地域の国際化と国際交流


 

地域の国際化と開発教育

田中治彦『南北問題と開発教育』1994年,第9章

 

最終修正 1998年3月18日


「岡山と世界」 

岡山市民の国際意識

外国人労働者と日本社会

『アジアのうねり』

「差別」と「区別」の神経衰弱

「共に生きる」まちづくり

「多文化教育」が問いかけるもの

[注]


「岡山と世界」 

 岡山市では1990年代に入ってから地域の公民館などで国際理解に関する講演会や講座が増えている。徐々にではあるが参加してくる人数が増え層も広がっているように思う。岡山市の西のはずれにある吉備公民館の婦人学級では1993年度を通して8回シリーズで「くらしの中の国際感覚」という講座を実施した。筆者は94年3月その最終回に「日本人の国際感覚」と題して講演をするように依頼された。日本人の国際感覚というのは即ち自分自身の国際感覚のことである。そこで、集まった約40名の参加者に自分たちの生活と世界とのつながりを考えてもらうことから始めた。(1)

 一人当たり5枚程度のカードを配り、自分が食べているもので外国産のものを記入してもらった。「ブラックタイガー(エビ)はタイから」「冷凍さといもは中国から」など実に細かく多くの食品が記入された。第二の課題として食品以外で「岡山と世界とがつながっていること」を何でも記入してもらった。それらを合わせて分類して模造紙に図示した。

 一番多かったモノについて見てみよう。日用品のなかで家具、石油、服、バッグ、時計などが上がった。岡山の産物(輸出)では、マスカット、備前焼、ナシ、自動車、い草製品(帽子など)のカードが寄せられた。次に多かったのは「ひと」である。海外旅行、留学生、出稼ぎにくる外国人、スポーツ・文化人など近年身の回りでも人の行き来が増えていることを示している。「情報」としては、国際電話、衛星放送、手紙などが指摘された。「自治体」というグルーピングが適当かどうかわからないが、姉妹都市(サンノゼ、洛陽)、岡山空港、青年の船、チボリ公園などがあった。「自然」という項目も立てられた。渡り鳥、動物園、黄砂現象、帰化植物がその中に入った。

 「かね」と「NGO」は筆者がアドバイスしたものである。「かね」については、銀行や郵便局に預けられたお金はより高い金利を求めて世界中をめぐっていることを指摘し、税金や郵貯を原資としてODAが実施されていることを解説した。また、岡山にはアジア医師連絡協議会(AMDA)など10団体を超える国際協力NGOがあることを知らせた。(2) わずか30分程度のプログラムでもこれだけの項目が出てきた。時間をかければさらに増えるであろう。同じプログラムを岡山大学の学生に実施してもこれだけの項目は出てこない。学生の半数は県外の人間なので岡山のことを知らないことと、生活に関連したモノは主婦の方がはるかによく知っているからである。

 

岡山市民の国際意識

 岡山市では1991年9月に市民2000人を対象に「岡山市の国際化に関する市民意識調査」を実施した(有効回答率は40.8%)。(3) この調査には筆者も参画している。この中から岡山市民の国際意識の内、開発教育に関係する部分を抜き出してみよう。

 外国人の就労について、一般企業の管理者・技術者・単純労働者、小学校・中学校・大学の教員について今後増えていくのが望ましいかどうかをたずねた。「増えていくのが望ましい」と答えた率が高い順に、「中学校の英語教員」「大学の教員」「小学校の教員」「一般企業の技術者」「一般企業の単純労働者」「一般企業の管理者」である。外国人が教職につくことについては小学校レベルですら企業への就労よりも高い値を示している。これをどう理解したらよいのだろうか。中学の英語教員という回答肢をもってきたために欧米人をイメージさせてしまったのだろうか。在日韓国・朝鮮人の教員採用も含めて回答しているのだろうか。残念ながら限られた設問ではそこまで深く聞くことができなかった。ただ、企業での雇用を見る限り外国人の技術は借りたいが管理には否定的で、かつ単純労働者については受け入れに否定的な人が多いということは読みとれる。

