現代の青少年と社会教育


青年期の変容と学習課題

田中治彦       

香川正弘編『生涯学習概論』東洋館出版社,1992年所収


もくじ

 

第1節  「青年像」の崩壊

第2節  学習課題としての開発問題

第3節  青年と参加


第1節 「青年像」の崩壊

青年の世紀

 青年は境界的(マージナル)な存在である、といわれる。これは、青年期が子どもから大人へと移行する過渡期であるという意味である。しかし、青年期は単に個人にとって過渡期であるだけではなく、歴史的にも社会的にも過渡的な存在である。ある意味では20世紀は「青年の世紀」といえよう。1904年にスタンレー・ホールが書いた『青年期(Adolescence)』が青年心理学の始まりあり、1920年代には青年の学習を保障するための中等教育の充実が先進工業国の間では等しく課題となった。第二次大戦後は青年層が積極的に社会作りに参加した。1960年代戦後世代による「若者の反乱」があり、20世紀の終りとともに「青年」という言葉自体が消えようとしている。

 「青年」という言葉が死語になるというのは決して誇張ではない。筆者がこのことを感じたのは1985年の国際青年年の事業に関わった時である。「青年」年であるにもかかわらず、当の青年たちがほとんど呼びかけに応えずひと事のように振舞っていたからである。青年自身が自分のことを「青年」と思っていない以上、いずれこの言葉は滅びていくであろう。若い女性に「婦人」といってもピンとこないように。1)

 現在の青年たちを呼び表す言葉は多い。モラトリアム、四無主義(三無とか六無とかいわれることもある)、アパシー、新人類、等など。ネーミングが盛んに行われるのは、既に定式化された「青年像」から今日の青年がはずれてきたためである。従来の青年像とは、例えば『講座青年』の巻頭論文に出てくる次のような特性をもつ存在である。「青年たちはいつの時代でも時代を批判し未来に生き、歴史を切り開いてきたのです。」「青年はやはり仲間を求め、仲間を呼びあって、孤独にうちかち、ひとりぼっちを克服しようとします。本来青年は徒党をくむものなのです。そして、仲間に支えられ、仲間で知恵をよせあい、社会体験を深めて大人になって行きます。」 2)

 しかし、青年たちが社会やその時代を批判しなくなって久しい。彼らは少人数の友人はいても、徒党を組む姿を見つけることは(非行少年の集団を除いては)今では難しい。これらの青年像が現在の青年に当てはまらなくなったところに現在そして将来の青年問題が存在する。1960年代後半から始まった青年の変化を一言であえて言い表すとするならば青年の「モラトリアム人間」化現象である。モラトリアムの語源とその意義については後に詳述するが、ここでは小此木の説明に従っておこう。「モラトリアム人間とは、第1に、いかなる国家、社会、組織にも強い帰属意識を持つことを回避し、また、これらの組織、集団に対する忠誠を要求されることをきらう人間である。第2に、彼らはどんな組織、社会に対しても一時的なかかわりしか持たない。第3に、これらの組織、集団よりも自己自身を優先させる。第4に、彼らは常に自己自身は温存させ、特定の役割や組織、集団の責任のために自己をかけてしまうことをしないで、あくまでも自分そのものを生き延びさせようとする。」 3) 彼らが忠誠をきらう対象は組織や集団だけではない。この説明文の「組織、集団」を「哲学、宗教、思想、イデオロギー、学問体系」といった従来の絶対的規範に置き換えることもできる。

青年期と生涯学習

 従来の青年像が崩れてきたのは1960年代の後半からであり、それは現在も続いている。新しい青年像が定式化できるまでには未だ至っていない。旧来の青年像の崩壊と、生涯教育論が提唱され受容される時期とは一致する。もちろん、青年のモラトリアム化が生涯教育論を促したわけではないし、その逆でもない。青年像の崩壊と生涯教育論の興隆をもたらした共通の社会背景があるというべきであろう。すでに第1部で議論されたところであるが、生涯教育が1960年代の中盤に提唱された社会背景には主として次の5点があげられる。

