講義に対する基本的な考え方について説明します。もちろん、状況によって方針を多少変えることがありますので、あらかじめご承知おきください。
 

 
 
内容(クリックすればジャンプします)
 
講義への出席について
試験の解答形式について
マネジメントについて
授業評価に関連した学内サイト
 
 
 

 
 

講義への出席について

私自身は、出席したという事実それだけをもって評価するという立場はあまり取ることがありません。第一に、出席するということだけが何らかの意味を持つのではなく、あくまで出席してからすること――聴講による授業の理解と、質問による応答といったことに対して、初めて評価されるべきものが出てくると思われるからです。ただし、現状では聴講中に私語がしばしば見られること=つまり「聴いてないこと」に加え、質問もほとんどないことから、確かにこうした面を評価したいというのは理想的なところがありますが。

もう一つは、科目選択をはじめとする、選択性というものが大学における基本的な学習態度であると考えるからです。出席して講義を聴くということが中心であることは疑いないことですが、これはあくまでコミュニケーションの手段としては一つに過ぎないと考えられます。文献を中心に学習するということが得意な人もいるし、逆に講義の場において口頭で伝達されるほうが頭に入りやすい、ということもあると思います。インターネット等、これから様々なメディアが増える中で、あくまで全講義出席ということがどれだけ優位性を主張できるかは疑問です。ただし、私が学生の頃の経験からしても、講義の力ではじめて理解ができたものも多く、興味を長く維持できるというメリットを大いに感じましたし、講義でしか得られないものというのは必ずあると思います。また、直接の応答するコミュニケーションとして、受講態度により授業のペースを変えたり、内容を変更したりするというのも、やはり講義ならではのことだと思います。

加えて、選択性ということでいうならば、この講義には80%の力で臨む一方で、他のある講義に120%で取り組みたい、ということも、もっとくだければ「単位だけもらえればいい」というのも、その中には事実としてあると思います。

こうした中で、出席を義務化して一定時間拘束するというのは、逆に私語の原因にもなるし、講義を主に考えている学生の妨げにもなることがあるように思われます。

もちろん、出席と試験成績には非常に強い相関があるというデータもありますし、出席調査に伴うデータ管理の煩雑さも、本学では学生証をカードリーダーで読み込んだりすることで技術的にはかなり省力化されていると聞きますので、こうしたものの導入によって、やはりある程度出席を重視するということについては当方としても考慮する部分はあるかと思います。

そこで、折衷的ではありますが、とりあえず毎回出欠のデータをとるのではなく、ランダムに抽出した一定回数の出席を評価に加えることを標準の評価形式として考えています。毎回取らない、という形式によってある程度「お客さん」的な出席を排除できると思いますし、出席で評価を受けたい人は、出ていればそれに当たるということですから、公平性は保てると思われます。単純な試算によると、150人登録の授業で60%の学生が毎回出席していると仮定した場合、四回程度出席調査をすれば、毎回の出席を全数調査した場合と誤差5%の範囲内で一致するという(つまり「いつも出ているのに、その時たまたま出られずに評価を受けられなかった」という人が5%以下しか現れない)ことですが、これだけではその中でも毎回出席していない人との差までは考慮できないのはやはり問題でしょう。しかしながら、厳密に毎回実施するとどうしても出席が義務化してしまうところがジレンマです。

それに加えて、講義中の課題提出をもって評価することについては、授業の理解度も反映される分意義があり、従来も対象とはしてきましたが、授業期間中に採点し、ソートした上で記録するという処理の煩雑さからなかなか実施しにくかったのが実情です。しかし、これについても、マークシート形式による解答用紙を昨年から導入しましたので、なるべくマークシート形式の小テストといったもので反映させたいと考えています。



試験の解答形式について

 これについては、まず問題となるのが履修者数です。多様で複雑な評価体系を持って成績を判定したいのはやまやまですが、履修者数の規模によってそれも様々な制約を受けることになります。本学科の現状は他学部よりも定員が少ない分、履修者500名以上という規模はさすがにありませんが、2000年度担当科目の情報行動論の履修者は産業学科と共通のため400名以上に上りましたし、今後新学科の設立・他大学との単位互換制度等の状況を考えると、対応が求められるところです。