 岡山市は今後国際化すべきかどうかについて尋ねた結果、岡山市が今後「国際化すべき」と答えた人は64.3%、「そうは思わない」は11.4%、「わからない」が20.0%であった。国際化すべき理由の上位3傑は「国際化することで文化が豊かになる」「国際化は時代の流れ」「岡山市の経済活動が活発になる」である。今後岡山市が交流を深めていくべき地域としては、「アジア」が最も多く58.7%、続いて「西ヨーロッパ」の16.0%である。「北アメリカ」が7.8%、「ソ連・東欧」(当時)が6.5%であった。今後交流すべき地域の一位に「アジア」が上がり、それが西欧と北米を合わせたパーセンテージよりはるかに多いのには驚かされる。1970年代の後半、日本で開発教育が産声をあげた頃のスローガンが「もっとアジアを知ろう」であったことを思い起こすと隔世の感がある。

 外国人の知識や技術は積極的に利用するが決定権をもつことには否定的という傾向が企業の雇用の設問で見られたが、これは別の項目でも見ることができる。「今後岡山市が国際化していくうえで行なうべき施策・事業」の項目では、「留学生の受け入れ」と「外国人の招待」を合わせて7.6%、「市民の海外派遣」は13.7%というように日本人が出ていくよりは外国人の受け入れにより積極的である。同じ項目で「在住外国人へ情報提供などのサービスを充実」が10.1%であるのに対して「在住外国人に対して選挙権など日本人と同等の権利を」は5.5%であった。すなわち外国人を短期的に受け入れることについては積極的であるし、サービスを提供するのもやぶさかではないが、日本人同等の権利については留保するという態度が読みとれる。ここにはかなり強固な意識上の防衛線がありはしないだろうか。

 岡山市は国際化すべきかの設問で「そうは思わない」と回答した人に対してその理由をたずねたところ、「新たな社会問題を生じるおそれがある」が最も多く43.0%、次に「岡山の伝統的な文化や習慣が失われるおそれがある」で9.7%であった。全体の回答者からすれば数こそ少ないが、新たな社会問題が生じるから岡山市は国際化すべきでないと回答した者が全体の約5%いることになる。実際に多くの外国人が身近に暮らすようになり地域との摩擦が生じた時にこの割合が飛躍的に増加する可能性は否定できない。

 

外国人労働者と日本社会

 今後地域の国際認識を大きく左右する要素に外国人労働者の問題がある。なぜなら、これまで日本に来る外国人は留学生でありビジネスマンであり英会話の講師であった。彼らはそれぞれの社会の中上層の人々であり来日する人の数も少なくて地域の人々と交流する機会は限られていた。これに対して1980年代の後半に急増した外国人労働者は、もともとそれぞれの国で十分な雇用がないために日本に出稼ぎに来た人々であり、社会階層からいってもそれぞれの国では中下層に属するケースが多い。しかも、日本で住む住居は家賃の安いアパートであったり、会社の寮であり地域住民と接触する機会も多い。

 1994年春現在、日本の雇用状況は最悪であり外国人労働者の流入は止まっている。しかし、この問題は日本社会が今後半永久的に抱える課題であることは間違いない。図は主要な国際労働力の流れである。このように戦後交通機関の発達に伴い、その時々で景気がよく労働力が不足している地域に世界的な規模で労働力が流れ込んでいる。従って、日本経済が好況な時には海外から労働力が入ってくるし、そうしなければ日本の経済は成長を続けることができない。もうひとつの理由がある。それは日本社会の高齢化である。社会が高齢化すれば、若年労働者の割合が小さくなるだけでなく、医療、福祉などの需要が伸びる。医療や福祉は機械化が最も難しい分野であり、人手に頼る仕事が多い。日本の若者が減っていくなかでその労働を誰にゆだねればよいのであろうか。