 @ 教育の機会均等の要求

 A 高齢化や労働時間短縮に伴う余暇社会の到来

 B 急速な技術革新

 C 地球的諸課題に対する新たな学習の必要性

 D 青少年期の教育における学校教育の限界

 これらの背景と青年期の教育との関係について順次考えてみよう。まず教育の機会均等であるが、学歴による階級格差が厳しい欧州諸国や民族間(白人と黒人等)の学歴の格差が問題となった米国とは違い、1970年代前半に高校進学率90%を達成した日本では、生涯教育による教育の機会均等の実現という主張は弱いものであった。これは日本の生涯教育論導入における一つの特徴である。現在青年らが利用しうる教育機会は表1にあるとおりである。

 生涯教育論を生み出した2番目の要因である「余暇社会」の到来こそモラトリアム青年の増加をもたらした要因と共通する。1960年代を通じて先進工業国の間で共通に見られた労働時間の短縮および平均寿命の延長という現象が人間の自己実現の手段の一つとしての生涯学習が可能な体制作りを望んだのであった。余暇社会の到来は単に自由に使える時間を増やしたというにとどまらず、青年の価値観にも大きな影響を与えた。余暇は明日の厳しい労働のための疲労回復の時間ではなくなり、労働とそれによる所得こそ余暇を楽しむための手段であるというように労働と余暇との関係が逆転してくる。こうした価値観の変化が一人前の大人としての責任をとるよりは、自由を謳歌できる青年期を延長しようとするモラトリアム青年を生み出して来たのである。

モラトリアム青年の登場

 モラトリアム(moratorium)とはもともとは借金の返済金などの支払いの猶予を認めることを意味する経済用語である。これを心理学の用語として使用したのがエリクソンである。 4)エリクソンによれば、人間の一生は8つの発達段階に区分され、それぞれの段階に固有の発達課題が存在する。青年期においては、それはアイデンティティ(同一性)の獲得である。青年期には、それまでとり結んだ諸集団(家族、同年齢集団、学校)によって獲得した自己認識と、青年期以降関係を結ぶことになる成人社会(職場、地域社会)において期待される自己認識とが対立し、その調整(同一化)を行わねばならなくなる。青年期は、自己と社会との葛藤の時期であり、そのために与えられた猶予期間をエリクソンは「モラトリアム」と呼んだ。この時期は単に外部世界との葛藤にとどまらず、人生の価値を選択するという内的な葛藤の時期でもある。それ故、先人の哲学、宗教、イデオロギー、文学、学問的真理などに正面から取り組み、それらを自分のものにしていく時期でもあった。 

 しかし1970年代の日本社会において明らかになってきたことは、多くの青年たちがこうした葛藤自体を拒否し、一時期であるべき青年期を延長しようとしたことである。社会的責任を引き延ばし、幼児的な万能感と欲求の追求に浸っている青年たちを小此木は「モラトリアム青年」と名付けた。

 モラトリアム青年を生涯学習の観点から捉えるとどうなるのであろうか。モラトリアム青年は既存の組織や社会体制に組みしないのみならず、既存の学問体系、哲学、イデオロギー、宗教、文学などの価値を認めず、絶対的な真理などは追求しようとしない存在である。従って「青年と学習」というテーマからは最も程遠い人びとである。モラトリアム青年が大多数を占めるようになった1980年代に青年の学習論が低調なのもそのためである。

 

第2節 学習課題として開発問題

技術革新と学校

 しかし、現代の青年たちに学習すべき課題がなくなったわけではない。生涯教育の必要性を促した社会背景そのものが青年を含んだすべての階層の人びとの学習課題を提起している。それは、ひとつは技術革新であり、もうひとつは地球的課題への対応である。

