『立教大学コミュニティ福祉学部紀要』No. 4, 2002.3刊行予定

社会福祉サービスの有料化と社会福祉概念の変容
−1980年代中期の状況から−

Consumer Charges to Social Welfare Services and Change in the Concepts of Social Welfare

                                                                                                              坂  田  周  一
                                                                                                            SAKATA, Shuichi

 This article considers the implications of the idea of charging consumers for the use of social welfare services, which was introduced in Japan in the mid-1980s. Japanese had commonly taken it for granted that the use of social welfare services was free of charge until the end of the 1970s, because these services were thought of as a substitution for income maintenance that would ensure a minimum standard of life. This situation, however, was dramatically changed after the government's initiative in implementing the new method. Is the policy change a measure of rationing that allocates scarce resources? Or is it because of a change of the concept of social welfare? These are the crucial questions of this article, in which the author stresses that the shift has occurred along with the change in the concept of social welfare from selectivity to universalistic thought.
If the in-kind benefit is a substitution for the maintenance of a minimum income, there is no reason to charge for the in-kind benefit. Therefore, a different viewpoint is needed to understand the introduction of the new way. It is difficult to understand the concept of charging consumers for the use of social welfare services, if the social welfare benefit is thought to be an income substitution. The crucial point in the understanding of this phenomenon is the idea that the in-kind benefit is a complementary measure in a frailer market, designed to supply necessity goods and services with which ordinary people can live safely. As such, the concept of social welfare has to be modified to adapt to the changing situation of people's lives in Japan. The author proposes a desirable design of social welfare provision following these considerations of the new conception of social welfare.
 

T 二つの有料福祉−問題の設定

 我が国の社会福祉の基本構造は、大きな転換期ないし改革期にある。改革を促すモメントはいくつかあるが、「有料福祉」と呼ばれる現象もその重要な構成要素である。「有料福祉」の登場によって社会福祉を従来の概念で捉えることがむつかしくなる一方、社会.福祉の供給体制は新たな適応を求められている。
 有料福祉の概念には、大きく言って二つのものの混在が認められる。一つは、公共的な枠組みの中で従来無料で提供されてきた社会福祉サ−ビスが有料になってきたという現象が含まれる。いま一つは、公共的に提供されているサービスと類似のものでありながらも供給者と消費者が私的な契約によって結ばれる私的なサービスが出現してきた現象を含んでいる。後者をはっきりと社会福祉と呼ぶことはできないが、行われているサービスは社会福祉サービスと類似のものであるため単なる民間商品と割り切ってしまうのも躊躇される性質のものである。ここでは便宜のため、前者を「公的有料福祉」、後者を「非公的有料福祉」と呼ぶことにしよう。
 公的有料福祉については、1980年前後から、とりわけ老人福祉の分野で有料化の動きが活発になり、社会福祉研究は新たな理論的課題を持つようになった。従来、社会福祉の分野では、サービスは無料で提供されるものという考え方がなかば常識として持たれていたのであるから、これの理論的な理解を与える研究はほとんどなされていなかった。研究レベルの立ち遅れに対して現実の動きは急速であった。1980年に新しい費用徴収制度が行われて、従来、実質的に無料であった老人ホームの利用が有料化されたのに続いて、1982年には家庭奉仕員サービスも有料化された。このような経過のなかで社会福祉は無料という「常識」は次第にくつがえされ、ついに1985年 1月の社会保障制度審議会による建議『老人福祉の在り方について』(以下、85年建議)では、有料を原則とすることがうたわれた。すなわち、この建議では、「今後の老人福祉対策は、単に低所得者に限られることなく、ニーズを有するすべての老人を対象とすべきであり、そのためには、従来とかく低所得者対策の域を出なかった老人福祉政策の考え方を基本的に改める必要がある。勿論、このような認識は、すべての老人にサービスを無料で提供することや、子供の親に対する扶養義務を免除することまでも意味するものではなく、能力に応じた経済的負担が求められていることに変わりがないことはいうまでもない」と指摘されている。利用者の負担は「いうまでもない」といわれるほどに常識化してしまったのであり、社会福祉にとって全く新しい時代が始まったと言わなければならない。
実際、85年建議の直前に出された中央社会福祉審議会老人福祉専門分科会の意見具申『養護老人ホーム及び特別養護老人ホームに係る費用徴収基準の当面の改訂方針について』(1984年12月19日)では、費用徴収基準の見直し、強化が求められている。その考え方の基礎には、在宅者よりも施設入所者の方が有利になってしまうという認識があり、これを是正するための費用徴収は当然である、という見方が示されていた。旧来の考え方からすれば家庭で養護を受けられないからこそ施設において養護を行うのであり、両者の間の公平は概念の外側にあったと考えられる。しかし、今日においてはそのような「常識」を排除する事態が進行している。これをどのように理解したらよいかを検討することは、社会福祉の概念の変容に関係する大きな理論的課題といってよいだろう。
 非公的有料福祉の進展も著しい。この問題は、当初、有料老人ホームやベビーホテルなどで発生した不祥事をきっかけとして、これにどのように対応するかという視点から考えられてきた。しかし、非公的有料福祉の拡大を否定し公的福祉の充実を求める論調が支配的であったため、非公的有料福祉を社会福祉の供給体制全体のなかに位置づけるところまでは、理論的検討が進んでいない。国家責任に基づく社会福祉という旧来の概念からすれば、公共部門から離れた完全な民間による福祉サービスのしかもコマーシャル・ベースに基づく提供は、それこそ社会福祉の概念の外側にあるものであり、これらを含めて社会福祉の全供給体制を再構築することは理解の範囲を超えるものであっただろう。
しかし、それにもかかわらず有料老人ホームは増加を続け、特別養護老人ホームと同等のサービスを行う有料老人ホームさえ出現している。一方、在宅サービスの領域でも公共的でないさまざまなホームヘルプ・サービス供給組織が、特に大都市地域を中心に、相次いで出現している。これらは、旧来の社会福祉の概念では理解困難な現象であると言わなければならないが、各地で導入が試みられる背景にはそれを求める社会的必然性を考察し、このような新しい現象を出来るかぎり整理して考えてみなければならないだろう。