 具体的な問題として、記述形式の場合、履修者が多くなるとそれだけ採点への時間と労力が増加し、評価の正確性と統一性を保ちにくくなる、ということが指摘されています。現状では採点講評にもある通り、多様な評価基準を設けて万全を期しているところではありますが、まだ若くて(笑)体力があるからやっていけている、というのが一方で偽らざる心境です。

 それに代わるものとして、択一の選択形式が考えられますが、これはマークシートによる5択式の解答用紙が本学では準備できるそうです。一方で手抜きではないかという指摘もあるそうですが、記述式が単純な設問でも可能であるのに対して、相当数の問題を一定以上用意する労力もありますし、問題数が多い分評価される部分も広くカバーできることになりますから、決してそのような批判は妥当ではないと思われます。ただし、社会学の場合、必ずしも一問一答の形式にはそぐわない性格の問題が多いと思われますし、やはり単なる暗記科目となって機械的に処理されるということへの違和感も強く感じられます。

 そこで、当面は記述式を優先とし、一部にマークシートでの選択式を導入するという方針でやっていく予定です。当然、平常部分の評価が関係してくるので、バランスは一概には決められませんが、平常評価が良好であれば、単純な選択式の試験を部分点とする方向も考えられますし、逆に試験に比重を置けば、多面的な評価基準を保つために選択問題と記述問題を組み合わせるといったものも考えられます。

 



マネジメントについて

 マネジメントというのは、確定した用語ではないのですが、授業計画から、日々の講義の実施、成績の管理、最終評価といった一つの講義の運営・維持・管理全般についてのことです。現状では、確かに講義のマネジメントというのは教員の状況にかなりの部分で依存しています。これに対して、現在多くの大学で見られている学生による授業評価のように、そのマネジメントの一端に教員以外のものが関わろうという動きも見られています。

授業評価には、多くは学生から見た授業内容や講師の授業態度が基準となっているようですが、客観性を保つ困難さや、欠席している学生の評価が入る等の不具合を指摘する意見も見られますし、本学でも実施に関してはいろいろと論議を呼んでいるようです。個人的には、それだけでなく、事実として大学教員という職務が校務から研究まで非常に多様な状況に置かれている現状で、一律なマネジメントの形式を求めるということの問題があるようにも思われます。もちろんこれは授業の形式にも関わってくるもので、ゼミというものもそのマネジメントに積極的に学生を関わらせることを制度的に行なっているものと見ることもできるでしょう。授業内容にしても、研究先行の状況であればどうしても専門色は強くなりますし、逆に基本的な理解を目的とするものはそれだけに多くの準備を必要とします。

問題が広くなりますので、ここではあくまで比較的大人数の履修者による講義形式の授業での、成績評価という面に絞って考えると、確かにそのような形態ではあまり多くのものがマネジメントに関わるとかえって統率がとりにくくなる、という点が大きいと言えます。たとえば、学生に質問用紙を配ってそのコメントによって講義を進めていくという形式も、やはりマネジメントを学生の側に置いた一つの試みと見ることができますが、これに関しては非常に多様なコメントに対応する必要が出てきますし、それに対応する労力もまた大きなものになると考えられます(実際きちんと実施されている例は多いので、労力の問題はあくまで周辺的なものですが)。

私の考えとしては、講義というものがあくまで講師の考えを(一方向的に)伝達することが基本となって成立している以上は、個々のフィードバックは疑いなく重要であるとしても、それを直接的な運営方針として進めることは現実的に難しいような点も多いと思われます。それよりは、学生の側で、講師の側とは別に、自分たち独自の評価(されたい)基準というものを作り出して、それを自主的に管理していくという試みがあってもよいのではないかと思います。つまり、出席がとられない(評価してほしい)ようだったら、自分たちで自主的に出席記録を管理して提出するとか、レポートの課題内容について他の講義との関連から選定の提案を出すとか、いろいろな方向があるような気がします。もちろん、出席記録に関しては作為の危険も考えられないわけではありませんが、登録者中の出席率の推移が分かるだけでも、こちらであらためて出席調査を考慮したり評価方針を決めたりする上でも大きな参考になるはずです。そういうデータが蓄積されれば、自主的な授業評価を行なう場合でも、結果の持つ説得力は大きく異なるはずです。

自分以外の私語にフラストレーションをためたり、逆に影でノートコピーなどの「対策委員会」をこそこそ作られるよりは、自主的な「運営委員会」を組織されたほうが、よりオープンで快適な授業環境を作ることができるのではないでしょうか。