田中治彦
2001.9.
1.ユースサービスとは?
英国にはユースセンター(youth centre)ないしユースクラブ(youth club)と呼ばれる青少年施設がある。どちらも基本的には同じ機能を果たしており前者には行政が設置したものが多く、後者は民間団体によるものが多い。これらの施設を含めて青少年に対する学校外での指導援助活動をユースサービス(youth service)ないしユースワーク(youthwork)と総称している。
ユースサービスの対象年齢は現在では法律や報告書などで設定されたものはない。戦後に公的機関がユースサービスに着手するに当って当初はユースサービスは14〜20歳を対象とするものと規定されていた。すなわち1960年代まで英国では義務教育は15歳までであったため、ユースサービスは義務教育の最終年限から成人になるまでの青年の「移行期」を支援するための施策であると説明されてきた。ところが1970年代になって、一方で選挙権を含む成人権の年齢が18歳に引き下げられ、かつユースセンターなどに参加してくる青少年自体が低年齢化してきた。そのため、現在ではユースサービスに参加する青少年はおおむね13〜19歳層である。しかも16歳以上の青少年の参加は年齢とともに急減する傾向にある。
ユースサービスの起源は19世紀中葉、産業革命後の英国社会に求められる。ユースクラブや青少年団体を中心とした今日のユースサービスの原型は1870年頃から1910年頃の間に成立する。少年のみを対象とした最初のボーイズクラブが作られたのが1870年代であり、少女を対象としたガールズクラブやセツルメントでの青少年事業も同時期に出現している。YMCAはすでに1844年に創設されていたがその少年部は1880年代に設けられ、ボーイスカウトは1907年、ガールスカウトは1910年に成立した。1)
これらはすべて民間の手で担われた。ユースサービスの発展は他の英国の教育福祉事業と同様に、最初はその事業の必要性を強く認識した民間の側で着手され、後に行政がこれに加わっていくという過程をたどる。行政が青少年事業に始めて関心を示したのは第1次世界大戦中の1916年のことである。中央及び各自治体には青少年組織委員会(Juvenile Organizations Committee)が官民の青少年関係者により組織された。各州により施策はまちまちであり必ずしも活発なものではなかったが、いくつかの州では行政から民間団体への補助が行われたり、行政によってユースセンターが設立されるところもあった。
行政と民間との本格的な提携が始まるのは第2次世界大戦勃発直後の1939年のことであった。当時の教育局(Board of Education)は地方教育当局(Local Education Authority)あてに通達1486号を送り、「義務教育年限終了後の14歳から20歳までの青少年の社会的身体的発達に長い間施策が忘れられてきた」ことを反省し、戦時下の青少年の身体的精神的荒廃を防ぐべく、「教育局は青少年の福祉に直接の責任をもつ」ことを表明した。このとき以来、ユースサービスという用語が公式に用いられるようになる。
しかし、戦後の経済危機の中で教育省は学校の収容力の増強および技術教育の振興という当面の緊急の課題に対応することに追われて、ユースサービスは顧みられなかった。1950年代後半には「ユースサービスは危機に瀕している」「崩壊しつつある」という言葉が関係者から漏れるほどであった。こうした状況を一変させたのが1959年のアルブマール報告書である。同報告書は、ユースサービスの目的を「仲間づくり」「教育訓練」「挑戦」の3つであるとした上で、1960年代の10か年計画として、魅力的な施設計画の策定、常勤ユースリーダーの倍増、緊急指導者養成コースの設置、ユースリーダーの専門性の確立、非常勤リーダーの研修制度の整備、実験的事業や調査の実施、を提言した。
