社会学部社会学科3年 是永ゼミレポート

 

若者のコミュニケーション能力は低下しているのか

平吉秀

平田典子

山田基

湯浅俊輔

 

●はじめに()

近年、若者のコミュニケーション能力低下が叫ばれている。例えば、その1つとして「若年者就職基礎能力修得支援事業」という事業を挙げることが出来るだろう。厚生労働省が2004年の10月から始めた事業で、YES−プログラム(Youth Employability Support Program)とも呼ばれている。企業が若年者の就職に関して特に重視している「コミュニケーション能力」「職業人意識」「基礎学力」「ビジネスマナー」といった就職基礎能力の修得を支援する事業で、受講者は、これらの就職基礎能力の領域毎に厚生労働大臣が認定した講座・試験について修了または合格し、あわせて情報・経理・語学関係の資格を一つ以上取得することにより、厚生労働大臣名の「若年者就職基礎能力修得証明書」の交付を受けることができる、というものだ。(参照:http://www.bc.javada.or.jp/yes/)

 このYES−プログラムは、「企業の経営者には最近の若者のコミュニケーション能力の低下を懸念する声が多い。」「コミュニケーション能力等の客観的な判断材料として活用できる。」などの理由から作られた。若者のコミュニケーション能力の低下が懸念されていることがわかる。

では、本当にコミュニケーション能力は低下しているのであろうか。一口にコミュニケーションといっても、色々な場合がある。友達同士、家族同士、ビジネス上の付き合い、店員と客との関係…と、挙げていけばきりが無い。今回、私たちのグループはその中でも、「親しくないもの同士のコミュニケーション」を主に考えてみることにした。友達同士などの、もともとよく見知った間柄ではなく、全く知らない者同士のコミュニケーションや、ビジネス上でのコミュニケーションは果たして本当に低下しているといえるのだろうか。ここで、一つの仮説を立てようと思う。

 

仮説:親しくない者同士のコミュニケーション能力は低下していない。

 

 これは私たちの実感からきている仮説だが、言われているほどコミュニケーション能力は低下していないのではないだろうか。若者から主観的に判断すれば、街中での買い物のときや、知らない人と話さなければならないときや、就職活動などのビジネス上で場合など、特にコミュニケーションがとれずに困ったという経験は無く、「普通に」日々生活をしている。

それでは、客観的に判断すれば若者のコミュニケーション能力はどうだろうか。今回は、いくつかの若者のコミュニケーションに関する事例の中から、考察してみようと思う。

●「コミュニケーション能力」の定義

 事例に入る前に、「コミュニケーション能力」の定義を見ておきたいと思う。YES−プログラムにおいてコミュニケーション能力は「意思疎通」「協調性」「自己表現能力」の3つの指標で示されている。

・意思疎通:自己主張と傾聴のバランスをとりながら効果的に意思疎通が出来る

・協調性:双方の主張の調整を図り、調和を図ることが出来る

・自己表現力:状況にあった訴求力のあるプレゼンができる

また、松村賢一は著書『いま求められるコミュニケーション能力』(1998)のなかで、

・対話能力:言葉を受けて返すという「話す」「聞く」からなる能力

・人間関係維持能力:話し合いにおける人間関係を良好に維持する能力

なども、重要な要素として挙げている。

 これらを総合すると、「一方的ではなく双方向的に、聞くことと話すことのバランスをとり、人間関係を維持しながら、意思疎通をしていく能力」といえる。

 

●コミュニケーション能力を重視する風潮

●携帯電話による家族・友人関係と、そこから出るコミュニケーションの狭まり(山田)

 

「新卒者採用に関するアンケート調査結果の概要」(社団法人日本経済団体連合会)によると、企業が採用選考時に重視する要素は、「コミュニケーション能力」が81.7%で第1位である。2002年度は第2位で58.8%、2003年度68.3%、2004年度75.0%、2005年度75.1%と2006年度の81,7%と過去のアンケート結果を見ても、コミュニケーション能力の重視度は年々増加傾向にある。

