1.南北問題と開発教育
(1)南北問題の発生
(2)第1次開発の10年の反省
(3)国連機関と開発教育2.日本における開発教育
(1)日本における開発教育の開始
(2)初期の定義とYMCA国際理解講座(1983年)3.開発教育の目標と内容・方法
(1)新しい開発理念の発展
(2)開発教育の定義
(3)開発教育の学習目標と内容
(4)開発教育の方法
(5)新しい定義と岡山大学「国際教育論」(1995年)
開発教育がその中心的テーマとしている南北問題と開発問題の用語が使われるようになったのはそう古いことではない。南北問題は英国ロイド銀行頭取のオリバー・フランクスが1959年に使用し広まった用語であり、「開発」という言葉が主として開発途上地域の経済社会開発を意味する用語として国際的に広く使われるのは1961年に始まる「国連開発の10年計画」以来である。
現在開発途上国ないしは第三世界と呼ばれる国々が国家として独立を達成するのは第二次世界大戦以降のことである。アジアと中近東の国々は大戦終了後の1940年代後半から50年代にかけて旧宗主国であるイギリス、フランスなどから次々独立を達成した。1955年にはインドネシアのバンドンで新興国によってアジア・アフリカ会議が開催され、バンドンと呼ばれる平和10原則を採択した。この中では反植民地主義と民族自決の原則が掲げられアジア、アフリカ諸国の連帯がうたわれた。これにより以後中東、アフリカなどでは民族解放運動が盛んになった。1960年にはアフリカの17か国が次々と独立して「アフリカの年」と呼ばれた。この会議はその後、非同盟諸国会議へと引き継がれる。西欧自由主義諸国でも社会主義諸国でもない国々を「第三世界」と呼ぶようになるが、そのルーツはこの会議に求められる。
しかし政治的に独立を達成したこれらの国々も、植民地時代の従属的な経済構造のため経済的な自立を達成することは極めて困難であった。1961年に米国第35代大統領としてジョン・F・ケネディが就任すると、同年12月の国連総会で1960年代を「国連開発の10年(United Nations Development Decade)」とするように提唱し、その結果2つの決議が採択された。開発途上国全体のGDP(国内総生産)の年平均成長率を60年代末までに少なくとも5%に引き上げることが具体的な目標として規定され、これに向けて先進各国が協力すべきことが述べられた。これらの決議は国連が南北問題に積極的に取り組むことを表明した点で画期的なものであったし、西側先進国がこぞって開発問題に参加する気運を産み出した。
第1次国連開発の10年計画の基本となる開発理念は「近代化論」である。独立したアジア・アフリカ諸国も欧米や日本にならって経済的な近代化を達成し、近代国家へと離陸すべきと考えられた。そのためには一定の資本蓄積と技術革新が必要であり、近代化を早めるためには先進国から途上国に多額の資本と先端技術を移転することで達成されると考えた。
第1次国連開発の10年計画が終了した時点で開発途上国のGDPの成長率は年率5.5パーセントという結果となり、目標とした年率5%を一応クリアした。ところが、開発途上国全体のGDPを確かに引き上げはしたが、一方で途上国内部の貧富の格差は拡大し、北と南の国の間の格差も広がるという結果になった。最新の技術と大量の資金を先進国から途上国に投入してその発展を図るという構想は成功せず、さまざまな課題を双方に残すこととなった。このことからいくつかの反省が生み出された。
その第一は、開発と経済成長とはイコールではないということである。開発にはもちろん経済的側面が含まれるが、社会的正義や民主主義の確立といった政治的社会的側面、固有の文化、宗教、価値観の尊重という文化的側面をも含むものであるという主張が力を得てきた。また環境の破壊という負の側面を小さくすることも大切であるという認識が広まった。開発とは近代化であるというテーゼに疑問が投げかけられ、このことが後に文化的アイデンティティ、地域民主主義、自然環境、人権を尊重するさまざまな開発理論の提唱へとつながっていく。世界銀行は1960年代の経済援助の効果が途上国の社会の上層部に留まり貧困を抱える民衆には一向に浸透しなかったことの反省から「人間の基本的ニーズ(BHN=Basic Human Needs)」重視の開発戦略を打ち出した。BHN戦略は経済成長の果実を社会の上層部が一人占めするのではなく、絶対的貧困層に及ぼすという所得再配分を強調とした開発アプローチである。BHNには衣食住、教育、医療という人間として生きていくうえでの基本的なニーズが含まれており、援助の配分に当たって、農業、人口計画、保健衛生、教育などの分野を優先し、貧困層や社会的弱者を対象としたプログラムに重点を置くものであった。
