1995年は日本の「ボランティア元年」と言われた。1月17日に突如として阪神淡 路地区を襲った大地震によって多くの被災者と避難民が出た。この事態に関西地区 はもとより全国各地から多くのボランティアが駆けつけて、その活動が被災者はも とより社会から高く評価された。これによってボランティアという用語が一般にも 浸透し、かつその意義が認められるところとなったのである。
ボランティアという用語は元が英語の VOLUNTEER であり、その訳語としてのボ ランティアは遠く戦前にも使用例がある。しかし、広く日本で使われ出したのは19 70年代後半からである。当時、社会福祉の分野では施設に収容するタイプの事業か ら、地域に住む人々に対する在宅の福祉への移行が大きな課題となっていた。とい うのは、日本社会が急激な都市化を経て、従来の町内会等の相互扶助機能が低下し 、特に都市部において障害者や高齢者を在宅で介護する必要が出てきたからである 。ちょうどこの時期、高度経済成長が終焉して、人びとも「もの」の豊かさから「 こころ」の豊かさを求め出していた。ボランティア活動をやってみたいという人び とが増えつつあったのである。片やニーズをもった人びとがあり、片やそれに応え たいという人びとがいた。これらをつなぐ役割として日本各地に「ボランティアセ ンター」や「ボランティアビューロー」が設置されたのであった。
1980年頃に一時期ボランティアということばが流行になった時期がある。当時の 人気歌手山口百恵がテレビドラマで福祉のボランティア役をしていたことを覚えて いる。青年の社会参加ということも政策課題となっており、ボランティア活動と福 祉教育とが学校や社会教育で奨励された。当時の青年がどのくらいボランティア活 動をしていたかというと、各種の調査やデータを総合してみるとだいたい「10人に 1人」であった。その後現在に至るまで、青年のボランティア活動参加率が10パー セントを超えることはなかった。ボランティア活動が言われるほどには「流行」に はならなかったのである。
しかしながら、「ボランティア予備軍」と思われる若者は決して少くはなかった 。同じ調査やデータによっても「現在はボランティア活動を行っていないが、今後 は参加したい」という若者は常に15〜20パーセント存在していたのである。これら の若者をボランティア活動に引っ張り出せば日本のボランティア界は相当豊かなも のになるはずであったが、その手だてがなかなか見出せなかったのである。しかし 、その機会は突如としてやってきた。1995年1月の阪神淡路大震災である。
地震の直後から、かろうじて通じている電車の終着駅を降り、被災地に向けても くもくと歩き出す若い人びとの群れをテレビの画像が写し出した。それを見た若者 がリュック片手に全国から阪神地区に向けて動き出し、あるいは電話でボランティ アとして志願を申し出た。「ボランティアをしていないが、今後は参加してみたい 」15〜20パーセントの若者が、大震災という現実を目の前にして遂に動き出したの である。若者すべてが動いたのではない、「ボランティア予備軍」の人びとが参加 してきたのである。現に、同じ神戸でも被害が軽かった地区では、スキーを肩に汽 車やバスに乗り込む若者の姿が目撃されている。
この時からボランティア活動の重要性を社会が認めることとなった。実際、最初 の数週間は、機能不全状態となった地元行政の下で、彼らなしでは救援物資すら届 けることができなかったのである。行政もボランティアの活用を再検討し、国もボ ランティア支援のための立法を考えるまでになった。ボランティアが一時の流行で はなく、この社会になくてはならない存在になりつつある。それに連れて、ボラン ティアがばらばらではなく、組織として活動できるような社会基盤作りが求められ ている。ボランティアが有効に活動するためには、それを支援する常勤のスタッフ も求められるようになった。本来無償で奉仕するべき「ボランティア」を職とする というのは一見奇妙な感じがするが、それが注目されるのもこうした時代の潮流に よるものなのである。
それでは「ボランティア」とは何なのだろうか。『社会心理用語事典』(至文堂 、1987年)で森井利夫は「ボランティア活動」次のように解説している。
ボランティアの語源はラテン語の「ボランタス(Voluntas)」で、自由意思を表 すが、ボランティアは、これを人称化し、自由意思で行動する人、すなわち志願兵 、篤志家、奉仕者などと訳されてきた。
ボランティアとは、広義の社会福祉(教育や医療を含む)の領域で、自ら進んで 、報酬を期待せずに時間や労働を提供し、社会的な目的実現に参加することを志す 人をいう。
