開発教育が始まった頃
1980年代の国際理解・開発教育
1990年代の開発教育
中教審答申と開発教育
「地球社会に生きる力」
国際理解教育と開発教育
「総合学習」の時間
手許に『新たな「開発教育」をめざして』と題した一冊の報告書がある。青年海外協力隊事務局による1977年発行のこのレポートには副題が「南北問題・開発途上国に関する教科書調査報告書」となっている。これは日本の教科書を開発教育の視点で分析した最初のレポートであるばかりでなく、「開発教育」と冠したおそらく最初の出版物であろう。 小・中学校の社会科を対象としたこの調査で分析者たちは次のように述べている。
「南北問題について解説を加えたものは6年下で1冊だけである」「教科書国際理解・協力の視点は・・経済本位あるいは日本人本位であり、相手国の立場を考えてとか世界人としてという広い視野からのアプローチは残念ながら見られない。」(小学校)
「教科書は徒に膨大な知識と統計数字の羅列に終って、そこにも自分たちと同じに生きた人間がある現実の姿を知らせる工夫が少ないように思える」(中学校地理)「たまたま南北問題を取り上げても、それを専ら経済的な問題としてとらえている。」「太平洋地域についての記述はまったく欠落している。」(中学校歴史)「人的交流や文化交流の必要性を説いている教科書がない。」「国際協力と理解の認識を高める内容説明がもっと必要である。」(中学校公民)
当時の教科書は今から3世代前の1968年の改訂による学習指導要領に基づいて編纂されていた。従って、時代は高度経済成長の末期にあり「西欧に追いつき、追いこせ」がスローガンであった。その後1973年のオイル・ショックや反日デモなどにより、日本もようやくアジアや第三世界に目を向けかけた頃である。
1977年に学習指導要領の改訂があり、新しい指導要領は過密化したカリキュラムを「精選」しスリムにすることに力を注いだ。国際理解教育が強調されることもなく、開発教育の観点からは目に見える成果はほとんどなかった。ただ、高校で必修となった「現代社会」の内容は扱い方次第では開発教育のねらいを達成することが可能であった。1979年末に最初の「開発教育シンポジウム」が開かれ、開発教育協議会が結成される1982年頃の状況はこのようであった。従って、当時の学校関係者は大変苦労しながら開発教育の実践を行ってきた。
それは、例えば日本の題材をあえてアジアのある国と比較しながら教えたり、学校行事に国際理解週間などを何年もかかって挿入するといったような努力である。開発教育に対する深い理解と熱意がなければできないような実践が多かったし、ついに実らなかった実践も相当数あっただろう。毎年夏に行われる開発教育研究全国集会では、教員の参加者から「文部省や教育委員会が無関心であるので何とかして欲しい」という声がしばしば聞かれた。上意下達で開発教育を進めることの是非はともかく、そのような悲鳴を上げたくなるような状況であることも確かであった。
1982年にはユネスコ国内委員会が『国際理解教育の手引き』を刊行した。これは1974年のユネスコ総会における「国際教育決議」を受けて、日本としてのそれに対応したものであった。内容は不十分ながら南北問題の内容である食料、人口、資源、国際協力などのテーマも盛り込まれており、またアジア等の開発途上国に関する記述も少なくはなかった。ところがこの手引きもいつのまにか絶版になってしまった。従って、この時期文部省主導で国際理解教育が促進されたということもなかった。
1984年から審議を続けていた臨時教育審議会は3年間の間に4つの答申を出した。それらの答申には必ず教育の国際化がテーマとして取り上げられた。最終答申には「国際社会への貢献」の項目に次のように述べられている。「新しい国際化は、これまでの近代化時代における国際化とは異なり、全人類的かつ地球的視野に立って、国際社会の一員としての責任を果たしていくものでなければならない。」「新しい国際化を実現する主体となるのは、国民のひとりひとりである。それぞれが問題意識をもち課題解決に努力するという草の根レベルからの芽生えが必要・・・」。
臨教審はもともと時代の変化に敏速に対応していない旧態依然とした文部行政に対して外部からメスを入れるために設立された経緯もあり、かなり斬新な提言が散見される。臨教審と並行しながら審議を進めてきた現在の一代前の教育課程審議会においても教育の国際化の課題を扱わざるを得なくなっていた。
