2002年度後期専門演習1
期末レポート
心霊スポットと<有名性>
社会学部社会学科3年
小嶋 顕
妹尾 絵美
1.はじめに
このレポートは、「有名な場所」の一つとしての心霊スポットについて、データの検証と考察を行うものである。「有名な場所」というのは、観光地や大都市など様々にあるが、心霊スポットが観光地などと異なるのは、訪れて楽しいだけの場所ではなく、「こわい。でも、楽しい」という場所でなければならないという点である。
「どのような場所が有名な心霊スポットになるのか」ということを考えるとき、まず思い浮かぶのが、メディアとの関連であるが、ある心霊スポットがどれだけ有名であるかということより以前に、そもそもどのような場所が心霊スポットになるのかということについてデータを集計して検証した。
次に、「ある心霊スポットが有名になるにはメディアが影響している」という仮説を立て、その検証としてインタビューを行い、うわさの理論と照らし合わせて考察を行った。
さらに、すでに述べたように、心霊スポットとは「こわいけれど楽しい」場所、つまり、恐怖の遊戯化が行われている場所である。そこで、「多くの人は心霊スポットでお化け屋敷より強く恐怖を感じる」という仮説を立てて、インタビューなどによって検証した。そして、お化け屋敷と比較しながら、心霊スポットにおける恐怖の遊戯化について、恐怖の社会学的な説明を試みた。
2.データの収集と検証結果
(1)心霊スポットに行く
まず、「どのような場所が心霊スポットになるのか」という疑問から、実際に心霊スポットを訪れて観察した。行く先は、東池袋中央公園と雑司が谷霊園の2箇所である。(資料1参照)場所は、距離的に訪れやすいという点で豊島区にしぼり、その範囲内でできるだけ多くの人に知られているものという条件で探した。多く知られているかどうかという判断の基準は、より多くのインターネット心霊現象を扱うホームページで取り上げられているものとした。
調査の日時は平日の19時頃であった。東池袋中央公園は、整備されており、街灯もあり明るい公園であった。人も2〜3組いて、他にはホームレスの住居が5軒ほどあった。雑司が谷霊園は木がうっそうと生えていて、街灯が少なく、霊園の中は真っ暗だった。かなり広い墓地で、警備員もいた。実際に訪れてみると、東池袋中央公園は心霊スポットであるという話を知らなければ、特に何の変哲もない公園のように感じた。雑司が谷霊園は、いかにも心霊スポットらしい場所であるという感想を抱いた。
(2)心霊スポットが多い場所
以上の調査から、心霊スポットはどのような場所でも心霊スポットになるわけではなく、何かしら「心霊スポット的」要素があるのではないかという仮説を立てた。そして、
『日本心霊マップ』というインターネットのサイトに掲載された全国307ヶ所の心霊スポットを場所別、由来別に数えて分類した。多くの心霊スポットを要素ごとに分類しカウントしていくことによって、何らかの傾向が見えてくるのではないかと推測したのである。(『日本心霊マップ』は、全国の心霊スポットを調査し現地取材しているサイトで、他のサイトと比べて取り上げている数も多く、その一つ一つに対し丹念に調査していたので、データとして有効だと判断した。)集計の結果は資料2の通りである。
その結果から、ある場所が心霊スポットになるための要素は主に4つに分けられることがわかった。その要素とは、@)暗いこと、A)人気がないこと、B)「いわくつき」であること、C)死を連想させるものがあることである。ちなみにB)の「いわくつき」というのは、その場所やその場所の付近に何かしらいわれがあるということで、例えば、殺人事件があった、神話などの伝説があるといった話のことである
