「有名性について ―ノーベル賞と有名性―」
報告者:池田圭佐(00DA011P),山崎有紀(00DA133A)
1.
テーマについての説明
我々が「ノーベル賞と有名性」について調べようと思ったのは、2002年10月、小柴昌俊氏がノーベル物理学賞を、田中耕一氏がノーベル化学賞をそれぞれ受賞したことに始まる。日本初のノーベル賞W受賞とあって、各メディアは大々的に彼らの報道を伝えた。しかしそれらの報道を見ていくうちに、受賞者2氏の報道のされ方、量ともに差があるように思われてきた。またそれとともに、人々の2氏のそれぞれの認知度、つまり有名性にも差が生じてきているようにも思えた。したがって、ノーベル賞に関するメディア報道を分析することによって、メディアと有名性の関連が見えてくるのではないかと考えられる。このテーマを選んだ意義は、ノーベル賞報道を通して有名性について分析・考察することである。
2.
テーマについての仮説と社会学的な考え方
メインとなる仮説は、有名性にはメディアが大いに関連しているのではないか、ということである。テキスト『有名性という文化装置』にもあるように、現代は多数のメディアが普及したメディア文化社会である。その社会において「有名」となるのにメディアは大いに利用される。今回テーマとするノーベル賞、および受賞者についても、メディア報道があって始めて人々に広く知られ有名となっていったことと思われる。その仮説を証明するためには、今回のノーベル賞受賞者たちが有名となっていく過程を追っていく必要がある。(以下、構成の便宜上部立てを行なう)
第一に、世界には様々な賞が存在するが、なぜノーベル賞は他の賞の群を抜いて大々的にメディアに報道されるのかについて見ていきたいと思う。その意義は、ノーベル賞受賞者の有名性について語るならば、ノーベル賞自体の有名性についても検証しなければならないと考えるからである。仮説として、ノーベル賞自体の有名性は、すなわちノーベル賞受賞者の有名性にもつながるのではと考えられる。(第一部)
第二に、なぜ今回のノーベル賞受賞者2氏の報道のされ方や量に差があるのかについて、事例研究を行ないたいと思う。まずはメディアによる報道量の差によって人々の認知度の差も比例の関係にある、という仮説を検証しようと思う。その上で事例を調査・分析し、メディア側が何の意図を持ってそのような報道をしているのか、報道の仕方に差があるのか、について考察していきたい。(第二部)
第三に、有名性というものがどのように広がっていくのか、どうやって別なものに転移していくのかについてノーベル賞を例に検証していく。これを、有名性の相互転移の仮説と名を付けることにする。(第三部)
3.
データの収集と検証結果
第一部
まず、ノーベル賞自体の有名性について考察するにあたって、そもそもノーベル賞とはいかなるものかについて説明したいと思う。
ノーベル賞は、火薬「ダイナマイト」を発明したスウェーデンのアルフレッド・ノーベルの遺言に基づいて、1901年に設けられた賞である。物理学賞、化学賞、医学生理学賞、文学賞、平和賞の五部門でスタートし、69年からは遺言とは別に、ノーベル記念経済学賞も加わっている。遺言には受賞者の選考方法も記してあった。現在物理学、化学と、遺言にはなかった経済学賞はスウェーデン王立科学アカデミー、医学生理学賞はスウェーデンの首都ストックホルムにあるカロリンスカ研究所、文学賞はスウェーデンアカデミー、平和賞はノルウェー国会ノーベル委員が選考機関になり、各選考機関は、毎年秋に、世界各国の専門家や過去の受賞者、大学教授などに推薦依頼状を送り、だれが翌年のノーベル賞を受け取るにふさわしいか、意見を聞く。この推薦などを基に、選考機関が受賞者を絞り込んでいくというシステムとなっている。
20世紀とともに始まったこのノーベル賞は設立当初から科学者たちから業績のシンボルとして高い権威を保ち続けてきた。また、おそらくかなりの数の一般の人たちがその名前を知っている唯一の賞であり、科学者の共同体でも広く知られている唯一の賞である。そして、そのシンボル的意義は、受賞者およびその専攻分野、所属の大学や国家にとって、ますます高くなっていて、時にはこの権威が全く別の分野(政治、商業、軍事etc)でその正統性を主張するために使われることもある。いくつか例を挙げてみようと思う。
@ ベトナム戦争の時に44人のアメリカのノーベル賞受賞者が反戦運動に参加、大統領に戦争を急速に終結するよう要請
⇒世間一般が好意的な意見を見せ、反戦運動の影響力は以前よりも大きく膨れ上がった
A 1974年、宗教界の保守派が天地創造についての聖書の説明を科学の教科書に挿入しようとしたとき、ダーウィン理論支持者らが19人のノーベル賞受賞者と共に、非科学的と声明を出し排除しようとした
B 出版社が自社の著者陣にノーベル賞受賞者が含まれていると誇らしげに社告する