アルブマール報告書の提言は、1960年代を通して中央・地方政府によって着実に実行に移された。その結果1958年と68年の10か年を比較したとき、地方教育当局・民間団体を合せた常勤ユースリーダーの数は687名から1,639名に伸び、地方教育当局のユースセンターの数は1,220か所から2,028か所へと増えた。また、ユースサービスの対象人口は350万人から493万人に増加したにもかかわらず、一人あたりの予算は8.5倍に伸びた。専門ユースリーダー養成機関は従来の4か所に加えて、レスターにユースリーダー養成ナショナルカレッジが設立されて5年間に500人以上のユースリーダーを養成した。また非常勤リーダーの養成のためにベッシー委員会が設立されて、非常勤リーダー養成の内容と方法について勧告を行った。
1960年代がユースサービスの量的拡大の時代とすると、1970年代は質的発展を図る時期であった。後に述べるようにユースサービスは伝統的な青少年団体とユースクラブ・ユースセンターの形態によって行われてきた。これに対して1960年代後半には、上記のような資金と人材の大量の投入にもかかわらず、若者自身が従来型の施策に対して敬遠する傾向が明確になってきた。いわゆる若者の「団体離れ」である。そこで、若者の全面的な「参加」と「若者のいる場所でのユースワーク」を提唱したのが1970年のミルソン報告書である。ミルソン報告書は、若者を地域から隔離し施設に「収容」してユースサービスを行うのではなく、コミュニティ・サービスの一貫として地域の中で若者をケアすべきこと、そして青少年施策に若者自身の「参画」を求めることを趣旨とした「ユース・コミュニティワーク(youth and community work)」の考え方を打ち出した。しかし、ミルソン報告書における若者の直接民主主義の思想には抵抗も強く、ときの保守党政府の受けいれるところとはならなかった。それでも地方教育当局レベルではこの考え方を積極的に取り入れるところも多く、また実践レベルでは後述するように「若者のいる場所でのユースワーク」として、ドロップイン・タイプあるいはコーヒーバー・タイプのユースワークや、ユースワーカーが自ら街角に出かけていってユースワークを行う「デタチト・ワーク(detached work)」、そして青少年のための情報提供およびカウンセリング・サービスなどの事業が展開された。
1980年代には青年の深刻な失業問題に対処するための職業訓練計画や青年自身による自営業計画に力が入れられた。また、離婚、麻薬、妊娠、犯罪、ホームレスなど青年を取り巻く環境が悪化したためその対策が行われている。インド大陸やカリブ海からの移民の子弟が青年層に達したため彼らに対する多民族ユースワークが模索される。英国のユースサービスでは伝統的に女性の参加率が低いため、ジェンダーの観点から若い女性の参加を高めるユースワークが強調されている。さらに、心身に障害をもつ青年と僻地の青年に対する施策が展開された。全体としては、若者の参加が引き続き模索されており、ユースセンターの運営、各種プロジェクトの企画、青少年施策の意思決定に対して若者の参加を促進する体制作りが進展している。
2.ユースセンターの実際
ユースセンター・ユースクラブにおいてどのような活動が展開されているかについて、ジョン・マシューの著書から一例を紹介しよう。マシューの著書『若者のグループと関わる』は1960〜70年代にかけてユースサービスの世界で最もよく読まれたテキストのひとつである。2) 伝統的なユースクラブの雰囲気とユースリーダーの果たしている役割が理解できよう。
ここは、民間団体が経営するユースクラブである。専任のユースリーダーが一人と、多数のボランティアリーダー及び非常勤のインストラクターがここで若者と関わっている。専任のユースリーダーは2か月前に赴任してきたばかりである。毎週月曜日のプログラムは以下のとおりである。
7時30分〜8時45分−美術グループ、柔道グループ、裁縫グループ、シナリオグループ。
8時45分〜10時−自由なプログラム、コーヒーバーが開き、ダンス用ステレオ、ダーツ(投げ矢)、チェス、ピンポンの設備が利用できる。