このボランティアによって組織的に展開される一連の活動をボランティア活動と よんでいる。 この説明の中にボランティア活動の3原則ともいうべきものが表わされている。 それは「自発性」「無償性」「公益性(利他性)」である。
まず、自発性であるが、ボランティア活動はそもそも命令されたり強制されて行 うものではない。ボランティアとはその語源にあるように何よりも「自由意志」が 基本なのである。会社の業務命令で行う公益活動や、町内会や学校で半強制的に駆 り出されるリサイクル活動などはボランティア活動の本来の趣旨からすればその名 に価しないであろう。ただし、それらの活動をやっている内に面白くなり進んでや るようになったとすれば、それは立派なボランティア活動であるので、「強いられ たボランティア活動」が一概に悪いとは言い切れない。
第二に「無償性」の原則がある。自ら進んでやったとしてもそれが労働の対価を 得るのであれば「アルバイト」になってしまう。逆に自分の職業を生かした活動で もお金を取らなければ立派なボランティア活動である。例えば、床屋さんが寝たき りのご老人の家に出張して無料で髪を刈るというような活動である。それでは、活 動場所に行くための交通費や弁当代を支給されるのはボランティア活動ではないの だろうか。これについてはさまざまな議論があったが、「労働に見合った対価」と は言えない程度の費用ならばよいのではないかというところに、今ではほぼ議論が 落ち着きつつある。
第三に、これらの活動が「公益的」「社会的」ないしは「利他的」であることで ある。自分の家の前だけを自発的に無償で掃き清めたとしてもそれはボランティア とは言わない。隣り近所まで範囲を広げればボランティアとなる。当然のことだが 反社会的行為はボランティアではない。「貧しい人々のために泥棒してお金を集め た」石川五右衛門をボランティアと呼ぶ人はまずいない。
これらの3原則に加えて「先駆性」や「継続性」をボランティア活動の条件に上 げる場合もある。先駆性とは、ボランティアが法律や制度の欠陥や不備を先取りし て、これらの整備を待たずに独自に活動を展開していることを指す。しかし、これ はボランティア活動の社会的意義とでもいうべきで、「古典的」かつ「定番」の活 動でもボランティア活動には違いない。継続性も同じく、そうあって欲しいという ことであって、ボランティア活動の絶対条件ではない。一過性や偶然の活動であっ てもボランティア活動となりうる場合が当然出てくる。ボランティア活動の定義に はさまざまあるが、それらの共通点を突き詰めていくと、「自発性」「無償性」「 公益性」の3原則に落ち着く。
ボランティア活動は、以上の3原則については結構厳しいものがあるが、その対 象とする活動内容については原則らしきものはほとんどない。実際、非常に広範囲 な分野においてボランティア活動が成立している。日本青年奉仕協会(JYVAの 愛称で呼ばれる)は毎年一回「全国ボランティア研究集会」を開いている。そのテ ーマの変遷を見ると、ボランティア活動の対象とする範囲が広がってきた様子がわ かる。JYVAは1967年に文部省の認可を得て社団法人として発足し、全国的な民 間ボランティア活動の推進援助機関として活動してきた。青年に生活給を支給して 一年間ボランティア活動する機会を提供する「ボランティア365」というユニーク なプログラムを実施している。
1970年に開かれた第一回の集会の講演テーマは「青年と奉仕」および「奉仕活動 の展望」であった。まだボランティアよりは「奉仕」という伝統的な呼び名が使わ れている。活動事例研究会も「福祉施設への奉仕」「地域社会への奉仕」「子供会 活動への奉仕」「非行防止への奉仕」の4分散会であり、奉仕活動といえば福祉施 設と青少年という1960年代のなごりを残していた。ところがボランティア活動が盛 んになる70年代中盤よりテーマも活動内容も変化してくる。1977年のテーマは「市 民としての自立をめざして」であり、分科会にも「生活環境」と「国際協力」が加 わる。1982年になるとテーマは「いのち・人権・ボランティア」となり分科会も子 どもの遊び、世代間協力、消費者運動、国際協力、地域の再生、文化の伝達、障害 者福祉など非常に巾が広くなる。もはやボランティア活動と市民運動との間の線引 きも難しい。
JYVAが毎年行う全国ボランティア研究集会は今では1000人近くを集め全国各 地のボランティアたちが集い、学び、楽しむ一大祭典ともなっている。JYVAで はボランティア活動を福祉分野に限定せず、青少年、文化、国際協力、地域づくり など巾広く捉えている。なお、JYVAには現在12名の有給スタッフが働いている 。
