2003年6月12日更新



全カリ 総合A群 思想・文化

諸宗教と思想  2003年 前期  第 6 回



場所:5322教室  時間:14:50〜16:20


 
概要

 1997年の教育改革以降6歳から始まる初等教育は8年間とされ,前半5年間の小学校と後半3年間の中学校(ミドルスクール)に分けられる。中等教育(高校)は普通学校のほか,多様な形態が設けられている。修業年限は通常3〜4年である。義務教育は6〜11歳の5年間である。すでに8年間(6〜14歳)への延長が定められているが,完全には実施されておらず,移行期間とされている。

〔世俗主義〕

 西洋の世俗化に基づく近代化理念を忠実にイスラーム世界に移植することを試みた国家ということができる。初代大統領は西洋をモデルとした近代化を進めるために世俗主義を重視した。建国時からイスラームの影響力を弱める世俗化政策(イスラーム法の廃止・アラビア文字の廃止・イスラーム国教制の廃止)が実施された。イスラーム諸国のなかで唯一,憲法に世俗主義(Laiklik)が明記されている。

 軍部や共和人民党には,こうした理念に忠実で,厳格な世俗主義を信奉する者(ケマリスト)が多く,現在まで強い影響力を保持している。これらケマリストが公教育から宗教教育を排除しようとする一方,イスラームの宗教教育を求める声も小さくない。後述するイマーム・ハティップ養成校(本来は宗教指導者養成を目的とする公立中等教育機関。中学3年・高校4年)における近年の生徒数増加に,国民の宗教教育への要求をみることができる。このため両者の間で政策が大きく揺れてきた。

〔宗教教育の廃止〕

 建国当初は宗教・宗教勢力の影響力を弱める政策がとられた。教育制度においては,従来のイスラーム学校を廃止して世俗教育制度に統一し,さらにその教育制度下で宗教教育が順次廃止された。(特に参考としたフランスでも公立学校での宗教教育が禁止されている)

 1924年の教育統一法によって,従来のイスラーム宗教学校メドレセが廃止され,世俗的な教育制度に統一された。当初はこの教育制度下でもさまざまな学校段階で宗教教育が行われていた。公立学校では選択教科として宗教教育が行われ,大学の神学部とイマーム・ハティップ養成校では宗教指導者養成のための教育が行われていた。また正規の教育制度外でも,コーランコースにおいてコーランの暗唱がなされていた。しかしこれらの宗教教育は次第に廃止された。公立学校での宗教教育は1932年までに廃止され,イマーム・ハティップ養成校(1924年設立)も1930年に,大学の神学部(1924年設立)も1933年に廃止された。コーランコースも1928年のアラビア文字の廃止とともに多くが閉鎖された。(国家機関である宗教事務局によるコーランコースは教育省の管理下で存続した。また小規模な宗教教育機関であるがイスラーム研究所で「イスラームと哲学」という科目が教えられたが,1942年に研究所が消滅した)こうして,一部の例外を除き,1933年までにはほぼ全ての形態の宗教教育が廃止された。

 公立学校での宗教教育だけでなく,私立学校や宗教指導者養成のための宗教教育まで廃止することは,他国でもあまり例がない。この結果,宗教指導者の不足や,宗教教育を受ける自由が保障されないという問題が生じた。

〔宗教教育の再開〕

 1945年に,それまでの世俗主義勢力の共和人民党による一党独裁から複数政党制に移行した後,宗教指導者養成を目的として1949年には大学の神学部が,1951年にはイマーム・ハティップ養成校が再開された。

 公立学校での宗教教育は,1949年に小学校の第4〜5学年で週2時間の選択教科として再開され,1950年には進級に必要な教科として事実上必修となった。さらに1956年には中学校に,1967年には高校にも導入された。1974年には必修の道徳教育が小学校の第4〜5学年と中学校・高校の全学年に導入され,1982年にはこの道徳教育と宗教教育が統合された科目「宗教文化と道徳知識」が小学校第4学年から高校までの必修教科となった。