 1950年代より石油科学、電気・電子技術、造船・重機などの分野で起きた産業技術の急速な進歩は、従来の学校教育の存立基盤を脅かすほどの問題を提起した。それまでの学校というのはいわば知識の銀行のようなもので、子どもたちはそこで大人になってから必要となる知識と技術を蓄える。卒業して社会に出てからは、蓄えた知識と技術を小出しにすることで生活の糧を得ていく。ところが、技術が日進月歩で変わっていくと学校教育はそれに追い付けなくなる。青少年からすればせっかく学校で学んだことが、社会に出てから数年して陳腐化し使いものにならなくなるわけである。日々新しくなる社会や技術の変化に取り残されないようにするためには、常にそれらを学習し身につけていかねばならない。そこで生涯にわたって学習できるシステム作りが求められてくる。

 それでは学校の役割はどうなっていくのであろうか。社会に出てから必要となるすべての知識を学校教育において教え込もうとする実質陶冶の考え方は実際的は不可能である。あまりに知識の総量が増えすぎたために9年間の義務教育年限では教えきれないし、将来出てくるであろう新しい知識に至っては教えようがないからである。これに対して、学校教育は子どもらが将来新しい事態に出会ってもそれに対処できるように最小限必要な知識(ミニマム・エッセンシャルズ)を与え、「学び方を学ぶ(learn how to learn)」場所にするいうように発想の転換を図らざるをえなくなる。いわば形式陶冶の考え方である。

 日本の学校教育においてこの転換がなされたのが、1977年の学習指導要領の改訂である。学習指導要領は1958年の改訂以来、技術立国と高度経済成長をめざす国策にのっとり基礎教科の充実、理数科の振興という名目で改訂の度ごとに内容が増加し高度化し、ついに「詰め込み主義」「落ちこぼし教育」の批判を受けるに至る。77年の改訂に至って初めて授業時間総量の削減がおこなわれ、「ゆとりの時間」が設けられることになった。内容的にも「教育内容の精選」「小・中・高一貫のカリキュラム」という方針のもとに重複をなくし、必要最小限のことを教えようという姿勢に転換する。最近学校教育の現場では「自己教育力」「自己学習能力」という言葉をよく耳にするが、これもこうした文脈に沿っている。子どもたちが自ら学べる力を身につけることこそが生涯学習時代の学力である、という発想である。

南北問題への関心

 1960年代より急速に変化したのは技術や自然科学の分野に留まらない。社会科学においても新しい課題が生じている。それはこの頃より人類全体の問題として現れてきた「地球的諸課題」への対応である。すなわち、地球社会が抱えている食糧、人口、南北格差、環境、核兵器などの問題はひとつの国や地域では解決が難しく、かつ問題が複雑であるにもかかわらず早急に対策をとらなくては人類全体の生存に関わるような問題群である。これらの課題は、従来の学校教育が行ってきた青少年の発達に合わせて学問の成果を伝えていくというタイプの学習活動ではカバーしきれない。南北問題にしろ、環境問題にしろ「学問の成果」を待っていたのでは遅すぎるのである。そこで生涯教育に期待されるところとなる。

 国際的には1970代の初頭より、欧米の国際協力団体とユニセフなどが音頭をとるかたちで、南北問題への理解と国際協力の促進をめざす「開発教育」が提唱されてきた。 5) 教育に関する国際機関であるユネスコも1974年の総会で従来行ってきた国際理解教育を「国際教育」という枠組みに発展させるとともに、その内容を平和(軍縮)教育、開発教育、人権教育、開発教育と規定した。 6) 日本でも遅ればせながら1982年に開発教育協議会が発足し、最近では国際理解教育学会、日本国際教育学会などが組織され、研究実践活動が深まりつつある。

 先ほどモラトリアム青年は既存の哲学、イデオロギー、学問的真理に関心を示さない、あるいはそれらを拒否する性向をもつと指摘したが、これは逆にいうと既存の哲学、イデオロギー、学問的真理がもはや有効性を失いつつあることを青年が敏感に感じた結果ではなかろうか。既存の学問に興味が無くなっても現実の社会問題に対する関心を失ったわけではない。その証拠に筆者は10年以上にわたって開発教育に携わってきたが、その過程で南北問題や国際協力に熱心に取り組む多くの若者の姿を見てきた。それでは、若者の開発教育は実際どのように取り組まれてきたのだろうか。

