 |
 |
 |
|
|
 |
|
金 勝利さん (7 期)
1978年生まれ。東京朝鮮中高級学校から明治学院大
学国際学部入学・卒業後、ユーピーエスサプライ
チェーンソリューション・ジャパン株式会社入社。
韓国籍の在日コリアン三世である自身を基点として
「朝鮮半島問題」に取り組みつつ、仕事と学業の両
立を目指す社会人学生。
|
21世紀社会デザイン研究科は、MBAを取ろうと考えて大学院を探していたと
きに知りました。私のような社会人が大学院に行こうとする場合、ビジネススクー
ルで実践的な「知」を学んだ方が仕事をする上では役立つでしょう。しかし、改
めて自分と真剣に向き合い、見えてきたのは「自分自身のアイデンティティ」と
いう問題意識でした。
大学生までは、特に「在日」である自分を意識したことはありませんでした。
ところが、社会人になると名刺交換などの場で「北ですか?南ですか?」と聞か
れることが多くなったのです。なぜこのような質問をされるのだろうか?という
疑問から、やがて社会問題や民族問題、歴史問題とどう向き合っていくべきか考
えるようになりました。大学院に行くなら、自分自身と社会のかかわりを考える
ことのできるところへ行こう、足元を固めることが、やがて仕事でも役立つだろ
うと考え、今年4月に入学しました。
入学してから、改めて私は「井の中の蛙」だったことを知りました。さまざま
な人生を経てきた人々と同級生になるということは、驚くことや、感心・感動す
ることが多く、本当に刺激があることなのだ、と実感しています。また、ビジネ
スと直接関係のないように見える授業から、仕事をする上で大切なヒントを得ら
れることがあり、入学してよかったと思っています。
修士論文は「朝鮮半島問題」を在日の立場で歴史的な側面から考えて行きたい
と思っています。「私」の存在位置を確認することで、「社会デザイン」が見えて
くると思っています。
平田裕之さん (6 期)
1973年東京生まれ。地球環境パートナーシッププラ
ザ勤務。高千穂商科大学在学中にカリフォルニア州
ハンボルト大学へ留学。野外教育NPO・LEAPに所
属。帰国後、「足元から考える環境問題」をテーマに足
立グリーンプロジェクトを立ち上げ、「遊びと学び」
を融合させるプログラムを展開。話し方研究所・プ
レゼンテーションの主任講師もつとめる。
|
20代の頃は自分自身にどうしても否定的で、95年の阪神淡路大震災が起きた頃、
リュックを背に、自己逃避的にアメリカへと渡りました。
留学の傍ら、現地ではアウトドアのNPOに所属し、川下りのガイドを手伝っ
ていました。そんなある日、川に落ちて溺れそうになり、「自分はまだ死にたくな
い」と初めて思ったのを覚えています。そこでの活動を積むうちに、「綺麗な川に
は綺麗な支流があり、綺麗な支流の先には綺麗な森、そしていい巨樹がある」と
も気づき、帰国後は「日本の巨樹を訪ねたい」と、北は礼文島から南は与那国島
まで全国の巨樹を行脚。その雄姿をスケッチブックに収めるという長い一人旅を
続けました。国内を歩いた日々は各地で巨樹を見守ってきた人々の思い、「日本の
奥深さ」を実感する一方で、「環境破壊」に幾度も直面する2年間でした。旅を通
じて多くの人と語り合い、100本余りの巨樹、そして自分と対峙するなか、「環境
問題」へと自分の考えが収れんされていきました。
旅から戻って来た時、ちょうど地元では区画整理の問題に直面していました。
「区画整理はコミュニティが壊れる」とも指摘されるなか、私たちは「地域の環
境負荷を下げつつ、コミュニティを醸成する」方法として、英国などで展開され
ている「コミュニティ・ガーデン」の手法を取り入れました。この時、やっぱり
これからは単なる経験知だけでは様々な社会的課題は解決できないし、専門知も
必要。勉強したい、と初めて思いました。
次に取り組んだのが「エコアパート」の建設です。コミュニティ・ガーデンでは、
「地域の庭」であるガーデンの運営を通じて地域の連帯感を高め、良質なコミュ
ニティの醸成や地域の活性化につながりました。
このエコアパートは、アパート経営に、地場産材
の木を使い環境負荷も抑えるといったエコの側面