しかし、現代ではコミュニケーション能力不足が問題視されている。コミュニケーションの媒体の多様化に伴い、質が変容しているともいえるが、その一言で片付けられるものなのであろうか。

「電話によって作り出される声だけの空間、パソコン通信によって作り出される他者が残した痕跡との時間や空間を超えたコミュニケーション、といったように、メディア装置の中だけに生成、内在する世界でのコミュニケーションが作られた。そこでは、自分の望む相手とのコミュニケーションのみをとることが可能であり、煩わしい対人関係は一切ない。()そこでは近所づきあいや、上下関係、年齢、性別などといったものは存在しない。私達はメディアコミュニティーによって、自分に合ったメディアの内容のみ選択することが可能になったのだ」(山口,1999)

メディア装置の発達により、コミュニケーションのとり方は様々な方法が生まれ、相手だけでなく、時間までも選べるようになった。しかし、コミュニケーションの選択の自由が、必ずしもコミュニケーションの発達ではない。利便性が増した分、関係は狭まり、共通の世界を持つもの同士としかコミュニケーションを取れないという可能性が広がりつつある。

以下の表では、携帯電話を通して、家族関係・友人関係を見ることができる。

 

 

携帯電話を通して見える、若者の家族・友人関係

 

 

 

7は、携帯電話の効用に関する設問の肯定回答率を示したものである。半数が「(1)友だちのことが親に知られなくなった」と答えており、携帯電話によって友人関係と親子関係の接点が薄れる可能性をうかがわせる。このことは、関係を面ではなく一本の線にしている。例えば、ABが友人であっても、Aの友人CBの友人とはいえないのである。つまり、その関係は当事者たちでしかわかりえないものであり、一つ飛び越えるとそれは他人であり、関係を持たないものである。このように、関係の狭まりが伺える。

 

8は、親・友人を相手にしたとき、電話や対面で話すよりメールの方が書きやすいことがあるかどうかを示したものである。友だちが相手の場合に、そうした効用を感じる者はメール利用者の7割に上っている。表7からも友人に対して、電話の方が話しにくいことも伝えやすいと答えている者は約4割に上っている。

このように携帯電話は顔を合わせにくい状態でも、自分の意思を相手に伝えることを容易にしている。それだけ、非対面的コミュニケーションを促進させている。

以上のことから、携帯電話でのコミュニケーションが、関係の拡がりを遮断し、狭めていると同時に、顔を合わせない非対面的コミュニケーションを促進させる要素を持っている。

●現代の若者のコミュニケーション能力に関して:引きこもりから見る若者(湯浅)

 

コミュニケーションが「空気のように当たり前に存在した」時代は、終わったのかもしれない。現代のコミュニケーションは「課題」として私たちの前に現れている。

1990年代に入ってから注目され始めた「引きこもり」という現象から、若者のコミュニケーション能力を見ていこうと思う。

斎藤環(精神科医)の統計調査・分析による「社会的ひきこもり」の特徴

・調査時の平均ひきこもり期間は39ヶ月(33ヶ月)

・圧倒的に男性に多い

・とりわけ長男の比率が高い

・最初に問題が起こる年齢は、平均15.5

・最初のきっかけとしては「不登校」が68.8%と最も多い

・問題が起こってから治療機関へ相談に訪れるまでの期間が長い

・家庭は中流以上で、離婚や単身赴任などの特殊な事情はむしろ少ない

・※調査対象者は次の条件をすべて満たす80例(男66例女14例)。初診時の年齢が12歳から34歳(平均19.8歳)、調査時点で13歳から37歳(平均21.8歳)。

・統合失調症、躁うつ病、器質性精神病などの基礎疾患がないこと

・初診時点で3ヶ月以上の無気力・ひきこもり状態があること

19896月の時点で、本人との治療関係が6ヶ月以上続いていること

・少なくとも本人が5回以上来院していること(家族のみの相談も多いため)