U 社会福祉における現物給付の概念−考察の糸口として−


 社会福祉を給付の形態で分類すると現金給付と現物給付に大別される。現物給付には施設の提供や、そこで行われる様々な専門的ないし非専門的な人的サービス、あるいは派遣サービスの提供、食事や日常生活用具や補装具などの物品の提供などが含まれる。現物給付の側面で有料化ないし有料福祉の進展が見られているのであるから、まず、現物給付の概念を整理すること考察の糸口になるであろう。

 1 現物給付の伸張
 明治国家当時の貧困者救済法である恤救規則(1874年)においては極貧者、老衰者、廃疾者、孤児等に対して米代を支給して救済方策とした。その後も、貧困者救済は現金給付を主な手段としてきたが、昭和初期に救護法(1929年)が成立すると、養老院、孤児院等の救護施設を設け現物による対応を行うこととなり、戦後の生活保護法(1946、1950年)においても現金給付と施設保護が並行して行われることとなった。戦後においては、生活保護法の他に、児童福祉法(1947年)、身体障害者福祉法(1949年)、知的障害者福祉法(1960年)、老人福祉法(1963年)、母子福祉法(1965年)が制定されたが、資金貸付を主な内容とする母子福祉法を除く他の立法は、施設養護・更正等の現物給付を主な狙いとしたものである。
 このような諸立法およびそれに基づく事業の拡大によって、次第に現物給付の占める位置が大きくなってきた。現金給付を生活保護に代表させ、現物給付をその他の社会福祉に代表させて国の予算の動向をたどるとそのことが確認される。1960年では社会福祉費が 109億円であるのに対して生活保護費は 467億円と社会福祉費の 4.3倍であり、圧倒的に現金給付が支配的であった。しかし、その後の社会福祉費の伸びは生活保護費の伸びを常に上回り、1974年には社会福祉費 6,169億円となり、生活保護費の 5,347億円を上回っている。1985年度予算では、生活保護費が1兆8千万円であるのに対して社会福祉費は2兆4千万円となり、生活保護費の約2倍になっている。このような現物給付へのシフトの延長線上で有料化の問題が出てきていることをまず認識しておくべきである。

