開発教育・国際協力用語事典

 

                           文責:田中治彦

                           1999年1月5日


掲載されている用語

アドボカシー 異文化理解教育 NGO エンパワーメント 外国人労働者 

開発援助委員会(DAC) 開発教育 開発途上国 開発と女性(WID)

開発のための教育 学習指導要領 環境教育 飢餓 グローバル教育 

後発発展途上国 国連開発の10年計画 国連貿易開発会議(UNCTAD) 

国民総生産・国内総生産・国民所得 国際理解教育 子どもの権利条約

参加型開発 識字 持続可能な開発 人権教育 新興工業経済地域 

人口問題 スタディ・ツア 青年海外協力隊 政府開発援助(ODA)

世界銀行 絶対的貧困 先住民 第三世界 多文化教育 地球サミット

適正技術 南北問題 難民 人間の基本的ニーズ(BHN) 平和教育 

民族 もう一つの開発 累積債務問題 

 

※最新の用語解説については『開発教育キーワード51』(2001)をご覧ください。

 


 

アドボカシー

原語(advocacy)の意味は鼓吹、唱導、支持である。開発教育との関連では政策提言と訳されることが多い。最近アドボカシーの活動が強調されるようになったのは、開発教育を推進してきた国際協力NGOや市民団体が、政府や世論に対して開発問題や国際協力に関して具体的な提言を行っていくべきであるという主張が力を得てきたからである。

 

異文化理解教育 

異文化理解を指す適切な英語は見当たらない。特に異文化の「異」からは日本文化以外の文化が異質であり(あるいはその逆)、まったく隔絶したものというニュアンスが感じられる。異文化理解(教育)については地球上の各民族が互いに異なる生活習慣、言語、人間観、価値観をもっているので、これらを理解し自文化中心主義から抜け出すための教育学習活動というように説明されることが多い。これは英語の Inter-cultural Education に近い説明である。それならば文化間教育と訳した方がよいだろう。文化間教育は複数の文化が交差する領域で展開される教育活動を指す。具体的には、複数言語教育、帰国子女教育、留学生の教育、異文化適応訓練などの領域がある。いずれにしろ、文化理解は国際理解教育の大きな柱であるとともに、開発教育にとっても大切な学習目標である。他文化に対する理解なしに開発教育を行うと、経済格差に偏った開発問題理解に陥りがちだからあるからである。

 

NGO 

 NGO(Non-Governmental Organizations)という用語は、もともと国連が政府以外の民間団体との協力関係を定めた国連憲章第71条で使用したもので、「非政府組織」や「民間海外協力団体」などと訳される。特に国連経済社会理事会との協議資格をもつ「国連NGO」は社会福祉団体、労働組合、平和団体、婦人団体、青少年団体、経営者団体、宗教団体などが含まれる広範な概念となっている。日本においてはその経緯から、国連との協議資格の有無を問わず開発問題、人権問題、環境問題、平和問題などの地球的諸問題の解決に向けて、「非政府」かつ「非営利」の立場から市民主導で自発的に草の根の国際協力活動に取り組む民間組織を指すことがおおい。一方NPO(Non-Profit Organization)は学校、病院、協会、財団、研究所、ボランティア団体等、国際協力に限らない広範な民間非営利組織を指しているようである。『NGOダイレクトリー’94』(NGO活動推進センター刊)には国際協力に関わる186の民間団体が掲載されている。

 

エンパワーメント

原語(empowerment)は権限(権力)を委譲することを指す。開発プロジェクトを実施するに当たって政府や一部のエリートがその内容を決定するのではなく、本来の受益者であるべき民衆が決定プロセスに参加すべきであるとする近年の開発の主張を背景にこの用語が使用される。政府の側すれば地方分権であり、民衆の側からすれば住民参加である。

 

外国人労働者 

国境を超えて労働者が移動することは第二次大戦前にもあり、日本からもハワイ、北米、南米などに多くの人が出稼ぎないし移民した歴史がある。戦後は交通機関の発達とともに国際的な労働力の移動が盛んになった。この背景には、片や労働力不足の先進工業国と失業が深刻な途上国という双方の事情がある。日本では1980年代の後半のバブル景気の時代に深刻な若年労働力不足が起こり、それを近隣のアジア諸国や南米からの労働者で補ったことから外国人労働者の問題がにわかに深刻化した。実際に起きた問題としては企業との間での賃金の未払いや労働災害、地域では住民とのトラブルや子どもの教育、国レベルでは不法滞在等の問題がある。問題の根源には、景気がよく労働力が必要な時に外国からの労働力を導入しながら、不況時に追い返すということが人道上の問題を引き起こすことにある。いわゆる単純労働に従事することが多いことから、差別や偏見を生み出しがちである。移民や外国人労働者の多い欧州の国々では差別や偏見をなくすための反民族差別教育(Anti-racial Education)や民族共存のための他文化教育(Multi-cultural Education)が実践されている。