この日は、約60人のメンバーがクラブに来ていた。前半のグループ活動をのぞいてみよう。美術グループではインストラクターがビートという少年に手を焼いている。彼は絵筆を振り回して女の子たちにしぶきを飛ばしている。インストラクターはビートに出ていくように言った。シナリオを読むグループでは、ヘルパーもメンバーも活動を楽しんでいる様子である。裁縫のグループは、今製作中の作品については一生懸命取り組んでいる。しかし、次に何を作るかインストラクターがきいても彼女らは生返事である。このグループは今後も継続できるかどうかよく分からない。
5人の少年が8時45分にバイクで到着、彼らは「バイク・グループ」を作る要求を出している少年たちである。しかしユースクラブの管理者側が認めないため、ただ今闘争中である。ユースリーダーはその中の一人、ジムをコーヒーバーでつかまえて日曜日のドライブはどうだったとたずねた。ジムはリーダーがドライブのことを知っているとは思わなかったので、目を輝かせて日曜のことを話した。
リーダーはこのグループを何とか認めてやりたいと考えている。彼はコリンという少年にクラブの建物の裏にある物置小屋をうまく利用できぬものかと話をもちかけた。コリンはクラブの中でも中心的な存在である。彼は4人の仲間を会話に引きいれ、バイク・グループの連中と一緒に物置小屋を利用する方法の議論を始めた。
その時一人のボランティアリーダーがユースリーダーのところー駆け込んできた。数名の少年たちがテレビのあるラウンジの入口に、机やいすでバリケードを築いてしまったとのことである。リーダーは入ろうとしても無理だから、自分たちから出てくるのを待った方がいいと言った。20分程して中にいた少年たちが出てきた。どうやら、ある女の子に夢中な少年を仲間がからかっていたようである。その少年は恥ずかしがり屋で、その女の子に一言も声をかけられず、いつも近辺をうろうろしていたのである。部屋を封鎖していた少年たちはワル乗りしたことをリーダーらにあやまっている。
リーダーはコーヒーバーでカップやいすをガタガタさせながら不機嫌そうな顔をしているジョンに声をかけた。
(リーダー)「どうしたんだね。ジョン。」(ジョン)「うん」
(リ)「また上司とやったのか?」(ジ)「いいや・・・女のことさ」
(リ)「なるほど。それはうまくないな。だがカップやいすには当らないでくれよ」(ジ)「あっ、ごめん」
(リ)「ジョン、空き瓶の箱を動かすのを手伝ってくれないか?」(ジ)「ああ、いいよ。」(箱を二人で動かす)
(リ)「深刻に考えるなよ。君がその子に本気なのなら、明日もう一度話さないか? 明日なら時間があるんだ。」
ビートはステレオの回りでディスコの踊りのステップを練習しているメンバーのじゃまをしていたが、今度はリーダーとジョンが話しをしているところへ来てうるさくつきまとう。リーダーは「出ていきなさい」とビートに言った。
リーダーは恥ずかしがりやのモリーンがいつもにように一人ぼっちでいるのに気づいた。彼はモリーンにダンスを1曲申しこんだ。曲が終わるころベンに近づき、モリーンが今覚えたステップをベンに教えてやるように仕向けた。ベンはリーダーの言わんとするところを理解したようで、モリーンと踊り始めた。
ユースクラブのメンバーで作っている委員会がステレオの操作を怠っていることに気づいたリーダーは、2人の委員を集めて決められたとおりやるように指示した。
3.ユースセンターの多様性
筆者はこれまでに英国各地で50近くのユースセンターを訪問した。そこで気づいたことはそれぞれのセンターの建物と運営の多様性である。英国の場合典型的なユースセンターというものは存在しないのだが、最も多いのは平屋で入口にバーカウンターの付いたロビー、ホール、軽スポーツ室、多目的の教室を備えているタイプである。バーでは簡単な飲食ができ、ホールでは週に1〜2回必ずディスコが開かれる。日本で1960年代後半から70年代にかけて各地で盛んに建設された青年館、青年会館、勤労青少年ホームと似た機能をもっている。ただ日本の場合、それらの施設の絶対数が少ないうえにほとんど都市部に存在している。英国のユースセンターは州によってばらつきはあるものの、都市・農村を問わずほとんど全土に存在している。平均して中学校区に1館程度は配置されているので、若者は容易にアクセスすることができる。