 2 現金代替的現物給付
 現物給付と現金給付の関係を述べた政府文書として、社会保障制度審議会が1962年の『社会保障制度の総合調整に関する基本方策についての答申 および 社会保障制度の推進に関する勧告』が重要である。この文書では、「給付の調整」の項で次のような指摘がなされている。「そもそも社会保障は、個人の私生活に対する一種の介入であるが、個人の自由を尊重するという立場からは、この介入の程度はなるべく少なくしなくてはならない。また現物で給付する場合にはとくに給付の機会均等をはかる仕組みが必要となる。この意味から、給付についてそれを現物とするか現金とするかは重要な問題を含むものであり、従来の区別はこの際再検討し、一定の原則にしたがって給付を行うべきである。現物給付の特徴は、現金給付のように他の使途に流用されるという心配がなく、したがってむだが少なく、比較的安上がりであるが、これを受けるものにとっては私生活の干渉となることが多い。それゆえ、給付を受けることが任意な場合については、現金のほうがよいであろう。給付を強制する場合や現金ではその効果が期待できない場合には、現物給付のほうが適当であろう。」( )
 この一節について、三浦文夫は、「現金(金銭)給付の特徴としては、@受給者が受け取った金銭を自らの意志と裁量に基づいて処分することができるという意味で、対象者(=利用者)の自由を確保しやすいという長所がある、Aところがその反面、その現金(金銭)がニードの充足に必要な財の購入に当てられず、他に流用される危険を含む。このために、支給された金銭がニードの充足に十分に効果的に使用されたか否かを保証しにくくなる弱点をもつといえよう。これに対して現物給付は、その具体的な給付形態と方法は種々あるとしても、一般的にいうと、上記の現金給付と逆のことがいえる。すなわち、@現物は当該のニードの充足・解決に必要な物品、施設あるいは人的サービス等であり、当該のニード充足以外にこれらの現物を使用しても、余り有効ではない。このために現金給付のように、他の使途に流用される懸念がない、Aしたがってニードの充足・解決という観点からみると、『むだが少なく、比較的安上がりであり」かつ、より効果的であるということができるかもしれない」と整理している( )
現金給付と現物給付に関するこの論議は、受給者の自由と給付の効果のどちらを重視するかによって給付の方法が決定される考え方とみることができる。しかし、自由の確保という要素を取り去ってしまうと、両者の代替関係が浮かび上がってくる。すなわち、現金給付であっても現物給付であっても、給付の目的からすれば両者は相互に代替関係にあると仮定されている。たとえば、栄養摂取のために食料を確保する目的があるとき、現金を支給して購買力を移転することも、食料それ自体を給付することも、その中間形態である食料キップを交付することも、目的に対して機能的には同等である。もちろん、現金給付は受給者に経済的自由を与えるが、現物給付はその機能をもたないから、上に述べた代替関係はそのことを含まないという限定をつけたうえでのことである。ここでは、現金給付と代替関係にある現物給付を「現金代替的現物給付」と呼んでおこう。
 さて、救貧目的に対する機能的代替関係のもとで、ある一個人に対して現金給付と現物給付が同時に行われる場合を考えてみよう。代替関係にあるということは、給付された現物の価値額は、現物給付を行わない場合の現金給付の総額から差引かれるべきものである。たとえば、施設に入所させた場合、そこでは、住居や飲食物が提供されるが、そのうえでなお充足されない需要を満たすための現金が支給されるということである。つまり、最低生活費の範囲内で現金と現物の組み合わせが考えられなければならない。
 代替関係を前提にすれば、現物給付の費用は行われるべき現金給付からすでに控除されているから、受給者から改めて費用を徴収することは有り得ないはずのものである。費用徴収が行われるとすれば、現金給付によってその分の支払い能力が保証されなければならない。社会保障制度審議会の1962年勧告の見解を現金給付と現物給付の代替関係を述べたものと解釈する限りでは、現金代替的現物給付に対する費用徴収ないし有料化は概念上成立し得ないものというべきである。
 長い間、社会福祉における現物給付が当然のことのように無料と考えられてきた背景には以上のような論理があったものと推察される。そうであるならば、有料化政策は理論的に説明するのがむつかしい誤った政策となる。しかしながら、そのような結論を下す前に、現金給付と現物給付の関係を代替関係としてのみ捉えることができるかどうか、さらに考えを進める必要がある。