     評価表を記入するための資料が十分に揃っていること

 

「全国引きこもりKHJ親の会が20023月、および20008月に「引きこもり」の定義を「特に精神的な障害がきっかけでなく、自宅や自室に6ヶ月以上の長期間引きこもって社会参加できないでいる中学卒業段階以降の青年の状態」とし「引きこもり問題」調査をしました。その結果として下の図のような統計が出たようです。「引きこもり」若者の平均年齢は26.6歳。要するに、20代〜30代が6割をしめているのです。さらに、数年後に20代後半に突入する20代前半も含めると、全体の9割以上になります。要するに、引きこもり者の大半は大人ということです。また、30歳以上は最高年齢の47歳を頂点にして3割近くにもなるのです。同団体が2000年度に116家族を対象として調査を行ったところ、中学〜成人までに引きこもりが始まったとする割合が83%にも達していました。これを前提に、今の引きこもりの多くが大人であるという事実を考慮すれば、引きこもりが長期化し、現在の年齢に達している、という可能性があるのです」(斎藤)。以下が、引きこもりを年齢別に見たグラフである。「若者」のカテゴリーに入る世代が圧倒的に占めることが分かる。

●職場における若者のコミュニケーション能力の低下(平田)

次に、職場における若者のコミュニケーションを見ていきたい。昨今は、「若手大量離職時代」と言われている。「20033月に大学を卒業した若手の35.7%が、既に20063月までに職場を去った」とされている。その背景には仕事内容が自分には合っていない、ということだけでなく、コミュニケーションの問題が絡んでいるのではないだろうか。若者同士のコミュニケーションでさえも、「キャラ的人間関係」(,[82-111])と表現されるように、自分を演じ続けなくてはいけなかったり、また、場面によってキャラを替えたりしなくてはならないなど、気を遣う場面が非常に多い。まして職場にはさまざまな世代の人間が存在するのだから、このようなコミュニケーションに関することが離職率に影響を与えていることは否めないであろう。上司が感じる、若手社員に対してのこんな声がある。「若い世代のドライな考え方に我慢して付き合っていくことにストレスを感じる(43歳・男)」、「最近の若手は誘いを簡単に断る(46歳・男)」、「若い世代は、自分から周りへ関わりを持とうとする姿勢が、我々の頃よりなくなったように思う(43歳・男)」、「仕事に追われてコミュニケーションに十分に時間が割けていない(41歳・女)(以上『日経ビジネス』より)という声が挙がるのである。

では、なぜコミュニケーションに関連して離職につながるのかを見ていきたい。

 

(日経ビジネスを元に作成)

上の流れを見ると、バブル崩壊後の社会構造の変化が、若者の離職に大きな影響を与えていることが分かる。昨今では「ハケンの品格」というドラマが放映されるほど、正社員ではない非正規雇用という働き方がクローズアップされている。このように、社会背景が長期的な人間関係を保障しなくなってきたことにより、そこでいかにうまく円滑にやっていくか、一時的にうまくしのいでいくか、ということが重視されるようになったのではないだろうか。もとから短期的である、と分かっているので、深く関わったり、自己開示をしなくなったりしたのではないかと思われる。人間関係維持能力が育ちにくい環境にあると言えるだろう。その結果、信頼関係が築かれず、孤独感を抱えたりするのではないだろうか。このように、若者のコミュニケーション低下と言われる背景の1つには、社会背景の変化が挙げられるのではないだろうか。一方、最近では、書店には多数のビジネス書や自己啓発書が並んでいる。中には前向きな内容のものも多いが、「雑談力」という本まで出されている。「雑談」と言うのはそもそも仕事を始める前の段階におけることであり、こんなことにまで指南書がなくてはならないのか、と思うこともある。取りに行こうとしなくても情報が自動的に入ってきて、簡単に得られてしまうスタイルに慣れている傾向にある若者は、いざ自分から何か情報を得よう、という姿勢に欠けているのかもしれない。社会的背景が上記のような流れになっても、自分から上司に相談するまたは自分から何か働きかけていこうとする気持ちを持てば、対面会話の不足による孤独感や信頼関係の希薄化は避けられるのではないだろうか。

