「サイバースペースにおける身体性の喪失」

発表者:網崎愛弓(01DA012T),川島和恵(01DA055W),仙田早(01DA091B)

 

1 仮説

サイバースペースでのみの知り合いが、現実空間でトラブルを起こすのは、サイバースペースに身体性が喪失しているからである。

 

2 はじめに

1990年代に爆発的な広がりを見せることになったインターネットを通したコミュニケーションは、サイバースペースという新たなコミュニケーション空間を生み出し、我々がそれまで実現し得なかったような、現実社会のコミュニティの垣根を越えたコミュニケーションの機会と場を可能にした。もちろんそのサイバースペースは、我々が直接その空間に入っていって行動できるものではない。

我々はコンピュータを端末とし、ネットワークに接続することで、ネットワーク上で出会う人々とのコミュニケーションを可能にする。つまり、サイバースペースという仮想空間をコミュニケーションの場とし、この空間上に人々が自己をメディア化して参加することによって、我々はまったく新しいコミュニケーションの機会と場を共同でつくりあげているのである。

サイバースペースのコミュニケーションにはいくつかあるが、今回はチャットを題材にしてこの新しいコミュニケーション空間について考えたいと思う。HP(オープン・ダイアリー)や掲示板に比べ、よりリアルタイムなコミュニケーションツールであり、サイバースペースの中では一番現実空間での対話に近いと思ったので、チャットを取り上げていくことにする。

 チャットの世界では、虚偽を演出していたり、サイバースペースまたは現実空間にまで及びストーカーとなったりするケースがある。もっと安心してチャットを利用するにはどうしたらよいか。私たちはまだサイバースペースに慣れていないので、サイバースペースを上手に活用するために、ネットコミュニケーションの特徴を知ろうと思ったのが、題材にしたきっかけである。

 

  チャットとは 

インターネットでのチャットは、本人同士が顔を合わせない文字によるコミュニケーションである。チャットでは、見知らぬ相手と、実名ではなく「ハンドルネーム」と呼ばれるニックネームをつかって、リアルタイムで複数の人たちと自由に会話が出来る。チャット独自の言い回しや、絵文字で会話は進む。そのあいだも、いろいろな人がチャット・ルームに入室したり、退室したりする。書き言葉によって発せられる対話ツールとしても用いられる。

ここでは、個人によって書かれたことばから文字だけが遊離し、メディア上で文字と文字とが、あたかもひびきあう声のように同調しあうといった事態が出現する。ここでは人は、いわば「声を発するように文字を書く」のであり、声も文字も、それが担うべき内面の意味からも、その背後に現前する発話主体からも遊離して、もっぱら「字面」「声面」としてのみ、メディア上に浮遊し、同調する。

 

4 匿名性と身体の解体

チャットは、もっぱら電子メディア上で発生し、発信者も受信者も、現実の個人から遊離して、たんにハンドル名で呼ばれるメディア上の存在でしかない。個人はメディア上では、変えがたい現実の重みを脱して、さまざまな名前で呼ばれる多重人格へと自己を解体し、そのつどこれを楽しむことが可能となる。ここに、<わたし>の断片化という事態を認めることができる。この空間のなかでの自己像そのものはかなりの程度まで自分の意志で決めることができる。自分の実像も評判も経歴も、場合によっては性別まで隠してしまうことができる。そして実際、このことからさまざまな混乱やトラブルまでが引き起こされている。

メディア自体は時空間をこえて「いつでも・どこでも・だれにでも」偏在している。それは個人がインターネットにアクセスするだけで、ただちに個人の身体から遊離した声や文字が同調しあうサイバー・スペースである。そこに生じるのは、無数の匿名のものたちの間の同調の遊びである。電子メディアとは、それ自体、遊びを発生させやすい同調のメディアである。

無重力空間を遊泳する非物質化した身体からネットワークを通して発せられるメッセージは、もはや特定の個人のものではない。ネットワークにおける匿名性の魅惑と危険が語られる。日本ではそのようなネットワークの匿名性の特性を極端に体現してきたのが、「2ちゃんねる」だった。「2ちゃんねる」の当事者は次のように語る―

おそらく、一般的な社会の常識人が「2ちゃんねる」に対して感じる不気味さの正体とは、必ずしもその発言の無責任性なのではなく、匿名による「発言主体の茫洋とした曖昧さ」や、発言に際してその曖昧さを選択できるシステムそのものではないか。

これらの問題を、私たちはチャットを含めたサイバースペースでのコミュニケーションには、身体性が欠如しているからであると考える。

前述した匿名性とは、サイバースペースでは相手が見えないため、直接会うときに私たちが無意識のうちに行っている相互の社会的属性を確認する、という作業が不可能であることから起こっている。サイバースペースでは社会的属性を確認できないため、既存の社会におけるリアリティの共有が少ない。その分私たち個人が自由に印象操作や状況定義をすることができてしまう。