 1982年の憲法には,宗教教育が必修であることが初めて明記された。このことはケマリストも公立学校おける宗教教育の必要性を受け入れたことを示すものといわれる。

 このように宗教教育が再開された背景には,1945年の複数政党制導入によって宗教教育を求める国民の意思が表面化したこと,宗教を国民共通の価値として国民統合を図る必要性が認識されたこと,宗教教育廃止期間中に地下活動として国家管理外で行われていた宗教教育を排除する必要性が認識されたことがあるといわれる。

 現在「宗教文化と道徳知識」は小学校4〜5年と中学校の全学年で週2時間,高校で週1時間の必修である。(要望があった場合は免除される)

 内容の大半は,イスラームに関する基礎知識と六信五行の解説からなる。中立的な科目名をとりながら,実際にはイスラーム教徒を対象とした宗教教育である。その一方,世俗主義と両立した内容となっており,「世俗主義とイスラーム」「****人とイスラーム」「宗教と世俗主義についての****の見解」などの項目では,世俗主義とイスラームが対立するものではないという点を強調しながら,世俗主義の重要性が教えられている。

 この内容は厳格な国家管理下にあり,教師が教育内容を変える余地はほとんどないとされる。

〔イマーム・ハティップ養成校の興隆〕

 1951年のイマーム・ハティップ養成校再開には,厳格な国家管理下におくことで,世俗主義を擁護する宗教指導者を養成する意図があった。しかしこうした期待がある一方で,同校が世俗主義をおびやかす可能性も危惧された。このため1958年に国民教育委員会が中学校の閉鎖を検討しており,その後もたびたび中学校の閉鎖が提案された。そし1971年の軍事介入後,中学校のカリキュラムから宗教教科が撤廃され,イマーム・ハティップ養成中学校は事実上廃止された。

 しかし民政移管後,親イスラームの国家救済党が連立政権に参加すると,1974年にはイマーム・ハティップ養成中学校に宗教教科が復活した。さらに1975年にはその卒業生に大学入学資格が与えられ,普通学校と同等の位置づけとされた。これ以降,生徒数は急増し,1994年度には生徒数47万人(中等教育生徒数の10%)に達した。このうち宗教指導者を志望する者は10%未満であり,卒業生の進路は大学進学や就職など多岐に渡っている。

 イマーム・ハティップ養成校の急伸は,その設立や奨学金に関与する設立維持協会の存在や,1972年の女子生徒入学認可による面もあるが,主要な要因は,普通学校における以上の宗教教育を求める者が多かったことであると考えられる。このことは1970年代前半に宗教教科が撤廃されたとき生徒数が激減したことによっても裏付けられる。(ただし授業時間に占める宗教教科の比率は中学校で24%,高校で40%であり,世俗教科の授業時間の方が多い。その内容は普通学校とほぼ同じである。)

 ケマリストは1975年以降のこの状況を黙認したわけでなく,イマーム・ハティップ養成校の発展を抑止する提案を繰り返した。1980年の軍事介入後には中学校の廃止と学校数の制限が提案され,後者は2000年までの新設禁止として実施された。(実際には分校開設などで実質的な学校数の増加は止まらなかった)そして1997年にはイマーム・ハティップ養成中学校が軍部によって廃止された。公式の廃止理由は義務教育の8年間への延長のための学校制度とカリキュラム統合とされたが,実際には1990年代以降に勢力を拡大した親イスラーム政党との接近によって宗教勢力の国家への介入が強まることを危惧したためといわれる。

 このように,イマーム・ハティップ養成校は世俗主義勢力が当初意図したようには機能しなかったが,公立学校におけるより以上の宗教教育を求める国民の要求に応える役割を果たしてきたとみることもできる。



参考文献

江 原 武 一 編 『 世 界 の 公 教 育 と 宗 教 』 2003年.