 開発教育とは、開発途上国あるいは第三世界と呼ばれる国々が共通に抱えている貧困、食糧、人口、貿易の不均衡、森林破壊、などの諸問題(いわゆる開発問題、南北問題)を先進工業国に住む我々が学習して、今後「共に生きていく」ためにどうしたらよいのかを考え実行していこうとする教育活動である。ここでは単に知的な理解に留まらず、問題の解決策を探り自らも参加していこうとする態度を養うことをが目的とされている。この教育運動は70年代にアジア諸国の民衆の生活改善のために関わっていた民間協力団体(NGOと呼ばれる)や、やはりアジアの人びとと頻繁に交流を持ちその実態を知っていた青少年団体(YMCAやガールスカウト)が当初熱心に取り組んだ。他の教育運動と違うのは教員自体の参加が当初少なかったことである。それでも80年代後半になると学校の関係者も積極的に参加してくるようになる。

ネグロス・キャンペーンの活動

 NGOや開発教育の運動には多くの若者が参加していた。というより、若者主導で運動が進められたといってもよい。ただし、若者の年齢層はやや上で20代中盤から30代中盤のヤング・アダルト層が主力であった。岡山で活発に動いているネグロス・キャンペーン[岡山]もそのひとつである。 7) ネグロス・キャンペーン委員会は砂糖価格の暴落で農園労働者が大量に失業し多くの人びとが飢餓の危機に陥ったフィリピン・ネグロス島を救援するために1986年2月に東京に誕生した。岡山では半年後の8月、団体職員のOさん(女性、当時23才)ら3人によって始められた。当初、本部が作成したスライドを見たり、派遣されてくる講師の話を聞いている内にOさんらは本部の意識に自分達がついて行けないことを感じる。というのはキャンペーンを始めた人びとは従来の救援募金のように現地の悲惨さを強調してお金や毛布を集め、それを送って事足れりとしている活動を批判するところから出発していたからである。委員会は、豊かな者が貧しい者に施すのではなく民衆と民衆の対等な関係であること(協力)、顔と顔が見える人間関係を築くこと(交流)、相互に学び合うこと(学習)を強調し、新しいスタイルの支援活動を目指していた。

 現在に至るまでネグロス・キャンペーン[岡山]の5年間の活動の中心はもっぱら学習活動だといってもよい。もちろん毎年100万円以上のお金を集めているので募金を怠っているわけではない。89年1月にはフィリピンから歌手を呼び「ネグロス・シュガー・コンサート」という一大イベントも行っている。しかし、彼らの活動を支えてきたのは変化する現地の情勢と貧困の根本原因を探っていこうとする学習活動であり、岡山の市民にそのことをわかってもらおうとする広報、教育活動であった。この5年間毎月1回のペースで学習会を開き、メンバーの数人が現地に赴き、90年には岡山単独でスタディ・ツアーを組織し高校生を含む8人をネグロス島に派遣している。学習内容も当初の現地の状況や援助や協力の在り方に関することから、フィリピン自体の歴史や文化、そして熱帯林破壊など開発問題全般に関するものへと発展してきている。ネグロス・キャンペーン[岡山]は救援活動を行いながら、実は自分達の開発教育を行ってきたということができよう。

 社会教育の分野では1950年代の青年団による共同学習を始めとして、平和学習、公害学習などに積極的に取り組む青年たちがいた。それらと比較しうる1980年代の若者の学習活動といえば国際協力・開発教育を除いて見当らない。

 