つまり、サイバースペースでのコミュニケーションの方が、人種、身体的な容姿や服装にとらわれることはない。また、明確に公表しない限りは年齢、学歴、職種、身体障害の有無といった自已の社会的属性や社会的役割を消し去り、それらからもたらされる種々の制約および葛藤などからも解放される。それぞれの「仮想人格」を認めて、現実社会から離れた平等の立場で独特な交流や関係が実現できるという可能性は、たいへん魅力的なものだろう。

しかし、現実にはこれを悪用している人がいるのも事実である。人間は、どこかで日常の自己の姿を忘れて、仮想の自己に変身したいとする欲求をもっている者も数多いのではないだろうか。しかしながら、仮想の人格ないし仮想の自己の存在を認めるとしても、その仮想の自己が悪魔の化身ではコミュニティが混乱するばかりである。やはりそこには、暗黙のうちに最低限度の社会的な常識が必要となってくるのではないだろうか。

ここに興味深いデータがある。郵政省郵政研究所から発表された(インターネット活用のカギは情報発信―インターネットにおけるコミュニケーションの調査)では「匿名発言はトラブルを生じやすい」という結果が出ている。「電子掲示板等で匿名やハンドルネームを使って発言している人は,実名で発言する人に比べて嫌がらせや非難等のトラブルに遭遇する頻度が高い」という。

 今後、デジタルネットワーク社会におけるコミュニケーションは、インターネットを積極的に利用してサイバースペースの中で行われることになるであろう。そこで、サイバースペースでのコミュニケーションのルール作成の必要性が生ずることになる。

 現実世界で禁止されていることは、サイバースペースでも原則的には規制されるべきである。そのような根本的なことが理解されれば、バーチャルリアリティーでの暴力行為、誹誇、わいせつ表現などはおのずとコントロールできるものである。しかし、現状では現実社会のリアリティーとサイバースペースのリアリティーが個別に存在している。そこにネット上でのコミュニケーションの間題があるのではたいであろうか。インターネット社会の成熟とともに、サイバースペースの中でのルール、規制が設けられ、ネットコミュニケーションも好ましい形態が確立することは、多くの人が願うところであろう。

 

5 チャットの利用状況とインタビュー

では実際に、チャットは利用されているのか。学生9人に聞いた。

彼らは全員とも「見知らぬ人」とのチャットの経験は「ない」と答えた。その理由を詳しく聞いてみることにした。以下はインタビューの内容をそのまま記述したものである。

・見知らぬ人とチャットとかしても盛り上がらないし、実がないから。相当暇な日が続いている上、知り合いがやっていたら考えるかもしれません。
自分の個人情報が流れたりしたら怖いからです。

・相手がどんな人かわからないので、後々面倒になる可能性があるからです。
・チャットをする必要に迫られたことがないから。または興味がないからです。
バーチャルな世界は見えない怖さがあります。知らない人と親密になるのは限界があると思います。

現実だけで充分忙しいし楽しくもあるので、チャットのようなバーチャル世界には興味がありません。

・パソコンにそんなに詳しくないので、怖くてつかえないからです。

・顔の見えない相手とチャットをするのは、いつどんなことを言われるかわからないのと、中途半端に知り合いになった場合が恐いからです。相手が気持ち悪い人だったらやだなというのも大きいかもしれません。

・先入観かもしれないが、仮想現実で自分の望むキャラを演じている人の相手をしても面白くなさそうだからです。

 

以上をまとめると次のようなことが言える。

1.個人情報が流れるのが怖い。

2.どんな人かわからない人と関わりたくない。

3.仮想現実で自分の望むキャラクターを演じている人と関わっても面白くない。

4.現実だけで十分楽しい。

2・3・4に共通して言えることは、サイバースペースでのコミュニケーションは、現実空間でのそれと違うと考えられているということであろう。「直接対面することなしには、相手を信用できない」ということではないだろうか。それは何故か。それはサイバースペースで知り合う人間に「身体性」を感じられないことに起因するものであろう。

身体性が感じられないということは、現実世界よりも相手の存在を信用しにくいというだけでなく、次に挙げるように、自分の存在のあり方もまた現実社会とは変わってくると言える。

 

6 非身体性によるサイバースペース上のトラブル

 サイバースペースでは、人物確認があまりにも甘すぎる。IDとパスワードのみで本人であると断定するのはあまりにも危険すぎる。また、他人が、どのチャット室にいるのかわかってしまうのも気味の悪いことである。これらは、身体性が問われていないことからおきる問題であると考える。それを検証するものとして、以下のケーススタディを取り上げる。

 

ケーススタディ1「パスワードを盗用しメールを覗き見。」

「てっしぃ☆」(21歳男性・フリーター)→「チョイナ」(27歳女性・派遣社員)

