2005年度前期 現代社会と日常生活 レポート講評

 

 最終成績の発表に先立ち、今回のレポートに関して講評を行ないます。

 

 全体としては、オンライン提出やID記入という条件にも関わらず、ほぼ問題もなく提出され、レポートの質としてもきちんとしていたものが多かったように思います。

 レポートへの評価には多くの人が期待されて結構かと思いますが、残念ながら期待に添えなかった人は、下記のようなポイントで本当に問題がなかったかどうか、手元にある(電子提出なので、そのはずですが)ものをもう一度見直してみてください。

 

<文献の参照について>

 今回のレポートで圧倒的に問題が多かったところなので、先に書きますが、文献の参照の仕方が不十分な人が非常に多く見られました。

 内容のいかんに関わらず、文献参照がないものはレポートと本来見なせません。その理由は、下記に挙げるとおりです(これは同時に、文献を参照さえすればこうした点を有利に進めることができることも意味します)。

 

 @客観的な情報を得ることができない

テーマについて考えるときに、偏った情報や個人の偏見を元にしては、考え方自体が誤った方向に向かってしまいます。

 A考え方を深めることができない

いくら個人で考えようとしても、おのずと考えられる点には限界があります。気がつかないポイントを明らかにするだけでも、他人の考えを参照することは非常に大切です。

 Bオリジナリティを示すことができない

個人の考えがオリジナルであるということは、あくまで他人との比較によって決まることです。時には自分と正反対の意見もきちんと見て、それとの違いを明らかにしなければ、最初から違う考え方を持った人を説得することはできません。

 

以上から、テーマに関する情報だけを持ってきても、考え方について文献がきちんと参照されていないものは、大きな減点の対象としました。

 また、講義ノートのみや、インターネットなどからの単一情報だけを参照している場合も、ある意味で「楽」をしていると判断して、減点の対象としました。以上にある文献参照の利点を生かすには、複数の情報を見ることはむしろ基本的なことです。参照する場合は、カッコ内でその参照文献と関連した部分を示す(多くは「是永〔2003〕」のように、その文献の著者名と年代で代用します)ことで、自分の議論がいろいろな根拠を持っていることをアピールします。これは特に紙幅が短いレポートを書く技術としては非常に重要だと思います。実際プロが書いている論文では、一ページにいくつもの参照箇所が出てきて、そのこと自体がいかに綿密に調べあげたうえで書かれているかを示しています。逆に、ただ書名を挙げられても、それがどう使われているかという痕跡がきちんと認められないと、これだけ文献を参照しているのに、この程度しか考察が深まらないのはおかしい、ということで、かえって「怠慢」な印象を与えかねませんん。

 形式はあくまで形式に過ぎませんが、短いスペースでいかにテーマに積極的に取り組んできたのかを効果的にアピールするには、やはり形式は重要であると認識してください。

 

<テーマについて>

 次に問題だと思われたのは、あまりにも多くの人に重複して書かれているテーマがいくつか見られたということです。今回多かったベスト(?)3は

 1.ゆとり教育と学力低下

 2.ニート・フリーター

 3.女性専用車両による差別

 でした。これらについては、単にテーマが重複しているだけでは問題としませんでしたが、そこから導かれる概念などがやはり結果としてほとんど似てしまったため、どうしても積極的に評価できる部分が薄れてしまいます。最近の出来事だけに、こういうしたものをすぐに使ってしまう心理は理解できますが、やはり最近大きく取り上げられれば、それだけ他の人も使うであろうことに、もう少し慎重になるべきかとも思います。

 多くの人が思いつきそうなテーマを意識して、そこから逆に他の人があまり取り上げないテーマを選べば、少なくとも読み手はより多くの関心を持って、より細部にわたってレポートを評価する構えができるはずです。評者がサッカー好きのことにお気づきの方も多いと思いますが、サッカーでも「スペースを突く」といって、相手のいないところにボールを送って、そこから攻撃をしやすくする、ということが行なわれていますが、同じように、人があまり考えないところのスペースをついて論文を書くことは、特にこうした大量の人の間で判断される場合、一つの戦略として考えた方がよいように思います。(これは就職活動のエントリー・シートとかでも全く同じでしょう)。

 レポートを書くのも読むのも人間のすることです。ただ機械的に書いたとしても、そこに一つの戦略がなければ、自分の書いたことを読み手によりよく評価してもらうことは難しいように思われます。

 

<出題意図について>

 今回の出題意図は、ズバリ矛盾について考えてもらうことでしたが、多くの人が講義として考えていた矛盾をきちんととらえていたのは評価できました。ただ、単なるトラブルや「社会問題」と区別することなく書かれていたり、また矛盾だけを指摘するだけで終わってしまったりしていた人がいたのは残念でした。

 また、やはり「矛盾」ということで、対応策でも「難しい」としか言えない人が多かったのです。しかし、そもそもこうしたことは「矛盾」と考えられているだけであって、よく考えてみると矛盾ではないのか、という考え方もあるはずで、出題意図としてはまさにそこを要求していたところもありました。ごくわずかですがそうした「解決策」を示した人がいましたが、そこまで行かなくとも、「矛盾」ということをもう少し慎重にとらえていたならば、すぐに袋小路に入ることもなかった回答も多かったように思います。

同じように、何について考えたいから、その出来事を扱うのかについて、もう少し慎重になったほうがよい例もありました。ただ何かを「矛盾だ」といっても、それ自体は簡単といえば簡単なことでもあります。あくまで練習問題ではなく、最終課題なのですから、事例を当てはめて考えた上で、もう少し教科書にプラスアルファした別の側面や問題をオリジナルの形で指摘し、考えをそこから進めていることをアピールしないと、すでに授業で習ったことをただ確認するだけでは、悪い印象はないにしても、積極的な評価は見出しにくいように思われます。単なる事例をいくつか挙げただけで、すぐに結論に入ってそれでよしとしてしまうのも問題です。

 

<章立てについて>

 今回はあまり厳密に要求しませんでしたが、きちんとした論理的展開を考えて書いているものがあまり多くありませんでした。その意味で段落に分けるというのは基本ですが、それも十分に意識されているとはいいませんでした。こちらで指定した節立ては、自転車の補助輪のようなもので、必要ないと思われる人はもちろん別の形で書いても結構ですが、多くの人はレポートを書きなれていないと思われるなかで、あえてすぐに手放しでのぞむよりは、せっかくのものを使わない手はないようにも思います。

ただ、それにしても、肝心の結論やまとめなどがついてなかったり、節のタイトルも内容の適切な要約になっていなかったりすると、あまり節立ての意味が出てきませんし、逆に論文の弱点をさらすことにもなります。

 文章の組み立てとしても、最後まで何が言いたいのかわからず、ただの事例の列挙に終わっている人もいました。もともと短いスペースで、いくつも違ったことを挙げても未解決に終わるのは明らかで、ただ、あれもこれも「矛盾」が適用できる、ではなく、一つの事例について、逆にいくつかの考え方を比較検討しながら当てはめてみて、段階を経ながら検討するように話を進めてもらったほうが、よい評価が与えられたように思います。その意味でも、内容の展開がきちんと把握できるように、一定の節立てをもって論文を構成するのは重要に思われました。

 

 以上の点は、本講義に限らずレポート一般の書き方に通じるものですから、大学にいる間にしっかりと身につけ、今後も実のある履修を行なってください。

 最終の成績はレポートに課題への得点を加えたものとして出されます。

以上

2005.8.3 担当 是永 論