第3節 青年と参加

飽和状態の学校

 生涯教育論を促した5番目の理由として青少年期の教育においる学校の限界という点を先に述べた。日本では明治以来近代化の手段として教育が重んじられ、学校教育がその役割を担ってきた。それ故教育=学校教育という発想が今でも強い。しかし60年代になってここにも陰りが見えてきた。学校教育があまりに多くの機能を取り込みすぎたためにその本来の役割である教科指導すら十分に行えない、という状況が現出してきたのである。教科指導以外に学校の教師が行っている仕事は膨大な量に上る。クラブ、部活動などの特別活動、運動会、学芸会、遠足、修学旅行といった学校行事、休暇中のプール指導やキャンプ、林間学校、果ては身体検査や給食指導といった保健や福祉に関わることまで学校が背負っている。もう一度学校の役割を見直し、社会教育や家庭教育と有機的な連携をとっていこうというのが1974年に社会教育審議会が建議した「在学青少年の社会教育」中に現れる「学・社連携」の考え方である。社会教育学会でも青少年期における社会教育の在り方を検討するために「学校外教育」に関する研究を73年から数年間にわたって実施している。8)

 学校外教育においては、少年少女団体活動、青少年施設、塾やおけいこごと、地域の教育力など主として義務教育年齢層の課題が議論された。70年代の後半の時点においてもはや青年運動自体が衰退していたので青年期教育における学校外教育の課題についてはあまり論議が進まなかった事情がある。その中でも比較的熱心に論議された課題として青年の社会参加の問題がある。これは1979年の青少年問題審議会の「青少年と社会参加」という意見具申前後に活発に論じられ、80年代に各地で政策化されていった。9)

 青年の学習という観点からなぜ社会参加が求められるのだろうか。それはエリクソンなどの青年期の発達課題から導かれるものである。青年期の発達課題がアイデンティティの確立にあるとするならば、それは青年期というモラトリアム(猶予)期にさまざまな社会体験、勤労体験をして社会の中での自己の位置づけを明らかにしつつ、人生の価値を見いだしていくというプロセスが大変重要である。ところが、現実の中等学校(中学、高校)はこの逆に青年を学校という施設に隔離し、むしろ現実の社会とはかけ離れたところで教育を行っている。これでは青年のアイデンティティは確立されるどころか拡散してしまうおそれの方が大きい。

ボランティア活動の実際

 そこで「意見具申」では、地域や行政が積極的に若者の参加の機会を作っていく必要があると述べた上で、いくつかの具体的な活動事例を列挙している。それは、中・高校生段階ではボランティア活動による老人ホームのヘルパー、寝たきり老人やからだの不自由な人の「助け合い運動」、大学生・有職青年では地域に固有な伝的な文化遺産を堀り起こす「ふるさと運動」、「お祭りの復活」、「史跡保存運動」、「交通安全運動」などである。この意見具申以降行政によって全国各地で青少年の社会参加事業が各地で展開された。例えば、岡山県では1981年より全国に先駆けて高校生ボランティア参加促進事業が実施されているし、86年度からは「わかものふるさとづくり」事業が行われている。前者は高校生を対象として社会福祉施設などで奉仕活動を体験してもらおうという趣旨であり、後者はより広い年齢層(15才〜30才)を対象として福祉ボランティアのみならず、畜産、林業、自然保護など巾広い社会参加活動を体験する事業である。両者とも一定の成果をあげてはいるが、参加者層がなかなか拡大していかないことが悩みである。

 一体どのくらいの青年が実際に社会参加活動に関わっているのだろうか。社会参加といっても多岐にわたるのでとりあえずボランティア活動を行っている青年について見てみたい。ボランティア活動は自発性、公益性(利他性)、無償性を旨とするものであるが、近年はボランティア活動が学校や地域ぐるみで行われ、参加者一人ひとりが必ずしも「ボランタリー」に参加してわけではない場合が多い。それらのケースを排除しながら、筆者は総理府などが実施した社会参加調査から実際にボランティア活動に「自発的に」参加している15〜25才の青年はおおよそ「10人に1人」と推測したことがある。10)

