1.環境破壊の諸要因
2.人口の圧力と開発問題
3.なぜ国際協力か
4.途上国に負担をかけないしくみ作り
5.省資源型の社会づくり
6.国際協力と開発教育
まず、グアテマラ・カイツブリのお話しから始めたい。中米グアテマラの世界一美しいといわれるアティトラン湖にはグアテマラ・カイツブリが住んでいた。この鳥はマヤの言葉で「ポック」と呼ばれ、この湖にして生息していない。希少な種でありながら何の研究もされずにかれらはインディオの伝説のなかだけに生きてきた。
ポックは翼が退化して空を飛べないために絶えず湖の環境の変化に強い影響を受けて絶滅の危機に立たされていた。女性ナチュラリストのアン・ラバスティールさんはポックを救うために孤軍奮闘の戦いをはじめる。生息数の確認、生態の解明から始め、自然保護の概念のない土地で法をつくり保護区を決める。言葉の通じないインディオたちとアシ刈りの制限について話し合う。彼女の努力は実り、ポックの数は82羽から232羽まで増加した。
こうして希望が見えた矢先にグアテマラの内戦が始まる。湖の水位は低下し始めた。内戦終了後は急速なリゾート開発で湖は汚染される。ついに1989年アンは悲痛な絶滅宣言をしなければならなかった(アン・ラバスティール『絶滅した水鳥の湖』晶文社)。
このことは私たちにいくつかのことを教えてくれる。第一に環境破壊の大きな要因は戦争であるということである。湾岸戦争の時にイラク軍が大量の重油をペルシャ湾に流し込んだり、クウェートの原油採掘基地に火をつけて撤退した様子はまだ記憶に新しいことである。日本でも第2次大戦中の大量の森林伐採を回復するのにこの半世紀を要している。その時飢えた杉が今になってスギ花粉を巻き散らしているのであるが、これはまた別のテーマである。
第二に環境破壊の原因には工業化と過剰開発の問題がある。ポックの絶滅を決定的にしたのは湖周辺のリゾート開発であった。これはグアテマラの例を上げるまでもなく、公害や環境汚染の例は日本の私たちの周囲に数多く起きていることである。第三に、なぜ工業化を推進しなければならないか、ということを考えると、その背景には「貧困」の問題がある。実は世界の環境破壊の最大の要因は「貧困」問題である。1972年にストックホルムで国連人間環境会議が開かれたとき、テーマはもっぱら先進工業国の公害と環境汚染であった。その際、開発途上国も公害は先進国内部の問題であって自分たちに環境保護を押し付けてもらってはこまる。自分たちはこれから経済発展するのであって、むしろ公害が欲しいくらいである、という雰囲気があった。それから20年たって、リオデシャネイロで国連環境開発会議(地球サミット)が開かれたとき、テーマは先進国の環境汚染から地球規模の環境破壊の問題に移っていた。地球環境の問題を考える時に、熱帯林の破壊ひとつとっても途上国の開発の問題を統一的に扱わねば解決への展望が開けないという認識が広まった。
さて、グアテマラのアティトラン湖の周囲に住むインディオたちであるが、最近はインディオという用語が征服したスペイン人が彼らをインド人と誤解してつけた名称であって適切ではないということで「先住民」を意味する「インディヘナ」と呼ぶこともある。彼らは伝統的に湖とその周辺の資源にすべての生活を依存していたが、しかし環境破壊を起こすこともなくポックの生存を脅かすこともなく、自然と共存して暮らしていた。リオの地球サミットでもサーミ(エスキモー)、インディマアン(アメリカ先住民)、アイヌらの世界の先住民族の哲学や生活技術のなかに自然と共存する知恵が数多くあることで注目を浴びている。
ところが、近代化に否応なく巻き込まれた諸民族の間では貧富の格差が拡大して、開発に伴う環境破壊が重大な問題となっている。人口と貧困の関係ではバングラデシュの例がわかりやすい。バングラデシュでは過去30年余りに急激に人口が倍増して、それによって農民の土地の細分化が進み、小規模農民や土地なし農民を生み出し、これが貧困問題の大きな原因となっている。
一般に人口は産業の発展に伴い図1のように変化する。すなわち、高出生率、高死亡率の第T局面から、高出生率、低死亡率の第U局面に移動し、生活水準の高まりとともに低出産率、低死亡率の第V局面へと移行する。第Tと第V局面においては人口は停滞ないしは微増である。死ぬ人の数よりも生まれる子どもの数が多い第U局面では人口は増加する。日本はわずか100年の間にこの3局面を駆け抜けてきた。江戸時代、日本は死ぬ人の数も生まれる人の数も多い第T局面で人口は約3000万人で停滞していた。ところが、明治以降の近代化の中で、食料の生産性の向上、工業化による生活水準の向上、教育の普及などの要因により死亡率が急速に下がり人口増加が始まった。この増加は1960年代の高度成長期まで続き日本の人口は1億人を超えた。その後、子どもの家計負担の増大、女性の社会進出などの要因により少子化が進み、人口は微増に転じている。現在では、21世紀における日本の人口の停滞と高齢化が深刻な問題としてとりあげられていることは周知のとおりである。