上記のようなセンターの他に、日本の青年の家に類似した宿泊型のユースセンターもある。ノーザンプトンの郊外にある農家を改造して作られた宿泊タイプのユースセンターは週末を中心に若者のグループが研修に来ていた。スポーツ施設を充実させたセンターもあり、中には水泳プールを併設したものもある。また、男子のみを会員としているボーイズクラブでは、今でもボクシングのリングをもっているものがある。これはボーイズクラブがもともと労働者階級の子弟を対象として活動を始めたという歴史的な経緯がある。ただし、ボーイズクラブで少年にボクシングをさせていることに対してはユースサービス関係者の一部から強い批判もある。
1970年代以降、中等学校や専門学校に併設されるユースセンターが増加した。サセックス州のある中等学校のユースセンターでは、昼休みや放課後になると若者たちがキャンパス内にやるセンターにやってくる。彼らはロビーやバーカウンターでおしゃべりしたり、ビリヤードや卓球に興じたりしている。ここのユースリーダーは同校の元教師である。学校に併設される場合、施設や人材の有効利用ができ、また学校の生徒にとっては利用しやすい。その反面、学校嫌いの若者にとっては学校の敷地にあるというだけで敬遠されることもあり、学校併設のセンターについての是非については議論がある。
それぞれのセンターが対象とする年齢層においても多様性が大きい。全般にユースサービスに来る青少年層は低年齢化していて、10〜14歳層を中心的なメンバーとするセンターが増えてきた。これは意図したのではなく結果としてそうなったのであるが、この場合8〜12歳層を対象としているプレイ・センター(日本の児童館に相当)と活動内容がほとんど変わりなくなる。一方で、中部イングランドのハロゲートにあるユースセンターは16〜20歳層の若い成人を対象としていた。そのセンターの扉をあけて驚いたのであるが、中の様子はほとんどパブ(居酒屋)と変わりなかった。現にここでは飲酒も認められていて、主な活動はカウンターでメンバーが語り合うことと、ダーツやビリヤードに興じることであった。このようなセンターはその運営も若者自身が行っている。
以上はそれでも私たちがイメージするユースセンターの枠内に入っているセンターであるが、1970年以降「若者の居る場所でのユースワーク」が強調されており、ユースサービスの施設のあり様が、伝統的なユースセンターから随分かけ離れたものになってきている。これらについては後述しよう。
英国のユースセンターがこのような多様性を保持している理由は、英国の教育・社会政策自体がもともと民間の事業から発しているからである。行政が画一的にセンターを作っていったわけではなく、民間のユースクラブに補助金を付与したり、行政が設営したセンターを民間が運営したりと、その運営形態も自治体によってさまざまである。これに加えて、英国の場合地方分権の伝統が強いことが挙げられる。そのためユースサービス施策自体が州や市町村の手に委ねられ、さらに各ユースセンターの管理者であるユースリーダーにも多大な権限が与えられている。センターを運営するユースリーダーの専門性も1970年前後には確立されており、そのため各センターごとにその参加者のニーズや地域の特色に合わせて多種多様な運営が可能になっている。そこで次にユースセンターの運営の要となっているユースリーダーについて説明しよう。
4.ユースリーダーの役割
