イラクへの武力攻撃に関して、慎重派も「あらたな安保理決議が必要である」といった論拠である。

  これは、「あらたな決議が採択されれば攻撃を容認する」との意味であろうか。現状ではあらたな決議が採択されるかどうか、また、これとは無関係にアメリカ主体で武力行使が行われるかどうか、予断を許さない。しかし、私たちがこの問題を考えるとき、安保理決議、つまり衆議にしたがって自分の態度を定める姿勢でよいのだろうか。

  私は安保理決議がどうあろうと、日本としては武力行使に反対すべきだと考える。

  武力行使の論理のほころびは、戦後の利権、世界経済の状況、大義名分と証拠の不足などあらゆる面から指摘されている。これらの点をマクロに論じて武力行使の是非を示すのではなく、他者への想像力の欠如を私は指摘したい。

 バグダットは470万人が住む都市だ。隣接地域の様子などが異なっていて比較は難しいが、名古屋市の2倍以上の大きさである。

  私は人口1万7千人の町に住んでいる。町の中には芸術家、学者、経営者、官僚として優れた方も多く、いつも知恵をいただいている。いわゆる名士でなくても、元気で将来有望な子供たちも、愛情深い若者も、地域で活躍する男女も、懸命に生きている老若も多くいる。

  同じような生活がバグダットにもあることは間違いない。また、テロで報復されるかもしれないアメリカにも確実に多様な生活がある。武力行使が引き金となってこれらの人々が脅かされる危険が、格段に高まってしまうのだ。

 私は近隣の人々が恐れたり、悲嘆にくれたりする姿を望まない。同様にイラクの人々もアメリカの人々も、人生を台無しにして欲しくない。それをもたらす武力行使を日本は行わず、周囲にも反対の声を発していきたい。



上記の文は『週刊金曜日』2003年3月7日号の投書欄 74-75ページに掲載されたものです。

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武力行使阻止は他者への想像力から