第二は、開発途上国の貧困問題の原因は途上国のみにあるのではなく、先進国やその国民の側にもあるという認識である。そもそも戦後新たに独立した国々が経済自立を達成できないのは植民地時代の従属的な経済構造にあるのであり、さらに戦後も農産物や鉱業資源といった一次産品の輸出では自立できない不公正な貿易構造が温存されている。1960年代を通じて確かに第三世界全体のGDPは伸びたが、高度成長を遂げた先進工業諸国との経済格差は一段と拡大し、世界の輸出に占める途上国の比重は次第に低下してまた交易条件も悪化した。プレビッシュは世界の中心に位置する先進工業国は、貿易と投資により周辺部の開発途上国から富を吸い上げますます豊かになっていくと論じ、1970年代には「新国際経済秩序(NIEO)」の主張が第三世界の政治家たちから起こってきた。NIEOには先進工業国の支配のもとにできあがった構造的な国際経済体制を根本的に突き崩していかなければ途上国はいつまでたっても経済的な従属から逃れられないという認識がある。具体的には、天然資源についての主権の確立と、不公正な既存の国際経済体制に代わる新体制の確立の前提となる「主権の平等」の概念を提起している。1974年の国連経済特別総会は石油戦略で力を得た非同盟諸国とOPEC諸国の要求により新国際経済秩序樹立の宣言と行動計画を採択した。
第三に、開発途上国の側からは南北問題の責任は途上国やその民衆の側にだけあるのではなく先進国とその国民の側にもあるのだという主張がなされ、南北問題が解決しないのは先進国の国民の無関心にも一因であると指摘されたことから、開発教育の必要性が強く認識されるようになった。第2次国連開発の10年計画の中でも、その成否は世論の動員にかかっているとして、先進国も途上国も共に開発問題に対する国民の理解を得る責任があるとされた。ここにおいて開発教育は正式に国連の場に持ち出され、ユニセフ、ILOなど各国連機関で使用されるようになる。開発とは経済成長そのものではなく、文化の豊かさや環境の保護さらに政治や社会の民主化も伴うという考え方は単に開発途上国の側だけでなく、当時公害や若者の反抗や民族差別問題に悩む先進工業国の側にも同様の反省をもたらし、開発教育を受入れる土壌となった。
(3)国連機関と開発教育
ユネスコとFAOは1973年より中等教育における開発問題の取り扱いについて欧州7か国の事例の調査を各国の協力で実施した。各国のカリキュラム、教科書及び教材についての調査は『工業国における学校内開発教育』というレポートにまとめられた。この報告書の中で、教科書の記述が自国中心的であることが指摘された上で、開発教育の進め方として次の2点が必要であるとされた。
@児童生徒に第三世界諸国のことと、いわゆる開発途上国と工業国との間の関係を知らせること。
A児童生徒の生活、環境、経験などと結びつけて教え、人種の違いや学校内外の社会的不平等について、児童生徒が学校や地域社会の問題について自分の意見を表明できるようにしむけていくこと。
ここに開発教育の考え方の原型が形成されている。第2次国連開発の10年計画で設置された国連合同情報委員会は1975年に開発教育を次のように説明している。
開発教育の目的は、人々が自らの地域、社会、国、世界全体の開発に参加できるようにすることである。このような参加のなかには、社会や経済や政治の過程の理解に基づく、地域、国、国際社会に対する批判的な認識が含まれる。開発教育は、先進国、開発途上国双方における人権、人間の尊厳、自立、社会正義の問題に関するものである。また、低開発の諸原因、及び開発に結びつくものへの理解の促進、そして新国際経済社会秩序を達成する方法に関わるものである。
ここでも開発教育は単に知識の理解だけでなく、批判的認識そして参加を伴うものであることが確認されている。
教育文化科学に関する国際機関であるユネスコは、第2次大戦後長きにわたって「国際理解教育(Education for International Understanding)」を実践してきた。これは、@平和教育、A各国理解、B人権教育、C国連理解を柱とするものであり、1953年よりユネスコ協同学校運動を通して全世界的に実践が行われていた。1974年のユネスコ総会では、第三世界諸国の発言力の増大を背景に新しい国際理解教育の提案があった。ユネスコ総会は従来の国際理解教育に代わるものとして「国際教育(International Education)」を提起した。正確にはこれは「国際理解、国際協力及び国際平和のための教育、並びに人権及び基本的自由についての教育」であり、その教育内容として@平和(軍縮)教育、A人権教育、B開発教育、C環境教育が含まれていた。
