2005年度後期 今日のメディアとジャーナリズム 

最終レポート課題講評(提出者69名)

 最終成績の発表に先立ち、今回のレポートに関して講評を行ないます。

 

 それに先立って、毎週2コマ続きで夜の講義に参加して、質問とコメントを提出された受講者の皆さんの労をねぎらいたいと思います。どうもお疲れ様でした。

 しかしながら、最終レポートでは逆にその疲れが出たのか、あるいは燃え尽きたのか、比較的長めの作成期間を提供したにも関わらず、全体としては考察があまり深められていないものが目につきました。

 以下のポイントにまとめて、今回その問題について原因と考えられるところを述べたいと思います。

 

1.形式・データの不備

 提出上の条件とはしなかったのですが、文献の参照が行なわれていないものが相当数ありました。また、項目立てや段落の整理といったものも不十分で、レポートの体裁として非常に読みにくいものが、すでに多く経験があると思われる3年生以上のレポートの中にも多く見られました。

 特に残念だったのは、講義で示された文献・資料の活用があまり見られなかった点です。授業内で提供された『事件の取材報道』なども、テーマの上では格好の資料であると思われたのですが、有効に活用されたレポートはごくわずかに留まりました。

 以上がなぜ問題なのかは、後述しますが、本来は基本的なものであり、この点が著しく不十分であり、かつ全体として明らかに考察が不足していると思われた場合、その点で不合格にしたものもあります。

 

2.視点の平板さ・抽象的あるいは限定的な結論

 参照が不十分であることは、従来の問題に対して新しい視点やアイデアをもたらすことがありません。その結果、講義ですでに示された内容をただ繰り返したり、単純に要約したり、といったものが目立ちました。

 やはり重要なのは、講義で示されたものを、オリジナルな視点で考察することですが、その際に、独自の具体的な例などをもって考えるといった、応用的な視点がないと、いかに同じ言葉を使ったとしても、いつまでもそれに対する新しい見方や考えの広がりは見られないはずです。

 そのため、ときには、講義で示されたことと反対の視点で考えることも重要でしょう。たとえば、多くの人が匿名で報道をすることの問題点を指摘しましたが、その一方で、実名で報道することについてもすでに多くの問題が指摘されています。この点に全く触れないで、ただ「匿名報道は問題だ」といっても、その点は講義ですでに考えられているはずです。むしろ、実名の問題や匿名のメリットなどを考えた上で、やはり匿名は問題だ、といった考察をしないと、独自の視点で考えたことにはなりませんし、反対の意見を持つ人は説得できないでしょう。

 その一方で、「私は〜が大切だと思う」という感じで、個人の嗜好や経験だけからの主張で考察を終えてしまう人が多かったです。ある考え方が好きだ、とただ言われても、それが嫌いな人とは最後まで分かり合えることはないわけですし、単に個人的な経験から言われても、それがどれだけ一般的に言えるのかは、やはり他人の立場からは理解できないことがあります。その結果、結論としては結局どちらともとれるようなものや、あるいは非常に限定されたような考え方しか主張できないことになります。

 具体的な事例で考えることは、一見、そのことについて限定的な見方でしか考えられないような印象があるかも知れませんが、特に紙幅が短いレポートでは、「中立性」・「公共性」など、はじめから一般的に受け入れられているように見える考え方のほうが実は厄介で、複雑な概念の整理にスペースをとられる一方で、その考え方だけをいくらひねくり回しても、結論はどちらともとれるような抽象的なことしか出てきません。これに対して、具体的な実例で考えることは、結論にいたる議論の道筋を分かりやすくし、その議論のプロセス全体が一つの一般性をもって、他の事例への応用の可能性を導きます。ただ、言葉の上で「公共性」と言ってみるのではなく、いかなるメディアの、どのような面をもって公共性とするのか、といったことを考えることがまず重要でしょう。

 

3.思考に用いる図式

 議論の道筋を明らかにし、結論に至る考えを深めるのには、図式的な考え方を用いることも重要です。

 たとえば今回のレポートには、ある講師の方が述べた「鳥の目・虫の目」という思考形式について触れていたものも多かったのですが、このような形式にのっとって考え方を進めること自体は、講義を実際に経験しないと得がたい重要なものです。残念なのは、そうした図式を示すだけに終わって、実際にその図式を使って考えを深めようとしたものが非常に少ない点でした。

 それは2で述べた実例を用いることにも関わることで、せっかくある考え方を参考にするのであれば、それを実際の例で使って見たときに、新しく何が分かるのか、と示すことがなければ、やはり考え方は広がることがありません。

 同じことは、文献の引用についても言えるものであり、引用はあくまで別の視点からの考え方をもたらすものとして使うものであって、ただの一般的なことばの定義や考え方を示すだけでは、少ない紙幅を使ってわざわざ引用するまでの意味はありません。引用することで、ある事例について今までは見えてこなかった側面が見えてきたり、新しい疑問が喚起されたりすることが期待されるのです。

 たとえば、メディアを比較するときに、「テレビが虫の目で新聞が鳥の目である」、といった考え方をすれば、両者の特徴を新たな視点でとらえることができるかも知れません。ただ、それだけでは不十分で、それがたとえば報道についてどのような意味を持つのか、といったことが示されないと、やはり今までの考え方をなぞっただけで終わってしまうでしょう。

 

 半年間、さまざまな講師の方の話に触れ、質問やコメントを考える苦労をされたことを生かすためにも、以上の点を参考に、(全員ワープロ提出されたので手元にあるはずですが)レポートをもう一度見直してみてください。

 最終成績は、今回のレポートのほかに、質問の提出/討議での採用、コメントの提出、司会・ノートテイカー等授業への協力姿勢などを加味して算出します。

 

以上

200628

 

レポート採点担当 是永 論