C カーター元米大統領が2002年10月11日、平和賞受賞の記者会見の席でイラク攻撃に反対し、ブッシュ政権を批判した
このように、ノーベル賞のシンボル的使用は、昔からさまざまな分野で行われ、現在でもますます広がっている。@に関して言えば、大統領に東南アジアから軍隊をいかにして引き揚げるかということについて特に何も具体的な意見を述べているわけではない。つまり、ノーベル賞受賞者の公の意見が一般に受け入れられてきたことを意味するものではないのである。こういうことからも「ノーベル賞」の持つ有名性がその立場に正統性を与えたことを大いに示しているといえるのではないか。
では、なぜノーベル賞はその他多くの賞に比べて、威信(有名性)が高くランクされているのだろうか?参考文献である『科学エリート』にはこう書かれている。
「ノーベル賞が持つ例外的な注目度と威信は、そのいかなる属性をもってしても説明できない。むしろそういうことは、相関連する諸属性の押しなべて高いランクにあることから由来すると思われる」
つまり、ノーベル賞が高い有名性を持つ理由は、一つの要素で判断することはできなく、これまでにこの賞が獲得してきたさまざまな要素が組み合わさって、おのずとシンボリックなものになったということだ。その要素とは以下のようなものである。
◎ 賞金の巨額ぶり
1901年の設立当初、その賞金は各賞あわせて4万2000ドルにも及んだ。当時からある科学の大賞の一つ、王立協会のランフォード・メダルの賞金額の70倍だったという。一般の人々にとって、このノーベル賞金の巨額ぶりは、この方面の事情をよく知っている人にも、そうでないものにも理解できる形で、賞と受賞者が真に重要なものであることを確証するには十分だった。さらに、多くの科学者にとって、科学知識への主要な貢献のランクという自分たちの世界においても、シンボリックで公的な認知をもたらした。
◎ 著名な血筋との結びつき
ノーベル賞は当初から王立スウェーデン科学アカデミーや王立カロリンスカ研究所など、比較的古く著名な血筋をもつ機関と結びついていた。
この他にも公正・厳正な選考過程や、過誤の少ない受賞実績、受賞式典の華やかさ、創始者アルフレッド・ノーベルの個人的資質などの要素が考えられる。
しかし、本当にそれだけなのだろうか?最近、受賞者が出るたびに「日本の受賞者はこれで〜人になりました。」といった報道を耳にする。まるでオリンピックのメダル数のようにマスコミが国別の受賞者数を発表し、人々はその結果に戦々恐々とする。ノーベル賞の注目度、有名性はこういったメディアの力が影響している部分がかなり大きいのではないか?そういった興味から次に、報道量の差は有名性の差につながるのかどうかを検証していきたいと思う。
第二部
では次に実際に、報道量の差は有名性の差につながるのかどうかを、検証していきたいと思う。事例として取り上げるのは、2002年10月にノーベル賞を受賞した小柴昌俊氏、田中耕一氏それぞれに関する報道の量と人々の認知度である。
まず我々は、ノーベル賞受賞報道後から2週間程経った2002年10月末〜11月初頭にかけてアンケート調査を行なった。調査対象は、主に大学生を中心とした40名である。まず視覚的認知度を調査するために、小柴氏の写真を見せ、@この人物の顔を知っているか、Aこの人物の名前を知っているか、Bこの人物は何を行なった人か知っているか、についてYES or NOで答えてもらい、YESと答えた人数を調査した。加えて、Cこの人物を知っているならば何の媒体(メディア)を通して初めて知ったか、についても調査した。田中氏についても同様の調査を行なった。なお、Aについてはフルネームで答えられるか、Bについてはノーベル何賞を受賞したか答えられるか、という基準で判断した。結果は、小柴氏が@25人A5人B11人、田中氏が@39人A22人B21人となった。明らかに田中氏の認知度の方が小柴氏のそれを上回るという結果になった。Cについては両者とも、テレビ、新聞のメディアから知った者が突出して多く、メディアの影響力の程がうかがえる。よって、メディアの報道量と人々の認知度を結び付けて考えることは有意であると考えられる。
では、実際のノーベル賞受賞者2氏の報道量はどうであっただろうか。仮説のとおりに、メディアによる報道量の差によって人々の認知度の差も比例の関係にあるのだろうか。そこで、我々は小柴氏のノーベル賞受賞が決定した2002年10月9日から、1ヶ月間、2002年11月8日までの新聞の2氏に関する総記事数をそれぞれ調査することにした。なお、田中氏のノーベル賞受賞が決定したのは小柴氏に1日遅れて2002年10月10日である。対象とする新聞は、毎日新聞、読売新聞、朝日新聞の3誌である。結果、小柴氏の総記事数は33、田中氏は72であった。したがってこれらの結果から、ノーベル賞受賞日は1日しか違わないのにもかかわらず、田中氏の方が小柴氏よりも多く報道され、人々の認知度もそれに従って高くなっていったといえる。よって、仮説は証明されたことになる。