 

開発援助委員会(DAC)

 OECD(経済協力開発機構)の下部機構の一つで、途上国援助について情報を交換したり統計を作成して、開発途上国援助に関する共通の課題について議論する場である。日1993年現在主要援助国21か国とECが加盟している。日本の政府開発援助に関する各種統計はこのDACに対して日本の外務省が報告したものである。

 

開発教育

文化的多様性を前提としながらよりよい開発とは何かを考え、より公正な地球社会と多文化共生社会をめざして自ら参加していくための知識、技能、態度を養う教育学習活動。1960年代後半の欧米社会で始まり、1970年代にはユニセフ、ユネスコなどの国連機関でも取り上げられた。日本で本格的に導入されたのは1980年代である。当初国際協力NGO、国連機関、青少年団体などで取り組みが行われたが、後に学校教育、地方自治体の国際化センターなどにも広まっていった。開発教育では、文化の理解、相互依存認識に始まり、開発問題、南北問題の構造的な理解が求められる。さらに、人権の尊重、公正な社会づくり、共に生きる社会をめざして参加する態度形成が必要である。

 

開発途上国 

先進工業国(Industrial Countries)と開発途上国(Developing Countries、発展途上国ともいう)の明確な分類の基準があるわけれではない。一般に人口一人当たりの所得水準が低く、産業構造が一次産業に偏った国を開発途上国と呼んでいる。国連、世界銀行、OECDなどの国際機関ではそれぞれの機関で異なった定義を用いている。世界銀行では各国の国民一人当たりのGNPを基準に、低所得国、中所得国、高所得国の3グループに分類している。1993年版『世界開発報告』では、低所得国は1991年の一人当たりGNPが635ドル以下の国であり、中所得国は同じく635ドル超7911ドル未満、高所得国は同じく7911ドル以上の国である。世銀の分類による低所得国と中所得国が一般で言われる開発途上国に、高所得国が先進工業国に相当する。OECDの開発援助委員会では開発途上国の定義をせずにODAの対象となる国々をリストに掲載している(DACリストと呼ばれる)。

開発途上国は1960年代までは後進国、低開発国などと呼ばれたこともあったがそれらの用語が差別的であるということで開発途上国に統一された。しかし、その後開発途上国からから経済的に発展した新興工業地域(NIES)や逆に取り残された後発発展途上国(LLDC)などが出現してきたため、開発途上国という用語の有効性と妥当性について疑問が出されている。

 

開発と女性(WID)

 世界の人口の半数を占める女性の労働時間の合計は全世界のそれの3分の1に当たるのに、女性の所得は10分の1にすぎない。国連はこの根強く残る不平等を解消するために、開発の主流に女性を平等かつ最大限組み込む運動として「開発と女性(Women in Development)」を推進している。具体的には、@開発のプロセスに女性が参加すること、A女性のおかれている社会経済的状況を改善して女性の全般的な地位を向上すること、B途上国、先進国双方の女性が理解しあい協力を深めることを基本的な目的としている。

 

開発のための教育 

 ユニセフは1991年に新たに「開発のための教育(Education for Development)」という概念を提起した。Education for Development という概念は既に1960年代からアジア地域において使用されてきた概念で、その内容は農村開発、識字、栄養改善などの人材育成であり途上国の開発を進めるための教育であった。今回ユニセフが提起した「開発のための教育」は途上国で行われているこれらの教育的営みと先進工業国がこれまで実践してきた開発教育を統合した概念として用いられている。

ユニセフによれば開発のための教育は「子どもや若い人々が、地球規模の連帯、平和、社会正義、環境意識などの価値観と行動姿勢を確立し、かつ、このような価値観を実践し、地域および地球レベルで自分たちの生活や社会に変革をもたらすことのできる知識と能力を身につけることを促進するプロセス」と定義される。ここでは地球市民意識(グローバル・シチズンシップ)の形成が求められている。

 

学習指導要領 

小・中・高校の一般的な教育内容、指導方法、各教科の内容について各学年の配分、単元や事項の配列を指示したもの。これにより教科書が編纂され、各学校の教育計画が立てられる。学習指導要領は文部省が定めると規定され、法的な拘束力があるとされている。最近の改訂は1989年であり、「国際的感覚をもった日本人」を育成するために基礎学力の充実、個性化の促進、知識とともに態度・意欲を評価する「新しい学力観」、情報教育の推進、などが盛り込まれている。不十分ながら以前の学習指導要領よりは開発教育が実施しやすい内容となっている。

