2008年度 社会学部講義(後期) 
情報行動論 レポート講評(提出者172名)

成績公表に先立ち、今回のレポートに関して講評を行ないます。

まず、大変残念ながら、全体にレポートとして求められている要件を根本的に満たしていないものが目に付きました。それだけではなく、逆に学問的なレポートを提出する基本姿勢が疑われるものが必ずしも少なくありませんでした。そのため、不合格となるレポートが例年に比べかなり多くなる結果となりました。

 以下では、以上の理由を含めて評価のポイントになった点を述べます。

1)レポートのテーマについて

 まず、今回のレポートは、「西暦2000年以前に表された、情報機器または情報サービスの使用場面」を具体的な画像や図像によって示すことが基本となっているため、時期や場面の内容を含めて、それらを満たしてないものは、大きな減点対象となりました。
 特に、画像や図像に即した使用場面の説明が見られず、いきなり「若者の携帯電話について」などといった形でレポートが開始されているケースの場合は、他の科目で提出したレポートのコピーにただ画像を添付するなどして「使い回し」している疑いも認められるため、致命的な減点としました。今回の場合、「使いまわし」そのものが問題であるというよりは(もちろんカリキュラムの運営上は非常に大きな問題ではありますが)、こちらが一定の形式とテーマを示しながら回答を求めている以上、その要求を敢えて無視するような態度は、試験としての厳正さと公正さをはかる意味で、きびしく容認しがたいものであると考えたからです。
 具体的な画像の内容としても、単なるテレビや携帯電話といった情報機器の写真が単独で掲載されている広告のような場合は、その機器に対してどういう行動が行なわれているか、という「使用場面」を明示していない以上(単にそういう「広告が行なわれている」という解釈は曲解でしかないでしょう)、単なる「広告の分析」としての他のレポート課題の流用したのではないかということで、実際にそう疑われるケースが必ずしも少なくなかったことも合わせて、レポートとしての全体評価について大きなマイナスとなりました。
 逆に、具体的な場面をきちんと提示しており、その状況を細かい視点で分析しながら社会背景を読み込んでいく姿勢が見られた場合は、多少文献的な根拠が弱い場合でも、積極的な評価を与えました。これは、画像などの資料を探すことや、分析をするにあたっての一定の労を称揚することもありますが、メディア研究の方法としても、このようなドキュメント資料への深い読み込みが、今後有利となることは現実に予想されるからです。実際、今回皆さんから挙げられたマンガの場面は、皆さんがメディアが変化する時期にいたことも合わせて、それぞれにかなり興味深い社会背景を表しているものとして評価できました。また、特定の作品がデータとして使いやすいことが発見できた意義もありました。
 その意味では、単独のごく短い場面しか取り上げず、またそれが「~~のメディアやサービスを扱っている」など、表面的に分かることしか書いていない場合も、テーマとしての消化が不十分であると判断されました。広告に限らず、その状況について使われている個々のことばであるとか、どういった人物がそこに登場して何をしているのか、といったことにまで目を配らないと、場面の特徴を見ていることにはならないように思われます。この点について大まかな点しか挙げられないと、結局その背景について参照するデータもやはり大まかなものになり、積極的な評価を与えることはできませんでした。


2)文献参照について

 以上のように、今回は「使用場面の分析」という条件を重視したので、その分引用データや文献参照については、やや基準を緩めたところがあります。
 しかしながら、以降は例年指摘していることでもありますが、本来の趣旨としては、講義資料を含めて、統計資料を有効に活用しているかを見ることもあったので、実際に出されたデータについて、授業テキストや講義資料と違うデータでありながらも、明らかに内容的に重複していたり、非常に傾向をとらえにくい数表による数字の表示などが見られたのは、やはり残念でした。たとえば十代を中心とした「若者の情報行動」について、世帯全体の普及率などのデータを参照しても、多くは成人を対象とした世帯単位の行動となるので、年齢別データなど、年代によって異なる要素を分けていない以上は、必ずしも引用データとして適切ではない場合も出てくると思われます(ご承知のように、レポートの条件としては、「最も適切であるデータ二点」を選んで引用するように指定しています)。視聴率調査のところで見たように、世帯調査と個人調査の違いはデータの解釈にも影響をもたらす場合もあり、何の対象をどういう形で分けて調査したデータであるのか、あらためて注意する必要があります。また、授業の内容からすれば、参照データは必ずしもメディアや情報サービスだけに関わるものである必要はなく、生活行動や社会意識に関するデータなどがもっと用いられてもよかったでしょう。

 同じく、文献参照についても、参照をすること自体の意味があまり理解されていないように思われました。文献を参照する目的の一つは、その文献にある一つの考え方を参照し、新たな視点を取り入れることで、テーマについての考え方を深めるためのものです。そのため、文献についてはタイトルだけでなく、その考え方の参考となった部分にそってページ単位で細かく参照する必要もあります。
 しかしながら、今回の場合は、社会学原論や基礎演習で使われている基礎的な教科書を、ただタイトルとして示すだけで終わるものも少なくありませんでした。これらは標準的で基礎的な考え方を広めるためのもので、必ずしも最新の現象や考え方について対応していない可能性もありますし、何より自分で探すのではなく、授業で与えられた文献だけ考える姿勢では、そうした新しい発想はなかなか出てこないでしょう。
 たとえば携帯電話が急激に普及したという現象があったとして、その現象についてどういうことが社会学で考えられてきたのかが、最新に近い研究の文献で示されることがないと、ただ「この時期に携帯電話がすごく普及しました」という話で、社会学も何も出す余地はないままに終わってしまいます。これに対して、新しい研究動向を取り入れた文献を見ることによって、その時期の携帯電話普及がどのような特徴を持っていたのかについて、研究上の視点から現在と比べながら、きちんと見つめなおすことが可能になるのです。また、この「情報行動論」が単なる情報技術や情報産業の変化ではなく、一般の人々の経験的なものを考える対象としている以上、授業テキストの参考文献にあるようなコミュニケーションや社会組織に関する研究を参照することなしには、そのような部分には接近することは難しいように思われます。
 そもそも、この科目が社会学部のカリキュラムとして展開しており、科目について社会学的な考察が求められるのは、そうした意味から考えられることです。よく本学科の教科がどれもメディアを扱っているため、よく似たものであるような印象が出されますが、たとえ全く同じメディアを対象としていても、そこに接近するための研究上の背景や方法などは実際に研究をしている講師について全く異なっているはずで(今回のテーマもまた、私自身がドキュメント資料の分析を行なっていることによるものです)、だからこそ、それぞれに異なったものとして科目と講師が配置されているのです。したがって、複数の科目に同じ内容のレポートを出すことはマナー以前に論外であるとしても、そのような個々の授業の部分をきちんと見ないで、ただ単位獲得の機会としてしか各科目の違いを理解していないのであれば、日ごろの受講時に私語のひどさが一向に改善していないことも合わせ、皆さんの学習態度として大いに憂うべきものではないかと思います

 最終的な成績評価はレポートに授業での課題点などを付加して総合的に算出されます。

 以上


 2009年3月11日

 是永 論

立教大学 社会学部 是永論研究室