バングラデシュにおいて1951年に0.50%であった年平均人口増加率は、1961年には2.61%に跳ね上がり、高出生率、低死亡率という典型的な第U局面を迎えた。バングラデシュが東パキスタンであった1950年代から、先進国で開発された殺虫剤や薬品によりマラリア、黄熱病、天然痘、コレラなどの死に至る病が制圧されていった。また公衆衛生計画の導入により乳児死亡率に改善が見られた。ところが、高い死亡率に打ち勝つために高い出生率を維持しなければならないという長い間の慣習、人々の価値観そして社会制度は容易には変わらない。このため、1961年(東パキスタン)の5522万人から、1991年の1億799万人まで過去30年間で人口は倍増した。現在でも子どもは一家の貴重な働き手であり老後生活の唯一の頼りである。バングラデシュの人口が低出生率、低死亡率の第V局面に移行するにはまだまだ時間がかかる。
バングラデシュと同程度の人口をもつ日本人が北海道の2倍ほどの国土で、米とジュート産業だけで生活しなさい、といわれたら私たちの生活水準はどれ程落ちるか想像してほしい。そのような国や国民に対して、地球環境が危機的ですから木をきらないでください、開発をやめてくださいと言っても説得力をもたないことは容易にわかるであろう。しかも日本人はひとりでバングラデシュ人ひとりの約20倍ものエネルギーを消費しているのである。
1992年の国連環境開発会議はその名のとおり、環境と開発とを同時に考えて地球の環境を守ろうとするための国際会議であった。ここで打ち出されたキーワードは「サステイナブル・ディベロップメント(Sustainable Development)」であった。日本では「持続可能な開発」と訳されることが多いが、これでは「開発」が持続しなければならないと誤解される可能性が高い。そこでここでは永続的発展と仮に訳しておこう。
永続的発展には2つの考え方が含まれている。ひとつは国家間、地域間の公平なかつ公正な資源の利用によって途上国の一定の経済発展を保障しそれにより貧困問題を解決する。また先進国側はこれまでの過剰な資源の消費を改めて環境汚染を抑止するとともに、国際協力によって途上国の環境をも守る、という考え方です。もうひとつのポイントは、世代間の公平さということです。20世紀後半に暮らす私たちの世代は大量生産大量消費により石油など多くの化石資源を使い、環境を破壊してきた。しかし、資源の枯渇、環境の汚染といった豊かな生活のツケは結局私たちの子孫に残すことになってしまう。これは自分立ちの子孫のためにも、また世代間の公平という観点からも許されることではない。
そこで、私たちには2つのことが求められてくる。ひとつは、自らの生活を見直し、日本の経済発展のあり様をも反省することである。第二は、途上国あるいはそこに住む人々が、環境を守りながら自立できる程度の開発を進めることに協力することである。国際協力には政府間のもの(いわゆるODA)と民間の手によるもの(NGO)とがある。私たちが直接関わることができるのはNGOを通じての国際協力である。多くのNGOは社会の中で最も貧しい人々が自立していけるようにさまざまな協力活動を展開している。私たちはODAを通しての援助についても関心をもたねばならない。というのはODAを通した援助では過去にインドのナルマダ・ダムの問題のように、地元住民を多く立ち退かせて、広大な地域の緑を水没させることで大きな環境破壊をもたらすおそれのあるプロジェクトもあるからである。
貧困問題をなくしながら地球環境を守るためには具体的にはどうしたらよいのであろうか。まず私たちの身近でできることは自らのライフスタイルを見直すことである。私たちの生活を省資源型にしていく必要がある。今書店に行けば「地球を守る○○の方法」などという本が置かれている。これらの本に書いてあることを少しでも実施していく。
しかし、私は個人レベルでの対応には限界があると思う。個人の倫理感に訴えることも大切であるが、それが国民全体に広まる間にも環境は汚染されていく。人間はどうしてもやすきに流れてしまう。便利なものを利用したいし、より安いものを買いたくなる。そこで、個人レベルから広げて社会レベルでの対応を考えていくことが必要となる。即ち環境を破壊し次世代につけを回すような商品は売れないようにするか、環境を復元するための費用をコストに組み込むように法制度化する。
また、途上国の民衆に負担をかけるような商品や開発についても同様である。熱帯林で作られる商品がその典型である。日本は1960年代から70年代にかけてフィリピンの山々を裸にした。フィリピンから切れる木がなくなると、今度はマレーシア、インドネシア領であるボルネオ島で大量に伐採した。この過程で森に住む多くの先住民たちの命と生活が奪われた。今ボルネオ島での熱帯林の伐採は限界にきたので、今度はパプア・ニューギニアなどの原生林をねらっている。10〜20年ごとにひとつの国に匹敵する熱帯林を切り尽くすようなことが私たちに許されるのだろうか。