1997年には、西暦2002年から各学校で使用される学習指導要領が発表された。そこには「総合的な学習の時間」が領域として設定されており、小学校3学年から高校まで週平均2〜3時間が取られることになった。総合学習では、環境、情報、福祉・健康と並んで「国際理解」が教えられることが期待されており、これにより日本の公立学校において開発教育が全面的に展開されうる道が開かれた。そのためには、子どもの興味関心を十分引きつけうる教材とそれを指導できる教員の研修が不可欠である。

 

環境教育 

1975年の国際環境教育会議で出されたベオグラード憲章では「環境教育の目的は、世界の全住民が環境とそれに関わる問題に気づき関心をもつとともに、当面する問題の解決や新たな問題の起きることを未然に防止するために個人および集団として必要な知識、技能、意欲、積極的な関与を身につけることである」と説明されている。環境教育が注目を集めたのは1960年代の世界経済の急速な拡大によって先進工業国を中心に環境破壊が深刻になり、1972年にストックホルムで国連人間環境会議が開催され環境教育の重要性が指摘されて以来である。日本でも1960年代に水俣病、四日市大気汚染などの公害問題が深刻になり公害学習が進められた。

1980年代に入ると環境破壊は先進国のみの課題でなく開発途上国にもスラム、砂漠化、熱帯林破壊などの重大な環境問題があり、また酸性雨、オゾン層の破壊、地球の温暖化など国境を超えた環境問題が顕在化したことにより地球規模の環境問題が人類の生存に関わる重大課題であるという認識が広まった。1987年の「環境と開発に関する世界委員会」報告書(ブルントラント報告書)では持続可能な開発を基調とした環境保全戦略が打ち出され、その中で環境教育があらゆるレベルの教育カリキュラムに位置づけられるよう求めている。文部省は1991〜2年に小・中・高校の「環境教育指導資料」をまとめ学校における環境教育の推進を図っている。

 

飢餓

 現在世界の人口の4人に1人は栄養不足ないしは栄養失調の状態にある。こうした地域でいったん戦争や紛争あるいは自然災害が起きると人間としての生存に必要な最低限の食糧が得られなくなり飢餓状態を生ずる。最近では1984〜85年の大旱ばつによるアフリカの飢饉が有名である。飢餓状態が発生した場合には緊急援助を行う必要がある。しかしそれだけでは構造的な飢饉の原因は残る。貧困層の自立のための協力、土地改革などによる国内の貧富の格差の是正、生態系の悪化防止や環境保全、不平等な南北関係の是正、豊かな国々の浪費的な生活様式の見直し、などの取組みが世界規模の飢餓問題の解決には必要である。

 

グローバル教育 

 グローバル教育(Global Education)の起源は明らかでないが、1970年代にはアメリカ合衆国で提唱されていた教育運動で地球市民教育、地球社会教育などと訳される。また「地球的視野に立った教育(Global Perspectives in Education)と呼ばれることもあった。1960年代までの米国の教育はアメリカの国家と文化の優位性を強調するものであったが、ベトナム戦争の敗色とドルの崩壊など一連の事件によってアメリカの自国中心主義に対する反省が生じる。グローバル教育は地球的視野を身につけた市民を育成することを目的としている。その内容は異文化理解、相互依存認識、南北問題、平和と軍縮、環境、など多岐にわたる。ユネスコの国際教育の内容とほぼ一致するものといってよいだろう。ただ米国自身が多民族国家であるので異文化コミュニケーションや多文化教育に優れている。また、1984年以降は開発教育の内容に力点を置く傾向がある。イギリスにおいては「ワールド・スタディーズ」の名称で普及する。

 

後発発展途上国 (LLDC)

開発途上国の分類の一つでLLDC(Least Less Developed Countries)あるいは最貧国と呼ばれることもある。国連では一人当たりのGDP、人口、製造業の指数、人的資源開発度などを勘案してLLDCを決めている。1971年には24か国であったが、1991年の基準によれば47か国となっており、この内28か国はサハラ以南のアフリカに集中している。

 