 3 市場補完的現物給付
 代替関係の意味は、現金給付と現物給付のどちらであっても、同じように目的を達成できるということであった。しかし、実は、このような代替関係が成立するのは生活の維持に必要な財貨・サ−ビスの全てが市場で調達できる場合に限られる。必要なものが商品として売られていなければ現金給付は意味をなさないし、現物給付の代わりを果たすことは出来ない。現金給付の目的は、ただ単に購買力の移転を行うことにあるのではなく、受給者が移転された購買力によって必要な財貨・サ−ビスを購入し生活を維持することにあるのだから、現金を給付すれば足りるというものではない。購入されるべきものが商品として市場に流通していなければニーズは満たされないままに終わり、給付された金は使われずに残るか、あるいは、必要度の低いものに支出されるかの何れかである。これは、社会保障制度審議会の1962年勧告が「他の使途に流用される」と述べたこと、すなわち、受給者の選好の歪み、偏りによって必要なものが買われないために起こる不効率とは全く異なる意味での不効率性が現金給付に備わっていることを示すものである。このため、現金給付との代替関係では捉えられない現物給付の独自の性質を考えなければならなくなる。
 商品として市場に流通していないために金があっても求められないようなものは、家族や地域社会の中での相互の助け合いでカバーするなどの努力が行われることになるであろうが、そのような活動の広がりには限度があるので、全国的に一定水準の必要を満たすための政府活動が求められる。すなわち、必要でありながらも市場化されていない財については、政府が自ら生産するか民間に生産させて買い上げるか方法はいろいろであるにしても公共的に供給されなければならない。それがなされなければ資本主義社会においてそのニーズを満すことはむつかしい。
 現物給付は現金給付の「代わり」に行われる他に、不完全な財市場を補うために行われることが明らかになった。ここでは、便宜のために、前者を現金代替的現物給付と呼んできたが、これと区別するために、後者を市場補完的現物給付と呼ぶことにする。この区別は、簡単に言えば財が市場において入手可能であるかどうかに基づくものであるから、絶対的な区別ではなく相対的なものである。なぜなら、ある時点においてある財が商品化されていないとしても、経済社会の動向の中で商品化することが考えられるのであり、当初は市場補完的現物給付として対応していたものが、現金代替的現物給付としての対応に移行するからである。また、後に述べるように、今日の有料福祉現象を整理し理解するためには市場補完型から現金代替型への移行という考え方も重要になってくる。

 4 非貨幣的ニード
 社会保障制度審議会の1962年勧告のなかには、市場補完的現物給付という考え方はもたれていない。しかし、社会福祉の議論の中でこの考え方が全く見られなかったのではない。三浦文夫が昭和50年に提起した「非貨幣的ニード」の概念がこの考え方を含むものである。三浦によれば、充足方法との関連で捉えれば社会福祉のニードは貨幣的ニードと非貨幣的ニードに分けられる。
 貨幣的ニードは、「ニードそのものが経済的要件に規定され、貨幣的に測定されうるものであり、さらにそのニードの充足は主として金銭給付によって行われるというものである。(ただし特殊な場合には金銭給付にかわる現物給付で対応することもある)。したがって貨幣的ニードというのは経済的あるいは所得の側面から捉えられる貧困あるいは低所得ということになる。」と定義されている。この引用文のなかにあるように貨幣的ニードに対して現物による対応もありうるが、これこそわれわれが現金代替的現物給付と定義したものに他ならない。これに対して、非貨幣的ニードは「そのニードを貨幣的に測ることが困難であり、その充足に当たって金銭(現金)給付では十分に効果をもちえず、非現金的対応を必要とするものである。したがって、簡単にいうと貨幣的には表示しえない生活上の諸障害に基づいて現れる要援護性を意味し、したがってそのニードの充足に当たっては、現物または役務(人的)サービス等によらなければならないものである。」( )と定義されている。 三浦は、戦後の社会福祉の課題の重点が次第に貨幣的ニードから非貨幣的ニードに移ってきたとしている。
 この移行は、経済の高度成長期に顕著となった国民生活の変化によって促進された。それは、「すなわち、個人の生活面でのニードのうちには、彼の属している家族内において、家族連帯にもとづいて充足されることのできるものがある。たとえば身辺介助、日常生活(家事)援助や情緒安定を図ることなどがそれである。しかし、このような家族のニード充足機能は、家族構造、家族関係あるいは同・別居等にみられる居住形態(living arrangement)等の変化に加え、扶養意識等の変化によっても左右される。経済の急成長下における激しい経済社会の変動は、核家族化を促進し、さらに居住形態の面でも、同居率を低めたりしている。また嫁姑関係をはじめ、家族関係の変化や扶養意識の動揺等もみられ、この結果、家族のニード充足機能は動揺し、弱められてきている。このため本来であれば家族内で充足され、社会的ニードに転化しえなかったさまざまのニードが、家族のニード充足機能の変化によって社会化されることになっている。」という認識に基づくものであり、三浦によれば「これらのニードの多くは非貨幣的ニードに属するものであり、社会福祉にとってこの種の非貨幣的ニードを重要な課題にさせていく」のである( )。
 非貨幣的ニードの概念の最も重要なポイントは「非貨幣的ニードは貨幣的に測定困難」という性質である。とすると、このニードが現物給付を求めることは、われわれの定義による現金代替的現物給付ではない。先に定義したように、必要な財貨・サービスが商品として市場に出ており金銭で買うことができるときに現物給付は現金給付の代替になるのだから、当該のニーズが貨幣的に測定できることを意味している。したがって、貨幣的に測定されないということは必要な財貨・サービスに市場価格が形成されていない、つまり、それが商品として存在しないことを意味している。このように考えてくると、非貨幣的ニードへの対応としての現物給付は、現物給付一般を指すのではなく市場補完的現物給付を意味しているとみな ければならない。

