第四章 登れるが、降りられない

前期課程1年  桑野 真一 

この章の目的

「有力企業がいとも簡単にハイエンド市場へと移行できるのはなぜか。下の市場へ移動することがこれほど難しいのはなぜか」という問題を追及。

@          ディスク・ドライブ業界の歴史にから企業を上位のネットワークへ移動することに魅力を感じさせる「右上への力を検証。

A          ミニミルと総合鉄鋼メーカーの競争における同じ現象を研究し、この理論の一般化をはかる。

 

ディスク・ドライブ業界の上位市場への大移動

図4・1典型的な戦略をとってきたシーゲート・テクノロジーの上位市場への移動を詳細にグラフ化したもの。

          198385年、製品の中心はデスクトップ分野の平均容量需要に沿っていた。

          198789年にかけて破壊的な35インチ・ドライブが下からデスクトップ市場を侵食し始めたのに対し、シーゲートは対抗するのではなく、上位市場へ逃れた。

          1993年にはエネルギーの焦点は、ファイル・サーバーやエンジニアリング・ワークステーションなどの中型機市場へとシフトしている。

 

バリュー・ネットワークと一般的なコスト構造

          各バリュー・ネットワークを特徴づけるのは、顧客の要求する優先順位にしたがって製品やサービスを提供する場合、そのネットワークに属する企業が生み出すコスト構造であり、そのネットワークのなかでは優秀なメーカーのほうが高い利益率を達成しやすくなる。

          市場規模の違いと、バリュー・ネットワーク間の一般的コスト構造の違いは、企業間の競争に深刻な非対称性をもたらす。例えば、ミニコン市場向けに8インチ・ドライブを生産している企業のコスト構造は、40%の粗利益率を必要とする。積極的に開市場に乗り込んでいけば、25%の粗利益率で利益を上げられるコスト構造を作り上げてきた敵と戦うはめになる。一方、上位市場に進出すれば、60%の粗利益率が慣例となっている市場に、低コスト構造を持ち込むことができる。

          上位の収益性の高い市場へ移行すると、徐々にその上位市場で競争するために必要なコスト構造を見につけるようになるとする研究結果がある。

⇒企業がバリュー・ネットワークの境界を越えて上位市場へ移動し、下位市場へは移動しない背景には、利益率が高く、市場規模が大きい新製品案に資源を割り当てる資源配分プロセスの結果である。

 

資源配分と上位への移行

資源配分に関する2種類のモデル⇒この2種類を比較するとさらに深い洞察が得られる。

@          合理的なトップダウン式のモデル。

A          組織の中間管理職が目に見えない重要な役割を果たすモデル。

          ほんとうに重要な資源配分の決定は、実は上層部が関与するはるか以前に行われ、どのプロジェクトを支援し、上層部に持ち込むか、どのプロジェクトを放って置くかは中間層のマネージャーが決めている。

⇒市場がなかったために失敗したプロジェクトは、マネージャーの評価にはるかに深刻な影響を与えるため、わが身と会社の利益を考えるマネージャーは、確実に市場の需要があるプロジェクトを支援し、上層部の承認を得やすいように企画をまとめるため。

 

1.8インチ・ディスク・ドライブの場合

          1993年のうちに、大手ドライブ・メーカーはすべて1.8インチ・モデルを開発し、市場が生まれれば発売できる状態にあった。

          19948月、『ディスク/トレンド・レポート』の予想を指摘したにもかかわらず、ある大手ディスク・ドライブ・メーカーのCEO「市場がない」。

          その約一ヵ月後、MBA課程の講座の学生の話「小型の1.8インチ・ディスク・ドライブを見つけた。大手のディスク・ドライブ・メーカーからは買えない。コロラド州のどこかにある小さなベンチャー企業から買う」

           

CEOは、つぎの破壊的技術の波をいち早く捉えようと決断し、経済性の高い見事な設計へとプロジェクトを導いた。しかし、従業員は、十億ドル単位の売上げのある会社が成長し利益を確保するには、8000万ドルのローエンド市場に力を入れても意味はないと考えた。

 

バリュー・ネットワークと市場の可能性

          上位市場の利益率が魅力的である、・顧客の多くが同時に上位市場へ移行する、・下位市場で利益をあげるためにコストを削減するのが難しい。⇒この3つの要因が絡んで、下位市場への移動に対する強力な障壁となっており、資源配分プロセスにおいて、破壊的技術を追求する案は、上位市場に移行する案に負けるのが普通となる。

          この合理的な上位市場への移動パターンが持つ重要な戦略的意味は、下位のバリュー・ネットワークに空白をつくり、競争に強い技術とコスト構造を備えた新規参入企業がそこへ引き寄せられることである。

