2006年度社会学科・産業関係学科講義(後期)
情報行動論 レポート講評および総合成績について(提出者152名)


成績発表に先立ち、レポートの講評と総合評価について説明します。

 まず、レポートに関しては、端的に行って「お手軽な」レポートが目立ちました。これは課題に示された条件をよく読んでないといった単純なミスに始まり、課題に対して非常に消極的な姿勢で、いかにも「楽をして作った」という感じのものが多かったということです。そこを中心に注意点を以下に挙げます。


①「社会背景」に関するデータの問題
  

 今回は広告の社会背景となる調査データを挙げるという条件でしたが、「社会背景」という言葉がよく理解されていなかったのか、情報機器の普及率や契約数だけを示すものが多かったです。確かに携帯電話の広告は、社会にある程度携帯電話が普及していないと成立しないのかも知れませんが、これではただ「社会に携帯電話が存在するから、広告が行なわれている」という、当たり前のことを述べている以上の意味はないように思われます。前提としてこうした普及率を示すのはよいとしても、普及率と契約数といった似たようなデータを挙げているものもあり、そもそもデータを挙げることの意味が考えられていないようでした。単なる普及率ではなく、少なくとも年齢や性別といった属性での普及率を示すのであれば、「特に~~の人々に普及しているから、こういう広告が行なわれている」ということで、一つの「社会背景」を示すことにはなるでしょう。今回問われていた「背景」とはもちろんそれだけではなく、核家族化や単身世帯の増加といった世帯動向や、さらに人間関係についての意識といったものであり、授業でもそういった面を紹介していただけに、そこまで示すものが少なかったのは残念でした。

 また、使用されていたデータもインターネットから探したというよりは「拾ってきた」感じが多かった印象があります。なぜなら、単なる普及率のデータであれば講義で用いた資料を使うことが認められていたはずですから、そちらを指定すれば済むだけの話で、逆にそれが使われないで、特定のデータだけが集中して使われていた(某大学の講義資料である「情報処理概論」のデータが非常に多かったです)のは、単に手軽に検索して使えたからなのでは、という疑いがありました。特に携帯電話とインターネットの普及について示すためだけに、こうした「授業外のデータ」をわざわざ使ったものが目立ちましたが、これも課題条件をよく読んでいない疑いを大いに示すものでした。

 ※もちろん、引用データ数が限られ、複合した情報がないために授業外のデータを使ったという例もあるので、講義資料に関しては引用数を制限しない方がよかったという反省もあります。
 また、「調査データ」と指定したはずが、ただの新聞記事などの引用をデータとしているものも目立ちました。これも授業に出ていれば統計を中心としたデータであることは明白だったように思うのですが‥

 

②テーマの集中
 今回の課題で示した条件に、「類似したテーマや資料が使われている場合は、評価が相対的に低くなる」ということがありましたが、その条件を考えていたのか疑われるほどに、テーマと使用する広告やデータが重複したものが非常に目立ちました。

 今回目だって多かったのは、
・iモードの広告
・携帯電話普及と携帯電話のマナー問題
・auの比較広告/Jフォンの写メール/IBMのeコマースなどの経営戦略
 といったものでした。

 同じテーマだから即減点、ということではありませんが、大体テーマに従って使用される資料も結局類似してしまうので、データの使い方が工夫されていないものは結果として独創性の点で評価が低くなったものが多かったです。

 
③広告の使い方
    今回の課題の特徴は、必ず広告を題材とし、その「メッセージ」について、社会背景を示すことでしたが、この点で不十分なものが目立ちました。つまり、ただ携帯電話やパソコンの写真が出ている広告以上の意味がなく、広告の内容やメッセージにまで踏み込んでその意味を考えたものが少なかったということです。携帯電話であれば、「携帯電話について~~のような使われ方やニーズが高いので、○○というメッセージのある広告が作られた」といった話であれば、そうした使い方や意識に関するデータを引用することになりますが、こうした広告の分析自体がないために、ただの普及率以上のデータを示すことができなかったケースも多くみられました。
 また特に携帯電話については、これまで厖大な種類の機種が出てきたにも関わらず、引用された広告が重なるケースが多く(特に日立の特定の携帯電話の広告が多かったです)、これもやはり扱い方によっては、独創性の点で減点をせざるを得ませんでした。