さらに、実際にははっきり線引きするのは困難だが、わかりやすくするために、心霊スポットをそれらの要素の組み合わせごとに一応の分類をした。まず、@@)、A)、B)の3つとも備えており、B)のいわれが事実であるパターンが最も多く、湖、池、トンネルなどの心霊スポットの多くがこれにあたる。次に多かったのが、A@)、A)、B)の3つとも備えているが、B)のいわれが事実ではないパターンで、廃墟、廃ホテルなどの心霊スポットはこれにあてはまる場合が多い。また、B@)、A)、C)の3つの要素を備えているパターンのものとして、墓地や石碑などの心霊スポットがある。墓場というのは実際にその場で人が死んだわけではないが、墓石など、死を連想させるものがある場所である。最も少なかったのは、CB)、C)の2つの要素を備えているパターンで、資料3の人面電柱などがこれにあたる。何が死を象徴し人に死を連想させるかはおそらく文化ごとに異なるだろうが、この例で死のシンボルとして機能したのは道路に置かれた花束であった。
(3)心霊スポット
調査によって、心霊スポットになる場所は、基本的にこの4パターンのどれかにあてはまる場所であるとことがわかった。しかし、このパターンにあてはまる場所というのは、それこそ数限りなく存在するだろう。このパターンにあてはまる場所すべてが心霊スポットになるわけではなく、そのうちいくつかの場所だけが有名な心霊スポットになるのだ。私たちは、この段階からメディアの与える影響が強くなるのではないかと予測し、心霊スポットの認知へのメディアの影響について調査するインタビューを行った。インタビューは19〜29歳の大学生の男女16名を対象に、電話や対面の状態で以下の質問項目を中心に行った。(結果と回答例は資料4参照)
1.幽霊を信じるか
2.幽霊を見たことがあるか
3.有名な心霊スポットや怪談と、それぞれ何を通じて知ったか
4.身近な心霊スポットや怪談
5.お化け屋敷と心霊スポットではどちらが怖いか
(項目5.は後に検証する恐怖の遊戯化のために聞いたもので
ここでは直接関係がない。)
結果として、項目1.2.の、その本人が心霊現象を信じるか信じないかということと、3.4.の、どのくらい心霊スポットに詳しいかということの関連はあまり関連は見られなかった。また、多くの人は有名な心霊スポットを挙げるとき、それが有名である根拠としてメディアの存在を示し、逆に身近な心霊スポットを挙げるとき、その情報がごく身近な人間からの口コミであることを根拠にしていた。メディアで取り上げられるということは、それによってより多くの人に認知されるだけでなく、人々の中にその心霊スポットが有名であるという認識を生むという側面があるのではないだろうか。また、その心霊スポットを知ったきっかけとして修学旅行のバスガイドを挙げる人が多かったことは、心霊スポットがこわいだけの場所でなく、やはり観光地的な楽しみのある場所であるということを示唆するものであるといえよう。
3.心霊スポットとメディア
(1)杉沢村伝説の例
心霊スポットとメディアとの関連を、「杉沢村伝説」を例に見てみたい。
杉沢村伝説とは、50年程前に青森県に存在していた村で、かつてある男が村人を全員殺害し、最後に自分の命をも絶つという猟奇殺人が起こったというものである。それにより杉沢村は地図より消され、現在では存在しない村だというのである。その噂はネットなどで爆発的に広がり、恐いもの見たさで行った人たちの怪奇現象の体験談などが報告され、ますます杉沢村の心霊スポットとしての知名度は急上昇していった。
しかし、杉沢村伝説は、数々の脚色によって成り立っているものなのである。「小杉」という地名の通称であった杉沢村は、最初から地図には載っておらず、またその小杉は過疎化により昭和43年に消滅している。つまり、猟奇殺人などが起こって無くなった、というものではないのだ。杉沢村伝説はもともと青森でのローカルな伝説であったのだが、様々なメディア、特にインターネットとテレビなどで大々的に紹介されたことにより、全国的な心霊スポットと発展していったのである。
(2)うわさのしくみ
ここでは、簡単にうわさのしくみの理論的な部分を見ていく。
川上らの『うわさの謎』によると、うわさは、人から人に伝わっていく過程で変容していく。その変容には3つのタイプがある。それは無駄な部分が捨てられる「平均化」、特徴的な部分が強められる「強調」、ものの見方にあった形に変化する「同化」の3つである。
杉沢村伝説の例を見ると、杉沢村は小杉という地名の通称に過ぎなかったこと、小杉の消滅の理由は過疎化であったことが「平均化」され、「消滅した」ということだけが「強調」され、その理由は殺人事件が起こったためだというものに「同化」されていった、と考えられよう。