 

総合鉄鋼メーカーの上位市場への移行

「ミニミル」:鉄くずからコスト競争力のある溶融鉄鋼を生産する規模が、高炉や転炉を使って総合製鉄所が鉄鉱石からコスト競争力のある溶融鉄鋼を生産するために必要な規模の10分の1以下。商業的に成り立ったのは、60年代半ばである。

          95年、1トンの鉄鋼を生産するのに、最も効率的なミニミルは0.6人時。最大の総合製鉄所は2.3人時。

          競合している製品分野において、平均的なミニミルは平均的な総合製鉄所と比べ、同等の品質を、全原価込みで約15%安く生産できる。

          1995年には、コスト競争力のある鉄鋼ミニミルを建設するには約4億ドルかかり、コスト競争力のある総合製鉄所を建設するには約60億ドルかかっていた。

⇒ミニミルの市場シェア:1965年0%、197519%、198532%、199540%へと拡大。

 線材、棒鋼、形鋼に関しては、北米市場をほぼ独占。

 

しかし、世界の大手鉄鋼メーカーのなかで、今日までにミニミルの技術を採用して製鉄所を建設した企業は1社もない。この10年間、総合製鉄所の経営陣は、製鉄所の効率を高めるために積極的な措置をとってきたが、これらの経営努力も、従来の方法で鉄鋼を生産するためにとった措置である。

 

ミニミルの鉄鋼生産は、破壊的技術である。

          60年代、鉄くずを使うためぎりぎりの品質の鉄鋼を生産し、当初市場となりえたのは市場の最下層に位置する鉄筋分野だけであった。総合鉄鋼メーカーは、鉄筋事業から手が引けて、むしろほっとしていた。

ミニミルのコスト構造

 

          減価償却費がほとんどなく、研究開発費はゼロ、営業経費も低く、一般管理費も最小限。生産可能な製品は、ほとんど電話だけで販売でき、それで利益を挙げていた。

 

ミニミル(ニューコアとチャンパラル)の鉄鋼市場全般に対しての見方

          自分たちが掌握している下位市場から上位市場を見た場合、増収増益のチャンスが広がっている。

          これが刺激となり品質を高め、安定した品質を出せるよう努力し、さらに大きな鋼材を生産できるように設備投資した。

          ミニミルが次に攻撃したのは、すぐ上位の棒材、線材、山形鋼の市場80年には、鉄筋市場の90%、棒材、線材、山形鋼市場の約30%を占めた。総合製鉄所の製品のなかで利益率は最低だったため、総合鉄鋼メーカーは安心してこの分野から撤退。

          棒材等の市場での地位を確かなものにすると、今度は形鋼市場へ乗り込み、またも総合鉄鋼メーカーはこの市場から追い出される。

          棒鋼・線材事業をミニミルに明け渡した80年代を通じて、総合鉄鋼メーカーの利益が大幅に増加。

⇒利益率の低い製品を切り捨て、高品質の圧延鋼板に焦点を絞っていった結果。

 最先端のコスト競争力のある鋼板圧延機を建設するには、約20億ドルかかり、このような資本支出は最大規模のミニミルにとってさえ大きすぎた。

ミニミルによる鋼板の薄スラブ連続鋳造

          1987年、ドイツの鉄鋼業界向け機器メーカー、シュローマン・シーマグは、「薄スラブ連続鋳造」という技術を開発。*コスト競争力のある薄スラブ連鋳・圧延工場が、25000万ドル以下で建設できる。

 

しかし、薄スラブ連鋳に踏み切ったのは、総合製鉄所ではなく、ミニミルのニューコア・スチールであった。

⇒当初、この技術では、総合製鉄所の主要顧客である缶、自動車、電気製品メーカーが求めるなめらかな傷のない表面に仕上げることはできなかったため。

*ニューコアは収益性の高い鋼板の顧客に悩まされることもなく、業界の最下層で鍛えられたコスト構造という武器をもっていたため薄スラブ連続鋳造機に投資できた。

 

          総合鉄鋼メーカーは、収益性の高い鉄鋼業界の上位市場を目指して積極的に投資し、合理的な意思決定をおこない、主流顧客のニーズに注意深く耳を傾け、収益をあげている。これは、ディスク・ドライブや機械式掘削機の主力メーカーが直面したのと同じイノベーターのジレンマである。差し迫る業界リーダーの座からの転落の根底には、安定をめざした経営判断がある。

 

 

授業での論点

          持続的、抜本的、破壊的イノベーションの区別が明確にされていない。

          既存企業が破壊的イノベーションに対応できないのは、単に技術の問題ではなく、また市場があったかないかということだけではない。