(1)日本における開発教育の開始
1973年のOPEC諸国による石油の禁輸措置は99%のオイルを外国に頼っている日本経済にとって大打撃であった。それはあらゆる業種に戦後最大級の構造転換を迫るものであり、日本の高度成長経済の終焉を告げるものでもあった。また翌年の東南アジア歴訪において当時の田中角栄首相がタイとインドネシアにおいて学生デモに見舞われたことも外交上大きな影響を与えた。戦後政治的な影響力を極力押さえ経済活動に重点をおいてアジア各国とつきあってきた日本にとって、その経済的プレゼンス自体が各国の政治状況に大きく影響を与えていることに気付かされたのである。オイル・ショックと東南アジア歴訪は政治経済の両面において日本とアジア諸国あるいは第三世界全体との関係を根本的に考え直す契機となった。
1965年に発足した青年海外協力隊は70年代半ばからその活動について広く国民の理解を得る必要性を感じ始め開発教育に注目していた。1977年に発行された『新たな「開発教育」をめざして−南北問題・開発途上国に関する教科書調査報告書』は開発教育と題した最初の出版物である。その後青年海外協力隊事務局はその機関誌『クロスロード』を通して開発教育の特集を組むことになる。
その頃、東京にある国連広報センターやユニセフ駐日代表事務所では先進工業国の中で開発教育に対する取り組みが最も遅れている日本に対して何らかの働きかけが必要であると考えていた。1979年になって国連広報センターとユニセフは開発教育に関する資料を配布して理解を訴えた。同年11月にはこの二者と国連大学とが主催して「開発教育シンポジウム」を東京の朝日講堂で開催した。このシンポジウムは日本における開発教育普及のための第一歩となった。ちなみに1979年は国際児童年でありまたインドシナ難民の流出がピークに達した年でもあった。世界の子どもを大切にしようという呼びかけと、難民の子どもらの悲惨さは好対象をなすものであった。日本で初めて国民的な規模で自発的な募金活動が起こり、現地に赴いて救援活動するNGOが誕生していく。1979年はまさに日本の開発問題元年であった。
このシンポジウムの参加者を中心に80年早々には有志による開発教育研究会が発足した。研究会に集ったメンバーにはアジア学院、シャプラニールなどのNGO、YMCAなどの青少年団体、それにユニセフ協会などの国連関連機関の関係者が多かった。いずれもアジアを始めとする第三世界の人々とのつながりが深く、その問題状況を一早く理解し日本の社会においても開発問題の理解が必要と考えた人々である。1981年には中央青少年団体連絡協議会により最初の『開発教育ハンドブック』が発行された。
開発教育研究会が中心となって横浜、大阪、名古屋がほぼ一年おきにシンポジウムが開かれた。1981年頃から開発教育に関するより広範な協議体の必要性が認識されて1982年12月に「開発教育協議会」が結成される。開発教育協議会は毎年夏に全国研究集会を開催し、機関誌『開発教育』を始めとして多くの出版物を発行してきた。当初はNGOと青少年団体を中心に推進された開発教育であったが、その後学校の教員、地方自治体の国際センター、行政社会教育などの関係者にも広がった。NGOも国際協力を専らとする団体だけでなく、女性団体、消費者団体、宗教団体、労働組合などにも浸透していった。全国研究集会のシンポジウムや基調講演では、1985年にアフリカ、86年に海外協力、87年に地球環境、89年にODA、92年に開発と女性(WID)などその時々の主要なテーマが取り上げられている。
また、1993年からは全国数地域で開発教育推進地域セミナーを開催して、各地域レベルでの開発教育の推進活動を展開している。
(2)初期の定義とYMCA国際理解講座(1983年)
発足当初の開発教育協議会のパンフレットには、開発教育について次のような説明がある。
(開発教育は)これから21世紀にかけて早急に克服を必要としている人類社会に共通な課題、つまり低開発についてその様相と原因を理解し、地球社会構成国の相互依存性についての認識を深め、開発をすすめていこうとする多くの努力や試みを知り、そして開発のために積極的に参加しようという態度を養うことをねらいとする学校内外の学習・教育活動であるということができます。