 外国人労働者と地域社会の関りという点でもうひとつ指摘すべきことは子どもの教育である。現在、ブラジルなどの日系人は合法的に日本で就職することができる。彼らの中には家族を連れて来日するケースもある。なぜ、日本に子どもを連れてくるかというと、子どもに自分たちのルーツである日本を見せたい、日本の教育は優れているとの評判である、日本語を知っていることは子どもの将来にとって有利である、などの理由による。最初の理由を除けば日本人が英国や米国に長期滞在する時に家族を伴っていくのと同じ理由である。全く日本語を話せない子どもらが日本の学校に通うということに対して、学校教育も地域社会も備えておかねばならない。特に学校教育では日本語を話せない子どものための日本語教育のシステムを今から作り上げることが必要になる。

 

『アジアのうねり』

 外国人労働者問題は国家間の経済格差に根差す問題でありすぐれて開発教育の課題である。これまでこの問題はテレビなどで人権問題としてとりあげられることが多く、その扱いも賃金の未払い、不法滞在者の強制退去など断片的なものであった。なぜ、そもそも彼らが本国でどのような生活をしているのか、なぜわざわざ日本まで働きに来るのか、送り出す側の論理は何なのか、これらを総合的に理解できるような教材が求められていたが、ようやくこの要求に答えるものが開発された。国際協力推進協会(APIC)で製作された『アジアのうねり』という題名のビデオ教材で、APICの開発教育キットとしては3作目に当たる。(4)

 ビデオはフィリピン人ポティカーノさんの故郷であるレイテ島の美しい海岸線から始まる。タクロバン市に住むポティカーノさん一家の長女ジェーンは今日4才の誕生日である。近所の人皆とバースデイ・パーティを祝っている。そこへ日本に研修に行っている父のベルナルドさんから国際電話が入った。ジェーンは大喜びである。ベルナルドさんは1年の予定で日本の建築関係の企業に研修に行っているのである。

 レイテ島から飛行機で1時間、首都マニラには800万人(フィリピンの人口は6000万人)の人が住んでいる。フィリピン政府は国内の失業問題の解決と外貨の獲得のために海外雇用庁を設けて外国での出稼ぎを奨励している。年間60万人の人が海外で働いている。海外雇用庁で手続きしている人々のインタビューのシーンである。「どこで何をするのですか。」「ブルネイで電気関係の仕事をする」「香港でメイド」「カタールでルームボーイ」などの答えが返ってくる。海外に行ける人はまだよいのかもしれない。マニラの郊外トンドにはスモーキーマウンテンと呼ばれるスラムがあって、大人も子どももゴミをあさって金目のものを探している。

 日本にいるベルナルドさんは3か月の日本語研修を終えて、今建築の現場で研修を受けている。ベルナルドさんのように日本に研修生や労働者として来ている外国人は30万人とも50万人とも言われている。日本は原則として単純労働者の入国を禁止しているので、この中には観光ビザで就労している人も多い。ある産業廃棄物処理業者に聞いてみた。「私たちの会社はいわゆる3Kといわれて日本人は働いてくれません。3分の1は外国人労働者で皆現場で作業しています。あとの日本人は工場長などの幹部ですので、もし彼らがいなくなれば私たちの会社は倒産しますね。」

 東京のある会社の前にシュプレヒコールがひびく。研修を受けさせるといわれて来日したのに工場労働しかさせてもらえない人々がデモを行っているシーンである。江戸川ユニオンでは外国人労働者のトラブルや紛争に取り組んでいる。ビザが切れた労働者に対する賃金の未払いや労働災害の問題が数多くあるという。日本語教室を開いて彼らが日本でより住みやすくなるように援助する活動もある。

 ビデオには、この他フィリピンの略史、日本との関係、スラムの子どもに対する援助活動なども登場する。これまでにないユニークな教材なので是非ご利用いただきたい。(5)

 

「差別」と「区別」の神経衰弱

 外国人に対する差別はいけないと誰もがいう。例えば、外国人であるという理由だけで賃金に差をつける、入居の制限がある、ものを売ってもらえない、等、これらは「あってはならない違い」であり、違いをつけることが差別となる。一方で文化の違いは認められないといけない。日本人とは違う服装、違う髪型、違う宗教、違うことば、これらの違いは認められなければいけない。外国人に日本人と同じ服装、同じ髪型、同じ宗教、同じことばを押し付けることが差別になる。一体何が「あってよい違い」であり、何が「あってはならない違い」なのだろうか。