ユースサービスの指導者をユースリーダー(youth leader)ないしはユースワーカー (youth worker) と呼んでいる。ユースリーダーには大きく分けて、常勤ユースリーダー、非常勤ユースリーダー、そしてボランティアの種別がある。常勤ユースリーダーは高等教育機関において2か年の専門養成訓練を受け、ユースリーダーの専門資格をもつものをいう。資格は「ユース・コミュニティワーク証書(certificate in youth and community work)」ないし「ディプロマ(diploma, 学士に次ぐ称号)」である。1996年現在、全国20以上の高等教育機関のユース・コミュニティワーク・コースにおいて約1,600人の学生が学んでいる。3) 学生とはいっても日本のように18〜22歳の者は少なく、ほとんどが20代半ば以降の成人学生である。この資格をとったユースリーダーはユースセンターの管理者かユースサービス行政の担当官となる。各ユースセンターにはたいてい1名の常勤ユースリーダーが配属されていて館長の役割を果たす。大型のユースセンターにあっては複数の常勤リーダーが配置されることもある。常勤ユースリーダーは、行政および民間団体を含めて全国におよそ5,000人存在する。
これに対して実際に若者に関わる活動の第一線で活躍しているのが32,000人いると言われている非常勤ユースリーダーである。非常勤というとボランティアと同じかせいぜいアルバイト程度のイメージをもつであろうが、ユースサービスにおける非常勤リーダーは高い専門性をもち、有給である程度の長い時期同じセンターに所属して活動する。常勤リーダーが対外的な接触や管理的な仕事が多いのに対して、非常勤リーダーはもっぱらセンターに来ている若者に関わる。非常勤リーダーの養成研修について提言したベッシー報告書によれば、彼らの基礎コースは学科と実習を含めて60〜72時間程度が望ましいとされている。しかもその内容は「青少年の発達」「若者の態度・願望・考え方」「社会の中の青少年」「リーダーシップ」「管理運営」の5つの柱立てで構成されている。60時間としても1週間に及ぶ中期的な研修であり、そこで得られる知識と技能の質はかなり高いものが期待されている。多くの地方教育当局と民間青少年団体は非常勤リーダーとボランティアのための研修コースを提供しており、その基礎コースはしばしば義務とされる。それ以上の専門的な研修については個別の非常勤リーダーの希望に委ねられる。
非常勤リーダーの属性や勤務形態は多様であり、一部の非常勤リーダーはほとんどの時間をユースサービスに割いて、1つないし複数のユースセンターで活動し、しかもその給与が彼らの生計の主要な部分となっている。一方で、他の仕事をもちながら週1〜2日だけユースセンターで働いている非常勤リーダーも存在する。いずれの場合も常勤をめざす者もあればそれを希望しない者もいる。
ユースサービスは言うまでもなく多くのボランティアによって支えられている。その数を特定するのは困難であるが、およそ50万人はいると見られている。彼らは非常勤リーダーと同様に高度な研修を受けるものもいる反面、特に専門的な訓練なしで常勤・非常勤リーダーの仕事を手助けしているものもいる。非常勤リーダー以上にその関わり方は多様で、ほぼ毎日夕方からユースセンターに出向いていって活動しているボランティアもあれば、デイ・キャンプなどのプログラムに一日だけ参加して活動するものもいる。
5.若者がいる場所でのユースワーク
以上述べてきたような伝統的なユースセンター・ユースクラブの活動に対して1970年前後から新しい形態のユースワークが発展してきている。すでに1960年代の後半にはユースセンターに若者を集めて行う形のユースワークが行き詰まりが指摘されていた。それは1960年のアルブマール報告書以降の急速なユースサービスの量的拡大にもかかわらず、参加してくる若者層は対象人口の3割程度とほとんど伸びていなかったからである。若者の価値の多様化や若者をターゲットにした商業サービスの発展により、若い人々が伝統的な青少年団体やユースセンターに必ずしも魅力を感じなくなったのである。
そこで1960年代後半から「若者のいる場所でのユースワーク」が強調され、新しいタイプのユースセンターとして会員制をとらないドロップイン・タイプないしはコーヒーバー・タイプのユースセンターや、ユースワーカーが施設を離れて街角で若者と関わる「デタチト・ワーク」の実践が始まった。この傾向を後押ししたのが1970年のミルソン報告書である。ミルソン報告書は、若者を社会から「隔離」するのではなくコミュニティ・サービスの一貫として地域の中でケアすべきこと、そして青少年施策に若者自身の「参画」を求めることを趣旨とした「ユース・コミュニティワーク」の考え方を打ち出した。4)
