青少年の社会教育史


少 年 団 の 歴 史
戦前のボーイスカウト・学校少年団
 
上平泰博・田中治彦・中島純著
萌文社、1996年      
      

もくじ  

まえがき  田中治彦

第T部 英国におけるスカウト運動の発足  田中治彦

第U部 少年団運動の形成と発展  中島純

第V部 戦時体制下の少年団  上平泰博

結章 戦後のボーイスカウトと少年団  田中治彦

少年団・ボーイスカウト略年表

あとがき 中島純

索引


 本書の主題は日露戦争後から戦前昭和期の激動の時代に、日本の少年団運動がどのように発展しあるいは曲折していったかを多くの新資料をもとに描くことにある。ところが、この作業は容易なことではなかった。というのは、少年団には近世の子供組、武士子弟教育法、明治の児童文化運動などさまざまな起源がある上に、英国で創設されたボーイスカウト運動の影響下で成立しているからである。そのため日本の少年団研究には英国のボーイスカウトの研究を欠かすことができない。

 1907年に創設されたボーイスカウトは20世紀の青少年育成の基本的な形態を提供した。スカウト教育の特長は、その「ちかい」と「おきて」、パトロール・システム、バッジ・システム、キャンプなどの野外活動の方法論である。この内、ボーイスカウトが青少年指導法に与えた最大の影響は6〜8人の青少年を「パトロール(班)」として組織し、大人の指導者が間接的にこれを指導する「パトロール・システム」である。これは子どもの遊びやピアグループ(仲間集団)を利用して間接的に青少年を指導する小集団指導法である。1920〜30年代にアメリカにおいて新教育の理論やグループダイナミクス(集団力学)の成果を借りて「グループワーク」の方法論が確立するが、パトロール・システムはそのひとつの源流でなった。グループワークは戦後、日本の社会教育団体の民主化のために占領軍が意図的に導入したため、戦後の社会教育実践に大きな影響を及ぼした。

 ボーイスカウトが重視した野外活動の方法論(ウッドクラフト)はもともと軍隊の斥候術(スカウティング)と北米先住民(インディアン)の生活様式に範をとっている。特に子どもの冒険心と想像力をかき立てたキャンプの方法論は、現在では他の青少年団体のみならず学校教育や社会教育施設で幅広く採用されている。これらの教育方法論は当時の英国の学校教育における伝統的権威的教授法と比較して極めて革新的なものであった。スカウトの方法論は児童中心であり経験主義であるという点で新教育運動の文脈に位置づけることができる。しかし、スカウトは子どもたちの自発性と集団性を基礎としながら結果的に国家目的に奉仕させる「優れた」方法論であったため、その創設者の意図とは別に社会主義国やファシスト政権にも利用されるところとなる。本書の「第T部 英国におけるスカウト運動の発足」ではボーイスカウト運動の成立事情とその特質について論ずる(執筆、田中治彦)。

 先に述べたように戦前の少年団には、英国式のボーイスカウト訓練を行う団体以外に、近世の子供組に起源をもつ組織、江戸時代の武士道を基盤とした訓練を行う組織、口演童話などの児童文化運動から発したグループなど様々な少年少女集団が含まれていた。明治の末期から大正時代にかけてこれらの運動が盛んになり、1922(大正11)年に少年団日本連盟として全国的な連合組織を成立させた。

 しかし、それは「都市」対「農村」、「学校組織」対「地域組織」、「英国式」対「日本式」の対立や矛盾を含んだ出発であった。東京、静岡、京都などの少年団は英国式のボーイスカウトを志向したが、岳陽少年団は武道と団体訓練を強調した独自の訓練法に固執したし、座間幼年会は村落の子供組の伝統と児童文化活動に基づいた活動を展開していた。日本の少年団運動は英国に起源をもつボーイスカウト方式を採用する目的型組織と、日本の伝統社会や学校を基盤とする網羅型組織との間で多くの対立や葛藤を生んだ。このことは昭和の軍国主義の中で少年団運動の分裂を招くことになる。大正時代に創設された少年団日本連盟の成立過程と、初期の日本連盟の葛藤について「第U部 少年団運動の形成と発展」で詳細に分析する(執筆、中島純)。

 読者は日本社会に西欧起源のアイディアや技法が持ち込まれたときに、伝統社会はどのように反応するのか、という日本の近代化の最大の課題を少年団研究のなかに見出すことであろう。

「網羅型組織」と「目的型組織」の問題は日本の社会活動団体が必ず突き当たる課題である。前者は青年団、婦人会、子ども会等の一定地域を基盤として原則として対象層全員がメンバーとなる組織であり、後者はYMCA、戦後のボーイスカウト等その団体の主旨に賛同した有志者で構成される組織である。網羅型組織はもともと近世以前の農村に起源をもち農村部に広く見られるものであるが、その組織原理はPTAや自治会など都市部においても広範に存在している。戦後の社会教育が住民の自発的な学習意欲に基づいた社会教育団体を基盤として推進されるという基本原則を打ち立てたにもかかわらず、後者の目的的な学習団体は大きくは発展せず、現在の社会教育も地域網羅型組織の学習活動に依然として依拠している。

 創設後ボーイスカウト路線を強調した少年団日本連盟は、結局軍国主義の圧力の下1941(昭和16)年に解散させられてしまう(解散時には大日本少年団連盟と改称していた)。その原因は彼らが徹底した平和主義を貫いたからではなく、戦時目的のため網羅性の組織原理を主張した軍部の強硬な要求に、都市型の組織原理をもつ大日本少年団連盟が応え切れなかったからである。

 満州事変以後の軍国主義の高まりの中で、軍部と文部省は日本連盟とは別に学校を基盤とする少年団の組織化に乗り出す。昭和10年代にはボーイスカウトの訓練法は形を変えて各学校少年団の中に導入され、軍事教練とあいまって少年教育の軍国化に大いに貢献した。当時の複雑な政治状況の下で少年団運動がどのように変質していったかを「第V部 昭和戦前期の少年団」で明らかにする(執筆、上平泰博)。戦後50年を迎えて、子どもたちがどのようにアジア太平洋戦争に巻き込まれていったのかを見つめる上で、昭和戦前期の少年団運動をもう一度振り返っておく必要があるように思う。

 戦後のボーイスカウトが「少年団」の名称を捨てて網羅組織ではなく目的組織として再出発した背景には、戦前のこうした苦い経験があったからである。「結章 戦後のボーイスカウトと少年団」では占領政策のなかでどのようにボーイスカウトが復活したか、また他の青少年団体がどのように再出発したかを扱う(執筆、田中治彦)。

 このようにボーイスカウトと少年団の研究は社会教育にとって大変魅力的なテーマであるのだが、その複雑さ故かこれまで本格的な研究がなされてこなかった。今回、英国のボーイスカウト、生成期の少年団運動、戦前期の政治と少年団研究をそれぞれ得意とする三者が集まることで体系的なボーイスカウト・少年団史を初めて世に送り出すことができることになった。読者の忌憚のないご意見ご批判をお待ちする次第である。


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