はじめに
多様な社会・大きな格差
開発教育とは何か
入口としての「文化」と「相互依存」
「貧困」の諸相とさまざまな「開発」
地球時代の問題解決学習
開発教育と国際理解教育
21世紀に向けて私たちは貧困、南北格差、人口、資源、環境、民族対立などの地球規模で解決すべき多くの課題を抱えている。一方で文化、宗教、民族の多様性を尊重しながら、開発問題・南北問題を理解しその解決に向けて参加していく態度を養うのが開発教育である。それは単に知識としてこれらの問題を扱うだけではなく、問題解決のための技能の修得や、関心を持続させ解決に向けて参加する態度面の学習をも含んでいる。
私たちが今住んでいる地球社会には大変な貧富の格差がある。図1は『1992年版人間開発報告』(UNDP=国連開発計画)から引用したものであるが、世界の人口を所得によって五段階に分けてそれぞれの層がどれだけ所得の分配を受けているかを示したものである。図から分かることは最富裕に属する世界の人口の5分の1が世界の富の82.5パーセントを独占しているということである。日本国民はほとんどすべてこの層に入る。ワイングラスのようなこの図はまるで、富裕層が貧困層からストローで富を吸い取っているかのようである。
これは世界ですぐに「革命」が起きてもおかしくないような極端な不公平さである。しかしそうはならないのは、図はあくまでGNP(国民総生産)で測られた「富」のみを示しているからである。自給自足や物々交換はGNPでは測られないし、人間生活には経済活動だけでなく文化や宗教など経済指標では測れない大切な活動や価値がある。アジア、アフリカなど途上国世界に行った人々が、しばしば日本が失った生活のゆとりや助け合い社会を発見し、あるいは生活や文化の豊かさをそこに見出すのはそのせいである。開発教育は一方で文化的な多様性を尊重しながらも、地球レベルの貧富の格差の理解とその解消の方策を考えていく教育活動である。

開発教育は、南北問題が世界的な課題となりつつあった1960年代後半に、欧米諸国の国際協力に関わる民間援助団体(NGO)の間から提唱され実践された比較的新しい教育運動である。1970年代にはユネスコやユニセフといった国連機関でも採用されて先進工業国の間に広まった。日本では1980年前後に概念としてまとまりを見せ、その後開発教育協議会のメンバーを中心にして、社会教育団体、学校あるいは国際協力NGOによって実践が進められてきた。特に1990年代に入ってからは、日本のODAの額が世界一になり、地球規模の環境問題が注目を浴び、あるいは「国際貢献」が話題になるなかで、開発教育の必要性が広く一般に認められるところとなった。
開発教育は、公正と共生を基本理念とする地球社会の実現をめざし、人類共通な課題である地球規模の開発問題をめぐる諸問題を理解し、その解決に向けて参加する態度と能力を養うための教育学習活動というように定義することができる。そこで、具体的な学習目標として以下のように設定してみたい。
以上の開発教育のねらいは、知識、態度、技能それぞれの目標を含んでいる。これらの学習目標を図示すると図2のようになる。
図2の学習目標の中には、貧困や南北格差の原因と構造の理解といったやや高度な学習内容もあれば、文化の多様性や世界とのつながりなど小学校低学年にも理解可能な学習内容もある。今回の中教審答申により「総合学習」という形で国際理解教育が小学校から中学・高校まで体系だって実施される可能性が拓かれることとなった。そこで開発教育の観点から、小学校〜中学校で行われるべき国際理解の内容についてその基本的なアイディアを述べておこう。
まず、小学校の低学年から中学年にかけては、上記のねらいの内、「文化の多様性」、および「世界とのつながり(相互依存)」についてさまざまな機会をとらえて学習するようにしたい。「文化の多様性」の学習についてはこれまでにも異文化理解教育として実践の蓄積もある。ここで大切なことは、異文化学習を行う際にも、常に人類社会の共生という最終目的とそのための課題解決の視点を教師自身がもっていることである。課題解決の視点を伴わない文化理解は、クイズ番組によくある「珍しいもの」学習になりかねないからである。
