文庫版あとがき

 本書は二〇〇〇年一月に日本出版サービスから刊行した同じタイトルのハードカバーを文庫化したものです。文庫化にあたり、新しい統計資料を調べて事故件数などの数字を差し替えたほか、本のサイズが小さくなるのに合わせて図表の多くを割愛しました。実験や調査結果のデータを見たい人は、引用文献、または、オリジナルのハードカバーにあたってください。なお、本や論文の著者等の所属、肩書きは、原則としてその本や論文が書かれた当時のままにしました。
 出版界では二〇〇一年に「失敗本ブーム」が起きました。これに火を点けて爆発させたのは畑村洋太郎先生の『失敗学のすすめ』ですが、本書は少なくともその導火線になったのではないかと自負しています。なぜなら、人間工学の専門書をもっぱら発行している営業マンもいない出版社から初刷り三、〇〇〇部しか出さなかったのに、新聞、雑誌に次々と書評が載り、八重洲ブックセンターではワゴンセールまで行われました。
 その後、畑村さんとは失敗問題の研究会で何度か同席させていただいたのですが、話しているうちに、私が研究対象にしている「ヒューマンエラー」と、畑村さんが論じておられる「失敗」とはかなり違うものであることに気づきました。「失敗」には能力不足による目標不達成、その時は最善と思われたのにその後の状況の変化によって結果的に裏目に出た判断など、かなり広範囲なものが含まれます。成功するために失敗を学ぶ。失敗を隠さず、失敗の情報をできるだけ多くの人が共有することが、失敗の再発を防ぎ、成功への道を開くというのが畑村さんの基本スタンスです。
 一方、事故の要因となるヒューマンエラーは、システムの中で人間の役割とパフォーマンス水準があらかじめかなり明確に定められています。たとえば、自動車ドライバーは十分な訓練を受けた後、試験にパスした人だけに免許が与えられます。運転中は信号を見落とさず、信号や交通標識に従い、制限速度を守り、前方に注意し、横から飛び出す子供にも注意を払い、危険を察知したらただちにブレーキを踏んで止まらなければなりません。ヒューマンエラーとはできたはずのことができなかった、やることを期待されていたことしそこなったものと言えます。
 こう考えると、本書の第一章(四三ページ)におけるヒューマンエラーの定義は「失敗」だった(笑)かもしれません。つまり、「ヒューマンエラーとは、人間の決定または行動のうち、本人の意図に反して人、動物、物、システム、環境の、機能、安全、効率、快適性、利益、意図、感情を傷つけたり壊したり妨げたもの」と書きましたが、これでは畑村流の失敗概念に近すぎます。ヒューマンエラーの要件としては、「本人の意図に反する」ことのほかに、「求められるパフォーマンスをしなかった(できなかった・し損なった)」ことと、「エラーをおかした本人がそのパフォーマンスをちゃんと行う能力があった」という条件を付け加える必要があります。まとめると、「ヒューマンエラーとは、人間の決定または行動のうち、本人の意図に反して人、動物、物、システム、環境の、機能、安全、効率、快適性、利益、意図、感情を傷つけたり壊したり妨げたものであり、かつ、本人に通常はその能力があるにもかかわらず、システム・組織・社会などが期待するパフォーマンス水準を満たさなかったもの」となるでしょうか。
 用語の定義なんて、厳密性を求めれば求めるほど、長ったらしく分かりにくい表現になり、結局は大して役に立たないものになるようですね。
 『失敗のメカニズム』執筆の機会を私にくださった日本出版サービスの川上善吉さん、文庫化をご快諾くださった渡邉正勝社長と黒田芳治さん、文庫化実現にご尽力くださった角川書店の大林哲也さんと山根隆徳さんに心から感謝します。

二〇〇三年初夏 芳賀 繁



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