「ブランドの持つ力と有名性の創造」
2002年度是永ゼミ専門演習2 最終レポート
報告者・熊谷美沙子、野神陽
私たちは、今回「有名性」というテーマで研究発表を行うにあたって「ブランドの力」というテーマを選んだ。今日の社会において、「ブランド」という言葉は日常的に使われている。「有名なもの」=「ブランド」という固定観念までできてしまっているほどである。しかし、「ブランドとは何か」と問われて明確な答えを出すことができるだろうか。決して、「ブランド=高級品」という公式だけでは全ては語れないと思う。私たちがブランド品に惹かれる理由は、果たして本当にその品質のみなのだろうか。そこにはブランドネームの知名度や、宣伝、口コミ、ブームの力などが絡んでくるのではないだろうか。それならば、私たちをしばしば翻弄させる「ブランド」の力は一体どこから(何から)生まれるものなのだろうか。これらの疑問を解明すべく、私たちはこのテーマを選ぶことにした。
それでは、これらを研究することによってどのような社会学的意義を見出せるだろうか。まず、ブランドを「記号」と見なすことによって今日のブランド消費を記号の消費と考えることができる。それによって、ブランド(=記号)を構成する要素を一つ一つ取り出して検証することによって、消費を通じた現代人のアイデンティティについて考えることができると思う。それと共に、ブランドをめぐって自らの利潤を追求する企業側にも視点を当て、マーケティング的な考察も加えたいと思う。また、ブランドの知名度、認知度はどのようにして広がっていくのか、マズメディアを通じた宣伝、広告以外のところで、特に「都市空間」のメディア機能について、実例を元に考えていきたいと思う。
仮説を立てる前に、「ブランド」という言葉の辞書的な意味について記しておきたいと思う。「ブランド(brand)」とは、英語の「Burned=焼印を押す」という言葉から派生したものである。これは昔、牧童が自分の牛を他人の牛と取り違えないように押していた「焼印」がそもそものブランドの語源となっているということである。中世に入ると、その意味に少し変化が見られる。それは、無断複製から所有権を保護する工夫としての「商標」の誕生である。つまり、もともとは「目印」としての機能しか持たなかった「ブランド」が、「商品保障」としての意味合いを帯びるようになったのである。さらに現在では、商品保障に加えて、サービスの差別化を意図した名称として使われている。
これらのことを考えると、ブランド品はサービスの差別化がなされている為に、私たち消費者は需要を求めていると考えることができる。その、「サービスの差別化」をもう少し細かく見ていくと共に仮説を立てていきたい。まず、「私たちがブランドを消費するのは、その保障に基づく安心性を求めているのではないか」ということだ。現代ではメディアの発展によって、様々な情報が飛び交うようになった。しかし、過度な情報の氾濫により、逆にどの情報が有益なのか、どの商品が高品質のものなのかという判断を難しくしてしまっている状況である。その中、「ブランド」はその有名性のもつ力によって製品の質を保証されているという点で製品の質を保証されて安心できるものなのである。同じような品物なのに、「無名の商品よりはこっちのほうが有名だから」という理由で、消費の選択を行った経験は多くの人にみられるのではないだろうか。これは、現代の「儀礼主義者」たちの性質であると考えられる。有名性への信仰を強く持つ私たちは、非言語的な伝達システムである記号の効験に信頼を寄せるのである。
次に、「ブランドを持つコンセプトを身に付けることによって、自己のアイデンティティ形成の助けにしているのではないか」という仮説を立てる。高価なブランド品を求めることや、独自の価値をもつブランドへの興味は、自己のアイデンティティの差異化、表現として捉えることができる。消費という行動は、何を消費するかによって区別される潜在的な諸集団を形成する。彼らは、自己の位置付けと差異化のために、いわば象徴的競争を繰り広げているのである。以上のようなブランドへの傾倒は、メディアによる「らしさ」を表現する記号としての商品化によって促進されたものだと考えることができるだろう。
それでは、さっそく実例を元にブランドの持つ力について検証していきたいと思う。ここでは、身近な「スターバックスコーヒー」と「ナイキ」というブランドの姿を取り上げる。まず、2002年10月30日朝日新聞の記事について見てみたい。これは、長野市における「スターバックスコーヒー」の出店を求めて、5000人の署名を集めたという事実を報道するとともに、スターバックスコーヒーの有無が「街の都会度」を決めている現象について言及している。次に、1997年5月22日の朝日新聞からの抜粋「重力へのアンチテーゼ」という記事についてだが、これは1995〜96年にかけての「エアマックス95」ブームが一段落してからの考察である。ここでは、ナイキのシューズは単なる機能面や品質面が優れているだけでなく、その優れた面から発展して「ナイキのシューズを身につけることで、人間を地球に縛り付けている重力の重さを取り払い、重い社会制度から少しでも自由になりたい」というメッセージを発しているのではないかという内容である。
この二つの例から読み取れることは、私たちは「ナイキ」や「スタバ」に品質のみを求めているのではなく、それらを身につけたり手にしたりすることで発することが出来るメッセージを求めているところが大きいと言える。そもそもブランドとは、確信をもって買い物が出来るようにする為の商標、銘柄だったはずなのだが、この実例から現在では品質面より包装、名前、シンボル的側面およびブランドの独自性のような形の無い要素の方が求められているのである。