1987年の答申のなかで教育課程審議会は、次回の教育課程の基準としてねらいを4つにまとめている。その第4の柱には「国際理解を深め、我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成を重視すること」が掲げられている。「国際理解」の文言は見られるが文章の重点は後段にあることは明白である。それでも1989年版の学習指導要領では各教科・領域の目標や内容に「国際理解」「国際協調」「国際的視野」などの用語が各所に現れる。
学習指導要領が改訂された1989年は開発教育をめぐる状況が急展開する画期的な年であった。まずベルリンの壁が崩壊し、これにより戦後を彩っていた東西対立の構図が崩れた。平和教育はそれまで主としてイデオロギーの対立と核軍縮とを扱っていたが、これを機に地域紛争や民族対立に重点を移し、難民や経済格差を扱う開発教育に接近してきた。前年、日本の政府開発援助が米国を抜いて世界一になったことが判明し、国際協力に対する世論の関心が急激に高まった。ODA問題をメイン・テーマに扱った岡山での開発教育全国研究集会にはそれまでの参加者に倍する250名以上が参加した。外務省のNGO補助金制度も発足し、国際協力におけるNGOの役割に対する認識も高まった。その年は国連で「子どもの権利条約」が採択された年でもある。
こうして現行の学習指導要領の時代となる。開発教育をめぐる状況はわずか10年で大きく変化した。全国研究集会でも「文部省が何とかしてくれれば」という発言はいつのまにか聞かれなくなった。各教科の内容においてもまた教科書レベルでも開発教育に関係する事項は増加して、教師の少しの熱意と努力があれば開発教育の実践を進めることは難しいことではなくなった。仲間の教員や管理職も開発教育がやろうとしている内容について支持するようになってきている。開発教育を推進できる教員は、時には重宝されることにもなった。
文部省は1991〜92年に「環境教育指導資料」を刊行し、本格的に環境教育に取り組むことを表明した。これは92年にリオデジャネイロで開かれる国連環境開発会議(地球サミット)をにらんでのことであった。また一説によると、文部省は臨教審の教育の国際化答申に応えるに当たって、平和教育、人権教育、開発教育を敬遠し、環境教育をもって国際化のための教育を代表させようとしたということであるが、真偽は不明である。
地球サミットのみならず、1990年代中盤の一連の国際会議は直接間接に文部行政に影響を与えつつある。即ち、カイロの国連人口開発会議(1994)、コペンハーゲンの世界社会開発会議(1995)そしてイスタンブールの国連人間居住会議(1996)は人口教育、開発教育、人権教育の必要性を強調するものであった。また、ウィーンの世界人権会議(1993)で策定された「国連人権教育の10年」は同和教育を含めて日本の人権教育に影響を与えざるを得ない。さらに北京の世界女性会議(1995)もジェンダー教育と開発教育にまたがってさまざまな行動計画を提言している。NGOや教育関係者はこれらの会議の行動計画をもって政府にその推進を迫っている。
中教審答申における開発教育の関連事項について重要なポイントをまとめておこう。
@ 教育の基本的方向として「生きる力を育てる」ことが据えられた。開発教育の視点から、これを「地球社会の一員として生きる力を育てる」ことを考えていく必要がある。
A 「総合学習の時間」に盛り込まれる「国際理解」は他国理解のそれではなく、環境学習を含む今日的な国際理解でなければならない。
B 「総合学習」においてはコンピュータ教育ではない「情報教育」と「体験学習」が大切である。
C 国際理解教育は平和、人権、開発、環境、人口等の地球的課題を扱う「課題領域学習」が優先されるべきである。
D 学校と市民社会(「第4の領域」)との連携において、多様な価値が学校に入ることが望ましい。
以上のポイントについては開発教育のこれまでの実践と理論の蓄積のなかで一定程度応えられるものもあり、また今後努力すべきものもある。しかし総体としては私たちがこれまで行なってきたこと、めざしてきたことの延長線にあるものである。そこで、これらの項目について開発教育のこれまでの成果を確認することにより今後の私たちの課題を明らかにしていこう。なお以下は、全国研究集会の分科会「開発教育の定義再考」(1993〜95)と「開発教育研究会」(1994〜)での議論をもとに論じているが、その内容は筆者の個人的見解であることをお断りしておく。