国連開発の10年計画

 1961年に米国のジョン・F・ケネディ大統領は、国連総会で演説し1960年代を「国連開発の10年(United Nations Development Decade)」とするように提唱した。この中で開発途上国全体のGDPの年平均成長率を60年代末までに少なくとも5%に引き上げることが具体的な目標として規定され、これに向けて先進各国が協力すべきことが述べられた。その目標は達成されたが先進工業国と開発途上国との経済格差はますます拡大し、かつ途上国内部の貧富の格差も拡大した。国連では1970年代を第2次国連開発の10年として、経済成長率の目標を年率6%としたことに加えて、農業生産、製造業生産、輸出などの個別のマクロ指標についても目標値を設定した。先進国の政府開発援助額の努力目標をGNPの0.7%に設定したのはこの時である。

 

国連貿易開発会議(UNCTAD) 

 国連貿易開発会議(United Nations Conference on Trade and Development)は1964年に、南北の経済格差の是正と南北双方の貿易や開発の諸問題を討議するために設立された国連総会の一機関である。4年に1回の総会をもつが、ジュネーブで開催された第1回の総会では開発途上国の赤字を解消するための新しい貿易政策が提唱され、以後一次産品の品価格安定、途上国からの工業品輸出を容易にするための一般特恵制度の導入、などの重要提案が行われた。1981年には経済基盤が最も弱い後発発展途上国のためのLLDC国連会議を開催した。開発途上国(Developing Countries)という用語が「後進国」「低開発国」に代わって一般に使用されるようになったのは第1回UNCTAD総会以来である。

 

国民総生産、国内総生産、国民所得

 国内総生産(GDP)は国内において居住者が生産した財貨、サービスの合計を表す指標であり、国民総生産(GNP)は国民の生産活動によって国の内外で創出された付加価値の合計である。「GNP=GDP+海外からの純所得」の関係がある。国民所得は、雇用者所得と財産所得と企業所得の合計であり、「国民所得=GNP−固定資本消耗−間接税+補助金」の関係がある。一般には国民所得は国民総生産より小さいのが普通で日本では国民所得はGNPの約8割である。

 GNP、GDPおよび国民所得は国家や国民の富を表す指標としてしばしば使用されるが、市場に出されない生産やサービスについては算出されないため、自給自足経済や物々交換はこの中に含まれないという欠点をもっている。GNPやGDPは国民の生活水準をそのまま反映する指標ではないという点に注意が必要である。

 

国際理解教育 

 教育文化科学に関する国際機関であるユネスコは、第2次大戦後その結成直後より国際理解教育(Education for International Understanding)を提唱してきた。これは、平和教育、各国理解、人権教育、国連理解を柱とするものであり、1953年よりはユネスコ協同学校運動を通して全世界的に実践が行われていた。1974年のユネスコ総会では、新しい国際情勢のもとで従来の国際理解教育に代わって国際教育(International Education)を新たに提唱した。これは正確には「国際理解、国際協力及び国際平和のための教育、並びに人権及び基本的自由についての教育」といい、その教育内容には平和(軍縮)教育、人権教育、開発教育、環境教育が含まれていた。またベルリンの壁崩壊以後の世界情勢を受けて1994年の第44回国際教育会議では「平和・人権・民主主義教育」を取り入れる宣言が採択された。

日本においては文部省やユネスコ国内委員会が明確な指針を出さなかったこともあって長らく低調であった。日本の国際理解教育を支えてきたのは民間の日本ユネスコ協会連盟や帝塚山大学国際教育研究所である。しかし、臨時教育審議会の答申などを受けて改訂された1979年の学習指導要領には国際化への対応が不十分ながらも唄われており、各教科の教科書においてもまた現場の取り組みにおいても国際理解教育の推進の気運が興りつつある。

 

子どもの権利条約

 公式には「児童の権利条約(Convention on the Rights of Children)」と訳される。1979年の国際児童年を契機に子どものさまざまな権利を保障するための条約化の作業が始まり、1979年に採択された。1994年現在161か国が批准している。「子どもの最善の利益」を基本原理として、子どもの生存、保護、発達、参加に関る諸権利を規定している。開発途上国においては衣食住が満たされない児童、生活を維持するために工場などで過酷な労働条件のもとに働いている児童(児童労働)、学校に行かずに路上で生活したり生計を立てる児童(ストリート・チルドレン)などの問題がある。先進工業国においては、子どもの意見表明の権利や参加の権利の実現の課題がある。各国は児童の権利の実現に向けて最大限努力するとともに、必要に応じて国際協力によって解決することが定められている。

 