 開発教育神戸研究会の協力で大津和子が開発した「神経衰弱ゲーム」は差別を考える上で面白い教材である。(6) 用意するものは紙と鉛筆だけでよい。5人程度のグループに分かれ、一人一人が日本人と外国人とで「あってよい違い」を3枚、「あってはならない違い」を同じく3枚のカードに書き込む。全員のカードを集めてかき混ぜテーブルの上に並べる。一人づつが枚の任意のカードをめくり、その双方が「あってよい違い」かその双方が「あってはならない違い」であったらその枚のカードはめくった人のものになる。一枚が「あってはよい違い」であり、もう一枚が「あってはならない違い」であったら両方のカードを伏せて、次の人の順番となる。

 ここで大切なのは、「あってよい違い」も「あってはならない違い」も全員がそうであると認めたものだけをもらえることである。どちらか意見が分かれる場合は伏せなければならない。そうすると最後に「どちらともいえない」カードばかりが場に残ることになる。膠着状態になったらゲームを止めて、「どちらともいえない」カードについて皆で話し合う。また、いったんどちらかに判断したカードについても、もし疑問が残るようであればここで再び話し合う。実際にやってみるとどちらか判断に迷うカードが結構出てくる。いくつか事例を上げてみよう。

 

「あってよい違い」の例

@ 日本人は豚肉を食べるが、イスラム教徒は豚肉を食べない。

A アメリカ人の平均身長は日本人の平均身長より高い。

B 日本人の子どもは3時に授業を終わるが、外国人の子どもは日本語の特別授業があるので4時にならないと授業が終わらない。

 

「あってはならない違い」の例

C 日本人は3度の食事をとっているが、マニラのスラムの子どもは1日2食にも事欠く。

D 日本人は入居できるが、外国人は入れないアパートがある。

E 同じ労働をしても外国人の賃金は日本人の3分の2である。

 

「どちらともいえない」の例

F 日本では生徒のアルバイトは禁止されているが、アメリカの生徒はアルバイトを積極的に進められる。

G 日本人の平均寿命は78歳だが、スーダン人の平均寿命は48歳である。

H A高校の英語の教師にアメリカ人を採用したため、日本人の応募者が採用されなかった。

 

 右記@〜Hの中でも異論のあるものがあるかもしれない。筆者のクラスにアメリカ人の学生が一人いて、彼女は「外国人の長期滞在者は指紋押捺をしなければならない」という項目を「あってよい違い」に分類した。自分は気にならないというのである。「あってはならない違い」に分類した日本人学生との間でしばし議論になったものである。当然のことながら、このプログラムは議論をするところに価値がある。普段差別はいけないと一般的に主張していても、いざ具体的な場面になると何が「あってよい違い」で何が「あってはならない違い」かが分かりにくいことが多いからである。それを考える力を養うのがこの神経衰弱である。

 このプログラムはさまざまな応用がきく。「日本人と外国人」に限らず、「女性と男性」「おとなと子ども」「先生と生徒」「障害者と健常者」など人権教育のよい教材となるであろう。

 

「共に生きる」まちづくり

 地域の国際化の問題に戻ろう。先の岡山市民の意識調査をもとに筆者らが中心となって「岡山市の国際化に関する提言」をまとめて市長に提出した。(7) この提言をまとめたのは市内の国際交流、国際協力関係者19名の委員である(内5名は外国人)。今後の国際交流・国際化推進事業を考える上で委員会としては従来使用していた「国際交流」を次の4つを課題に分けて検討した。