また、コミュニケーションや人との関係を求め過ぎた結果、職場に満足が行かず離職につながる、とも考えられるのではないだろうか。昨今の就職活動は、自己分析が大切だ、と言われているが、それがいかに他人と比較しての差異、長点を見つけなければならないかのように感じられることがしばしある。仕事をするにおいて、何か他人よりも優れた面を出さなければならない、出さなければ(キャラを確立しなければ)生き残れない、そんな強迫観念を植え付けられてしまっているのではないだろうか。そのために、実際の仕事内容よりも、「自分ありき」の、自分を押し出すための「手段」としての仕事になってしまっているように思われる。人間関係が良好でなければ意欲がなくなってしまうものだから、良好なほうが良い。しかし、そこばかりに意識を集中させるのではなく、仕事内容に工夫を凝らしてみたり、若いのだから他人のどんな話でも役に立つ、という謙虚な姿勢を持ってどんどん話しかけたりして、能動的に働きかけていく若者の姿勢が今問われているのではないだろうか。

 

●まとめ

今回は、「親しくない者同士のコミュニケーション能力は低下していない」、という仮説を立てて考えてきた。親しい者同士では、日常のやり取りによく利用すると思われる携帯電話の利用により、人間関係の遮断が助長され、狭めていると同時に、顔を合わせない非対面的コミュニケーションが促進されている、という面があるといえる。親しくない者同士(ここではビジネス上の関係などをいう)では、社会的背景の影響もあって対面的コミュニケーション能力は低下していると思われる。引きこもりに関しては、親しい親しくない、という観点からは外れるが、「コミュニケーション能力」云々以前に他者とのコミュニケーション自体を拒否している存在である。もし社会背景としてパソコンなどがない時代で、自分がじっとしていたら情報や外のことが何も分からない、というのであったら、少しは増加に歯止めがかかっていたかもしれない。しかし、ただ単に社会背景の変化によって引き起こされたものである、と片付けてしまわないことである。情報が受身の状態でも得られてしまう時勢に育ち、いつの間にか日常生活全てにおいて(というと言い過ぎかもしれないが)受身の態度を身に着けてしまっているように、私たちの実感としてはあるのである。したがって若者には、世代の異なる人間に積極的に接し、働きかけて時間を共有する歩み寄りをしたり、コミュニケーションばかりにとらわれず仕事など行動に工夫をしてみたりする、といったような能動的態度が望まれるのではないだろうか。先述した、コミュニケーション能力の定義に挙げたことは、会話や仕事を通して積極的に他者と関わらなければ、なかなか身に着かないものであると考えられるからである。

 

 

参考文献

村松賢一, 1998, 『いま求められるコミュニケーション能力』, 明治図書

社団法人日本経済団体連合会HP(http://www.keidanren.or.jp/indexj.html)

  「新卒者採用に関するアンケート調査結果の概要」2002年度〜2006年度

辻大介, 1999, 『「とか」「ってゆうか」のコミュニケーションと友人関係』

辻大介, 2003, 「若者の友人・親子関係とコミュニケーションに関する調査研究」

塩倉裕, 2002, 『引きこもる若者たち』, ビレッジセンター出版局,

森進一, 2005, 『日本はなぜ諍いの多い国になったのか:「マナー神経症」の時代』

  中公新書ラクレ

日経BP, 2007.2.19 「求む!話せる上司:仮面職場ができた理由」『日経ビジネス』,

  p32-41

 

参考URLhttp://www.khj-h.com/toukei.htm