参加型開発 

 OECDの開発援助委員会は1989年に「1990年代の開発協力」を発表して、90年代の開発協力を主導する理念として「参加型開発(Participatory Development)」を提唱した。参加型開発とは、開発の受益層自身が開発の意志決定プロセスに参加すること、そしてより公平にその恩恵を受けることが含まれる。これは民主的なシステムの確立と公平な分配を保証する概念でもある。従って、この場合の参加は強者の参加ではなく「弱者」の参加である。弱者とは都市のエリートに対する農村の住民、男性に対する女性、大人に対する子ども、支配民族に対する少数民族や先住民族などである。ILOなど複数の国連機関は共同で調査を委託し、参加型開発の現状、方法、そして課題をまとめて『民衆と共にある開発(Projects with People)』を1991年に発表した。

 

識字

ユネスコではその創立以来一貫して識字教育に取り組んできた。当初は識字を「日常生活における短い簡単な陳述の読み書きができること」と定義していた。その後単にアルファベットや自分の名前が書けるというレベルではなく、機能的識字(funktional literacy)のレベルが設定された。これは社会の発展に向けて参加しうる読み・書き・算の能力と説明されている。産業の発展段階によってことなるが、義務教育終了相当の能力に匹敵するであろう。一方第三世界の側からは、識字とは単に文字を知ることではなく、文字を通して社会構造を認識し、社会を変革する能力を獲得すること(これを「意識化」と呼ぶ)であるとするパウロ・フレイレの識字教育の実践と理論が注目を集める。ユネスコは1990年を国際識字年と定め、世界の9億6000万人の非識字者を西暦2000年までにゼロに近づけるよう提唱した。

 

持続可能な開発 

 原語の Sustainable Development は「永続的発展」と訳されることもある。これは「将来の世代がそのニーズを充足する能力を損なわないように現在の世代のニーズを充足させる開発」と定義されている。従来、環境と開発とは相対立するものとして考えられたきた。ところが、環境問題である砂漠化の進行、熱帯林伐採などの背後には人口増加、貧困、移住民などの開発問題がありこれらは密接に関連している。こうした認識が80年代に高まり、これらの問題を統一的に扱うためにノルウェーのブルントラント首相を委員長とした「環境と開発に関する世界委員会」が設置された。持続可能な開発は1987年に同委員会から発表された『我々の共通の未来』と題する報告書で使用された中心概念である。1992年にリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)では持続可能な開発とそれを実現するための国際協力の方法が話し合われた。

 

人権教育 

ユネスコでは1948年の世界人権宣言を受けて、当初より人権教育を国際理解教育の大きな柱と位置づけている。日本では差別を撤廃するための人権教育としては被差別部落への差別撤廃をめざす同和教育が推進されてきた。また、近年は在日外国人に対する差別問題を扱った実践事例も多く見られるようになった。人権の概念はここ4半世紀で大きく発展している。民族自決権、発展の権利、平和的生存権、環境権などは市民的自由権、社会権に続く第三世代の人権として注目されている。また、1966年に採択された国際人権規約を発展させて、女性、子ども、障害者、先住民などの弱者の権利を個別に確立していくことがここ30年の大きな人権擁護の流れであり、国際年や行動計画を通して世界的に人権の確立が進められている。従って、人権教育は平和教育、開発教育、環境教育、多文化教育、女性差別撤廃のためのジェンダー教育、等との関係の中で推進されねばならない。

 

新興工業経済地域 (NIES)

 新興工業経済地域(NIES=Newly Industrialising Economies)とは、70〜80年代に著しい経済成長を遂げた韓国、台湾、香港、シンガポールなどの国家・地域群を指す。これらの国々は70年代を通じて年平均9%前後の経済成長を記録し、80年代でも6〜7%の成長を達成した。経済成長の要因は、当初輸入代替工業化を行い、これに成功すると輸出指向工業化に転換したこと、日本と米国という2大市場に輸出することにより外貨を稼いだことである。また、インフレ抑制策をとり国内貯蓄動員に力を入れ外貨への依存度を低下させた。NIESは最初NICS(新興工業国)と呼ばれ、アジア、中南米、南欧の計11か国を指していた。その後中南米諸国が累積債務問題で脱落し、1988年以降は台湾と香港の国際法上の地位に関連してNIESと呼ぶようになった。

 

人口問題 

 人口問題は人口の絶対数と人口構成の双方の問題である。日本などの先進工業国では人口の停滞と高齢化が課題であり、多くの開発途上国では人口の急増とそれに伴う食糧不足、失業、スラムなどが問題となる。人口の増加には一定のパターンがあることが知られている。人間には種の維持本能があり、生産力が低い時代には多くの子どもが死んでしまうのでそれに打ち勝つために多くの子どもを産む傾向がある(多産多死)。生活条件が向上すると子どもの死亡率は下がるが、それまでの習慣は残るので多産となり人口は増加する(多産少死)。多くの開発途上国はこの段階にあり人口の急増に悩まされている。さらに進むと多くの子どもを産む必要性のないことが認識され少産少死に移行して人口は安定する。現在の日本はこの状態にある。