中教審答申の「生きる力」を「地球社会の一員として生きる力」と捉えたときに、私たちはどのような力を子どもたちに身に付けさせようとしているのだろうか。開発教育の定義については長年論議してきたが、最新の開発教育協議会のパンフレットには次のような説明がある。
「開発教育は、私たちひとりひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加することをねらいとした教育活動です。」
「生きる力を育てる」という教育目的に対しては開発教育の視点からは2つのキーワードが浮かんでくる。それは「共に生きる」ことと、「公正な地球社会づくり」である。「共に生きる(共生)」とは文化や宗教や民族や思想信条が違っていても同じ人間として「共に生きる」という意味である。現在世界各地で起きている民族紛争や地域紛争を見るとき、この言葉のもつ意味は大きく、その実現への道のりは遠い。平和教育と人権教育の基本概念でもある。
「共生」の課題は地球規模の課題であると同時に身近な問題でもある。答申には「日本に在留している外国人の子供の教育」のことが述べられているが、在日外国人と日本の子供たちとの共生もまた一つの大きな課題である。制度的、物質的に在留外国人の子供らを支援することはもちろん必要であるが、精神的に支援したり他の子どもらと交流することはまた別の課題である。「共生」は基本的には「人と人との関係性」の問題でもあり、昨今問題となっている「いじめ」や「不登校」とも少なからず関係がある。こう考えると他民族、多文化との共生以前に、自分のクラス、学校内での民主的で支持的な学校文化づくりということが求められていることがわかる。
「公正」は共生と違って、より制度的、経済的側面を代表する用語である。開発教育のテキストでは必ず国家間のさまざまな格差が最初に取り上げられる。それは一人当りの国民所得、カロリー摂取量、平均寿命、乳児死亡率、識字率などの数字として表される。これらの格差の原因は歴史的背景をもち、かつ現在の国際社会のしくみにも問題がある。従って、これらの格差を解消し「公正」な地球社会を作っていくことが大切である。しかしながら、これらの数字では現れない問題がある。それは文化や価値に関わる問題である。すべての国民、民族が同じ所得水準に達するのが良いことなのかどうかは地球環境の容量の問題を別にしても意見の分かれるところであろう。ただ、人間の尊厳を守れないほどの貧困や物的欠乏状態を解消するための格差是正については大方異論のないところであろう(これだけでも実際には大変なことであるが)。
開発教育を進める際に私は常に2つのベクトルをもつようにしている。すなわち、文化の価値における「多様性」のベクトルと、経済や制度における「平等」ないしは「公正」のベクトルである。後者の方は数字で表されやすい比較的わかりやすいベクトルであるのに対して、文化価値については上下優劣関係はつけられないために「多様」であるかどうか、多様性を容認しているかどうかがひとつの目安となる。経済や制度面における「違い」は正に格差であり「あってはならない違い」である。違いを放置することは差別となる。それに対して文化面における「違い」は多様性のことであり「あってよい違い」である。違いを解消することがかえって差別になるおそれがある(戦前の朝鮮半島における同化政策のように)。開発教育、人権教育、ジェンダー教育などでは常にこの2つのベクトルを意識しておく必要がある。
国際理解教育の内容については、中教審答申の強調点は「異文化理解」「自国理解」そして「アジア・オセアニア理解」の3つである。アジア・オセアニアという地域が唐突に出てくるが、これはやはりアジア・オセアニア地域に代表される「開発途上国」理解であり「開発問題」理解でなければならない。その意味で国際理解教育は地域学習や異文化理解ではなく、人口、食料、環境、南北格差、国際的人権、民族対立といった問題の「課題解決学習」として捉えかえされる必要がある。中教審答申はその点の位置づけが弱いように思う。
「公正」と「共生」で述べたように、国際理解が地球的課題解決のための学習として捉え直された時に、始めて(異)文化理解が「共生」のための学習となりうるのである。課題解決の視点を伴わない文化理解は単に「珍しいもの」の学習になりかねない。