マスコミ情報センターが発行した『ボランティア便利帳'95』(朝日新聞社)で はボランティアと市民活動を一緒に捉えて、次のような分類で全国で活動する3000 団体をリストアップしている。現在のボランティア活動の広がりがおよそ分かるで あろう。
A 環境・公害・開発・エネルギー・原発 B 自然保護 C エコロジー・消費者運動・医療・研究づくり・食品公害 D 福祉・教育 E 平和・人権・差別・女性 F 社会・経済・文化・宗教 G 主張・発言・住民運動・地域活動 H 政治・労働 I 国際交流・海外情報
ボランティアの一原則に「無償性」があったので、「ボランティアという仕事」 という用語は「形容矛盾」である。しかし、実際にはボランティア活動というより もボランティアに関わる業務で「食っている」人びとがいる。
ここで人間ないしは活動としての「ボランティア」と、組織としての「ボランテ ィア団体」とを区別する必要がある。現在、相当幅広く活動を行なっているボラン ティア団体でもその発足はたいてい、数人ないしは十数人程度の小さなボランティ ア・グループであった。もちろん専属の職員など置いてはいない。ところが活動が 量的に拡大し、活動の対象者に対する責任が大きくなり、ボランティアを恒常的に リクルートしたり、養成したり、配置する必要が出てくる。そうすると常勤でその 仕事を行う職員が必要となってくる。こうしてボランティア団体も専門(プロ)の 職員を置くようになるのである。
その典型的な事例を大阪ボランティア協会に見ることができる。この協会はもと もとは1963年頃から大阪市社会福祉協議会を拠点に施設訪問を行なっていた10余の ボランティアグループが月例会を開いていたことに始まる。このグループは翌年活 動拠点を日本生命済生会へ移し、その援助を得て1965年に「ボランティア協会大阪 ビューロー」として誕生する。ボランティア協会と銘うった団体としては全国でも 初めてであった。協会では人づくりに力点を置きその発足と同時に「ボランティア スクール」を開講する。福祉教育とボランティア養成の走りである。1969年には社 団法人大阪ボランティア協会と組織を変えて再スタートしたのであるが、早速経済 的にピンチに陥り、これを克服する過程で協会運営そのものにボランティアが参加 していく体制が作られる。
大阪ボランティア協会はその後1970年代のボランティア活動の隆盛とともに次第 に発展し、1993年7月をもって社団法人から社会福祉法人へと衣換えをした。行政 からの委託金・補助金は全体予算の2割にすぎず、協会は自立した民間団体として の性格を維持している。協会のモットーは「活動の拠点、学習の拠点、情報の拠点 」である。大阪ボランティア協会の主たる事業は、第一にボランティア・コーディ ネート事業である。これはさまざまな生活問題をかかえる人たち(ニーズ)とこれ を支援する人たち(ボランティア)とを結び付ける事業である。1994年度に協会が 直接行った相談・調整件数は7554件にも上る。次にボランティア・グループへの援 助事業がある。これは協会を活動拠点としている53のボランティア・グループに対 して会場、印刷機器、郵便受付、ロッカー貸出し、情報提供などのサービスを行う ものである。
第三にボランティアの養成教育事業であり、一般市民や専門職対象として3コー ス6講座を開催、1000人以上が受講した。第四にボランティア活動に関する出版・ 情報提供活動である。広報誌『月刊ボランティア』の発行の他、『企業市民とボラ ンティア活動』『ちょうどよい高さの福祉教育』などの出版を行なっている。また 、昨年の阪神大震災ではJYVA、大阪YMCAなどとともに「応援する市民の会 」を組織して、西宮を拠点に被災者の救援活動を大規模に展開した。「市民の会」 には5月14日までの114日間に実にのべ2万748人のボランティアが参加した。
これらのさまざまな活動を運営するために、大阪ボランティア協会では現在13人 の有給スタッフと百数十人のボランティアが働いている。
ここでこれら民間ボランティア団体とはやや性格を異にする社会福祉協議会系の ボランティアセンターについて触れなければならない。社会福祉協議会(社協)は 民間団体ではあるが社会福祉事業法に基づく公的組織であり、行政と民間の中間的 な性格を有する。ボランティアセンターの起源は1962年に徳島県と大分県において 創設された「善意銀行」にまでさかのぼることができる。金品預託や払い出しが中 心であった善意銀行を改組して地域福祉を推進するボランティアを組織化するため のボランティアセンターが設立され出すのは1970年代中盤である。