 人口問題の解決には家族計画や保健教育の普及が必要であるが、これにはそれぞれの地域の生産力、女性の地位、文化や伝統などさまざまな問題が関係しており慎重に進められねばならない。

 

スタディ・ツア

 いわゆる観光旅行は地元にお金を落とす代わりに、自然破壊をしたり売春をはびこらせるという点でその国の健全な開発にとってマイナス要因が多かった。そこで、欧米のNGOから単なる観光旅行とは違う「オールタナティブ・ツアー(もう一つの旅行)」の提案がなされた。それは観光地を回る旅行ではなく、普通の農村に民泊したり、スラムを訪問したりする。日本ではスタディ・ツアという名称で1980年代に普及した。スタディ・ツアを行う際には、事前の学習、ツアの目的の明確化が求められる。相手に対しても「対等な」交流を行うことが必要である。例えば、一方的に写真を撮るのではなく、こちらからも自分の家族や生活の写真をもっていく、こちらから訪問するだけではなく先方からも招聘する、などである。また、高価なおみやげを持っていくことなどにも注意が必要である。

 

青年海外協力隊 

開発途上国の開発に寄与する意思をもった青年を開発途上国の要請に基づき海外に派遣する国際協力事業団の一事業。派遣される青年は通常2年間途上国に滞在し、途上国の人々と生活と労働を共にしながら協力活動を行う。協力分野は農林水産、土木建築、電気・電子、理数科教育、保健衛生、日本語、スポーツなど多岐にわたる。1965年に創設以来1万人を超える青年が参加している。隊員は全国の地方自治体や民間団体を通じて年2回公募されている。帰国した隊員の組織によりさまざまな開発教育プログラムが展開されてきた。

 

政府開発援助 (ODA) 

 OECDの開発援助委員会では次の三条件に当てはまるものを政府開発援助(ODA、Official Development Assistance)としている。@中央および地方政府を含む公共部門ないしその実施機関により、開発途上国及び国際機関に対して供与されるものであること。A開発途上国の経済開発及び福祉の向上に寄与することを主たる目的とするものであること。B供与の条件が特に緩和されたもの(グラント・エレメントが25%以上)であること。

 政府開発援助には二国間援助と多国間援助とがある。多国間援助にはユニセフ、国連難民高等弁務官事務所、世界銀行に対して供与される。二国間援助は国と国とが直接やりとりするもので、さらに贈与と政府間貸付に分類される。贈与には無償資金協力と技術協力とがある。1993年度の日本の政府開発援助額は112億ドルであり、世界で一番援助額が多い。

 

世界銀行 

正式名称は国際復興開発銀行。1944年に開催されたブレトン・ウッズ会議での協定に基づき翌年設立された。当初の目的は加盟国の戦後復興と経済開発の援助にあったが、マーシャル・プランの実施により欧州の復興が進むとともに業務の中心は開発途上国の経済援助に移った。日本は1952年に加盟し、1966年までは世界銀行よりの資金で東海道新幹線、東名高速道路などを作った。1992年現在加盟国は172か国、本部はワシントンにある。

 

絶対的貧困 

 絶対的貧困とは人間としての基本的ニーズ(BHN)が満たされない状態を指している。具体的にどのような生活が絶対的貧困なのかについては線引きは難しい。世界銀行などの国連機関では所得水準をもって貧困を規定している。しかし所得だけでは経済生活の実体を正しく反映するものではないので、これに代わるものとして栄養摂取基準を設けることがある。生命維持に不可欠な栄養物の摂取量を基準に、貧しさの程度を判定しようというのである。通常、一日あたりのカロリーや蛋白質の摂取量に、幼児死亡率や平均寿命を加えて、絶対的貧困の線を引く。さらに、生命を維持するだけでは人間の生活とはいえないので、栄養摂取量以外の生活に必要な諸資料(衣食住、教育、医療等)を含めて生活資料基準を使うこともある。いずれにしろモノで表わされた数字であり、貧困が社会関係の中で生ずるという点を反映してはいない。

 

先住民 

先住民(Indegenenour people)とは、他の地域からやってきた異なった文化をもつ人々によって支配ないしは圧迫された人々またはその子孫である。現在は支配的な集団の社会的文化的特徴をもった国家のもとで少数民族として暮らしている。戦後の急速な開発政策のもとで先住民は政治的経済的あるいは社会的に圧迫され、その生活基盤、既存権益・便益や固有の伝統的な文化の破壊と喪失が起き大きな問題となっている。先住民の多くは自然と共存し物質中心ではない世界観をもっていることから、地球規模の環境破壊が進む今日にあっては先住民の生活様式や世界観が注目を集めている。国連は1993年を国際先住民年とした。