この定義の特徴は開発教育の内容として「低開発の様相と原因」を理解すべきことと、「相互依存性」を認識すべきことを明示していることである。そしてその「理解」は単に知識にとどまるものではなく、積極的に参加する態度を養うことであるとする。
この定義に添う形で社会教育プログラムとして組まれたのが表の山手YMCA国際理解講座「アジアの開発と私たち」である。第1回での趣旨説明と参加者の問題意識の確認の後、第2・3回でインドネシアの文化、社会、宗教的背景を説明する。第4〜7回で「低開発」の構造と農村・都市開発の現状と課題について講義が行われる。講座全体の中心部分である。第8・9回で国際協力について考え、第10回で全体のまとめと自分たちの課題を確認し講座全体の評価を行う。
この時期、一般的に講座参加者のアジアや開発問題への理解度は現在とは比較できない程に小さく、そのため講義中心、知識中心の講座となったことは否めない。また、せっかく10回もの講座を行なっていながらインドネシア人の講師を加えなかったことも反省のひとつである。しかしながら、当時としては講座の回数からしても講師の質からしても先端を行く開発教育プログラムであった。
第1回 なぜアジアの開発を学ぶのか チューター
第2回 インドネシアの文化と社会 小泉允雄(JETRO)
第3回 イスラムの世界 北村正之(共同通信)
第4回 「低開発」の原因と構造(1) 村井吉敬(上智大学)
第5回 「低開発」の原因と構造(2) 同 上
第6回 農村開発の現状と課題 加納啓良(東京大学)
第7回 経済開発の現状と課題 同 上
第8回 経済協力の現状と課題 鈴木佑司(法政大学)
第9回 民間協力の可能性 同 上
第10回 アジアの開発と私たちの課題 チューター
(1)新しい開発理念の発展
1970年代後半から現在に到るまで、国際開発の領域では「近代化」や「経済開発」に代わる新しい開発理念の模索が続いている。その嚆矢となったのが1977年にスウェーデンのダグ・ハーマショルド財団が発表した報告書『もう一つの開発−いくつかのアプローチと戦略』であった。「もう一つの開発(Another Development,Alternative Development)」とは、@基本的生活のニーズを満たし、A内発的であり、B自立的であり、Cエコロジー的にも健全であり、D経済社会構造の変化を必要とするものとして説明された。ここでなされた問題提起が後に「内発的発展論」や「参加型開発」にひき継がれていく。
1970年代以降の「開発」理念の見直しの一つの成果が1986年12月に国連総会で採択された「開発(発展)の権利宣言」である。この宣言では、@開発の権利は掛け替えのない人権のひとつであること、A開発は経済的側面のみでなく社会的、文化的、政治的側面をも含んでいること、B人間こそが開発の主体でありかつ客体であり、受益者であること、の3点が明記されている。
また、1980年代には地球規模の環境問題の深刻化とともに環境保護の観点から新しい開発理念が提起された。ノルウェーのブルントラント首相を委員長とした「環境と開発に関する世界委員会」は1987年に『我々の共通の未来(Our Common Future)』と題する報告書を発表した。この中で環境と開発とを両立させる概念として「持続可能な開発(Sustainable Development)」が提示された。これは「将来の世代がそのニーズを充足する能力を損なわないように現在の世代のニーズを充足させる開発」と定義されている。1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)では持続可能な開発とそれを実現するための国際協力の方法が話し合われ「環境と開発に関するリオ宣言」の採択とこれを達成するための「アジェンダ21」という行動計画が策定されたことは記憶に新しい。