それを顕著に表すデータが、ドトールとスターバックスのイメージトップ10という表である。ドトールの方は「利用しやすい」「立地がよい」「価格が手頃」などという、形として見えるものがトップ3にきているが、スターバックスは「おしゃれな」「ファンが多い」「活気がある」など、品質とは別のところの、形の無い要素が人々に受け入れられている。
それでは、ここでブランドの持つ「形の無い力=無形要素」の力に言及していきたいと思います。まず「ネームバリュー」という無形要素がどのくらい私たちに影響を与えているのかを表す実験を見ていきたい。「チョコレート菓子に対する学生の態度:ブランド名やパッケージのブランド・エクイティ貢献度」(出典:『ブランドコミュニケーションの理論と実際』)という実験である。「ブランド・エクイティ」とは、ブランドに対する愛顧心のことで、ブランド名自体が顧客に働きかける貢献度を表す。表を見るとわかるようにスニッカーズはその味のみの評価は72点であるが、ブランド名を含めた完全パッケージになると85点に評価が上がる。逆に、バウンティは味の評価は37点、完全パッケージになると31点というように評価が下がる。
このことから、ブランド名や包装というのは良い方にも悪い方にも、その品物の評価に影響することがわかる。それでは、この無形の力というのはどのように作り出されていくのだろうか。この条件が作り出されていく条件としては、環境にうまく適合すること、消費者を包装、ロゴなどで魅了してしまうこと、シンボル的側面及びブランドの独自性を認知してもらうことというのが挙げられる。しかし、それだけでなく、最も重要なものとして「他者によるブランド認知」が挙げられる。どういうことかというと、あるブランドが有形にも無形にもある特別の性質をもち、消費者が「これを他者に推薦したい(あるいはしたくない)もう一度買いたい(買いたくない)」と認知され、世間に広く知られてゆくことでこの無形要素は人々の中に確立するのである。
それでは、先に挙げた二つの仮説を検証してみる。まず、一つ目の「品質保障に基づく安心性」について。これは、ブランドネームの実験から立証されたと言っていいだろう。しかし、私たちが求めているのは安心性だけでないことは、「スタバ」や「ナイキ」が固有のメッセージを発すると言う点で実証されている。そこで、二つ目の仮説「アイデンティティ形成」だが、これはブランドを「記号論」で読み解くことによって実証されると思う。記号を、「コード」の集まり解釈する記号論をブランドに当てはめてみよう。「スタバ」や「ナイキ」の中にあるコードとは何か。先ほどから追ってきた、「無形要素」の一つ一つがコードになっているのだと思う。例えばスタバなら「おしゃれ」「身近な海外体験」「禁煙」「女性一人でも気軽に入れる」、ナイキなら「履いているだけでカジュアル」「社会制度から自由になる」などである。これらのコードは企業が私たち消費者に「コンセプト」として仕掛けただけではなく、私たちが知らず知らずのうちに抱いてきた「イメージ」である。現代のメディア社会において、これらを記号として共有するこ! とによって、ブランドの有名性は創造されているのである。
その共有はマス・メディアだけにとどまらず、都市空間そのものがメディア化している点も見逃せない。「スタバのコーヒーカップを持って街を歩く」「ナイキの靴を履いて歩く」ということは、他者から見た時にその事実以上のメッセージを発する。私たちは街中で、そのコードを無意識のうちに解読しているのである。都市空間そのものはメッセージ伝達の意思を持たないが、人間が「ある対象物」を「多くの情報発信物」として認識し、そこから意味を受け取ることで都市と人間のコミュニケーションが成り立つ。それが成功した例が、「スタバ」や「ナイキ」に代表される今日のブランドなのではないだろうか。
また、消費社会という視点で「ブランド」を捉えると、そこには「メディアの影響を受ける大衆的な個人」と「彼らにコードを送り込む企業」という二つの立場が見えてくる。「大衆的な個人」は、依存によって安心感を与えられる反面、その中で自らの差別化を試みる為、多様な形の消費を行う。企業はそのような消費者に対して、差別化した商品をコード化することによって需要に応えようとする。そして、その価値を認められたものが「ブランド」としての地位を勝ち取り、有名性を得るのである。このような意味において、ブランドとは、より洗練された生産―消費の関係であるといえるかもしれない。ただ、同時に私たちが常にメディア(付与される記号)の影響を受け、メディアによってアイデンティティが形成されているという図式も、今回の検証で顕著な形で証明されることとなったのである。
<参考文献>
・『最強の国際商標 ブランド・パワー』ポール・ストバート編 岡田衣里訳
日本経済評論社
・『ブランド・コミュニケーションの理論と実際』
ジョン・R・ロシター&ラリー・パーシー著 東急エージェンシー
・『若者文化の記号論』 中田収著 有斐閣
・『コミュニケーションの記号論:情報環境と新しい人間像』中田収著 有斐閣
・『カフェ ユニークな文化の場所』渡辺 淳著 丸善ライブラリー
・『都市と消費の社会学』J・クラマー ミネルヴァ書房
<参考サイト>
・http://allaabout.co.jp/career/marketing/closeup/CU20020909A/index.html)