1975年に「中央ボランティアセンター」が全国社会福祉協議会(全社協)内に開 設され、1977年には「全国ボランティア活動振興センター」と改称した。ここには 全国のボランティアセンターの連絡調整機関としての機能が期待された。1994年現 在すべての都道府県と政令指定都市にボランティアセンターが設立されていて、市 区町村の社会福祉協議会が運営するボランティアセンターは2272か所に上っている 。これらボランティアセンターの主要な任務は、ボランティアの発掘と援助のため の調査・研究・広報、連絡調整、ボランティアの研修と福祉教育、ボランティア・ コーナーやビューローの設置・運営、活動中の事故に対する保険の運営、ボランテ ィア活動基金の造成などであり、ボランティアの活動を総合的に援助し調整する役 割が期待されている。
もちろんすべてのボランティアセンターがこれらの機能を備えているわけではな い。全社協が発行している『1994年ボランティア活動年報』によれば都道府県と政 令指定都市の社会福祉協議会で専任の所長・部長をおいている社協は59か所中16か 所で、専任・兼任の職員の合計人数は227人、相談員・コーディネータを含めたス タッフ合計は307人である。市町村レベルの社会福祉協議会ではボランティアセン ター担当の職員を配置している社協は2272か所中1722か所、人数は2464人である。
これらの数字からも分かるように、社会福祉協議会はボランティアの仕事に関わ る団体としては最大でありかつ全国的に広範に存在している。従って、何らかの形 で毎年人材を募集している。ただし、社協にはいくつかの部門があるので、ボラン ティア関係の部所に配置されるかどうかは入ってから決まることになる。社会福祉 協議会の求人情報については各都道府県ないし市町村の社協に問い合わせていただ きたい。東京都の場合は福祉人材センターにも情報がある。
1980年代に急速に発展したボランティア活動の一分野がある。NGOによる国際 協力活動である。NGOとは国連用語で「非政府組織」全般を指すが、日本では主 として国際協力を行う民間団体という意味で使用されることが多い。『NGOダイ レクリトー'94』には、過去2年以上活動実績があり年間の国際協力費が50万円以上 であるNGOとして186団体が掲載されている。
これらの団体は世界各地で活動していて、アジアで活動している団体数が最も多 く112団体、アフリカが40団体、南米が23団体、オセアニアでは15団体が活動して いる。日本国内で定住難民や外国人労働者等を支援している団体も10団体ある。
活動分野別に見ていくと、最も関心の高い分野は教育で100団体が関与している 。子どもへの奨学金、里親運動、識字教育、成人教育、職業訓練等の活動を展開し ている。次に約半数の77のNGOが行っている保健医療関連の活動がある。医師や 看護婦の派遣、保健ワーカーの育成、家族計画等を実施している。第三の分野して は農村開発があり59の組織が関与している。農業技術の改善、貧農の組織化、水資 源の確保、地場産業の育成などを行う。環境保全の活動には44団体が関っている。 この分野では植林に関する活動を行う団体と、熱帯林の破壊を食い止めるキャンペ ーンを行う団体に大きく分かれる。同じく44団体が緊急救援に関る。
日本のNGOは活動の歴史が浅いということもあって、人材的にも資金的にもそ の基盤が弱い。開発協力を行う138のNGOについてその年間支出額(1992年度) を見ると、25団体が500万円以下、19団体がそれ以上1千万円以下、1千万円から3千 万円が40団体であり、結局全体の61%の団体が年間事業費3千万円以下で活動して いる。3千万円から1億円が26団体、1億円以上という団体はわずか27団体である。
さて問題のスタッフやボランティアの数はどうであろうか。最新のダイレクトリ ー(96年版)の速報値には、NGOに関わる人々として次のように報告されている 。「(掲載されている)247団体のうち、202団体で、821人の人が有給スタッフと して活動しています。そのうち、海外で活動しているスタッフは277人、国内で活 動しているスタッフは544人です。その他、ボランティアとしてNGOに関わる人 が、約1200名、会員としてNGOを支える人が約24万人います。」
但し、有給スタッフの給与水準は大学の初任給レベルであり、従って平均年齢も 低く若い人が多い。また在職年数も短く、専門性や継続性あるいは社会の評価とい う点で課題となっている。これらの情報についてはNGO活動推進センターが求人 情報を提供している。
国際協力に関しては日本政府による「青年海外協力隊」の事業も注目したい。政 府支援の青年ボランティアとでもいうべき事業で、開発途上国に青年を2年間派遣 する事業である。その間の生活費が保障され、任務の終了時には退職手当も支給さ れる。青年海外協力隊に参加した後にNGOや国連で活躍している人も多い。