さらに、1994年にはデンマークのコペンハーゲンで国連主催の世界社会開発サミットが開かれた。社会開発サミットは過去30数年の国際的な開発協力の努力にもかかわらず、1980年代に先進工業国と開発途上国との間の格差はますます広がり、世界の貧困人口も増加していることを背景に開催されたものである。従来、開発とは一人当りの国民所得を増加させることと考えられ、これを引き上げるためには国家と企業による「経済開発」が最適な手段と信じられてきた。しかしこうした経済成長、GNP重視の開発路線こそが、貧困の増大と環境破壊をもたらし、人間の福祉と発展を阻害していることが80年代後半から広く認められるようになった。ここにおいて経済開発と社会開発の関係は逆転し、経済開発は社会開発を構成する一部と考えられるとともに、人間開発は手段ではなくそれ自体が目的と位置づけられた。社会開発サミットはこうした開発理念の転換を受けて開催されたもので、ここにおいて開発の主体は国家と企業の専管事項ではなく、市民諸セクター(住民、NGO、労働組合、公益法人等)の参加がなければ実現しないという認識が広まった。 開発教育を実践する際に念頭に置くべき「よりよい開発、目指すべき開発」を考える上での重要な視点が新しい開発理念のなかには含まれている。
それは第一に、開発とは人権や人間の尊厳に関わることであるという点である。人権を守り人間の尊厳を高める方向で開発が考えられねばならない。
第二に、開発は人々の生き方や価値に関わるものであり、従ってそれぞれの地域、民族、国家の文化的宗教的価値に則って開発が行われねばならないということである。
そのためには、第三に地域の民主主義が確立されることが大切である。人々が自らの未来を自己決定できる仕組みがないところでは開発によって伝統文化が破壊され人権が抑圧される危険性が高い。
第四に、環境の問題である。生態系を維持し地球環境をこれ以上悪化させないためには、どのような持続可能な開発が可能なのかを模索していかねばならない。
第五に、貧困の撲滅のためには従来の「経済開発」の理念では不十分かつ不適切であり、「人間開発」とそれを支える「社会開発」の考え方が重要である。
以上のような新しい開発の考え方に則って、開発教育の定義、目標、内容を考えていきたい。
(2)開発教育の定義
当面日本における開発教育のねらいと目標をどのように設定したらよいであろうか。まず、開発教育の中心的なテーマは21世紀に向けて人類共通の最大の課題であるところの「地球規模の開発問題」である。開発問題とはこの地球上に広範に存在する「貧困」と「格差」の問題であり、その現状と歴史的構造的な要因について学ぶことが開発教育の中心的な学習活動となる。そしてこの問題を解決するためのさまざまな試み、すなわち「開発」の努力を知り、よりよい開発とは何かを考え、これらの努力に「協力」していく態度と能力を養うことが求められる。これらの学習活動を通して、最終的に目指されるのは、さまざまな文化、民族の人々が「共生」できる「公正」な地球社会の実現である。そこで開発教育について次のような定義を与えたい。
開発教育とは、公正と共生を基本理念とする地球社会の実現をめざし、人類共通な課題である地球規模の開発問題をめぐる諸問題を理解し、その解決に向けて参加する態度と能力を養うための教育学習活動である。
そのためには、まず地球規模で存在する貧困の原因と構造を理解し、それを解決するためのよりよい開発のあり方を考え、地球市民としてその解決に向けて協力し参加するための態度と能力を培うことが求められる。
これまで開発教育は欧米諸国、国連、そして日本でもさまざまに定義されたが、それらに共通していることは、開発教育は単なる知的な学習にとどまるものではなく、自己を変革し世界を変革するための態度や技能にも関わるものであるという点である。すなわち、開発問題を突き詰めていけば問題は第三世界の側にのみあるのではなく、私たちの社会そのものにもその原因があることがわかってくる。従って、私たちが参加して変革すべきは私たちの周囲の社会でもあるのである。開発教育や国際教育関係者がよく口にする標語として「世界規模で考え、地域で行動する− Think globally, act locally.」がある。これは視野を広く持ち、できることから行動していこう、という意味とともに、地球規模の課題を考えれば必ず自分の足許の問題に行き着くので、地域から行動しようという意味も持っているのである。
(3)開発教育の学習目標と内容
開発教育が扱う学習内容は開発問題そのものが複雑で広がりを持っているためにかなり多岐に渡る。その中で開発教育の中心的な学習課題である「貧困」−「開発」−「協力」−「参加」を取り出して解説を施したい。これらの4つのテーマについて学習の内容を正確に把握しておくことが開発教育を進める際に大切と考えられるからである。
A 貧困