 

第三世界 

 自由主義市場経済をとる西側諸国を第一世界、社会主義計画経済をとる東側諸国を第二世界、その他の国々を第三世界と呼ぶことが定着したのは1960年代である。そのルーツは1955年にバンドンで開催されたアジア・アフリカ会議に遡ることができる。その後非同盟会議が4年ごとに開かれ、第三世界とはこの会議に結集する国々にほぼ一致していた。政治的な意味あいでの第三世界、経済的意味あいでの開発途上国という呼称が長く使用されたが、1979〜82年にかけての社会主義ブロックの崩壊により第三世界という呼び名が果たして適当かどうかが現在問われている。

 

多文化教育 

多文化教育とは他民族国家において多様な文化的背景をもつ青少年とりわけ社会的に不遇な立場にある少数民族や移民の子弟に対して平等な教育機会を提供するために彼らの文化的アイデンティティを尊重して行われる教育である。これは他者と異なる文化をもつことを人間としての固有の権利と認めて、一つの国民国家のなかで多数の文化の共存を図る多文化主義の立場にたち、少数民族の文化を一段低いものとみなして支配的集団の文化への同化を求める同化主義と鋭く対立している。多文化教育はアメリカ、カナダ、イギリスなど他民族国家において発展した。多文化教育の推進者にも、少数民族の子どもたちの自尊心を高めて学力の向上を図ることを目的とする論と、人種主義と差別の構造を打破するために民族意識の高揚を強調する論とがある。後者は既存の制度や価値観への挑戦を含むために、支配的民族の文化的伝統を保持しようとする保守派からの抵抗が根強い。

 

地球サミット

 地球規模の環境問題の悪化を背景に1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された世界会議。正式には環境と開発に関する国連会議という。地球温暖化対策、砂漠化防止、有害廃棄物の制限など多くの分野で成果を上げたものの、援助資金や技術移転では国によって意見が食違い合意に至らなかった。会議で採択された「環境と開発に関するリオ宣言」の理念を達成するために21世紀に向けて「アジェンダ21」という行動計画が策定された。アジェンダ21では全人類の活動が地球環境に及ぼす影響を考慮して経済活動を改める必要があるという理念に基づき、持続可能な開発のために地球規模での国際協力の必要性が前文で述べられている。アジェンダ21には政府や国連機関だけではなくNGOや女性の役割などにも言及があり、その範囲も森林、大気、海洋など幅広いものである。

 

適正技術

開発途上国に技術移転を行う場合、先進国の先端技術をそのまま導入することには困難が伴う。1973年経済学者のシューマッハーは、現代技術と伝統技術の中間に位置する「中間技術」が技術移転にとって有効である点を指摘した。以後、開発途上国の技術水準、資源、市場の規模、社会文化的環境など諸々の条件を考慮した最も効果のある技術を適正技術と呼ぶようになった。従って適正技術は一つの事例において移転が成功したからといって他の事例においても有効というものではなく、個々の場面ごとに何が適正かを総合的に考えていかねばならない。

 

南北問題 

 1959年、イギリスのロイド銀行の頭取であったオリバー・フランクスはイデオロギーと軍事の対立である東西問題に比肩する重要課題として、地球上の北側に位置する先進工業国と南側に位置する低開発諸国との大きな経済格差を南北問題として指摘した。南北問題は、戦後次々政治的独立を達成したアジアやアフリカの新興国が、植民地時代の従属的な経済関係によってすぐには経済的自立を達成することができなかったことに起因する。

 

難民

 難民条約では難民とは「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれ」がある者をいう。この定義では本国の迫害により自らの意志で他国の保護を受けた亡命者も含まれる。実際に保護されている難民はこの定義より広く、インドシナ難民にはインドシナ3国の政治的経済的混乱を逃れて国外へ脱出した者、アフリカ難民にはアフリカ各地の飢餓を逃れるために他国へ移動せざるを得ない者が多数含まれている。こうした並み民の保護のために中心的役割を果たしているのが国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)である。UNHCRの難民白書(1993年版)によれば、世界の難民の数は1920万人でその他に国内避難民が約2400万人存在し、一日平均1万人が難民化しているという。

 

人間の基本的ニーズ(BHN)