また、どんなものうわさも広まるわけではない。『うわさの謎』によると、うわさが広まるための条件が掲げられている。「あいまいな内容であること(外的条件)」、「人々が不安を感じていること(内的要因)」、「もっともらしいこと(うわさの内容)」の3つである。外的要因に関しては、内容があまりにも恐ろしく、決して語られることが無いという怪談「牛の首」は、肝心の話の中身が誰も知らないという、ある意味で変化の余地がたくさんあり、あいまいな内容であると言える。内的要因に関しては、私たちが行ったアンケートからも分かるように、心霊スポットは暗いところ、人気の無い所がほとんどであり、こういった場所では人は不安を感じるといえる。またテレビなどで盛んに紹介されることにより、潜在的な恐怖を全国的に植え付けているとも言える。うわさの内容に関しては、やはりある程度の信憑性というのは重要であり、例えば自殺の名所と心霊スポットが結び付けられるのは当然といえよう。
(3)恐怖の遊戯化
橋爪伸也『化物屋敷・遊戯化される恐怖』によると、「恐怖」は心のうちに立ち現れる感情であるという。つまり、「恐怖の風景」は個人的な心象風景であるというのだ。しかし同時に、その風景は個人個人でそれほど差がないとも述べている。
イート=トゥアンは恐怖を2つに分類している。「不可解な存在への不安」と「死の予感」である。前者の例としては幽霊、妖怪、悪魔などがあり、後者の例としては「自己、戦争、災害」などがある。そしてこのどちらの恐怖も「楽しみ」に転換されうると述べている。
恐怖の「楽しみ」への変換、つまり恐怖の遊戯化されるための条件を橋爪はふたつ挙げている。ひとつは「『恐怖』の風景がメディアを通じて社会全体で共有され、擬似的に楽しんでよいという社会合意形成を得ていること」、もうひとつが「『恐怖』がリアリティを持っていないこと」であるという。前者に関しては、これは容易に理解できる。社会的に認められたものでなければ、遊戯化はありえない。後者に関しては、アンケートで「お化け屋敷と心霊スポット、どちらが恐いか」という質問に対して「心霊スポットの方が恐い」という答えが圧倒的に多かったことから分かる。すなわち化物屋敷は怖いものではあるが、傷つけられたり、その後の人生に弊害が起こったりすることはない、と意識的であれ無意識的であれ、入場者は思っている。つまり、安全だからこそ化物屋敷はアミューズメントとして成り立ちうるのであり、真の恐怖である「心霊スポットの方が恐い」という回答が出てくるのであろう。
ただし、心霊スポットは、他のリアリティを持った恐怖、例えば戦争や災害などとはやや異なった位置に属すると言えないであろうか。つまり、イート=トゥアンが示した恐怖の2類型、このどちらにも当てはまるのである。つまり霊という人知を超えた存在であると共に、そこでの恐怖の体験談(行った人が帰ってこなかった、もしくは帰ってきてもその後不幸な経験をした、など)などから、死、もしくはそれに近い害が起きるのではないかというものである。
また、恐怖のリアリティの面からもその特殊性を見ることができる。化物屋敷は恐怖のリアリティが無く安全性が高い分、遊戯化の度合いも高い。誰も傷ついたり死んだりしていないと認識しているからこそ、楽しめるのである。一方、戦争、災害などでは実際に人が死んでおり、恐怖のリアリティがあり危険性が高く、遊戯化は不可能である。
では、心霊スポットはどうであろうか。心霊スポットは両者の中間のあいまいな位置に存在するのではないであろうか。つまり、過去に人が死んでいたりした「らしい」といううわさはメディアなどを通じて十分入ってくるのだが、戦争や災害とは異なり実際に自分が死ぬかどうかは非常にあいまいである。あくまで過去の話の中で、「他人が死んでいる(らしい)」と聞いているだけなのだ。よって恐怖のリアリティは、両者の中間的な度合いと言えよう。
しかし、逆に言うとこの「あいまいさ」、「不可解さ」こそが逆に心霊スポットが常に人気を集めつづけている理由、とも考えられるのではないだろうか。
4.