もちろん収入が低いことや生活必需品がないことは「貧困」の一要因である。しかし、それは「貧困」の一部でしかない。中村尚司は「貧困とは自分ではどうしようもない外的な力によって、経済的に従属されている社会関係」であると述べている。元国連専門家のジョン・フリードマンは近著(「市民・政府・NGO」新評論)で貧困を「力」が剥奪された状態として、その力(パワー)として8つを上げている(図1)。それは、@資金、A社会ネットワーク、B適正な情報、C生存に費やす時間以外の余剰時間、D労働と生計を立てるための手段、E社会組織、F知識と技能、G防衛可能な生活空間、である。
このフリードマンの貧困モデルは、貧困がお金だけでなく社会組織から切り離された「孤独・孤立」や教育レベルの低さ、に起因するという私たちの常識にも適ったものである。また、空間や時間がないことを「貧困」の要因としていることは、お金がある日本人が今一つ充足感を感じていないことを説明するものである。
開発教育を行う際には、貧困とは何か、そして貧困の構造(例えば「貧困の悪循環」)を最低限学習することが必要である。貧困の問題は奥が深いので、その歴史的な要因(近代化と貧困、植民地支配、等)についても学習することが望ましい。
ジョン・フリードマン『市民・政府・NGO』新評論, 115頁
B 開発
従って社会開発とは、人々がアクセスできる教育、福祉、医療機関を増やし、貧困な人々を支援する社会的ネットワークを作り、雇用と収入の機会を創造することである。狭い意味の経済開発は社会開発の概念に含まれることになる。開発について「近代化」と「もう一つの開発」の流れ、「経済開発」と「社会開発」とについて理解を深めることが大切である。
C 協力
1960年代から70年代にかけての国際協力は「モノや金」を与える「経済援助」が中心であり、それは失敗を重ねてきた。1990年代の国際協力は人間開発とそれを支える社会開発の考え方に立たねばならない。しかし、ODA(政府開発援助)のみならず、一部のNGOですら、いまだに「モノ・金」を与えるという発想から脱却していない。このような援助を続けると、途上国の人々の「自立」しようとする意欲する奪ってしまうことがあり却って逆効果になる。
開発教育の学習内容としては、官民の国際協力の歴史と現状、開発理念の変遷とともに国際協力の変遷について学ぶことが求められる。そしてよりよい国際協力とは何かを考える必要がある。
D 参加
第一に、上記のように「貧困」「開発」「援助(協力)」に関する誤った常識を改めるよう周囲の人々やマスコミに働きかけることである。開発教育を学習活動として推進すること自体が「参加」である。
第二に、貧困の撲滅に向けた行動である。社会開発の立場に立ったNGOへの資金協力や人的協力は極めて有効な手段である。ODAの発想を経済開発から社会開発へと改めるように世論を盛り上げることも大切である。
第三に、途上国の貧困を悪化させている国際的な貿易システムや金融システムがある。WTO、APECの自由化の動きの中で、それが人権や環境にマイナスとなっているものについて指摘する必要がある。貿易の自由化が「貧困」を解決し「社会開発」を推進する方向に動くように監視し提言していく。現在の開発教育ではこの点の理解と行動が最も遅れており、それは国際的な金融、貿易システムの理解不足に原因がある。
第四に、熱帯林やエビなど途上国の資源を大量に消費している日本のライフスタイルそのものを見直すことである。これは環境保護と人権擁護、そして貧困の撲滅の3つの観点から考えねばならないだろう。
第五に、「内なる国際化」の推進である。外国人に対する偏見や差別をなくし、地域に住む日本人と外国人とがどのように「共生」できるかを考えることも大切である。
これ以外にも参加の方法は数多くあろう。いずれにしろ他人の参加ではなく、自らの参加であるので、自ら考え自ら結論を出す方向で学習活動が進められることがとりわけ重要である。
(4)開発教育の方法
教育方法の観点からみたとき、開発教育にはいくつかの特徴がある。それは、@問題解決的であり、A未来志向であり、B知識の獲得だけでなく態度の変容を求めることである。そのため開発教育を行う際には、学習者自らが主体的に参加して自己変革を行うような学習活動が求められる。従来の学習方法論の中でこれらの要求に答え得るもののひとつに問題解決学習がある。
問題解決学習は開発問題のように答えそのものが多様であり、答えを見いだすプロセスを重視する学習活動においては有効である。問題解決学習では、学習者の生活や経験に近いところで問題を設定し、その問題を解決するための仮説を立てる。その仮説を検証するために集団ないし個人で実地にあるいは資料で調査し、その後に仮説を検証して問題解決のための方策を提起するという道筋を立てる。問題解決学習は、知識内容のつめこみという従来の授業方法に対抗してジョン・デューイらの進歩主義教育学者によって発想されたもので、児童中心、生活中心、経験主義の学習とも呼ばれる。
