国連貧困撲滅年について
1996年が国連が定めた「貧困撲滅年」に当たるため各マスコミではこの年に関する特集を企画しているものと推察いたします。ところが、一部で入手した予定稿においては貧困を単に「収入の低さ」「モノのなさ」で捉えているものがあり、これは貧困撲滅年の主旨を十分に理解せず、かつ貧困撲滅のための行動を誤るもととなるものと気づきました。
私は昨年『南北問題と開発教育』を執筆するに当たって、南北問題のキー概念である「貧困」と「格差」とについて考察し、「貧困」を「モノや金がないこと」と捉えることの誤り、それに基づく「モノや金を与える」援助の危険性を指摘いたしました。それは貧困問題の解決にならないばかりか、しばしばその努力を阻害するものだからです。
昨年デンマークで開催された「社会開発サミット」は、「経済開発=モノや金を増やすこと」ではなく、「社会開発=自立しようとする人間を育てる社会の仕組みづくり」を強調いたしました。残念ながら日本では社会開発サミットに対する関心が低く、マスコミにおいてもその主旨への理解が深まっていないと感じております。そのことが「貧困撲滅年」の誤ったキャンペーンにつながるのではないかと深く憂えております。
どうか各マスコミにおかれましては、「貧困」「開発」そして「協力」についての正確な理解と国際的な動向を踏まえた上で、貧困撲滅のためのキャンペーンを行なっていただきますようにお願い申し上げます。
1995年12月
田中治彦
貧困撲滅年キャンペーン担当者御中
1.「貧困」とは「モノや金がないこと」とする誤り
2.「一人当りの国民所得」で計ることの誤り
3.「開発」を「経済開発」とすることの誤り
4.「モノや金」を送ることが「援助」であるとすることの誤り
5.では私たちはどうしたらよいのか
1.「貧困」とは「モノや金がないこと」とする誤り
もちろん収入が低いことや生活必需品がないことは「貧困」の要因である。しかし、それは「貧困」の一部でしかない。中村尚司は「貧困とは自分ではどうしようもない外的な力によって、経済的に従属されている社会関係」であると述べている。元国連専門家のジョン・フリードマンは近著(「市民・政府・NGO」新評論)で貧困を「力」が剥奪された状態として、その力(パワー)として8つを上げている。それは、@資金、A社会ネットワーク、B適正な情報、C生存に費やす時間以外の余剰時間、D労働と生計を立てるための手段、E社会組織、F知識と技能、G防衛可能な生活空間、である。
このフリードマンの貧困モデルは、貧困がお金だけでなく社会組織から切り離された「孤独・孤立」や教育レベルの低さ、に起因するという私たちの常識にも適ったものである。また、空間や時間がないことを「貧困」の要因としていることは、お金がある日本人が今一つ充足感を感じていないことを説明するものである。
2.「一人当りの国民所得」で計ることの誤り
日本のように国民全体の貧富の格差が「比較的」小さい国では「一人当りの国民所得」という指標が意味をもつかもしれない。しかし、例えばフィリピンのように、お金持ちは何台もの車を持ち何人ものメードを雇い、そのすぐ隣のスラムで子どもが生計を助けるためにゴミの中から金目のものをあさっている、といった国で、平均した所得がどれほどの意味をもつであろうか。
国民所得はいわゆるGNP神話に基づく概念である。GNPは「市場」に出た商品やサービスを合計したものである。自給自足の経済や、物々交換についてはGNPは「0」となる。しかも途上国ではその比率は高いのである。ましてや、GNPは文化的価値や社会関係を図るものではない。途上国を訪問した人々がしばしば、人間関係のやさしさや文化的な豊かさを感じて、日本が失ったものを発見するのはそのためである。
3.「開発」を「経済開発」とすることの誤り
貧困は経済的な要因のみではなく、社会的要因が大きいことが理解できたならば、経済開発が貧困を解決しないことは容易に理解できよう。コペンハーゲンで開催されたのは「経済開発サミット」ではなく「社会開発サミット」であった意味はここにある。
貧困とは外的な力によって自分の力が剥奪されている状態であるから、ここから脱出するには自らが努力してその剥奪された力を取り戻し、「自立」を目指さねばならない。すなわちフリードマンの貧困モデルにあるように、教育を受け、情報にアクセスし、生活空間を確保し、社会関係を回復し、収入を向上させていかねばならない。これらのことが可能となるような社会環境を作ることが「社会開発」である。
従って社会開発とは、人々がアクセスできる教育、福祉、医療機関を増やし、貧困な人々を支援する社会的ネットワークを作り、雇用と収入の機会を創造することである。狭い意味の経済開発は社会開発の概念に含まれることになる。
4.「モノや金」を送ることが「援助」であるとすることの誤り
「モノや金」は従って「貧困」の一部しか解決しない。一方的に与えられたモノや金はそれを使ってしまえばお終いである。援助は貧困な人々が「力」を回復することを側面から支援することでなければならない。これは援助というより「協力」と呼んだ方がふさわしい。
1960年代から70年代にかけての国際協力は「モノや金」を与えることが中心であり、それはことごとく失敗してきた。90年代の国際協力は上記のような考え方に立たねばならない。しかし、ODA(政府開発援助)のみならず、一部のNGO(民間国際協力団体)ですら、いまだに「モノ・金」を与えるという発想から脱却していないのは残念である。このような援助を続けると、途上国の人々の「自立」しようとする意欲する奪ってしまうのである。
5.では私たちはどうしたらよいのか
それでは、私たちには何ができるのであろうか。
まず、上記のように「貧困」「開発」「援助(協力)」に関する誤った常識を改めるようマスコミや教育の場でキャンペーンを行なう必要がある。
第二に、その上で貧困の撲滅に向けて行動を起こす必要がある。上記の立場に立ったNGOへの資金協力や人的協力は極めて有効な手段である。ODAの発想を経済開発から社会開発へと改めるように世論を盛り上げる必要もある。
第三に、繁雑になるので説明しきれないが、途上国の貧困を支えている国際的な貿易システムや金融システムがある。WTO、APECの自由化の動きの中で、それが人権や環境にマイナスとなっているものについて指摘する必要がある。貿易の自由化が「貧困」を解決し「社会開発」を推進する方向に動くように監視し提言していく必要がある。
第四に、熱帯林やエビなど途上国の資源を大量に消費している日本のライフスタイルそのものを見直さねばならない。これは環境保護と人権擁護、そして貧困の撲滅の3点から考えねばならないだろう。
[参考文献]
ジョン・フリードマン『市民・政府・NGO』新評論
中村尚司『人びとのアジア』岩波新書
田中治彦『南北問題と開発教育−地球市民として生きるために』亜紀書房
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