 5 社会福祉と所得階層

(1)低所得階層対策としての社会福祉
 購買力の移転の他に、それによっては充足されない非貨幣的ニードが存在すること、その場合の現物給付は市場補完的な機能を持つことが明らかになった。さらに進めて考えると、社会福祉を貧困者対策ないし低所得者対策と定義することが不可能であることに注目しなければならない。
 しかし、社会保障制度審議会の1962年勧告は、社会福祉を低所得階層対策と位置づけた。すなわち、社会保障制度の総合調整という観点から、「従来の答申および勧告にあたって採用した医療、年金、国家扶助、公衆衛生、社会福祉というような事業別区分による考察をやめ、他方では、社会保障の対象たる国民階層を、貧困階層、低所得階層、一般所得階層というふうに分け、それぞれの階層に応ずる対策とこれらの諸階層に共通する対策に分けて考察を試みた」ものである。審議会は「貧困階層というのは、その生活程度が最低生活水準以下である階層をいう。低所得階層とは、最低生活水準以下ではないが、その生活程度においてこれと大差のないいわゆるボーダーライン階層をいうのであって、さらにこれに老齢、廃疾、失業等の理由でいつ貧困階層に落ちるかわからない不安定所得層をも含ましめる。以上二つの階層に属しないそれ以上の階層のひとびとを一般所得階層と呼ぶ」としたうえで、「貧困階層に対する保障の方法は、いうまでもなく主として公的扶助により、いわゆる救貧を目的とするものである。つぎに低所得階層にたいする保障は、公的な社会福祉を主軸とし、この他に各種の社会保険をも適用するが、それには場合に応じて公的負担によってこの階層のひとびとの加入を容易にするように考案する。第三に一般所得階層に対する保障においては、社会保険を中軸とし、これを防貧および生活安定の主な方法とする。なお、これらの各階層を通ずる対策として、従来おくれていた公衆衛生、生活改善とくに生活環境改善についての諸施策は今後大いに推進する」と述べ、社会福祉を低所得階層対策と位置づけている。

