところが南北問題も開発教育もその歴史は意外に短い。南北問題は英国ロイド銀行頭取のオリバー・フランクスが1959年に使用し広まった用語であり、「開発」という言葉が主として開発途上地域の経済社会開発を意味する用語として国際的に広く使われるのは1961年に始まる「国連開発の10年計画」以来である。また、教育の分野でこれらの課題を扱う開発教育が登場したのも1960年代後半のことである。開発教育が扱うべき問題領域は裾野が広い。食料、人口、資源・エネルギー、貿易、環境、難民、文化的アイデンティティ、国際協力、労働力の国際移動、等々がある。これらの問題は相互に関連しあっていて、どの問題から入っていっても結局他の問題を抜きには考えられない。また、これらの課題が広く認識されたのは戦後世界であるとしても、その問題のルーツは植民地支配に求められるのであって遠く大航海時代にまで遡ることができる。その問題構造の複雑さと歴史的な要因については「第1章 貧困の悪循環」においてバングラデシュを例にとって見ることにしよう。また、南北問題の戦後史については第2章で解説しよう。
このように幅が広く複雑な問題であるにもかかわらず、その解決のためには開発途上国の人々の参加のみならず、先進工業国に住む国民の参加が不可欠である。またこれらの問題への取り組みなくしては現在の先進国、とりわけ日本の将来の繁栄もないことは明らかである。先進国側の問題解決への努力の一つとして政府や国連機関による国際協力活動がある。日本は1980年代に政府開発援助(ODA)の額を4倍に伸ばし今やアメリカを抜いて世界一の援助供与国となった。その実態と問題点については第3章で詳しく論ずるが、途上国の開発問題は一部の専門家や官僚主導による政府間の開発協力のみでは解決しない。ILOなど三つの国連機関による最新の共同レポートの題名は『民衆と共にあるプロジェクト(Projects with People)』である。(3) その趣旨はこれまでの専門家主導の開発プロジェクトがしばしば本来受益者である人々の意見を無視しその結果プロジェクト自体の効果も損なっているという認識に立ち、今後は民衆参加によるプロジェクトの実施に努める必要があるというものである。
民衆参加による開発プロジェクトという点では政府よりも民間団体(NGO)に一日の長がある。国際協力NGOはもともと最も援助を必要としている民衆の間に入っていって様々なプロジェクトを実施してきたからである。「第4章 NGO−市民による海外協力」で述べるように日本のNGOは1970年代後半のインドシナ難民問題を契機に試行錯誤を繰り返しながら急速に発展してきた。そこには多くのボランティアが関わり、その中には若者の姿が目立った。カンボジアのPKO活動で亡くなった日本人の一人が国連ボランティアとして赴任していた中田厚仁君(当時25才)であったということは象徴的である。直接途上国に飛び込んでいって難民救援や農村開発に携わることもひとつの参加の形態である。しかし、多くの日本人にとって自らの職や生活を投げうって途上国に赴任することは大変難しいし、そのことのみが唯一の参加の方法でもない。
開発教育はNGO活動同様1980年代の日本社会において発展した運動で、その担い手の中心はやはり若者であった。日本の開発教育は欧米に約10年遅れて始まった。1970年代後半には一部の青少年団体、NGO、青年海外協力隊のOBなどが開発教育のアイディアに関心を示していた。開発教育が広く世間に知られる最初のきっかけとなったのはこれらの人々と国連機関との共催で1979年11月に東京で実施された開発教育シンポジウムである。シンポジウムはその後大阪、横浜、名古屋で開催されて、1982年にはこれらの参加者により開発教育協議会が結成される。1980年代後半になると開発教育協議会が毎年夏に開催する全国研究集会に学校教員や地方自治体関係者の参加が目立つようになり、開発教育の担い手の幅が次第に広がってきている。第5章では開発教育の歴史と定義について、第6章で開発教育の内容と方法について解説しよう。
開発教育の活動そのものは国際協力NGOのように直接途上国に飛び込んでいって問題解決の手助けをするわけではない。開発教育は、南北問題の原因と構造を理解し、これを解決するために自分たちで何ができるかを考える教育学習活動である。私たちの税金で賄われている日本のODAが本当に途上国の民衆のために役立っているのかを考えて、批判し提言していくことも大切なことであるし、私たちが日常生活で大量に消費している輸入食料や木材が途上国の人々にどのような影響を与えているかを理解し自らの生活を見直すことも必要なことである。あるいは、マスコミや教科書を通して大量にもたらされる西欧に偏った文化芸術ではなく、アジアやアフリカの生活と文化を知り親しむことも子どもたちにとっては大切なことである。「第7章 子どもたちと途上国認識」ではこれまでの実践の中で行われてきた開発教育のさまざまな実例を見てみたい。
残念ながら開発教育は学校教育の中に正当に位置づけられてはいない。しかし、ユネスコが戦後推進してきた国際理解教育の中に開発教育に相当する教育活動が見出せるし、社会科の教師を中心に実践されているグローバル教育はその視点も内容も方法も開発教育と重なり合う部分が非常に多い。開発教育が提起する課題は学校教育の各教科の教育内容にとどまらず、現在の学校教育のあり方そのものへの問いかけを含んでいる。これらの課題については第8章で見ることにしよう。