まとめ
私たちは「ある心霊スポットが有名になるにはメディアが影響している」という仮説を立て、実際に心霊スポットに足を運んでの調査、インタビュー、社会学的理論など、様々な面から検証をしてきた。
その結果、仮説は非常に信憑性の高いものであることが分かった。心霊スポットは、どんなものでも全国的に広まるわけではない。「それらしくあいまいな話」がローカルなものとしてまず存在し、何らかのきっかけでそれをテレビやインターネットなどのメディアが全国に紹介することによって知名度が上がる。さらに、うわさが広まるしくみ、恐怖のしくみなどが絡み合って初めて、誰もが知りうる有名な心霊スポットとなりうるのである。この一連の過程において、最も大きな役割を果たしているのは言うまでもなくメディアの存在であり、現代において心霊スポットが有名になるためには、不可欠な存在、と言ってもよいであろう。
資料1 心霊スポットへ行く
*東池袋中央公園
豊島区東池袋3−1、サンシャイン横。
『巣鴨プリズン』と呼ばれた戦犯収容所の跡地の公園。
戦争の悲劇をくりかえさないためにと、刑場跡に昭和55年この石碑を設置した。表には、「永久平和を願って」、裏には「第二次世界大戦後、東京市谷において極東軍事裁判が課した一部の刑がこの地で執行された。戦争による悲劇を再びくりかえさないためこの地を前途の遺跡としこの碑を建立する。昭和五十五年六月」と碑文が刻まれている。1978年(昭和53)、公園建設の際に作業員が、怪我をしたり、高熱を出したり、精神に異常をきたすなどの奇妙な出来事に遭遇したという。1979年の夏になると、火の玉が出没したという多数の目撃者が出て、メディアなどにも取り上げられた。
噂・東池袋中央公園内にある慰霊碑には、奇妙な影が映る。
・慰霊碑の近くでは人の呻き声のような音が聞こえる。
・サンシャインビルの中で、幽霊や火の玉が出る。目撃者多数。
・地下通路では兵隊の霊が歩いている。
・携帯の電波が圏外なのに、差出人不明の怪しいメールが入ってくる。
「関東心霊スポット特集」
(http://www.clubciao.com/play/special/sinrei2002/core.html)
『カーライフまるごとサポート クラブチャオ!プレイスポット』
*雑司が谷霊園
豊島区南池袋4丁目の7割ほどを占める(11万5400m2 )、都営の霊園。
幽霊や人魂が出るなどの噂がある。
噂・霊園の東の方、護国寺に近いところで子供の幽霊が出る。
・霊園の中央付近の水のみ場の所で、3本の蝋燭を立て、3人で怖い話しや怪奇メールのやりとりをしていると、ゾッシーがやってくる。ゾッシーは片目しかなく、マネキンのような容姿をしているという。
「黒魔の館」(http://kuromax.hp.infoseek.co.jp/kuroma.htm)
資料2 心霊スポットが多い場所
・場所別
@
トンネル 32
A
寺社・お堂 17
橋
B
公園 16
墓地・霊園
C
池・湖・沼 15
D
廃病院 12
E
峠 11
F
廃ホテル・旅館 10
G
ダム 9
H
木 8
山
I
廃屋・廃墟 7
J
民家跡 6
交差点
道路沿い・道路
(その他)
マンション、ホテル、展望台、墓標・石碑、砂浜・海岸、
地蔵、首塚、炭鉱跡、岬、森、井戸、など。
・由来別
@ 自殺・心中があった 53
A 事故死があった 56
(水難事故、交通事故など)