 青年の学習という観点からボランティア活動を見るとどうなるだろうか。ここに大野が実施した「1年間ボランティア計画」参加者調査がある。 11) この事業は(社)日本青年奉仕協会が実施しているもので、18〜30才の青年が1年間職場や学校を離れて社会的活動を行うことに対してその活動先を紹介し生活費を補助するプログラムである。この調査では事前研修時と総括研修時にアンケート調査を行い、参加者が1年間のボランティア活動体験によりどのように意識変化したかを見ている。調査結果によれば、活動中に魅力ある人と出会った者は55%で、心を打ち明けて話せる人は若干増加しており(1人平均0.3人増加)、活動中に印象的な体験があったとした者が約3分の1である。社会での役割感と生活の充実感も向上している。日本では権利や自由が保障されているか、の問では「そう思う」人が12.9%も減少する。何らかの形で自己成長を感じている者は全体の68.2%である。自己成長感をもたらした大きな要因は、活動中に印象的な体験をした、魅力ある人と出会った、などの活動中の経験によるところが大きい。また、自己成長感の高まりと社会の中での役割感の高まりとは相関関係が認められる。これらの結果は一言でいえば、「経験と出会いが青年の意識を変え、アイデンティティ形成を促す」ということであるように思う。

参加に不可欠な決定権

 このようにモラトリアム期の学習体験としてボランティア活動自体はたいへん有効なプログラムである。従って多くの民間団体や行政が青年のボランティア活動を推奨しプログラム化しているわけだが、それなのになぜ青年の社会参加率が「10人に1人」と低いのだろうか。あるいは参加要求がありながら具体的な行動をとらないのだろうか。 12) そもそも参加は、参加要求をもっている側と、社会体制を開放していこうとする側との要求が一致した時に初めて実効的に推進されるものである。日本において青年の参加要求が高まってのは60年代後半であり、各地の大学・高校で高まった青年の参加要求をその時点では強圧的に押えておきながら、10年もたってから意見具申が日本社会の活性化のために青年の参加を求めるといっても、これでは青年を都合のよいように利用していると思われても仕方ないであろう。青年はそれを敏感に感じるから容易には誘いの手に乗ってこない。ちなみに、英国では青年の参加要求の高まりがあった1967年に成人権・選挙権の18歳引き下げを勧告したレイテイ報告が出され、1969年には青年の積極的な社会参加を保証すべきことを内容としたミルソン報告が発表され、青年の参加要求にそれぞれ回答している。13)

 意見具申にそもそも現在の社会体制が青年が積極的に参加してくるような魅力的な社会であるのか、という自己反省が全く見られないことが最大の問題点である。「経済優先の考え方が青少年の育成にマイナスに作用」「文化的、精神的にも汚染が深まって・・・非社会的世界に逃げ込んだり、社会規範を故意に否定して反社会的行動に走る青少年」といった記述からは、「汚染された」青少年に対する批判はあっても、「汚染した」側の大人社会の反省は見られず、これからの社会をどう青少年にとってよいように改善するのか、という観点はない。そのため、社会体制を批判し、改革するような参加活動は無視され、排除されている。

 青年の参加を言うからには、青年自身に決定権がなければならない。決定権なき参加は単なる動員にすぎない。意見具申が青年の決定権を無視しているわけではない。「各種審議会への青年代表の参加」「青年による各種施設の企画、運営への参加」「青年による学習活動や国際交流活動の企画、運営への参加」などを例示している。しかし、これらはその後最も無視された条項である。青年の参加をいうならば18歳選挙権の問題にも当然触れるべきであったが、これも触れられていない。

 先の青年ボランティアの参加率を推計をしたのは5年ほど前であつた。その後の同様の調査や社会参加事業への参加状況を見る限り青年のボランティア活動への参加率が大きく向上している兆候はない。青年の社会参加が進まない理由は、青年の全般的なモラトリアム化現象などいくつか要因が考えられるが、それにも増して行政あるいは大人社会の側の姿勢にも問題があるといえよう。