 @親善交流  A国際協力  B国際理解・教育  C内なる国際化

 岡山市の国際交流事業についてこれまでその理念については必ずしも明確ではなかったので、次の3点を基本理念とした。

 第一は、「市民間の交流と協力による国際平和と親善の達成」ということである。これは従来の市の国際交流の理念の延長である。国レベルの交流ではなく市民が交流することで親睦を深め国際平和に寄与するということはこれまで一貫して目指されてきたことである。この考えを今日的に拡張して市民間の国際協力という観点を付け加えた。すなわち、市の間でも政府開発援助とは違った形で国際協力を行うとともに、NGOによる海外協力を市としても積極的に援助していくという観点を含んでいる。

 第二に、「国際交流と多文化化による岡山市の活性化」ということである。従来の国際交流によっても岡山市の文化と経済の発展に寄与してきたが、これをさらに進めて国際交流事業のみならず、岡山在住外国人との積極的な交流と参加によって岡山市自体の文化と経済を活性化させていくという視点である。文化は単一であるよりも多様性によってこそ発展するからである。

 第三に、「国際的な人権感覚を基礎とした多文化社会の創造」という観点である。言い換えれば、日本人も外国人も参加した「ともに生きる」まちづくりである。今後さまざまな形で岡山市に外国人が暮らしていくことが予想されている。今こそ日本人にとっても外国人にとっても住みやすいまちづくりが求められているからである。

 今後の国際交流、国際化の方向性を明らかにした上で、7つの基本的な柱を立ててこの回りにそれぞれに関連した具体的な施策や事業を配置した。ここでは、その基本的な7つの柱のみを紹介しよう。

@ アジア地域との重点的な交流を

 日本も岡山もアジアなしには生きていくことはできない。今後、他地域との交流を尊重しながらも近隣のアジア諸国との市民間の交流を重点的に深める。

A 21世紀の岡山を担う子どもたちに国際感覚を

 子どもの時代から異文化を尊重し外国人と「共に生きる」感覚を身につけるよう国際理解教育や国際交流の機会を増やす。

B 外国人も日本人も「共に生きる」まちづくりを

 岡山在住の外国人が不便なく快適に暮らせるよう、衣・食・住、教育、日本語、医療、情報提供の体制をつくる。

C 普段着でできる国際交流を

 外国語が話せるか否かを問わず、市民が「普段着で」気軽に参加できる国際理解、国際交流、国際協力の活動を考える。

D 国際交流の「人づくり」を

 「地球的な視野に立って地域的に行動する」ことができる人材の養成を行う。

E 市民と外国人と行政とのパートナーシップを

 国際交流や国際化のための事業・施策を企画し実施するために、市民と外国人と行政との協力関係を発展させる。

F 岡山市の国際化推進体制の強化を

 岡山市の国際化と「共に生きる」まちづくりを進めるために新たに「国際課」(仮称)を新設する。

 その後の岡山市の国際化に関する行政は基本的にはこの方向で進んでいる。1994年4月からは提言どおり国際文化局のなかに国際課が新設されることになった。

 

「多文化教育」が問いかけるもの

 ここで目指されているのは日本人も外国人も「共に生きる」住みやすいまちづくりということである。それは平坦な道のりではない。先の調査にあったとおり、外国人が技術を教えに来日したり、あるいは来日した外国人に対してサービスを提供するという点については多くの市民が積極的であり好意的である。しかし、彼らが日本人と同じ仕事をして、同じ権利を主張することについては国際交流に積極的な市民の間でも大きく意見が分かれる。

 米国、カナダ、イギリスなど多民族で構成されている国、あるいは多くの移民を受入れた国では「多文化教育(Multicultural Education)」ないしは「多民族教育(Multiracial Education)が実践されている。これは異文化を理解し尊重するための「異文化教育」とも違うし、人権教育のひとつである「反民族差別教育(Anti-racial Education)」とも異なる。英国では学区によっては生徒の半数がパキスタン系の子どもであるという学校もある。そこで目指されている多文化教育とは民族の固有の文化・言語・習慣を保持する教育であり、それらをカリキュラムの構成要素そのものとするものである。従って、民族の言語を学校で教えることはもとより、「各民族の祭日に休ませる権利(その日は重要なことを教えてはならない)」「女子と男子を一緒に体育の授業を受けさせない権利」「性教育を拒否する権利」「宗教者による宗教教育を受ける権利」「祈りの部屋を設置する権利」「宗教上の理由による装飾品を付ける権利」などが保障されねばならないとされている。英国の多数者の文化への同化を拒否し、自民族の文化的宗教的アイデンティティの保持を真っ向から権利として要求した教育といえる。(8)