 人間が生きていく上で最低限必要とするものを指す。具体的には適当な食糧、住居、衣服、家具など個々の家庭に必要なものと、飲料水、公的輸送、医療教育、文化施設などの社会的なサービスを含む。1960年代の開発援助が援助を必要としている貧困層に行き渡らなかったという反省から、世界銀行が1970年代に打ち出した開発戦略の中で使用されたことからILOやOECDにも採用された。BHN戦略は経済成長の果実を社会の上層部が一人占めするのではなく、絶対的貧困層に及ぼすという所得再配分を強調とした開発アプローチである。日本国憲法第25条にある「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」がほぼこれに相当する。

 

平和教育 

第2次大戦の反省から生まれた国際理解教育は平和教育をその第一目標においていた。わが国でも日教組は「教え子を再び戦場に送るな」を合言葉に平和教育の推進を組織の存立意義とした。1960年代になり大きな戦争がなくなった代わりに核兵器をもった東西陣営の対立により世界全体が冷戦に巻き込まれていた。戦争がない状態を指していた従来の平和概念(これを消極的平和と呼ぶ)に代わって、戦争の原因がない状態を平和と呼ぶ積極的平和論が展開された。戦争の原因には、核兵器の存在、貧富の格差、他民族の抑圧など広範な要因があり、1980年のユネスコの軍縮教育世界会議では平和軍縮教育は開発、環境、人権の各教育との関連で実践されねばならないことが確認された。この頃から日本でも広島、長崎の原爆による被害者の立場から、アジア各国への加害者責任を踏まえた平和教育が模索されるようになった。1989年のベルリンの壁の崩壊は従来のイデオロギーの対立と核兵器という平和教育の枠組みを根本的に見直させることになった。新たな民族対立や地域紛争を防ぎ地球規模の平和を築いていくための平和教育が今もとめられている。

 

民族

一般には言語、習俗など文化的諸要素を共有する集団を指す。その提唱者によって民族の定義は多様であるが、@自然的な要素としての人種や地域的つながり、A文化的な要素としての言語、宗教、慣習などの共同性、B心理的要素としての民族意識、のそれぞれを強調する考え方がある。この内身体的特徴から定義される人種の概念は近年疑問視されている。また、言語、宗教、慣習等で定義した場合も必ず例外があり十分説明しきれない。結局、自分がどの民族に属しているかという主観的認識(民族意識)が決め手となるようである。現代では各民族が国家を形成する権利(民族自決権)が認められ第三世界の独立を促す原理となった。ところが、これが自民族の優位を強調する民族主義に発展すると少数民族の抑圧や民族国家間の紛争など否定的な側面が多く見られるようになる。現在では民族(nation)に代わる概念としてエスニック集団(ethnic group)の概念が浮上している。エスニック集団は各地域で独自性のある社会経済生活を営む大小さまざまな集団を指す。従って民族の定義とほぼ同じになるが、より規模が小さく支配民族や支配的文化に対抗しながら独自の経済社会文化的な自立を求める集団として定式化されることが多い。

 

もう一つの開発 

 もう一つの開発(Alternative Development, Another Development)の議論は1977年にスウェーデンのダグ・ハマーショルド財団が発表した『もう一つの開発−いくつかのアプローチと戦略』において近代化に代わる新たな発展の道を模索したことから活発化した。同報告書では「もう一つの開発」を、@基本的ニーズを充足し、A内発的であり、B自立的であり、Cエコロジー的にも健全であり、D経済社会構造の変化を必要とするものとして定式化した。これを受けて、内発的発展、持続可能な開発、参加型開発など新しい開発論が展開されるようになった。

 

累積債務問題 

1973年の石油値上げでだぶついたオイルマネーは欧米の民間金融機関に預けられ。金融機関では有利な貸出し先を探して、新興工業国や資源保有国に対して貸出し競争を行った。ところが、1982年頃からの石油価格の下落は「逆オイル・ショック」となって石油産出国の経済に打撃を与えた。逆オイル・ショックは石油に留まらず、一次産品市況全体に低落をもたらした。これによりメキシコ、ヴェネズエラなどの中南米諸国では民間銀行から借りたお金が返済できず債務不履行問題を発生した。累積債務問題はそれを発生させた途上国のみならず、世界の金融市場の信用に不安を与え、その解決は80年代最大の国際金融問題となった。累積債務問題に対しては、債務削減、利払いの軽減、新しい資金の供与などの措置がとられているが、各国の経済開発に与えた影響は甚大であり、そのしわ寄せは福祉、教育、保健の財源カットにより最も弱い立場にある民衆に及んでいる。ラテンアメリカの累積債務問題とアフリカの飢餓を合わせて1980年代は国際開発にとって「失われた10年」であったと言われる。


 

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