◎講義への出席について
私自身は、出席したという事実それだけをもって評価するという立場はあまり取ることがありません。第一に、出席するということだけが何らかの意味を持つのではなく、あくまで出席してからすること――聴講による授業の理解と、質問による応答といったことに対して、初めて評価されるべきものが出てくると思われるからです。ただし、現状では聴講中に私語がしばしば見られること=つまり「聴いてないこと」に加え、質問もほとんどないことから、確かにこうした面を評価したいというのは理想的なところがありますが。
もう一つは、科目選択をはじめとする、選択性というものが大学における基本的な学習態度であると考えるからです。出席して講義を聴くということが中心であることは疑いないことですが、これはあくまでコミュニケーションの手段としては一つに過ぎないと考えられます。文献を中心に学習するということが得意な人もいるし、逆に講義の場において口頭で伝達されるほうが頭に入りやすい、ということもあると思います。インターネット等、これから様々なメディアが増える中で、あくまで全講義出席ということがどれだけ優位性を主張できるかは疑問です。ただし、私が学生の頃の経験からしても、講義の力ではじめて理解ができたものも多く、興味を長く維持できるというメリットを大いに感じましたし、講義でしか得られないものというのは必ずあると思います。また、直接の応答するコミュニケーションとして、受講態度により授業のペースを変えたり、内容を変更したりするというのも、やはり講義ならではのことだと思います。
加えて、選択性ということでいうならば、この講義には80%の力で臨む一方で、他のある講義に120%で取り組みたい、ということも、もっとくだければ「単位だけもらえればいい」というのも、その中には事実としてあると思います。
こうした中で、出席を義務化して一定時間拘束するというのは、逆に私語の原因にもなるし、講義を主に考えている学生の妨げにもなることがあるように思われます。
もちろん、出席と試験成績には非常に強い相関があるというデータもありますし、出席調査に伴うデータ管理の煩雑さも、本学では学生証をカードリーダーで読み込んだりすることで技術的にはかなり省力化されていると聞きますので、こうしたものの導入によって、やはりある程度出席を重視するということについては当方としても考慮する部分はあるかと思います。
そこで、折衷的ではありますが、とりあえず毎回出欠のデータをとるのではなく、ランダムに抽出した一定回数の出席を評価に加えることを標準の評価形式として考えています。毎回取らない、という形式によってある程度「お客さん」的な出席を排除できると思いますし、出席で評価を受けたい人は、出ていればそれに当たるということですから、公平性は保てると思われます。単純な試算によると、150人登録の授業で60%の学生が毎回出席していると仮定した場合、四回程度出席調査をすれば、毎回の出席を全数調査した場合と誤差5%の範囲内で一致するという(つまり「いつも出ているのに、その時たまたま出られずに評価を受けられなかった」という人が5%以下しか現れない)ことですが、これだけではその中でも毎回出席していない人との差までは考慮できないのはやはり問題でしょう。しかしながら、厳密に毎回実施するとどうしても出席が義務化してしまうところがジレンマです。
それに加えて、講義中の課題提出をもって評価することについては、授業の理解度も反映される分意義があり、従来も対象とはしてきましたが、授業期間中に採点し、ソートした上で記録するという処理の煩雑さからなかなか実施しにくかったのが実情です。しかし、これについても、マークシート形式による解答用紙を昨年から導入しましたので、なるべくマークシート形式の小テストといったもので反映させたいと考えています。
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