「若者のいる場所でのユースワーク」や「若者自身によるユースワーク」の事例をいくつか紹介しよう。東北イングランドの中心都市であるニューカッスルの一角に10棟からなる市営の高層アパートがある。日本でいう3DKを中心とした高層アパートには低所得層か若者が住んでいる。ニューカッスル周辺は若者の失業率が20%近くにも達しており、このアパートにも多数の無職で独身の若者が暮らしている。彼らの多くは毎日することもなく、失業手当のみで細々と暮らしている。ある棟の一階入口近くの1ユニットが「プロジェクト10」の拠点である。プロジェクト10は、ニューカッスルYMCAが市当局と協同で進めているユースワークである。他のユースセンターとは違って活動スペースはアパートの1ユニットなので、そこには事務所、談話室、会議室、ダイニング・キッチンがあるのみである。
プロジェクト10が始まった1988年当初、3人のユースワーカーはこの高層アパートに一軒一軒を訪ねてニーズをもった若者がいないかを探した。失業中の青年や特に悩みをもった若者がいると、プロジェクト10のチラシを置いていつでも訪問するように誘った。筆者がここをたずねたのは1990年と93年であるが、93年のときには数人のボランティアがこのプロジェクトを手伝っていた。彼らはこのアパートの住人でここに居着くようになって、今では活動に関わっているのである。私が訪問している最中にも、失業中と思われる青年が訪ねてきてしばしコーヒーを飲んでくつろいでいた。
英国では16歳で義務教育を終えた後は若者は親許を離れる傾向が今でも強く、しかし職を得られずに生活に困窮している者が多い。彼らも最初は元気に職探しに回るのであるが、何度も断わられると気力そのものを減じてしまう。プロジェクト10では、一人暮らしの彼らに休息の場所を提供するとともに、職探しや学校探しの手助けをしている。
中部イングランドのロザラム市の街角に一見すると観光センター風の「青年情報センター」がある。人通りの多い交差点の一角にあり、気軽に中に入るとさまざまなパンフレットが置いてある。それらは「教育」「職業」「病気」「相談」「法律」などの分類があり、それぞれについて若者向けの情報が提供されている。カウンターにはユースワーカーが若者のさまざまな相談に応じている。情報センターの2階はカウンセリング・ルームになっていて、より重要なあるいは深刻なケースの相談に応じている。
北東イングランドの港町サンダーランドには「ユース・カフェ」がある。外見は普通の喫茶店と何ら変わりなく、またここを利用する客も特別なカフェとは気づかない。ここは、若者自身が経営して運営するカフェである。店のロケーションの選択、内装、サービスの内容すべて若者自身が企画し相談して決めた。当初の資金はサンダーランド市のユースサービス予算から出ているが、行く行くはカフェとして独立採算できることをめざしている。客層は若者が中心ではあるが一般の人も多い。このプロジェクトを通して、若者の職業訓練と自立をめざしているのである。また、客と店員とが同じ悩みをもった若者同志ということで、その関わりの中で新たなユースワークの可能性を探っている。
以上は1970年代以降に発展している新しいユースワークのいくつかの事例であり、これ以外にも地域の実情と若者やユースリーダーの創造力によってさまざまなユースワークが実践されている。最初に紹介したような伝統的なユースセンター・ユースクラブからは想像できないほどにその活動形態は多様である。しかし、基本的にはユースセンターの機能の拡張であり、その理念や手法もユースセンターがめざしてきたものの延長線上にある。このようなプロジェクトが可能になった背景には、従来型のユースサービス施策が若者の関心を引かなくなったことへの危機感と、専門性と自律性の高いユースリーダーらの長年の努力とがある。
6.ユースサービスはどうなるか?