以上いくつかの事例とともに見てきたように、日本のボランティア団体はようや く市民権を得つつあるとはいうものの、その財政基盤は脆弱であり、有給スタッフ の数も少ない。当然のことながら給与水準も低く、社会福祉協議会や一部の大手の ボランティア団体が公務員に準ずる給与を保障している他は、だいたい大学初任給 のレベルが数年続くと考えてもらえばよい。従って、30歳前後になり結婚をし家庭 をもつようになると、これらのボランティア団体からは遠ざかる傾向にある。
とはいうものの、ボランティア団体で働く魅力は別のところにあるといわなけれ ばならない。ボランティア活動は詰まるところ受験戦争、企業の利潤追及活動、環 境破壊を伴う大規模開発、行政の官僚機構などの対極にあるものであり、人びとの いのちと生活と人権を守り発展させる活動である。ボランティア団体に就職すると いうことは、物質的な豊かさだけではなく、いのちを育み生活を守り人権を擁護す る「豊かな」社会の創造過程に日々身を置くということである。
ボランティア活動には基本的に上下関係はない。そのこと自体が「新しい価値」 を含んでいる。お金がある者、権力がある者、社会的地位が高い者が偉い、といっ た従来の価値感や序列づけに反対し、ひとりひとりが人間として平等であり共に生 きていく存在であるということを主張している。ボランティア団体にももちろん職 階はあるが、それは企業や役所のそれとは比較にならない程ゆるやかであり、時に はルーズである。販売の目標額や予算消化ための事業遂行があるわけではない。慣 れてくれば若輩者でも自分でプログラムの企画、運営、財政を一手に任される。も ともと働いている人の数が少ないからいきおいそうなるのである。仕事はいくら儲 けたか、いくら予算をとってきたかで評価されるのではなく、どれだけ人びとのた めに奉仕したか、ボランティアたちを助けたか、で評価される。これらは給与の少 なさを補って余りある価値である。自己実現と生業とが一致するまれな「業界」と いってもよい。
しかしながら、30歳を過ぎた中堅やベテランのスタッフが働けない今のボランテ ィア団体のあり方は、今後の日本社会の発展を考える時に大きなマイナスである。 日本にはボランティア団体に適した法人の制度がない。今国会で審議されようとし ている「市民活動促進法(NPO法)」は、こうしたボランティア団体に法人格を 付与し、免税措置を与えることによって、ボランティア団体・市民団体が活動しや すい社会基盤を作ろうとするものである。しかし、これらの市民団体を掌中に収め ておきたい官僚主義の抵抗に会い、法案の成立までにはまだまだ紆余曲折がありそ うである。
社会福祉協議会を除けば、定期的に毎年採用しているボランティア団体は少ない 。多くの団体は常勤職員は1〜2名であり、大きな団体でも10数名という規模である から、結局誰かが退職した時に後任を採用するということになる。それではボラン ティア団体への就職は閉ざされているかというとそうでもない。1人以上の常勤ス タッフを抱えるボランティア団体は日本全国では数百に上るのであるから、少ない とはいえ常にどこかで人を求めているという現実はある。国際協力の分野に限って も、NGO活動推進センターの人材募集のボードには常に5つや6つの募集要項が掲 載してある。
それでは、ボランティア団体はどのような能力や技術の人を求めているのだろう 。ボランティア活動は基本的には人と人とをつなげる仕事である。まず人間好きで あること、基本的な事務能力と社会常識、それに熱意と強靱な体力といったところ が最低限求められるスタッフ像とでもいおうか。自分の頭で考え、自分の体で行動 することが要求される場面が多いので、「創造力」も「想像力」も豊かな人がいい 。企業のように丁寧かつ厳しい新入社員教育はまずない。気分的に楽な代わりに責 任も重いし、それだけやりがいもある。ボランティア団体によっては、特殊な技能 、例えば会計、外国語などが堪能な人材を求めることもある。
ボランティア団体に就職したい方は、まず、自分がやりたい分野のボランティア 活動に従事し、どこかのボランティア団体に所属することをお薦めする。そうすれ ばその分野での人材募集の情報を得ることが容易になるし、運がよければ所属した 団体で空ポストが出るかもしれない。採用する方も、全く経験のない人よりはボラ ンティア活動をしている人の方を優先するであろう。
いずれにしろ、一般企業以上に自らの足で情報を集めることが必要である。チャ レンジしてみて損はない。「求めよ、さらば与えられん」である。
『アクロス増刊号 こころの仕事』1996年7月、パルコ出版より
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