開発教育が行う学習活動は従来の問題解決学習とはやや異なる点がある。それは開発問題の多くは遠い「南」の国の出来事であり、学習者の生活や経験に直接結びつきにくいことである。ただこの点は近年のメディアの発達により視聴覚教材を有効に使うことによって学習者の擬似的な体験に結びつけていくことが可能となった。また、開発問題は実は私たちの生活にも密接に関係するところであり、その関係を理解していくこと自体が開発教育のひとつの学習目標でもある。また、従来行われてきた問題解決学習においては教師はある程度の答えを用意しており、それを児童が学習の過程で自ら発見するように仕向けていた。ところが開発教育で扱う諸問題は教師自身に唯一絶対の解答がないケースが多い。その意味では教える者もまた学習者であり、答えは未来にあるという意味で未来志向の学習活動である。
このことが開発教育を実施してみようという人にとってある種のとまどいを感じさせる原因となっている。とりわけ○×式の解答になれている学校教育にとってそうである。しかし、現在地球社会が抱えているさまざまな問題すなわち、開発、環境、民族対立などはどれをとっても明確な唯一の解答があるわけではない。それだからこそ、より正しい解答を求めていく姿勢、より有効な解決策に至る方法を学ぶことが必要になってくる。最後の開発教育の実践の枠組みのところで学習目標に持続的関心と参加といった態度目標を設定した理由もここにある(図2)。
但し、開発教育の学習方法を問題解決学習や参加型学習に固定することは危険である。開発問題、南北問題は非常に複雑かつ広範な課題であり、体系的な知識を学ぶこともまた大切なことだからである。さまざまな学習方法を組み合わせて究極的な学習目的を追求するべきである。
(5)新しい定義と岡山大学「国際教育論」(1995年)
以上のような開発教育の定義と目標、内容、方法論のもとに筆者が岡山大学教育学部で行っている開発教育の授業カリキュラムを紹介したのが表2である。講義題目は「国際教育論」であるが中身はすべて開発教育である。テキストには拙著『南北問題と開発教育−地球市民として生きるために』(亜紀書房)を使用し、半期15コマ、30時間で設定している。実習を取り入れていることと視聴覚教材を頻繁に利用していることが特徴である。最終評価はレポートによる。1983年のYMCA国際理解講座のカリキュラム(表1)と比較していただきたい。
第1回 オリエンテーション
- 授業の構成と評価について。参加することが大切であることを強調する。
第2回 国際教育・開発教育とは何か(1)
- ビデオ『開発教育実践のヒント−世界をもっと知るために』(大阪国際交流センター制作)使用
日本やオランダでの開発教育の実践例を見ながら開発教育とは何かを解説する。第3回 国際教育・開発教育とは何か(2)
- テキスト『南北問題と開発教育』第5・6章
開発教育の歴史、それが提唱された背景、内容と方法、現在の日本の学校教育における位置づけなどを講義する。第4回 地球家族(実習=フォトランゲージ)
- 『地球家族』の写真とデータ使用
それぞれの国と民族にはそれぞれの生き方と価値観があることを理解する。これをすることで後の授業で「ともかくモノを送ろう」という発想が出てこなくなる。第5回 貧困の悪循環(実習=KJ法)
- ビデオ『わたしの国・わたしの村 バングラデシュ』(シャプラニール制作)
ビデオの中から村の問題点をカードに列挙し、その因果関係を結んでいく。貧困の原因と構造の理解。第6回 ポイラ村の開発(実習=プランニング)
- ビデオ『ポイラ村から−ある草の根海外協力の試み』(シャプラニール制作)使用
ポイラ村の生活向上のために何ができるかを考えるセッション。それぞれのグループでプロジェクトを決める。その後ビデオを見せてシャプラニールの経験を紹介する。第7回 わが町の開発(実習=プランニング)
- 自分の町をよくするためのプロジェクトをグループごとに考える。ポイラ村も自分の町も同じ努力をしていること、貧困の有無によってどのようにプロジェクトが変わってくるか。
第8回 南北問題の戦後史
- テキスト第2章
南北問題の状況の変化と国際的な開発理念の変遷をたどる。第9回 政府開発援助(1)