(2)低所得階層対策の矛盾
 社会福祉が貧困階層対策と位置づけられていないのであるから、社会福祉における現物給付は、最低生活水準との差し引きにおいて行われる厳密な意味の現金代替の考えがもたれているとはいえない。しかし、この勧告は、低所得階層の困窮化を防ぐ機能を社会福祉に期待し、「社会保険を補完する性格からみれば、社会保険の整備によってしだいに縮小する筋合のものである」と述べて、年金等の所得保障の補完として社会福祉を位置づけている。すなわち、社会福祉による現物給付は、一般所得階層であれば市場で購いうるニーズに対して行われるという見解であるから、現金給付を代替するものであることに変わりはない。この考え方が基低にあるからこそ、社会福祉が低所得階層対策と位置づけられるのである。社会保障制度審議会の1962年における社会福祉の概念は、「貨幣的ニードへの対応は第一義的には経済保障を含むいろいろの社会的諸施策で行われるべきであったのに、これらの諸施策の機能を代替し補完する形で社会福祉政策が考えられていた時代」( )を反映したものと言えるだろう。
 現金代替的現物給付として社会福祉の給付をとらえる限りでは、審議会の立場は理論的によく考えられたものといえる。しかし、低所得階層対策の考え方からは、市場補完的現物給付の概念は生まれてこない。なぜなら、市場の不完全性に基づく非貨幣的ニードは低所得階層だけに発生するのではないからである。それは、所得が無いとか不十分であるために充たされないニーズとは性質が異なり、どの所得階層であっても所与の確率の下で等しく直面する可能性がある問題だからである。
 高齢者をめぐる社会保障の現状は、年金制度にしても医療保険制度にしても、1962年当時に比べると、給付水準が格段に向上し健康時の経済生活も疾病時の経済生活も、贅沢を望まない限りは、保障されるようになっている。しかし、われわれの生活は単に経済が保障されれば足りるというものでない。一人暮らしの心細さ、寂しさは低所得階層に特有のものではない。金があっても弱った足腰では買い物にも出掛けられず不自由な日常生活を余儀なくされる。栄養の摂取も十分でなく身体は悪くなる一方であるのに気にかけてくれる人がいない。しかし、年金はきちん給付されるから、金持ちというのはおこがましいが、経済面はなんとかなる。とはいえ、別段のつかいみちもなく金はたまっていく。死んだあとに金を遺すぐらいなら、この金でサービスを買えないものかと思うけれどもそういう便利なものは売っていない。社会福祉というものがあるようだが、それは税金を使って低所得者を助けるものだから自分にはあてはまらない。将来、このような高齢者が数百万のオーダーで出現するが、現在の社会保障はこのような老人のニーズに応えられる仕組みをもっていない。所得階層の枠を超えて生じるニーズへの対応こそが、今日、社会福祉に求められているのであり、そのためには、社会福祉の概念の再構築にむけた検討が必要になる。

 V 普遍主義的老人福祉と有料福祉

1 社会福祉概念の転換
 社会保障制度審議会は62年勧告以来、社会福祉にさまざまな変容が進んでも、社会福祉概念を変更する文書を発表してこなかったが、ついに、1985年に『老人福祉の在り方について』という建議を公にして社会福祉の概念の変更を宣言した。85年建議は、老人福祉に関するものではあったが、低所得階層対策としての社会福祉という考え方を放棄し、全ての所得階層のための対策と定義しなおしている。すなわち、「今後の老人福祉対策は、単に低所得者に限られることなく、 ニーズを有するすべての老人を対象とすべきであり、そのためには、従来とかく低所得者対策の域を出なかった老人福祉政策の考え方を基本的に改める必要がある。」と述べたことで、従来の所得階層対策としての考え方を放棄し、社会福祉を普遍主義的に再定義した。
 これまで、現物給付が旧来の社会福祉の概念のなかでどのように捉えられてきたかを明らかにしようと試みてきた。その際、旧来の社会福祉の概念を代表するものとして社会保障制度審議会の1962年の勧告に見られる社会福祉の概念を検討の素材とした。現物給付の概念を分析してみると、現金給付の代わりに行われる現物給付(現金代替的現物給付)と本来現金給付によっては充たすことのできない非貨幣的ニードに対して財市場を補完する機能を果たす市場補完的現物給付の二つに分かれることが明らかになった。これに対して、社会保障制度審議会が1962年当時に考えた現物給付は、現金代替的現物給付のみであったため社会福祉が低所得階層対策と定義されたことをみた。
 しかし、これでは、非貨幣的ニードや市場補完的現物給付を守備範囲におさめた供給体制を構築するための理論的な基礎は与えられない。1962年から23年を経た1985年になって社会保障制度審議会は従来の立場を放棄し、老人福祉をあらゆる所得階層に共通の対策として普遍主義的に定義したのである。そこで、普遍主義的に定義される老人福祉の概念を基礎として有料福祉の問題を考えることにしたい。