それでは、小柴氏、田中氏はほぼ同時期にノーベル賞を受賞したにもかかわらず、なぜ報道のされ方や量に差があったのであろうか。まずは、具体的にそれぞれの報道がどのようなものだったかを分析していこうと思う。小柴氏は、東大名誉教授という地位にあり、以前からノーベル賞受賞の期待が周囲から寄せられていた人物である。一方田中氏は、島津製作所の課長という一サラリーマンで、彼のノーベル賞受賞決定は誰もが驚いたことであった。その意外性ゆえか、田中氏は「ノーベル賞サラリーマン」とはやされる。また性格や人柄に関する報道も目立った(AERA 2002.11.4「ノーベル賞田中さん いい人オーラで大人気」参照)。田中氏はサラリーマン、つまり庶民の成功物語として、人々に同等感や親近感を与えており、人気となったのではないだろうか。そして報道をする側であるメディアは、この田中氏の意外性や人気に目を付け、より多くの―時に過熱報道と批判されるほどの―報道を行なったのではないだろうか。小柴氏に関する報道は、「学生時代の物理の成績は悪かった」「試験でタバコを吸ってもいいか、と質問した」などのエピソードも数々あるものの、報道量で比較すると絶対的に田中氏の方が上回るのも、先述のようなことがいえるからだと考えられる。
第三部
最後に有名性の相互転移についての検証を行ないたいと思う。
無名の研究者だった田中耕一氏がノーベル賞を受賞した途端に、一気に著名人になったのは有名性の相互転移も理由の一つに挙げられる。設立から最初の5年間に指名されたノーベル賞受賞者の中には、物理学者ではレントゲン、化学者ではエミール・フィッシャー、生理学者ではコッホといった第一級の科学者が含まれていた。ノーベル財団は賞が現在の地位を獲得するまで大物科学者に名誉を与える一方で、自らの名誉も高めたといわれている。結果的にノーベル賞は、受賞に同意した著名科学者が長く崇拝されてきたことによる有名性の注入を年々受けていたということになる。小柴昌俊氏はノーベル物理学賞を受賞することによって今までよりさらに有名になった。そして東京大学の名誉教授である小柴氏が受賞したことによって賞自体もさらに威信を増していくのである。ノーベル賞によるこの威信蓄積過程は、後にこの賞がかなり低い地位の科学者に出されるようになって、こうした科学者がノーベル賞受賞者に指名され、主にその結果世界的な著名度を獲得していくことを意味するようになった。今回の受賞では田中耕一氏がそのいい例である。ここまでは、賞と受賞者の間だけの相互作用であったが最近ではノーベル賞の有名性にあやかろうと、企業や大学の間で受賞者獲得合戦が活発化している。もともと田中氏が属している島津製作所では有名性の転移によって会社自体の評価が高まり、株価が大幅にアップしたという現象も起きている。また、受賞者を客員教授として迎えようとする大学の動きもある。このことからも有名性はあらゆる場所に移り広がっていくことを説明できると思う。
↑日経新聞 2002.10.10 夕刊 ↑毎日新聞 2002.10.29 朝刊
4.
結論
第一部では、ノーベル賞自体の有名性の成り立ちを検証した結果、賞金の巨額ぶり、著名な血筋との結びつき、公正・厳正な選考過程や、過誤の少ない受賞実績、受賞式典の華やかさ、創始者アルフレッド・ノーベルの個人的資質などの要素とともに、ノーベル賞の注目度、有名性は、国別受賞者数などを発表するメディアの力が影響している部分がかなり大きいのではないか、という結論に達した。
第二部では、実際の事例の調査・分析をしたところ、メディアによる報道量の差によって人々の認知度の差も比例の関係にある、という仮説が証明された。また、ではその報道量の差はどうして生じるのかと考察した結果、話題の意外性による個人差や、視聴者の嗜好に合わせた話題をより多く報道するというメディアの姿勢が影響しているのだと考えられる。
第三部では、有名性は相互転移していくのではないか、という仮説を立て、事例をもとにそれを検証・考察した。
以上のように、ノーベル賞という事例を通して見ても、あらゆる点で有名性とメディアの関係は深いと考えられ、現代のメディア文化社会をますます感じずにはおれない。
参考文献リスト
・ H.ズッカーマン・金子務監訳『科学エリート〜ノーベル賞受賞者の社会学的考察〜』玉川大学出版
・ AERA 2002.11.4「ノーベル賞田中さん いい人オーラで大人気」
・ 日経新聞 2002.10.10 夕刊「ノーベル賞人気 島津が大幅高に」
・ 毎日新聞 2002.10.29 朝刊「ノーベル賞田中さん、京大でも客員教授に」
・ http://www.wtbw.net/news/tanaka/tanaka.html 「いい人田中耕一さん」