2005年度 立教大学社会学部 専門演習2 是永ゼミ 報告書

『曖昧な生きづらさ』をめぐって

実例による検証


目次


  1. 公共の場における分煙
  2. 障害者自立支援法を考える
  3. プライバシー保護について
  4. グラフィティをめぐる問題
  5. ホームレスと地域住民
  6. 下北沢の都市開発による生きづらさ

はじめに

 本報告書は、2005年度に是永が担当した専門演習のグループ実習報告書である。
 今年度のゼミは、草柳千早著『「曖昧な生きづらさ」と社会―クレイム申し立ての社会学』(世界思想社)をテキストとして、2名一組の報告者がそれぞれ各章の内容と、関連したサブ・テキストの紹介を行なう形で進められた。ゼミ後半の実習では、本書のテーマを引き継ぎながら、各グループで『曖昧な生きづらさ』について、適当と思われる題材を選んでその内容について調査を行なった。

 『曖昧な生きづらさ』とは、端的にいうならば、社会的な共通認識として成立する以前の、きわめて個人的なレベルに近い経験として現れる、人々の生に関するある種の「違和感」であり、テキストはこの違和感が一つの社会的なクレイムとして立ち上がる瞬間を、社会学における社会構成主義を手がかりにしながら解き明かそうとしたものと位置づけることができるであろう。
 ゼミにおいては、テキスト筆者の丹念な考察の足取りをたどりながら、社会構成主義における「クレイム」という概念を中心に学ぶことを目的として、テキストの読み込みを行なってきた。その学習の成果として、ここに五つの章を眺めたとき、他者における経験の理解の問題としてまず現れてくる、この「クレイム」という問題意識が、それぞれに一つの形をなして展開しているものと見ることができるだろう。

 あくまで一つの例として考えるならば、「グラフィティ」の問題は、本来のテキストからはやや違った形で、「生きづらさ」について見たものとして興味深いものであるといえるだろう。もともと、テキストでの生きづらさの多くが、個人的には違和感があるが、他人にはすっかりノーマルなものとして見なされていた(それによる「生きづらさ」であった)のに対して、この場合は、当人たちにとってはきわめてノーマルに近いものとして行なわれているものが、他のマジョリティにとっては違和感以上の「不快感」として、「生きづらさ」を生じているものとも見られるからである。分煙の問題についても同様で、嫌煙がマジョリティになりつつあるいま、喫煙という行為をするリアリティもまた、これに近いものになっているのかも知れない。
 しかしながら、こうした例を考えたときに、生きづらさそのものが「リアリティ分離」としてとらえられることの限界も見えてくる。そこにはそもそも、快/不快のような形で二つのリアリティの存在が半ば前提とされているのであって、一方のリアリティの存在が他方のリアリティの不在をそれぞれに伴うものとして見られている。しかし、いずれに立場にいようとも、われわれが実際にこうした行為を達成するときに、少なくともそのような多重のリアリティ(すなわち曖昧さ)を前提とすることは、必ずしも不可欠ではないように思われる。他人の目を気にして吸われるタバコは、当然その場面における他者に対する「気づかい」そのものを対象(トピック)とするための道具立て(リソース)なのであって、当事者にとっての快/不快という次元は少なくとも場面として問題(レリバント)になっていない(その意味で決して曖昧ではない)ように考えられるからだ。逆にそうした対立が人々において顕在化する場合、そこでは、ただ無造作に両者の対比が前提として理解されるのではなく、それらを「対比すること」そのものによって、人々が何がしかの行為(相手への非難あるいは何らかの治療など)を行なっていること自体がはじめて理解されるはずである。むしろ、後者のような理解なしに、そもそもある対比を行なうことそのものがそこにいる人々の理解に上ることもない。その意味で、タバコの快/不快とは、あくまである社会的な場面におけるタバコを吸うという行為として争われる時点において成立するのであり、たとえばシックハウスにより、その場で同じ瞬間に同じように受動吸引させられているアセトアルデヒド(タバコと同じ毒性!)についての快/不快の問題は、そのままでは理解として現れては来ない。また一方で、これだけ広告が氾濫している都市空間において、われわれは、ほとんど同じように壁や柱に描かれているはずの「グラフィティ」を、それほど曖昧に思うことなしに-むしろ断罪するがごとく-「非難する」ことができるのである。
 そうなると、「曖昧な生きづらさ」とは、そもそも誰の次元で経験され得るものなのか、ということが問われてくるのであり、あくまで「曖昧に」見ているのは分析者だけではないのか、ということにもなるのかも知れない。

 かなり話の枠を踏み出してしまったが、このような考察が仮にでも可能なのは、今回のグループそれぞれが努力して調べてくれたものに多くを拠っている。大きく自信を持って、今後の研究にのぞんでもらいたい。

 最後に、修論執筆を控えた忙しい中でTAとして実習に協力してくれた池上賢君に感謝を申し上げる。

以上




担当指導 社会学部助教授 是永論

 ※本報告書は、特に印刷文書としては発行しておりません。