○インド、シムラにて
インドの首都デリーから北に200キロメートルほどの山岳地帯にシムラは位置している。標高2,200メートルの高原地帯で、大きく見れば、ヒマラヤ山脈の麓になる。

インドを植民地支配したイギリス人であったが、やはりコルコタ(カルカッタ)、ムンバイ(ボンベイ)、デリーの夏の暑さには耐えかねた。イギリスから来た高級官僚たちが夏の間執務する地として選ばれたのがシムラである。イギリス人たちはこの地を「発見」し、総督府などの大きな建物を建て、夏は家族と共に移り住んだ。その後、シムラ会議など歴史上の舞台にもなり、ガンジーの足跡もある。






○崖の上の家々
シムラ周辺は急峻な崖の連続である。尾根の上には平らな部分もあるが、その幅は狭い。この限られた平坦地は総督府をはじめとする特権を行使できる建物が占め、四方を見下ろしている。その他の建物、中級官僚やインド人職員の住居は崖に張り付いて建っている。

家の床の半分は地面に接し、半分は崖からの柱の上に乗っているような建物だ。これらは、熱海の海岸の崖に集中するホテルやマンション群よりもさらに高密度で崖を覆っている。最近のカシミール地方の地震を考えると、非常に危険な建築だ。



○尾根の上のスキャンダル・ポイント
シムラで随一の繁華街は、ほぼ平らな尾根筋を通っている。その一部が広場になっており、人びとが集まる昼間の社交場になっていた。ここは広場が開けていて、周辺にベンチがおいてある。ここが「スキャンダル・ポイント」と呼ばれている場所だ。ここは、高級官僚の奥様方が散歩しつつ集まって、シムラのイギリス人社会のスキャンダルを交換した場所であり、そこからスキャンダル・ポイントと名付けられたのである。ノーベル賞作家のキップリングもシムラに住んでいたので、彼もここでネタを集めたかもしれない。

現在は避暑客や観光客が通る場所であり、地元の人びとが集まってスキャンダルを交換する雰囲気ではない。



○昔ながらの集まり
スキャンダル・ポイントのすぐそばに、植民地時代からの会員制のクラブがある。私は会員ではないが、ちょっとした縁で中を覗く事ができた。内部には会員のための劇場があり、フロアでは多数の奥様方がブリッジに興じていた。大金もかかっていたかもしれない。

今日ではここに出入りしているのは、インド人が主体であるが、植民地時代にはイギリス人が多かったのだろう。そして、ここでもスキャンダルの交換があったに違いない。



○我々のスキャンダル・ポイント?
スキャンダル・ポイントと名が付くほど、当時のシムラは醜聞だらけであったのだろうか?

スキャンダルには、たしかに興味深さもあるし、シムラ在住という似通った境遇の者たちの間で流布する力があるのかもしれない。いや、それ以前に、情報を交わす人が集まる場所が、尾根に設けられた広場や会員制のクラブなどとして、そこにあった事が、スキャンダル伝達に力を貸したのであろう。



○我が町の「ふれあいセンター」
私が住む町には「ふれあいセンター」というコミュニティ施設がある。大小のホール、会議室、調理室、和室などを備えた自慢の施設である。

ここには、同じ町に住む同じような境遇の人が集まり、顔をあわせる場所として機能している。時にはスキャンダルもよいが、それ以上に、建設的な意見や情感の交流もできるかけがえのない場所になっている。シムラのスキャンダル・ポイントのような名が付く事もなく、「ふれあいセンター」で続いてほしい。



制作者が居住する町のコミュニティ誌『ふれあい広場』第5号 2005年12月号に載せた原稿を改稿しました。








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スキャンダル・ポイントとは何処か?