- テキスト第3章、ビデオ『ETV8 開発援助を考える第1回』使用
日本のODAの現状と問題点についてビデオを見ながら学習する。第10回 政府開発援助(2)(実習=ディベート)
- 「タイ東部臨海開発計画」についてのディベート
日本のODAがからんだ具体的なプロジェクトについてその成否をディベートを通して明らかにする。第11回 市民による海外協力(NGO)
- テキスト第4章、ビデオ『ETV8 開発援助を考える第2回』使用
ビデオとテキストにより日本のNGOの実情と問題点を講義する。第12回 地球環境と開発
- ビデオ『NHKスペシャル 熱帯林消滅』使用
熱帯林の問題を通して、地球環境問題の一端を理解し日本の責任について考える。第13回 在日外国人(1)在日外国人の歴史
- 田中宏『在日外国人』(岩波新書)のデータ使用
内なる国際化の課題として在日外国人問題の推移を歴史的に見ていく。第14回 在日外国人(2)外国人労働者問題
- テキスト第9章、ビデオ『アジアのうねり』(APIC制作)使用
現在の移民労働者問題についてビデオを通して理解する。第15回 まとめと今後の学習課題
1983年のYMCA国際理解講座と比較して、最初に「文化」の視点を明らかにしていること、その後に「開発」「援助」の課題を置き、最後に「内なる国際化」を取り上げるといった構成については基本的に変化はない。ただし、「貧困」→「開発」→「援助・協力」といった道筋はより明確になっている。講義の方法論については大きく変化があり、ビデオ等の視聴覚教材を多用していることと、参加型の実習(フォトランゲージ、プランニング、ディベート等)を採用していることが特徴である。
最後に生涯学習における開発教育の実践のフレームワークについてまとめておきたい。広義の社会教育・生涯学習においては次のような場で開発教育が実際に行われ、また行うことが可能である。
@青少年の社会教育
A生涯学習で
B市民運動で
これらの活動のひとつひとつについて言及する余裕はないが、特に講座やセミナーを念頭において、開発教育の実践の枠組みをまとめたのが図2である。
図2 開発教育の実践の枠組
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│T 事実の理解│ │U 構造の理解 │ │V 最終目的│
│ │ │ │ │ │
│ 文 化 │ → │ 貧困・格差 │ → │ 共 生 │
│ │ │ 開 発 │ │ │
│ 相互依存 │ → │ 協 力 │ → │ 公 正 │
│ │ │ │ │ │
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│ 持続的関心 → → 参 加 │
│ │
│ W 態度目標 │
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図2のなかで「U 構造の理解」が全体の中心部分である。開発教育の知識目標である「貧困・格差」「開発」「協力」については(3)節で詳細に解説したのでここでは繰り返さない。
「I 事実の理解」における「文化」と「相互依存」はUの構造の理解の前提である。それぞれの文化の多様性と相対性を学習することなしに開発問題を学習すると、開発を単に経済的・物質的豊かさの獲得というように誤解する怖れが多分にある。また、「相互依存」は私たちの生活と世界とのつながりを理解するものであり、学習のきっかけとしても有効である。モノ・ヒト・カネ・情報を通した世界とのつながりは必ずしも対等・平等な依存関係ではなく、このことからUの構造の理解へとつなげることもできる。Tの部分はUの前提ないしは導入であり、特に児童を対象とした開発教育を実施する際にはこの部分が中心的な学習目標となる。
「V 最終目的」には開発教育の最終的な目的である「公正」と「共生」を上げてある。経済面制度面の「公正」さと、文化面生活面での「共生」とをどのように実現するかが究極的な目的となる。
「W 態度目標」では、まず開発問題への関心を「持続的に」もってもらうことと、解決へ向けて「参加」していくことを強調した。これらについても既に何回も言及してきたので解説の必要はないであろう。
このモデルはまだ「発展途上」であり、今後、地球的課題を理解し解決に向けて参加するための「技能目標」をも併せて考察し、より有効な開発教育実践の指標を作成していきたい。
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