2005年度前期 人間関係原論A レポート講評(提出者141名)

 

 最終成績の発表に先立ち、今回のレポートに関して講評を行ないます。

 

 全体として、レポート準備期間を長く確保した割には、あまり「力のこもっていない」ように思われるレポートが目立ったのが残念でした。

 その理由については、下記に示すとおりです。

 

<出題意図について>

 今回の出題意図は、下記の条件Aにあったように、

「A講義で用いられた下記カッコ中の五つの考え方から少なくとも1つを選び、

 『アスペクト/シークエンス/互酬性/フェイス/煽りと鎮め』」

 講義における中心的な概念を使って、各自設定したテーマについて考察を行なうことを要求していました。したがって、当然、それを使用するにあたって、どれだけその概念について理解しているかが問われることになります。

  その点で、あまり深く理解をしていないと思われるままに、「少なくとも1つ」でよいのに、概念を語句の意味としては正しくない形で安易にいくつも使ってしまい、かえってそれぞれについての理解があまりなされていないことをうかがわせるような答案も見受けられました。

※特にシークエンスは、どうも誤解されているものが多いように思いました。ある出来事(行為)どうしのつながりを示す場合に、それが具体的なコミュニケーションを基盤としている限りにおいて、シークエンスというものが考えられるのですが、単なる事実どうしの抽象的な関連性のように扱っている人が多かったように思いました。

 

 逆に、なかなか簡単にはすぐ理解しにくいと思われる概念が多かっただけに、ある程度授業に出席をした上で、それらの理解を積み上げていく必要があったようにも思います。ただ、授業に出てないと全く分からないし、出席を大前提とするということではなく、少なくとも概念そのものの解説は教科書に詳しく出ているわけですから、結局は概念とことば(の使い方)の対応について正しくとらえようという姿勢があるかどうかの問題です。

 これは何も、必ずそれらの概念を「正しいもの」とした前提で使う必要はなく、概念について問題があると考えられる場合は、ある事例についてその概念を使って説明をした後で、そこで不足している部分などを示す方法もあったと思います。また、その概念の持つ意味がやはりよく分かられなければ、既存の文献から類似した概念を示しながら、それらを比較してその意味や意義について検討するという方向もあったように思いましたが、いずれもそうした姿勢のレポートはほとんど見られませんでした。その意味でも、概念を使うことについて慎重な姿勢が求められたように思われます。

また、レポートの内容としてはある程度完成していても、これらの概念との関連がほとんど見出せないものも、評価を与えることができませんでした。レポートを書く(あるいは授業を受けること)というのは、授業の中で示された教員の考え方との対話であるわけですから、それが個人として好きかどうかは別として、まずはその考え方について何らかの関連した内容を書いた上で、その概念について一定の評価をしてもらわなければ、こちらとしてもそのレポートをどのようにとらえてよいのか、よく分からないことになります。また、全く関連を考えないことを認めてしまっては、極端な話、一つのレポートを書いてそれをいろいろな授業についてのレポートにしてしまうことができることになります。

 

<問題設定・テーマの掘り下げについて>

 素材として選ぶ事例は、人によってはかなり工夫されていましたが、ただ、特定の事件などについては、特に以下のもので重複が目立ちました。

・リフォーム詐欺について

・インターネット心中について

 これらについては、単にテーマが重複しているだけでは問題としませんでしたが、そこから導かれる概念などがやはり結果としてほとんど似てしまったため、規定の通り、相対的に評価を下げざるを得ませんでした。最近の出来事だけに、こうしたものをすぐ使ってしまう心理は理解できますが、やはり最近大きく取り上げられれば、それだけ他の人も使うであろうことに、もう少し慎重になるべきかとも思いました。

 同じように、何について考えたいから、その出来事を扱うのかについて、もう少し慎重になったほうがよい例もありました。詐欺の例などでは、単に事例の内容を教科書に出ている概念に公式のように当てはめても、それ自体は簡単といえば簡単なことでもあります。あくまで練習問題ではなく、最終課題なのですから、事例を当てはめて考えた上で、もう少し教科書にプラスアルファした別の側面や問題を指摘し、考えをそこから進めていることをアピールしないと、すでに習ったことをただ確認するだけでは、悪い印象はないにしても、積極的な評価は見出しにくいように思われます。ただ事例との関連を挙げて、すぐに結論に入ってそれでよしとしてしまうようなレポートが多かったのが残念でした。

 

<章立てについて>

 これは前から書いていることですが、今回もきちんとした論理的な構成を考えて書いているものがあまり多くありませんでした。その意味で章立ては、自転車の補助輪のようなものですから、手放しで自転車に乗れる人にはそれが必要ないように、最初から文章の流れがうまく組み立てられていれば、おのずと章立てのようになるので、必ずしもつけることにこだわることはないかもしれません。多くの人はレポートを書き慣れていないと思われるなかで、あえてすぐに手放しでのぞむよりは、せっかくのものを使わない手はないようにも思います。ただ、それにしても、相変わらず「事例」と「考察」だけで章を機械的に設けている人が少なくありませんでした。肝心の結論やまとめなどがついてなかったり、章タイトルも内容の適切な要約になっていなかったりすると、あまり章立ての意味が出てきませんし、逆に論文の弱点をさらすことにもなります。

 文章の組み立てとしても、ただの事例に関連していると見られる概念の列挙に終わっている人もいました。もともと短いスペースで、いくつも違ったことを挙げても未解決に終わるのは明らかで、ただ、この事例にはあの概念もこの概念も適用できる、ではなく、逆に一つの概念について、いくつかの事例を比較検討しながら当てはめてみて、段階を経ながらそれぞれの意味について検討するように話を進めてもらったほうが、よい評価が与えられたように思います。その意味でも、内容の展開がきちんと把握できるように、一定の章立てをもって論文を構成するのは重要に思われました。

 

<引用や参照について>

 引用文献については、今回はあまり厳しい制限を設けませんでしたが、そのせいか「考え方」についてきちんとした文献を参照しているレポートが少なくなってしまったのは残念でした。ネット心中などを取り上げ、そのルポや取材などの文献を参照されるのは結構ですが、それだけでは「参考文献」としてはやや不足で、その事例についてどのように考えられるのか、ということを示す(社会学の)学術的な文献を参照しなければ、なかなか考察を深めることはむずかしいように思われます。

 またせっかく複数の文献を参照されたのに、それが文中のどこで使われているのかがよく分からないために、その効果が低いことがありました。参照はあくまで本文の引用と違って、カッコで参照文献(多くは「是永〔2003〕」のように、その文献の著者名と年代で代用します)と関連した部分を示すことで、自分の議論がいろいろな根拠を持っていることをアピールするものです。特に紙幅が短いレポートを書く技術としては非常に重要だと思います。実際プロが書いている論文では、一ページにいくつもの参照箇所が出てきて、そのこと自体がいかに綿密に調べあげたうえで書かれているかを示しています。

 

 形式はあくまで形式に過ぎませんが、短いスペースでいかにテーマに積極的に取り組んできたのかを効果的にアピールするには、やはり形式は重要であると認識してください。

 

 以上の点は、本講義に限らずレポート一般の書き方に通じるものですから、大学にいる間にしっかりと身につけて実のある履修を行なってください。

 

 最終の成績はレポートに課題への得点を加えたものとして出されます。

 

以上

2005.8.3

担当 是永 論