チョイナが、後にストーカー化するてっしぃ☆と出会ったのはあるサイトの東北在住の人が集まるチャット部屋だった。「てっしぃ☆は自称モテ男。でも、風変わりな自分を演出したがるところや、生意気な物言いが嫌いで、どちらかというと避けていたんです。まぁ、あまり邪険にするのも大人げないので、彼の自慢話にも「ふーん」など適当にあしらっていたんですけどね」チョイナのこうした態度も、てっしぃ☆には「クールな女性」と移ったらしい。チョイナへの思いを一方的に募らせ、彼女がいるチャット部屋に押しかけては、「付き合って」としつこく迫り、長文の告白メールを日に何十通も送信。いいかげんうんざりした彼女は、メールを一切無視するのだが、被害はさらにエスカレートしてしまう。「ある日、彼からのメールに、彼が知るはずのない私の本名や、友達とのメールの内容が事細かにかかれていたんです。」まさか!と思ったときには時すでに遅し。てっしぃ☆はチョイナのフリーメールアドレスに、彼女のパスワードを使ってログインして、彼女が送受信したメールをくまなく覗き見していたのだ。「パスワードを誕生日にしていた私も迂闊といえば迂闊でした。誕生日って、チャットでのやり取りの中でも、気軽に人に教えてしまいがちなんですよね」

 

ケーススタディ2「チャットを監視し情報収集。」

「マミ」(27歳女性・専業主婦)→「トン子」(25歳女性・会社員)

「互いに登録しあうと相手がどのチャット部屋にいるかわかる機能があって、それを使って彼女は常に私を監視してくるんです。困ったのはあるポータルサイトのメッセンジャー機能で四六時中、『何してるの?』『時間ができたら声をかけて!至急!』などとメッセージを送ってくるようになったこと。会社のパソコン画面は、いつも彼女からのメッセージでいっぱい。仕事にも支障が出るし、さすがに鬱陶しくなって、彼女を避けるようになりました。」

(以上 『SPA!20031125日号「[アバター・ストーカー]事件簿」より一部抜粋)

 

サイバースペースでは、現実社会に比べて相手に対する認知が不安定になるだけでなく、自分の存在のかたちも現実社会とは変わってくると言えるだろう。

まず、他者が自分になりすますことが容易に出来てしまう。サイバースペースにおける「わたし」が私であることの証明はIDやパスワードによって行われる。しかし、IDやパスワードは情報が漏れてしまえば誰でも「わたし」になりすます事が出来る。

また、サイバースペースによって他者が接触できる「わたし」が拡大しているとも言えるだろう。現実社会では直接会うにしても電話で話すにしても、コミュニケーションを執るには、その相手の時間を拘束しなければならなかった。だが技術の進歩によって、その方法は必ずしも「わたし」を拘束する必要がなくなり(コミュニケーションの非同期性)、より接触が容易になった。その点で、「わたし」がサイバースペースにおいて膨張していると言えるのではないだろうか。

 

7 おわりに

サイバースペースの非身体性は、匿名性による自己言及の自由度の高さを生み、コミュニケーションの相手の存在を信用させにくくし、また、自分自身の存在にも影響を与える。サイバースペースでのみの知り合い同士の間で起こるトラブルは、身体によって他者を認識する現実社会と非身体的なサイバースペースでの認知の方法の違いに起因するものではないだろうか。

 今まで私たちは「身体」をもって他者の存在を認知してきた。しかし、インターネットという非身体的な新しいメディアが普及している今、「身体」で他者を認知するという従来の方法では対応しきれない部分が出てきているというのが事実ではないだろうか。

 現在、日本におけるインターネット環境はADSLや光ファイバーなど高速・常時接続が主流になりつつある。これは今後さらにサイバースペースでコミュニケーションを行う人口が増える環境が出来ていると言うことである。つまり、それは非身体的な状況で他者の認知を行わなければならないということである。そのような中で、今後相手の存在を認知する方法は大きく変わるだろう。またそれは、「身体」に代わるサイバースペースにも対応可能な自分自身のあたらしいアイデンティティの確立につながるのかもしれない。

 

 

<参考文献>

・斧谷弥守一編 2003年『リアリティの変容?』新曜社 

・大澤幸生、角康之、松原繁夫、西村俊和、北村康彦 2002年『情報社会とデジタルコミュニティ』 東京電気出版局

・長尾真、安西祐一郎、神岡太郎、橋本周司 1999年『マルチメディア情報学の基礎』岩波書店

・熊谷文枝 1999 『デジタルネットワーク社会の未来』ミネルヴァ書房

・吉田純 2000 『インターネット空間の社会学』世界思想社

・村上則夫 1997 『高度情報社会と人間』 松籟社