日本社会の国際化のテンポは早い。日本国民がアジアを始めとする開発途上国に目を向け出した1980年代半ばには、日本社会は次の課題を抱えていた。今では「バブル」と呼ばれる好景気の中で、多くの企業は大変な人手不足に見舞われ、その不足を外国人労働者で補わねばならなかった。30万人とも50万人ともいわれる外国人が日本に押し寄せた。私たちの日常生活において多くの外国人と接する機会が飛躍的に増えた。欧米の国々を見る限り、このことは日本が将来本格的な多民族国家を迎えることを予想させる出来事である。「遠い南の国」のことを理解することから始まった日本の開発教育は早くも、地域でさまざまな文化をもった人々と共生していくことを学ぶための教育活動へとその重心を移さねばならなくなった。「第9章 地域の国際化と開発教育」ではそのための試みを紹介する。
本書は南北問題と国際協力を解説した第一部と開発教育の理念と実際について述べた第二部とで構成されている。第一部の四つの章では、南北問題・開発問題の構造とその歴史的原因および官民の国際協力の現状を扱う。複雑なこれらの問題をできるだけわかりやすく解きほぐすために開発教育の手法を使用している。南北問題や国際協力について語る際には私たちが日常生活で使用しない多くの専門用語が出てくる。筆者も最初これらのテクニカル・タームに悩まされた一人である。すでにこれらの問題に造詣の深い読者には煩雑に感じられるかもしれないが、基本的な用語については本文や注で解説をほどこし巻末にさくいんを置いた。現在の国際社会における大きく二つの開発路線があり、これらが対立したり時には補完することもある。。一つは経済のパイを大きくすることを第一に考える「近代化」路線であり、もう一つは経済の拡大よりは人々の基本的権利や文化的なアイデンティティそして環境の保全を優先させる「もう一つの開発」の考え方である。第一部を通して国際的な開発理念の変遷と課題とをご理解いただければ幸いである。
第5章以下の第二部においては開発教育の定義、内容、方法、実践の場について述べていく。開発教育のアイディアは第一部で議論した開発路線の変遷と深く結びついている。即ち、第三世界に顕在化している低開発の多くの原因は先進国の側にもあるという認識が広まり、先進国およびその市民の広範な参加がなければ問題解決の道が開けないという議論が1970年前後に盛んになった。また、経済成長を追求した開発戦略が行き詰まり、開発を経済的側面のみでなく社会的、文化的側面をも含むものとして見直した時、それは先進国の側にも彼らがたどってきた「開発」あるいは「近代化」とは何であったのかという反省をもたらしたのである。
筆者は開発教育を、より公正な地球社会の実現に向けて参加する態度を養う教育学習活動であると定義している。そのためには開発教育の目標として、異なった文化の尊重して多文化多民族が「共に生きていく」ことを学ぶ(多文化共生)、私たちの生活は地球レベルで依存しあい影響し合っていることを認識し(相互依存)、環境を保全し基本的人権を尊重することを前提とした開発を追求すること(持続可能な開発、人権)、を設定する。第二部においては以上の観点に立ち、これまで精力的に実践されたきた学校内外の開発教育の実践事例をご紹介したい。本書全体を通して、現在の地球上の最大の課題である開発問題・南北問題とは何なのか、なぜそれが重要な課題であるのかを理解し、この問題に対して私たちはどのようにアプローチしていけばよいのかそのヒントをつかんでいただければ筆者の意図するところは達成される。
[注]
(1) 先進工業国(Industrial Countries)と開発途上国(Developing Countries)−先進工業国と開発途上国(発展途上国ともいう)の明確な分類の基準があるわけれではない。一般に人口一人当たりの所得水準が低く、産業構造が一次産業に偏った国を開発途上国と呼んでいる。国連、世界銀行、OECDなどの国際機関ではそれぞれの機関で異なった定義を用いている。世界銀行では各国の国民一人当たりのGNPを基準に、低所得国、中所得国、高所得国の3グループに分類している。1993年版『世界開発報告』では、低所得国は1991年の一人当たりGNPが635ドル以下の国であり、中所得国は同じく635ドル超7911ドル未満、高所得国は同じく7911ドル以上の国である。世銀の分類による低所得国と中所得国が一般で言われる開発途上国に、高所得国が先進工業国に相当する。
(2) 国内総生産(GDP)と国民総生産(GNP)−GDPは国内において居住者が生産した財貨、サービスの合計を表す指標であり、GNPは国民の生産活動によって国の内外で創出された付加価値の合計である。GNP=GDP+海外からの純所得の関係がある。GNPもGDPも国家や国民の富を表す指標としてしばしば使用されるが、市場に出されない生産やサービスについては算出されないため、自給自足経済はこの中に含まれないという欠点をもっている。GNPやGDPは国民の生活水準をそのまま反映する指標ではないという点に注意が必要である。
(3) Peter Oakley et al., Projects with People - The Practice of participation in Rural Development, ILO, 1991.(P・オークレー(編)『国際開発論入門−住民参加による開発の理論と実践』、築地書館、1993)
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