これらの熱帯林は日本に輸入されて、ベニヤとして加工される。熱帯では季節の変化が少ないので年輪が明瞭でなく加工に適している。それらがコンクリート・パネルとなってビルの建築現場で使われる。あるいは合板となって安い家具に利用される。熱帯林製品でない家具は高価なので庶民には手が出にくい。従って私たちの家には必ず熱帯林から作られたものがあるはずである。安い家具を買わずにすむ人は相当のお金持ちしかいない。
個人レベルでは対応が難しい。それではどうしたらよいのだろうか。私はひとりひとりが意識を高めて熱帯林に関心をもつことが第一であると考える。そして、国内の世論、国際的世論を盛り上げて、熱帯林の伐採を制限していく条約を作ることが次の段階である。こうすれば熱帯林の値段は上がり、いきおい私たちも節約するし、代替の材料も開発されるようになる。この問題は熱帯林にとどまらず、養殖エビ、トロール漁法も同じである。
私たちの社会を省資源型にすることも大切である。1973年のオイル・ショック以来石油漬けであった日本社会も随分省資源型になった。それでもバブルの頃には、巨大なリゾート開発が進み、貴重な山林がゴルフ場やホテルに化けた。投資した会社は開発によって川が汚れたり、農地が汚染されたコストを支払っているわけではない。これらのコストは当然開発の際に含まれるべきである。そうしないと目先の利益だけで乱開発が進み、環境を元にもどす費用は私たちの子孫が担わなければならなくなる。
開発プロジェクトにおける環境コストの組入れとは逆に、環境保全に寄与するような行為に対しては税制を優遇するという制度も考えられる。例えば公共に役立つように私有地を提供した場合の税の減免など。労働と生活の質の転換も必要である。猛暑の夏にクーラーをかけっぱなしで仕事をしても余分な電気エネルギーを消費する割には能率は上がらない。働く際にはクーラーがいるが、休息していれば暑くてもそれほど苦にはならない。従って、夏期の休暇を長くすることで省エネに寄与できる。何もくそ暑いのに背広でネクタイを占める必要はない。これなどは社会慣習を変えるだけで相当の省エネになると思う。
貧困、難民、環境問題に市民が直接関わる手段として民間国際協力団体(NGO)の活動がある。NGOは先に述べたように市民の自発性に基づき、途上国の最も困難を抱えている層の自立に寄与すべく国境を超えて活躍している。ここ岡山でもアジア医師連絡協議会(AMDA)、ネグロス・キャンペーン岡山、アムネスティ岡山、岡山ユネスコ協会、など10数団体のNGOが活躍している。
地球環境問題に関り国際協力に関心のある人は是非どの団体でもよいので会員になることをおすすめする。年間5000〜1万円程度の会費が普通だが、送られてくる機関紙を読むだけでも元がとれる。新聞や雑誌では知ることができない途上国各地の情報や国際協力活動の内容を知ることができる。
また、私たちが地球環境や南北問題を理解してこれを解決していこうとするならば、従来の教育や学習とは違った新しい教育学習運動を実践していく必要がある。新しい教育の概念と実践は1970年代に生まれてきて、日本ではようやく花開こうとしている。
まずユネスコでは1974年の総会で従来の国際理解教育の枠組みを変更して「国際教育」という用語を使用するようになった。1950年代に熱心に進められた国際理解教育は戦争の直後ということもあり、また国連という平和を保障する国際的枠組みができたこともあって、その内容として@平和教育、A人権教育、B各国理解、C国連理解を含んでいた。1960年代を通して、冷戦のもと核兵器の脅威が増大し、第三世界の経済自立への要望が高まり、また公害など環境問題が深刻化したという状況を受けて新しい「国際教育」は@平和(軍縮)教育、A人権教育、B開発教育、C環境教育を学習領域として設定している。
同じ頃アメリカ合衆国でもベトナム戦争への反省から、それまでの自国中心主義を改め国内の民族問題などにも目を向ける形で「グローバル教育」が提唱された。これは地球的視野に立つ教育であり日本では地球市民教育などと訳されることもある。グローバル教育は1980年代になって、開発途上国の諸問題や国際協力について学習する開発教育の要素を大幅に取り入れている。
1987年にブルントラント委員会が永続的発展の概念を提起して、リオの地球環境サミットでこれを目指した政策づくりが討論されるに至って、開発問題と環境問題、開発教育と環境教育が同じ土俵に上がることとなった。今私たちに求められているのもこうした地球的な視野に立った国際教育でありグローバル教育である。
文部省では1991年より環境教育を推進していく方針を出したのであるが、環境と開発を統一的に学習していく視点はまだ弱く、多くは現場の実践に委ねられている。ただ、1989念の新しい学習指導要領にもとづく最近の各教科の教科書には開発教育や環境教育の観点がけっこう盛り込まれている。私たちは、草の根のレベルからこれらの学習を進め、子ども達の教育についても考えていかねばならないと思う。
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