2 公的有料福祉について

 (1)公的福祉の概念
 公的有料福祉は、中央・地方の政府が直接行うか民間のサービスを買い上げて(委託)行うかの別はあるにしても、公の負担によってサービスを準備、提供することを基本としつつ、受益者が特定できる場合に受益者から直接負担を求めるものである。この場合、社会福祉法人等の民間機関によってサービスが行われることがあるが、それは、事業用地を寄付によって確保できることが主要因である。しかし、経常的事業費を独自に確保するのは困難なため、政府がそのサービスを買い上げることなしには民間の事業として成立することはむつかしい。したがって、政府が委託を行わない場合にはその民間事業は消滅するか、必要な規模が確保されない。すなわち、その事業は市場によっては供給されないか、供給されても必要量が確保されない。したがって、民間の手によって事業が経営されていてもそれは公の範疇に属している。

 (2) 無料原則
 さて、このように公的に供給される社会福祉の費用を受益者から直接徴収するとしても、それが例外的に行われる限りは有料福祉とは呼ばれない。従来の社会福祉はそのようなものであった。社会保障制度審議会は1962年勧告の中で、このことについて「社会福祉の費用は原則として国と地方公共団体が負担すべきであり、受益者に費用を負担させるべきでない。しかし、当人に負担能力があり、かつ受益できない者との権衡上適当である場合には、費用の一部を当人に負担させることもある。」と述べていたし、現実の老人ホーム等の費用負担制度もこのように組み立てられた。あるいは、家庭奉仕員制度などは派遣対象を低所得階層に限定して費用の負担を求めないこととされていた。つまり、社会福祉は税金によって行われ、受益者の負担は原則としてないものとされてきたのである。
 しかし、社会福祉が無料を原則としたのは、本来それがそのようなものでなければならない性格を持つためであったのかどうか上記の議論からは必ずしも明らかでない。受益者が低所得者であるがために無料であるのか、あるいは、逆に、無料とするために受益者を低所得者に限定したのか議論の分かれるところである。これは、同じことの主語と述語を入れ替えたように見えるけれどもそうではなく、現金代替的現物給付と市場補完的現物給付の区別に係わる基本問題である。現金代替的現物給付であれば、その財貨・サービスは市場で取り引きされており、十分所得のあるものは市場で購うことが出来るが、十分所得のないものは購えないので低所得者に対しては公的に供給するというのであれば受益者が低所得者に限定される必然性があり、彼らはもともと負担能力がないから当然に無料となる。しかし、その財貨・サービスがもともと市場によっては供給されないものである場合は、十分所得があってもその必要は満たされないのであり受益者を低所得者に限定する必然性はないし、十分に所得のある者はもしそれが市場で取り引きされていれば対価を支払って購入するのであるから、公的に供給されたからと言って無料にする必然性はない。