と、
良質なコミュニティの形成という側面の両面
を兼ね備えた新しい住まいの形で、
新たなソー
シャル・ビジネスでもあります。実験的な取り組み
ですが、自分は「評論家」にはなりたくないし、
難しさにチャレンジしていく「プレーヤー」でい
たい。これからもコミュニティづくりの専門家と
して、常に現場の苦労と楽しみの中に身を置く自
分でありたいです。
平田裕之・山田貴宏著「畑がついてるエコアパートをつくろう」(自然食通信社)2008年
加藤木桜子さん (7 期)
「なぜ区議会議員に?」とよく聞かれますが、地域の課題を具体的に制度に繋げ
ていきたいと思ったときに、「議員」という方法がそのために最も時間を割くこと
ができると考えたからです。介護の仕事をしているとき、日々の作業だけでなく、
介護を受ける人たちの人間関係の広がりにも目を向けたいと思い、民生委員さん
など地域で活動している方々にお話を聞きました。その中で、地域における人の
繋がりの薄さ、困難を抱えている人達が訴える場もないことなどに問題を感じ、
変えていかなければならないと思いました。
研究科のことは、イベントで知り合った4期生の川田虎男さん(日高市議会議
員)から伺いました。昨年4月に練馬区議会議員になり、行政の仕組みの中では
市民参加が遅れていること、せっかく作った仕組みがあってもあまり機能してい
ないことなどを見て、どうしたら変えられるのかと考えていた時に、この研究科
を思い出しました。行政についてまだまだ知らなければならないことがあり、「あ
そこなら学べるかな」と思ったわけです。
実際に入学して、直接的・間接的なメリットの両方を感じています。直接的に
は、川村先生の「21世紀社会デザインと公共性」の授業で、地方分権の概念の中
で福祉をどのように位置づけるかなど、自分の行政に対する考え方をきちんとま
とめられるようになったことです。また、中村先生の「コミュニティソリューショ
ン論」では、水俣病のケーススタディなどで、地方自治体としてどうあるべきだっ
たかを、自分の現在の関わりの中に想定して考えました。間接的には、議会で他
の議員と喧々諤々したあと(正直、かなり腹を立てて熱くなっているときもあり
ます!)、学校に来て気分の切り替えができることです。様々なフィールドで活躍
する院生の考え方や意見に触れて、リフレッシュできます。また、違う背景を持
つ人達に対して、自分の意見をきちんとわかりやすく説明できる能力を身につけ
ることにも役立つと期待しています。今後は、授業だけでなく院生の間でじっく
り話をする機会が持てたらいいなと思っています(お酒でも飲みながら( ^O^))。
高橋朋子さん (7 期)
|
1957年、日本女子大学社会福祉学科卒業。社会福祉の現場勤務を経て、
その後は大学教員として勤務。「社会保障論」、「社会福祉概論」、「公
的扶助論」などを担当。2006年退職。
|
今年4月から1年生の末席をけがしておりますが、小学3年生の孫からはすっ
かり「1年生」扱いをされています。
同期のみなさまとは年齢差もあり不安もありましたが、平成18年度まで勤務し
ていたのが大学であり、若い学生と毎日を送っておりましたので、あまり環境に
激しい変化もなく、何とかこの3ヶ月を無事に乗り切れたように思います。
私の学生時代は、「大学院」もその設置が限られており、入学者も現在のような
状況ではありませんでした。いつか院で勉強してみたいと考えてはおりましたが、
仕事を持っている間はやはり、無理でした。学生の教育や学科運営に時間をとら
れ、退職後にやっと念願が叶った次第です。
現在は、授業を受けながら受講生の反応を過去の自分の経験と重ねてみたり、
先生方のご努力に感謝したりの日々を送っています。時には、長く生きてきたこ
とも意義があったと考えたり、あの時どうしてもう少し行動しておかなかったの
だろうか?と反省したり…いわば、今までの人生の再認識を繰り返す毎日です。
与えられた貴重な第2(第3?)の青春と家族の協力に感謝しつつ、物事の本
質を哲学的に見極めた修士論文を書くことに憧れて(?)いろいろと頭を悩ます
毎日です。
|
| |
|