それでは開発教育は国際理解教育に対してどのような学習の枠組みを提示しうるのであろうか。開発教育協議会のパンフレットには開発教育の目標として次の5点が上げられている−「多様性の尊重」「開発問題の現状と原因」「地球的諸課題の関連性」「世界と私たちのつながり」「私たちのとりくみ」。この内、知識的理解の面で中心となるのは「開発問題の現状と原因」の理解の項目であり、「地球社会の各地に見られる貧困や南北格差の現状を知り、その原因を理解すること」と説明されている。また態度面で目標となるのは「私たちのとりくみ」であり、「開発をめぐる問題を克服するための努力や試みを知り、参加できる能力と態度を養うこと」と解説が付いている。
開発教育の目標と内容、方法についてはこれだけでまとめて議論をしなければならないが、筆者が現在考えていることを結論的に述べておきたい。それは、
@ この地球上には依然として「貧困」が広範に存在することの理解。その「貧困」は経済的要因のみでなく多分に社会的文化的要因を含むものである。
A 従って、貧困の解決には経済開発のみならず社会開発が必要であること。「文化的アイデンティティの尊重」「環境保全」「人権の尊重」「住民の参加(とりわけ女性の参加)」をキーワードとした「オールタナティブな開発」が今模索されて実施されていること。
B 貧困の問題の解決には国際協力が必要なこと。国際協力を政府間で行うにしろ民間で行うにしろ、経済開発のみの視点ではなく社会開発の視点が大切であること。
C この問題の解決には私たち自身が「参加」することが必要であり、そのための技能や態度を養うこと。
である。「貧困」→「開発」→「協力」→「参加」のストリームをどのようにカリキュラム化していくのかを今後考えねばならない。現行の指導要領や教科書では、「南北問題」の記述が経済的側面に偏っており、従って「開発」や「協力」の理解も経済開発中心である。1990年代の一連の国際会議の成果を踏まえて、開発問題の捉えなおしが求められる(これらの会議のキーワードはAにあげた、文化、環境、人権、参加、そしてジェンダーである)。
総合学習の時間は一体週に何時間程度とれられるのであろうか。中教審答申は学校5日制の完全実施を唱っているので、全体の授業時間数はその分短縮される。一方で教科の再編は非常に難しく、時間数の削減すら大変な抵抗にあうであろう。とりあえず週2時間年間70時間程度の学習が行われるものと仮定して考えよう。
総合学習の内容として上げられているのが国際理解教育、情報教育、環境教育であり、さらにはボランティア、自然体験も上げられている。そうすると国際理解教育に開発教育の内容を含ませるとした場合、最低でも3時間、最長で2学期(約24時間)程度のまとまった教材を私たちは用意しておく必要があるだろう。それも小学校(少なくとも中学年)から中学校3年に至る継続的な教材が求められる。なぜなら総合学習では指定された教科書を使用せず、かつ数字的な評価もしないとされているからである。
現在、開発教育の教材はあくまで教科書の副教材として使用されているが、総合学習においては私たちが開発した教材がそのまま主教材となりうる。開発教育協議会としても独自に、あるいは教育団体や業者と提携して本格的に教材開発に取り組む必要が出てこよう。そのためには、私たち独自の開発教育カリキュラムの作成が前提となる。開発教育のカリキュラムとしては現在のところ1982年にはYMCAと国立教育研究所の協力で製作された「開発問題学習カリキュラム」が唯一あるだけで、その後開発教育カリキュラムの開発は行われていない。協議会としても早急にこのことを考えるべきであろう。
以上の他、環境教育との関連、芸術系の科目での開発教育、学校・地域・市民団体の連携、ボランティアなどにも言及する予定であったが他日を期したい。いずれにしろ開発教育関係者はこれまでの指導要領をもっぱら批判する立場であったが、中教審答申を見るかぎり今後は私たちの従来からの主張が大幅に取り入れられる余地があると感じられる。そのためにも開発教育協議会としてカリキュラム開発・教材開発などを早急に進める必要があるのである。
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