 
④参考文献の使用
 最後に気になったのは、ただ調査データを示すだけで終わり、社会背景に関して参考文献を用いて考察したものが少なかった点です。これは完全な条件とはしていなかったのですが、文献としての根拠を持たないことで、結果としてただの類推に終わって説得力がないものが目立ちました。授業の中で大量に参考文献の書籍を挙げていたにも関わらず、インターネットの資料だけしか使われていないうえに、それも類似した内容の提示が多かったので、この点は評価を左右するポイントしては重視しました。

 インターネットの情報を使うことはもちろん制限されるものではありませんが、やはり情報の根拠や信頼性という意味では、どうしても書籍情報に比較するとそれを裏付けるものに乏しく、また検索で探すと大体似たようなデータに行き着くために、逆に多様な視点からの情報を得にくいという欠点も目立ちます。コピペが是か非かといった話以前に、ネット自体がいまやあまりにも手軽な手段であるがゆえに、「手軽にやっている」という前提もついて回るところでは、図書館できちんと探した人の方を評価したくなるのは、必ずしも心情だけの問題ではありません。ネットで探したものはネットだけで済ますのではなく、その原典を図書館で探すといった工夫が望まれます。

 また、インターネット情報については、URLだけを示すケースが圧倒的に多かったのですが、URLとはあくまで発行元の情報なので、これも書籍と同じくページのタイトルを示す必要があります。



 全体として、携帯電話をテーマとしたものが圧倒的に多かったのですが、あくまで条件は「5年以上前」のものなのですから、その意味では普及してたかだが10年のメディアよりは、半世紀経ったテレビや20年経っているパソコンなど、他のメディアの方が実は資料が多く、また考えるべき社会背景もさまざまにあったように思われます。この意味で、携帯電話へのテーマの集中もまた、「お手軽さ」を感じさせるものでした。

 



  最後に総合評価についてですが、270名以上の登録者に対して提出者は55%と約半数で、さらに提出者の中でも三分の一は平常点が10点未満であるなど、受講姿勢そのものがどれだけ真剣になされていたかが疑われる以上、その評価は相当に厳しいものとなりました。これは通常の授業で私語が非常に多かったこととも無関係ではないでしょう。また、単純な試算としても、レポート評価は全体の70%までなのですから、平常点が0点で望んだ場合は、85点という高得点を挙げないと単位そのものが望めないはずです。その状態でレポートを出した者が数名どころではなかったというのは、よほど自信がおありだったのか、あるいは考えがなかったのか、どちらなのでしょうか。

 今回は一時限目の授業でしたし、履修しにくいとか履修したくないといったことは個人の自由ですが、履修を開始したことに始まり、教室まで出てきて受講する以上は、話をよく聞くとか、講義資料や情報をきちんと管理するといった、それだけの責任が伴います。平常点はあくまで、そうした責任を持った受講態度を、課題提出に即して評価して与えているものです。欠席したり、また出席しても私語等をしているということは、その責任を果たしてないということだけでなく、結果として講義情報を十分に得ず、またきちんと情報を継続して管理しないままに受講したり、レポートを提出することにつながります。引用されるデータの種類や文献の提示の仕方など、今回提出されたレポートの多くが何がしかの提出条件を満たしていなかったことが、それを如実に示していました。今回多くの人が目にする結果は、そうした責任の放棄がもたらしたものとして、厳しく受け止めてもらうものになるでしょう。
 

2007.3.7

是永 論

立教大学 社会学部 是永論研究室