1960年代にはユースサービスへの参加者は対象年齢層の約3割ないし「3人に1人」と言われてきた。1994年の調査によればユースサービスへの参加率は13〜19歳人口の20%であり、実数としては約84万人に相当する。また、若者の63%が人生のある時期にユースサービスを利用している。この数字が多いのか少ないのかは観点によって異なってこようが、ただ中学校区に1館程度のユースセンターと約5,000人の常勤ユースリーダーの存在という現状をみるとき、ユースサービスが英国の社会に一定の市民権を得ていることは確かである。
日本においては1950年代には公民館が青年団や青年学級を中心に青年施設として機能し、1960〜70年代には勤労青年施策の中で青年の家や勤労青年ホームなどが多く設置されてきた。しかし、その後は青少年施策自体が「在学青少年」に重点を移したことにより、青年施設の新設はほとんどなくなった。英国においてもユースサービス施策が発展したのは日本同様1960〜70年代であるのだが、その後もユースセンターの設置や新事業が展開され続けている。
この背景には、若者に関わる家庭と学校のあり様の両国間の違いがある。アングロ系の国では子どもを早く家庭から自立させる傾向にある。かつて労働者階級の子どもたちは義務教育を修了するとすぐに就職して家を出る習慣があった。今では後期中等教育の進学率も高まり、職も容易には得られないために彼らも比較的親と一緒に暮らしている。それでも青年は早く自立すべきであるという圧力は強く、彼らの精神的社会的な立場は不安定である。これに加えて英国では2組に1組以上といわれる離婚の問題があり、家庭がますます安住の場所ではなくなっている。このため、若者にかかる就職、進学、結婚などのプレッシャーは日本からは想像できないくらいに大きい。
そのため若者のホームレス、妊娠、麻薬、失業などの社会問題が深刻で、社会的に彼らをサポートすることが必要となる。こうした事情がユースサービス施策を継続させてきた。ユースサービスについてはサッチャー・メジャーの保守党政権下で、その目的と内容を明確化するように圧力を受け続けてきた。サッチャー首相は、英国の学校に日本の学習指導要領を参考にしたといわれる「全国カリキュラム」を導入したが、ユースサービスについても全国カリキュラムを作るように要求してきた。さすがにカリキュラム化の作業には現場からの抵抗が大きかったが、財政難のなかでユースサービスもその目的と対象を絞り込むことを余儀なくされた。5)
英国では青年をめぐる厳しい状況がユースサービス施策を継続させてはいるが、その一方でユースサービスが個別の青年問題への「対策」へと変貌しかねない状況がある。若者の多様なニーズに現場レベルで柔軟に応えていくという、ユースサービスの良き伝統が危機にさらされていると指摘する声も多い。しかし、ユースリーダーの専門性の高さと若者の政策決定への参加が保証される限りは、ユースサービスが単なる「青年対策」へと変貌する危険性は高くはないと思われる。
1)ユースサービスの歴史については以下を参考のこと。Anthony Jeffs, Young People and the Youth Service, London, 1979. 田中治彦『学校外教育論[補訂版]』学陽書房,1991,pp.167-219.
2)John Mathews, Working with Youth Groups, London, 1966, pp.27-33.
3)ユースサービスに関する最新の数字については以下を参照した。England's Youth Service - the 1998 Audit, National Youth Agency, Leicester, 1998. What is the Youth Service?, National Youth Agency, Leicester, 1998.
4)Youth and Community Work in the 70's, HMSO, 1969. デタチト・ワークについては紙面の関係で紹介できなかったので以下を参照のこと。田中治彦「少年非行と社会教育への一視座」『岡山大学教育学部研究集録』第72号,1986,pp.117-127.
5)『学校外教育論』pp.212-217. 田中治彦「イギリスの学校外教育(下)−岐路に立つユースサービス」『月刊社会教育』428号,1992,pp.62-69.
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