いくつかの国でコールサインの取得にまでこぎつけたので、各地の事情などを報告する。運用を計画する参考にされたい。質問も歓迎する。

  前提として、日本の従事者免許と局免許の英文の証明書が必要である。それぞれの電波管理局に請求して数週間で入手可能である。




タンザニア

コール:5H3KA(確定)

申請先:Tanzania Communications Commission
担当者:A. Kisaka氏 Licensing Officer
申請先の住所:P.O.Box 434 DSM
            ダル・エス・サラームの中心街にあるRAHA Towerの5階(日本風に言えば6階)

料金:申請のための料金として10,000タンザニア・シリングス(約1400円)。ライセンスの発行料金として20ドル。

  申請書類に面倒な項目はとくにない。タンザニア内でのLocal Contactの名前とサインが必要である。泊まっているホテルのマネージャーにでもお願いしたらよいと思う。

  許可はすぐにおりるはずであったが、いつもの事務の遅れで、申請後3週間たってもできていなかった。QSOのためだけにタンザニアに行った人には、この間ホテルで無為に待たされて大変だ。私の場合は、結局郵送をお願いして、マラウィに移動してしまった。したがって免許はタンザニアの友人宅に届いているはずで、現在手許にはない。

  担当者は非常に友好的であった。「近々JICA(国際協力事業団)の研修で2週間ほど日本に行く」と言っていた。彼はコールの申請者に対して「アマチュア無線を活性化するために免許の発行料金は安くしている」「Customerの便利を考えて、免許は郵送もしている」とも語っていた。

  20ドルは1年間の料金としては必ずしも安くないと感じた。以下の他の国の例と比べてほしい。私はタンザニアに行くと、仕事の関係でresidence permitのclass Cというのをとる。これが面倒で毎年ドラマがあるが、この許可は1年間で100〜120ドルである。これに比べたら安いと言えるのかもしれない。この種の料金を、自国通貨ではなく、ドルで設定している事にも、ひっかかる。

  Customerという表現(この時は英語で話していたので、この単語そのまま)をタンザニアの役人がしたので、驚いた。一応タンザニアはアフリカ社会主義というのを標榜していた。社会主義国の役人が働かない様子は各地で紹介されている。タンザニアも例外ではなかった。

  しかし、変化している部分もあり、一概に決め付けてはいけないのかもしれない。1980年代にタンザニアで地図を購入しようとすると、申請書を書いて、許可して頂いて、購入するのであった。現在では客として扱ってくれ、在庫がないものも、保存用の地図をコピーで渡してくれるようになった。

  タンザニアでコールを取得している局は200局程度で、ほとんど外国人らしい。希望のサフィックスがある場合は、申請時に伝えておくと便宜をはかってくれる。かならずしもAAから詰めて発行しているのではなく、申請者のイニシャルをとっているという。私の場合はKKになるが、CW運用時の「over」のKと紛らわしいので、KAを希望してそのとおりになる予定だ。

  担当者の日本でのJICAの研修の件は、来年に延期になったようだ。
  また、2000年11月に、タンザニアを訪問し、ライセンスの件を尋ねると、私が依頼した場所に送付していなかった事が判明した。
  オフィスの場所もRAHA Towerから近隣のビルに移転したが、すぐに分かる。
  コールは5H3KAで確定した。
(11月/00年改訂)



モザンビーク

コール:C9KA(予定)
申請先:Instituto Nacional das Comunicacoes de Mocambique
担当者:I. Mabota氏 Delegado Regional Centro
申請先の住所:ベイラの中心街に事務所がある。

  上記の横文字には本来はひげなどの記号がついているが、文字化けをおそれて省いた。モザンビークはポルトガル語圏なので辞書片手に入国した。

  申請先の役所の本庁は首都のマプトにある。マプトはモザンビークの南のはずれにあり、私は、スワジランド経由で行った事があるが、マラウィからはかなり遠い。以前QSOした方で、船員OBの方がマプトをロレンソ・マルケスと古い名称で親しげに呼んでいたことを思い出す。

  今回、私はマプトよりも1000キロメートルほど北のベイラというモザンビーク第二の都市に行った。運良く、ここでも受け付けてくれた。マプトの本庁との間は郵便でやり取りするので、コールが来るまで一週間以上かかるようである。サフィックスをタンザニアとあわせて、C9KAを希望しておいた。この時は申請書類を預けて、後日、取りにくる事にしてジンバブウェのハラレに向かった。再度モザンビークに行って、コールを受け取り、運用できるのは、希望的には11〜12月だろう。

  役所を見つけるのに時間がかかり、車を駐車している時間が長くなった。駐車中に前のウィンカー(プラスティックのカバー、電球、反射鏡のセット)が左右とも盗まれてしまった。バンパーにはビスでとまっているので、ドライバーをあらかじめ用意して、人目が少ないときを狙っていた計画的な盗っ人であろう。

  ウィンカーは後日、ジンバブウェのハラレで入手した。ただし私が乗っている日産テラノの純正品はないので、マツダのものを無理して付けた。ウィンカーではなく、それが取り付けられていたバンパーのほうのネジ穴の間隔を調整した。それを依頼した工場はDan Panel Beatersという。まさにPanel(板金)をBeatする(たたく)工場で、私のバンパーをたたいてくれた。このネーミングは気に入った。





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免許事情(タンザニア・モザンビーク)