 これらの権利がすべて認められると、教育の効率は低下し多大な財政の出費を伴う。英国では伝統的な保守層のみならず中間層をも含めた多文化教育に対する反発ととまどいがある。英国は歴史的に移民を繰り返してきた国であり民間国際協力活動も盛んであるから開発教育や民族共存の教育が進んでいるはずと一般には認識されているので、移民排斥の事件の数々や多文化教育への英国民の反応は意外と感じられるかもしれない。しかし、筆者が英国に一年滞在した時の観察では、英国では開発教育が隅々まで浸透しているわけでもないし、国民の意識における人種的な偏見や差別は日本のそれと比較しても小さいものとは思われなかった。例えば、当時の首相ですらアラブ諸国を批判する言葉として「非文明国」という用語を使っていた。これは文明の上下関係を前提として発言である。あるいは移民やその子弟に対するいやがらせは表面に現われるものだけでも年間500件以上あるにもかかわらず、毎日のニュースにはほとんど出てこない。そのくせ、IRAによるテロ事件についてはこと細かに報道する。

 英国の開発教育関係者の最大の悩みは、運動が(彼らのことばによれば)一部の中産階級の中に留まっていて一般の人(やはり彼らの言い方によれば労働者階級)に広まっていかないことである。なぜ認識が低いかというと、実態は消滅したにもかかわらず意識の底に「大英帝国」という自国中心主義をひきずっているからである。それに大きな戦争に敗けたことがなく自分の国のあり様を根本的に反省する機会がなかったことも一因であろう。

 開発教育は当初より第三世界の単なる知的理解や憐憫の情を育てるものではなく、途上国の貧困や飢えに対する構造的な理解を求め何よりもそのことに対する共感的な理解を大切にしてきた。多文化教育が提起する目標はもちろんその延長線上にあるものといえるが、実際には英国の例で見るようにはるかに痛みを伴うものである。日本がすぐにこのような状況になるわけでない。ただ、英国やドイツの事例を見るにつけ、今から開発教育を積極的に展開しておくことの必要性を強く感じるのである。

 

[注]

(1) 本プログラムは吉田新一郎らが甲府市で実施した「甲府と世界」事業を参考にしている。

(2) 岡山にはAMDAを始めネグロス・キャンペーン岡山、アムネスティ岡山、幼い難民を考える会、ネパールやぎの会など10を超える国際協力NGOがあり、これらの関係者は開発教育に関心がある人々とともに「南北ネットワーク岡山」を結成している。

(3) 岡山市の国際交流を考える集い『岡山市の国際化に関する提言〔付・岡山市の国際化に関する市民意識調査〕」岡山市市長公室、1992。

(4) 国際協力推進協会製作『アジアのうねり(APIC開発教育キット・パート3)』、1992。

(5) 外国人労働者問題の授業実践としては次が参考になる。藤原考章『外国人労働者問題をどう教えるか』明石書店、1994。

(6) 大津和子「マジョリティとマイノリティ−ロールプレイを中心に−」『社会科教育』第345号、1991年1月、1〜17頁。

(7) 岡山市の国際交流を考える集い、前掲書。

(8) 英国の多文化教育については次の文献に詳しい。佐久間孝正『イギリスの多文化・多民族教育−アジア系外国人労働者の生活・文化・宗教』国土社、1993。また、英国の開発教育の実情については次を参照してほしい。甲斐田万智子「イギリスの開発教育について」『開発教育』第20号、1991年6月、36〜44頁。拙稿「雑感・英国の開発教育」


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『南北問題と開発教育』 もくじ

『地域をひらく国際協力−南北ネットワーク岡山10年の挑戦』

 

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