経営管理論
郭智雄(kwak jiwoong)
2001年10月15日
第1章
なぜ優良企業が失敗するのか
―ハードディスク業界に見るその理由―
・
優良企業が成功するのは、顧客の声に鋭敏に耳を傾け、顧客の次世代の要望に応えるよう積極的に技術、製品、生産設備に投資するからである。その後優良企業が失敗するのも同じ理由からである。→ イノベーションのジレンマ
・
ディスク・ドライブ業界の歴史をみることで、顧客と緊密な関係を保つときと、そうすべきでないときを理解することにこの章の目的がある。
ハードディスクのしくみ
・図1.1
初期のディスク・ドライブの誕生
・
最初のディスク・ドライブ(RAMAC):1952年から56年にかけて、IBMサンノゼ研究所で開発→24インチ・ディスクの50枚組み込み、5MBの情報を記憶するもの
・
1976年に業界を構成していた17社は、比較的規模の大きい多角化した企業だったが、IBMのディスク・ドライブ事業部を除く全社が、1995年までに倒産したか、買収された。この間、129社が業界に参入し、そのうち109社が失敗した。IBM、富士通、日立、NECを別として、1996年に生き残っているメーカーは、すべて1976年以降に新会社として業界に参入した企業である。
・
なぜ最初に業界を創った総合メーカーがほとんど生き残れなかったのか?→技術革新の速さ(情報量:年平均35%増加、大きさ:年平均35%縮小、価額:1MBあたり53%まで低価額化)、だが、それだけではない。
技術革新の影響
・
ディスク・ドライブ業界のリーダーが、その地位を守りつづけることが出来なかった理由:技術泥流説→1975年から94年までのデータ−で調べた結果、技術泥流説は間違っていた。
・ 技術革新の影響
@
主に記憶容量と記録密度によって測られる性能の向上を持続する技術、漸進的な改良から抜本的なイノベーションまで多岐、業界の主力企業は常に率先して記憶容量と記録密度のような技術の開発と採用を進めてきた。
A 性能の軌跡を破壊し、塗りかえるもので、幾度となく業界の主力企業を失敗に導いてきた。
持続的イノベーション
・
ディスク・ドライブ業界の歴史における技術革新は、確立された性能向上の軌跡を持続し、推し進めるものがほとんど。
@
次世代にわたるヘッド技術とディスク技術を採用したドライブの平均記録密度の比較(図1.4)技術のSカーブ
A 取り替え可能ディスク・パックにかわって14インチ・ウィンチェスター・ドライブの普及(図1.5)
→ いずれもメーカーが顧客の期待どおり、従来のペースで性能の向上を持続することに役に立っている(実績ある企業が率先して開発と商品化を行う)。
破壊的イノベーションのなかでの失敗
・
ディスク・ドライブ業界の技術革新のほとんどは、持続的イノベーションによるものである。業界の主力企業を失敗に追い込んだのは、一方のわずかな破壊的技術ともいえる技術革新によるものである。
・ 破壊的イノベーションのなかで最も重要なものは、ドライブが小型化する要因となったアーキテクチャーのイノベーションである。
⇒ 破壊的イノベーションは技術的には単純で、既製の部品を使い、アーキテクチャーは従来のものより単純な場合がある。確立された顧客の要望に応えるものではないため、最初は、そのような市場ではほとんど採用されない。
● (図1.7)は、単純な破壊的技術が、積極的な姿勢で抜け目なく経営してきたディスク・ドライブ・メーカーを滅ぼすものであったことを説明
・ 取り替え可能ディスク・パック
70年半ばまでは、ディスク・ドライブの売上げの大部分を取り替え可能ディスク・パックが占めていた。次に、14インチ・ウィンチェスター・アーキテクチャーが現れ、記録密度の向上の軌跡を持続:これらはメインフレームのメーカー向けに販売され、ディスク・パックで市場をリードしていた企業が、そのままウィンチェスター技術への移行をリードした。
・
14インチ・ドライブ
1978年から80年にかけて、シュガート・アソシエーツ、マイクロポリス、プライアムなど数社の新規参入企業が、容量10,20,30,40MBの小型の8インチ・ドライブの開発:当時100〜400MBの容量を要求するメイン・フレーム・メーカーは関心がない:小型である点を重視するミニコンに採用:1MBあたりコストは14インチ・ドライブのコストより下回り、容量面では14インチ・ドライブを上回る:メイン・フレーム市場で8インチ・ドライブが普及することで、14インチ・ドライブのメーカー(2年遅れて8インチ・ドライブを生産したが)はすべて業界を撤退。
なぜ主力企業は発売まで遅れたのか?
既存の顧客の束縛により新規市場への参入という戦略的決定が遅れたから
・ 8インチ・ドライブ
1980年、新規参入企業であるシーゲート・テクノロジー社が5MBと10MBという容量の5.25インチ・ドライブを発売:当時40〜60MBの容量を要求するミニコン・メーカーは関心がない:デスクトップ・パソコンでハードディスクを使う市場を開拓:実績ある企業は平均2年ほど遅れ発売:8インチ・ドライブの4大メーカーであったシュガート・アソシエーツ、マイクロポリス、プライアム、カンタムのうち、生き延びたのはマイクロポリスだけ
・ 5.25インチ・ドライブ
1984年新規参入企業、ロダイムによって開発
このアーキテクチャーが売れ出したのはシーゲートとコナー・ペリフェラルズが1987年に製品の出荷を始めてからである。コナー(5.25インチ・ドライブより頑丈な小型軽量ドライブのアーキテクチャーを開発:ポータブル・パソコン、タップトップ・パソコン、小型デスクトップ・マシンという新しい用途)、シーゲート(重要顧客は依然に5.25インチ・ドライブである。3.5インチ・ドライブは5.25インチ・ドライブ用に設計されたコンピュータに3.5インチ・ドライブを取り付けるフレームとともに出荷)
顧客と実績ある企業が新しいディスクやそれを実現するアーキテクチャーの利点と可能性に気づいていなかった。:実績ある企業は誤った方向へ進んでしまうことになる。
・ 3.5インチ・ドライブ
1989年新規参入企業、プレーリーテックによって開発
持続的な技術:既存の大手企業もあまり遅れなく2.5インチ製品の発表→容量面で2.5インチ・ドライブが3.5インチ・ドライブのほうよりはるかに少ないが、その当時販売対象であるポータブル・パソコン市場は、それ以外の重量、耐久性、消費電力、大きさといった特徴を重視:ということでポータブル・パソコン・メーカがそのままノートブック・パソコンのメーカでもあった。
・ 2.5インチ・ドライブ
1992年に開発:1995年現在、1.8インチ・ドライブ市場の98%を支配しているのは新規参入企業
・ 1.8インチ・ドライブ
まとめ
● ディスク・ドライブ業界のイノベーションの歴史に見られるパターン
@
破壊的イノベーションは、技術的には単純なものである。
A
先端技術開発は、常に、確立された性能向上の軌跡を持続することを目的とする。従って、持続的な技術が失敗を早めたわけではない。
B
実績ある企業は、ごく単純な改良から抜本的なイノベーションまで、持続的イノベーションをリーダする技術力を持ってはいたが、破壊的技術を率先して開発し、採用してきたのは、いつも新規参入企業である。
⇒ 実績ある企業が破壊的技術にうまく対処できなかったのは、軌跡グラフの下のほうの展望と柔軟性の問題である。