B 怪談・昔話 38
C 殺人事件があった 27
D 第二次世界大戦関連 13
E 神・仏 7
F 強制労働による死亡 5
G 人柱 3
・全国(47都道府県)の307ヶ所の心霊スポットから
「日本心霊マップ」
資料3 <参考>人面電柱(『日本心霊マップ』より抜粋)
【 噂 話 】
・噂の場所は東大阪の二号線と十号線が交差する所から東へ約500m程進んだ所にある「スズキ自販近畿東大阪営業所」の向かいにある電柱(横断歩道の側)でこの電柱を見ると、女性の顔が浮かびあがっているらしい。
・かつてこの場所で交通事故により亡くなった女性の影が染みついているらしい。
・この女性が電柱から現れるらしい。
【 現地調査 】
現地の状況としては、県道15線上にあるため、交通量が多く、よくある心霊スポットにありがちな人気の無い場所とはいえない。
問題の女性の顔であるが、これはかなりはっきりと確認できた。ロングヘアーの色白な女性で、ツリ目が印象的である。写真を見てもらえれば分かると思うが、睨んでいるともとれるその眼差しは、現世に対する恨みのようなものを感じさせる。
電柱にある女性の顔を映像に収め、周辺住民の聞き込み調査による事実確認を行う。
聞き込みの結果、かなりの周辺住民がこのスポットを知っていた事から、近所では有名な場所であると推測される。
1〜2年ほど前から電柱の側で写真を撮る高校生などが目撃されており、現在においても週末になると電柱を見に来る人がいるらしい。
ただ、女性の顔がいつ頃から電柱に現れたのか、知っている人はおらず、正確な情報を得ることは出来なかった。
他にも得られた情報としては、
「雨が降ると、濡れた女性の顔が隠れてしまうが、乾くと再び浮かんでくる。」
「誰がおいたかは不明だが、電柱の下に花束が置かれていたことがある。」
といったものであった。
花束が置かれていたのは事故があったためであろうと思い、さらに聞き込みをするが、電柱の見える場所で長く勤務している人から聞けば、
「この場所で事故は見た事が無い。」
との事だった。
また、周辺住民の多くは心霊現象が起こるとは思っておらず、噂を耳にしてやってくる人が逆に、「また誰か見に来てるよ。」などと話のネタにしているのではないかとの事であった。
【 所 見 】
今回の調査で得られた情報によりいくつか疑問に思った点がある。
一般的に心霊スポットといえば、廃墟であるとか使われなくなった建物などだが、今回の場所は、県道沿いでもあり結構な交通量があるという事。
この場所で事故を見たという人はいないのに、花束が置かれていたことがあるという事。
電柱から女性が出てくるという噂があるが、目撃した人がいないという事。
憶測の域を出ないが、花束は誰かの悪戯であると思われる。
おそらく、花束を見た何も知らない人が、ここで事故があったと勘違いをし、噂となって広まったのではないか。
そしてさらに、雨により女性が現れるという心霊現象に発展したのではないだろうか。
「 幽霊の正体見たり枯れ尾花 」という表現がされるように、思い込むと何でも人の顔に見えてくる事はよくある話である。
今回は偶然にも、問題の電柱に貼ってあった看板ないし、ポスターがはがれたあとの糊のようなものが、雨風にさらされて、誰からもはっきりと女性の顔に見えるようなシミになったのであろう。
資料4
*インタビュー結果
・計16名。男11名、女5名。年令19〜23歳。大学生。