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して発足させた。このように自社で一から行う工場建設と他社買収を同時並行で行っていくことで生産能力
の拡大を図っていった。
3.1.2. 関西方面進出、各地方へ販売地域の拡大
山崎製パンは関東に6工場を保有し関東地方全域に販路を拡大するようになり、全国展開をいつどのよう
に始めていくのかが問題となった。その最初の一歩が大阪進出であった。大阪のパン市場は関東に比べメー
カーの数が少なかったが、名古屋の2大メーカー敷島製パンとフジパンはすでに大阪周辺に工場を完成させ
市内に販路を広げつつあった。そこで山崎製パンも急ぎ進出を行うこととなった。1966年6月1日、株式会
社山崎製パン大阪工場を設立、工場完成までは関東の工場から製品を輸送し拡売活動を開始させ、その二ヶ
月後に大阪工場を稼働させた
61
。この時拡売活動には東京の販売店会の役員の方も手伝った。また大阪周辺
地域への販路拡大を進める中で、1965年完成の名神高速道路を活用し名古屋へも進出を開始した。そして
1967年3月には名古屋工場が建設される。その一方1967年11月には新潟のチューリップ食品を系列化して
株式会社山崎製パン新潟工場として稼働させた
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。これを機に新潟、仙台を拠点とした東北地域進出を図っ
た。流通面においては同年、株式会社スーパーヤマザキを設立し食品を中心としたスーパーの展開を開始し
た。1968年大盛産業を系列下に収め、4月に株式会社山崎製パン福岡工場を稼働させた。すぐ生産能力の限
界に達して1年後の1969年には新工場を建設して移転した。1969年には仙台工場を稼働させた。同年8月
には浜松市のキクヤパンを系列化し株式会社山崎製パン浜松工場を設立した
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。1970年には大阪第二工場を
稼働、そして1971年4月関西ヤマザキを設立し、浜松工場以西のエリアを統括することになった
64
。山崎製
パンの拡大は止まらず1971年チョコレート専門工場である古河工場稼働、1973年2月には関西ヤマザキ広
島工場を稼働させた。パン以外にも1971年には秋田いなふく米菓協業組合に加盟し、ヤマザキブランドの
米菓を販売開始。その後1973年には株式会社末広製菓を設立し米菓部門はさらに充実していった。1973年
12月、株式会社山崎製パン千葉工場を山崎製パンに吸収合併する一方、1975年に京都工場、1976年に横浜
第二工場、1979年には岡山工場を建設、1981年には中村産業のパン部門を譲り受け武蔵野第二工場を設立
した。このように特定の地域に限らず、全国的に販売範囲を拡大していくことが目標とされたのがこの時期
である。自社での工場建設と共に地元企業の買収で急速に全国的な拡大を図っていった。
【図表3-1】山崎製パンの工場一覧
開設年
1951年
両国工場(1963年閉鎖)
1955年
市川第二工場(1972年閉鎖)
1960年
杉並工場
1963年
武蔵野工場、横浜第一工場、千葉工場(買収)
1966年
大阪第一工場、松戸工場
1967年
名古屋工場、新潟工場(買収)
1968年
福岡工場(買収)
1969年
仙台工場、浜松工場(買収)
1970年
大阪第二工場
1971年
古河工場
1973年
広島工場
1975年
京都工場
1976年
横浜第二工場
1979年
岡山工場
1981年
武蔵野第二工場(買収)(2000年埼玉工場と統合)
(出所:山崎製パン株式会社社史編纂委員会、前掲書、山崎製パン『有価証券報告書』各年より作成)
61
山崎製パン株式会社社史編纂委員会、前掲書、p.101
62
同上、p.114
63
同上、p.116
64
同上、p.117