今後の学習課題

 最後にこれからの若者の学習論は二つの方向で考えられるだろう。ひとつは、現代地球社会のもつさまざまな課題を学習していくことである。幸い若者たちも南北問題や環境問題には関心を示しており、これを深めていく方向で学習活動を組織し深めていくことが大切である。

 もうひとつは衣食足りた90年代の日本社会でこそ、さまざまな文化、芸術、スポーツなどの分野で若者が自己表現しそれぞれの道を追求し、物的にではなく精神面でも豊かな社会を創りあげていくことである。そのためには文化的にあまりに画一的であり没個性的である現在の学校教育制度全般の改革が求められてくる。このような学校制度で教育を受けたにもかかわらず、さまざまな方面で活躍しているフリーターなどの新人類文化の担い手たちの動向は注目に値する。

 

[注]

  1) 拙稿「IYY顛末記」『月刊社会教育』第353号、国土社、1986年4月、68頁。

  2) 井ケ田良治「青年が歴史をつくる」『講座青年1青年の発見』、清風堂書店、1989、15頁、21頁。

  3) 小此木啓吾『モラトリアム社会のナルシスたち』朝日出版社、1984、17頁

  4) E.H.Erikson, Identity and the Life Cycle, 1959 (小此木啓吾訳『自我同一性』1973、誠信書房)。

  5) 開発教育については『開発教育ハンドブック』、雑誌『開発教育』  (いずれも開発教育協議会刊 03-3207-8085)、『社会教育』(〈特集・社会教育における開発教育〉全日本社会教育連合会、1991年5月号)を参照されたい。

  6) 「国際教育」は略称で、正式には「国際理解、国際協力及び国際平和のための教育、並びに人権及び基本的自由についての教育」という。

 7) 拙稿「国際協力のなかで何を学習したか−ネグロス・キャンペーン委員会岡山の若者たち」『月刊社会教育』第389号、1989年1月、29〜33頁。

  8) 社会教育学会の成果は『地域の子どもたちと学校外教育』(日本の社会教育第22集、東洋館出版社、1978)にまとめられた。この他吉田昇編『学校外教育』(亜紀書房、1979)、増山均『子ども研究と社会教育』 (青木書店、1989)、拙稿『学校外教育論』(学陽書房、1988)などを参照されたい。

  9) 青少年問題審議会『青少年と社会参加(意見具申)』1979年、44頁。

  10) ボランティア青年の人口をおよそ10人に1人と推計した根拠は以下のとおりである。@『青少年の社会参加』調査(総理府、1986)で「現在社会参加活動に参加している」と解答した青年層が約1割(15〜19才層10.2%、20〜24才層9.3%)であること。A『青少年の社会参加に関する研究調査報告書』(総理府青少年対策本部、1979)で「社会奉仕活動は自分の生きがいである」の設問に「そうだと思う」と答えた青年(15〜25才)が12.5%であること。B『第三回東京都青少年基本調査報告書』(東京都生活文化局、1983)で現在の生き方として社会改革型(よりよい社会の実現をめざして積極的に努力する)を選択した青年(15〜29才)が7.0%であること。(拙稿「社会参加と青年」高橋勇悦編『青年そして都市・空間・情報』恒星社厚生閣、1987年所収、拙著『学校外教育論』にも再録)

  11) 大野道夫「ボランティア青年の特性とその意識変化」『日本教育社会学会第38回大会発表要旨収録』1986年、144〜145頁。1983〜85年に参加した132人を対象に調査している。

  12) 前掲『第3回東京都青少年基本調査報告書』によれば、現在の生き方として「社会改革型」を選んだ青年はわずか7.0%であるが、将来の生き方としては22.3%がこの項目を選択している。潜在的な社会参加希望者が相当数いることを示している。

  13) Report of the Committee on the Age of Majority (The Latey Report), HMSO, 1967,および Youth and Community Work in the 70s (The Fairbairn-Milson Report), HMSO, 1969. 拙稿「英国における青年の参加論」(『学校外教育論』所収)を参照されたい。


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