「世界とのつながり(相互依存)」についても従来から実践がなされてきた。私たちの身の回りの食料、衣料、家具などはどれをとっても今や世界とつながっていないものを見つけることの方が難しいくらいである。ここで大切なのは、相互依存といっても必ずしも公平かつ公正な依存関係とは限らないことである。このことは、フィリピンやマレーシアの熱帯林の破壊の原因の多くは日本の木材輸入にあることを見ても容易に分かるであろう。
開発教育が最終的な目的としている「共生」や「公正」は、知識というより態度目標である。小学校段階ではあえて外国人に限定してこれを扱う必要はない。一人一人の個性の違いを認めて必要に応じて協力しあう学級づくりや、問題が生じた時に議論をとおして解決することができる集団づくりこそ開発教育の基盤となるものである。これらを抜きにして中学校で南北問題を教えたとしよう。彼らは「南北問題について200字にまとめよ」という問いに見事に回答するかもしれないが、その裏で他のクラスメイトを見下したり無視したりしていたらその回答に何の意味があるであろうか。
小学校高学年〜中学校では、開発教育の中心部分である「貧困」「開発」「協力」といった課題の構造的な理解に入っていきたい。ここで学ぶべき内容の核心を列挙すると次のようになる。
従来これらの内容は社会科を中心に教えられてきたが、その記述は経済的な側面に片寄っていた。コペンハーゲンで開かれた社会開発サミットの決議にもあるように、今後は地元の伝統文化や人権の尊重、環境保全に配慮し人間を中心に据えた「社会開発」が大切である。国際協力を理解する際も「貧しい国や人々を助けてやっている」というような優越感を植え付けかねない教えかたではなく、「貧困の撲滅」という人類共通の課題を解決するために「共に協力」するという観点から学習する必要がある。
教育方法の観点からみたとき、開発教育は問題解決学習の手法が有効である。問題解決学習とは、一定の課題に対して学習者がその問題の広がりを調べ、問題の原因を分析し、その解決方策を探る学習方法論である。ただ、開発教育が行う学習活動は従来の問題解決学習とはやや異なる点がある。それは開発問題の多くは遠い「南」の国の出来事であり、学習者の生活や経験に直接結びつきにくいことである。この点は近年のメディアの発達により視聴覚教材を有効に使うことによって学習者の擬似的な体験に結びつけていくことが可能となった。また、開発問題は実は私たちの生活にも密接に関係するところであり、その関係を理解していくこと自体が開発教育のひとつの学習目標でもある。
また、従来行われてきた問題解決学習においては教師はある程度の答えを用意しており、それを児童が学習の過程で自ら発見するように仕向けていた。ところが開発教育で扱う諸問題は教師自身に唯一絶対の解答がないケースが多い。その意味では教える者もまた学習者であり、答えは「未来」にあるという意味で未来志向の学習活動である。
このことが開発教育を実施してみようという人にとってある種のとまどいを感じさせる原因となっている。とりわけ○×式の解答になれている学校教育にとってそうである。しかし、現在地球社会が抱えているさまざまな問題すなわち、開発、環境、民族対立などはどれをとっても明確な唯一の解答があるわけではない。それだからこそ、より正しい解答を求めていく姿勢、より有効な解決策に至る方法を学ぶことが必要になってくる。開発教育の学習目標に「持続的関心」と「参加」といった態度目標を設定した理由もここにある。
今回の中教審答申は国際理解教育を重点的にとりあげ、その内容として「異文化理解」「自国理解」そして「アジア・オセアニア理解」の3つを強調している。アジア・オセアニアという地域が唐突に出てくるが、これはやはりアジア・オセアニア地域に代表される「開発途上国」理解であり「開発問題」理解でなければならないだろう。その意味で国際理解教育は異文化理解や外国語教育のみではなく、人口、食料、環境、南北格差、国際的人権、民族対立といった課題の問題解決学習として捉えかえされる必要がある。言い換えれば、開発教育は平和教育、人権教育、環境教育と並んで地球的課題を扱う国際理解教育の一部に位置づけられるべきであり、またそのようにしなければ今後の国際理解教育の展望を拓くことはできないであろう。
|
|
|
| |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|