2012年度 立教大学社会学部・共通科目(後期) 
エスノメソドロジー レポート講評(提出者57名)

 今回、担当科目としてはじめてのもので、講義内容への理解についてこちらとしては不安がありましたが、全体的にこちらの要求する課題に対してきちんと答えようとしているレポートが多かったように思います。
 その点で、課題に示した条件に大きな逸脱のない限りは、一定の評価を与えるようにに採点しました。

 一つ評価の分かれ目となっていたところでは、「規範の参照」という点について、CMやマンガなどの単なる場面の内容説明にしかなっていない場合は、そこで指摘されていることが規範として理解できるものであっても、それだけは十分な評価とはしませんでした。
 その理由は二つあります。

1)相互行為上の手続きとの関連
 この点については、授業で扱った「行為連鎖」という規範の参照にも関わりますが、あくまで個々の行為は、他の行為者か、あるいはその前後にある行為との関係において、特定の規範を参照するという考え方が重要となります。
 つまり、単独の行為や人物のグラフィカルな特徴を上げて、それだけをもって、規範が参照されていることを示すのでは、不十分であるということです。
 確かに、講義では概念による規範の参照という点については指摘しました。しかし、それはあくまで、取り上げた具体的な場面における個々の行為を理解する際においてのものであって、単に「一般に○○という行為は〜〜がするものとされている」という役割概念から、場面上の人物が実際にこういう行為をしていると理解できる、という分析では不十分になります。
 その一つの理由は、ある行為が、一つの役割概念だけで理解できる可能性がそれだけでは示されないことにあります。逆にカテゴリー集合といった考えが必要になるのも、この点によります。つまり、「母親」は「娘」や「子ども」といった集合{親子}について、その行為を理解されるのであって、その関係の参照、すなわち規範の参照によって、グラフィカルな特徴といったものが理解されると考えられるからです。
 この点で、たとえば「料理は女性がする」という規範が社会にあるので、この場面ではこの女性が料理することが期待されている、といった分析は、確かに規範を示してはいますが、相互行為的な規範の参照を分析していると考えるのは不十分になります。

2)規範の参照がもたらす概念の結びつき
 もう一つの点は、特定の手続きにしたがってある規範を参照することが、さらにそれぞれの行為者において行われている複数の行為を結びつけたり、その場面に描かれているモノや人のカテゴリーを関連のあるもの(レリバント)にした理解を導く点が、ただ「料理は女性がする」といった前提だけによる規範の指摘だけではもたらされない、ということです。
 この点には、場面の行為をどれだけ具体的な発話や動作に表して分析しているのかが、大きく関連してくるはずです。なぜなら、そのような形でそもそも複数の行為として表されていなければ、行為どうしの関係を見た上で、その関係に即して規範の参照が行われているということが指摘できないからです。
 たとえば、「料理する」という表現ひとつをとっても、Aという調味料を取って、それからBという材料と取って、といった形で動作が分析されなければ、AとBに関わる行為の関係も示せない、ということです。
 こうした点で、単にCMの引用先を示しながら、大まかな場面の説明しかしていないものなどは、そもそも「規範の参照」を分析する機会をそれだけで逃しているものと考えてもよいかと思います。 一方では、ことばの掛け合いなどを題材に選んだ場合は、必然的にその関係を説明しなければならないので、そこから結果的に条件を満たすことがありました。

 今回は担当教員による初めての授業科目ということもあり、そうしたエスノメソドロジーのアイデアがうまく伝わってない部分があったかもしれませんが、授業で用いた用語や考え方、あるいは参考書の内容が全く使われずに説明がなされていたレポートも多かったことや、補講の出席者もゼロで、ふだんの授業後に内容に関する質問が、完全に一回もなかったことから考えると、その点は提出者側の責任にも関わる部分ではないかと思いました。
 逆に、分析されている事例が、授業で出てきた考えとこういう関係があるのではないか、という指摘が明示的になされているレポートについては、根拠の提示として一定の評価をしました。

 最終的な成績については、今回のレポートに加え、5回の授業内課題提出への評価にもとづいて総合的に算定しています。

以上

2013年 2月22日
是永 論