 (3) 供給制約の原理
 受益者を低所得者に限定する必然性も、無料にする必然性も認められないにもかかわらず、そのようなことが行われることについては次のような説明が可能である。無料を原則とすれば必要量がそのまま需要量となる。しかし、税金には限りがあり必要な供給量が確保できない。そこで需給をマッチさせるために低所得者以外のニーズは切り捨てるということである。このような説明は、近年、社会福祉における割当(rationing )として考察され始めた議論の一部である( )。社会福祉は「需要の原理」ではなく「必要の原理」で組み立てられていると言われることがあるが、このような形で必要の切り捨てを行う以上、必要の原理に基づくとは言い難い。
 このことに関して、法律学者の次のような文章があるので引用しておこう。「社会保障給付として、いわゆる福祉の措置を位置づけるとき、それは、‥‥‥金銭的な給付(所得保障給付)によっては目的を達しえない生活障害に対して、非金銭的なサービスを提供する給付である。したがってその給付は、老齢、心身障害、幼齢などによる生活障害が存在することを要件として支給されるべきもので、費用負担を求めるのは現実には生活障害に対する保障の権利を制限することに他ならない[引用者注:必要の原理]。したがって、社会保障法上の権利としての生活障害給付受給権は、費用徴収をしないのを原則とすべきである。‥‥‥ただこの場合、例外措置として、一定水準以上の高額所得を有する者について費用徴収をなしうる規定をおくことは考慮に値するであろう。社会福祉施設とその専門従事者が絶対的に不足している現状では、福祉サービスへのニードが高い中産、無産の階層へ優先権を与えるのは、生存権の原理からみて不当な差別とはならないであろう。しかし、生活障害給付の性格からいって、所得が高いからといって受給権そのものを認めないことになれば、立法上妥当ではあるまい」( )。
 この文章は必要の原則に立って書かれているようにみえる。所得の多寡にかかわらず所得保障によっては満たされない福祉ニーズがあることを認め、費用負担力の有無によって給付に差別を設けることは許されないとしたことがそれである。しかしながら、供給は限られており中産、無産の階層に優先配分するために費用負担を導入して需要の原理を例外的に加味するという主張である。要するに、高所得層が同じような満たされないニーズを持っていてもそれは後回しということであり、結局、必要の原理は貫徹されていない。貫徹されているのは、必要の原理でも、需要の原理でもなく無いものは出せないという「供給制約の原理」である。現実の制度では、このような供給制約の原理は、受給者のいろいろな資格制限や「措置」等の形で制度として作り上げられているから、そのことに何らかの説明をつけるためにはこのような論理が出来るのかもしれない。
 しかし、普遍主義の概念はこのような供給制約の原理と相容れないものである。年金の成熟につれて老人福祉の措置を受けている者の負担能力が高まったから費用徴収を強化しながら、一方では必要な施設を整備せず供給を増やさないということでは無料原則下での例外措置のなしくずし的な拡張でしかない。これは、供給制約の原理と需要の原理を組合わせた必要の切り捨てであり、普遍主義の原理に最もふさわしくない方法である。社会保障制度審議会の1985年の老人福祉建議がいうように老人福祉は低所得階層のみでなく全ての所得階層に開かれる一方、負担能力に応じて負担するという論理は一見したところ当然の議論と受けとめられやすい。しかし、それは、必要な供給量が確保された時に有効なのであり、そうでない場合には需要の原理による必要の切り捨てにつながる危険な論理である。

 (4) 普遍主義下における公的有料福祉
 1)必要の原理
 普遍主義を新しい老人福祉の方向とする以上、必要の原理にたって必要な供給量が確保されなけばならない。供給制約の原理に立って、必要を切り捨てることは普遍主義の概念に矛盾するのである。あくまでも必要の原理に立つことが第一の要件である。この上に立って、第二に有料が原則とされるべきである。しかし、その有料の程度は必要の原則を侵すようなものであってはならない。必要でありながら不必要を装うことがあってはならないし、逆に、不必要でありながら必要を装うようなことを誘発してもならない。
 しかしながら、税金によって供給基盤を整備し、税金によって運営費を負担し、利用者の費用負担でその何割かを回収するという枠組みで普遍主義的老人福祉を建設できる見通しは悲観的にならざるをえないが、本来、普遍主義的な老人福祉はそのような体制になじまない面をもっている。供給体制の組み立て方に従来と全く異なる考え方が求められているといえる。

 2)必要の組織化
新たな体制が必要の原理に基づくべきことは先に述べた通りであるが、その際、必要という概念を二通りに区分することが有効である。
 第1は、必要になった時は遅滞なく何時でも老人福祉サービスを利用できるような体制それ自体の必要である。これは、老人になって老人福祉サービスを必要とする一定の確率が全ての国民に配分されているという意味で全ての国民にとって必要なものであり、いざ自分が老人福祉サービスを必要とするとき何時でも利用できるという体制から受ける安心感の利益は国民全てが共有することができる。寿命の延長や家族の小規模化、同居率の低下によってこの確率は高まりつつあり、現に老人であるものばかりでなく、これから老人になるもの、遠い将来に老人になるものの区別なくこの安心の確保はすべての国民の要求になるであろう。所得の多寡によって利用を妨げられるというような体制からは国民全てがこのような安心感の利益を受けることはできない。これを「基盤整備による安心感の必要」と呼ぶことにする。先に述べたように基盤の整備から得られる安心感の利益は、国民の全てに開かれておりいちいち受益者を特定できる性質のものではないから、広く租税ないしそれに準ずる財源によって行われるべきであり、老人福祉サービスの実際の利用者から徴収されるようなことがあってはならない。もしそのようなことがあれば、当人は社会的費用までも負担することになる。国民全てに老後の安心を与えるということからすれば、年金積立金を借り入れ、政府は年々市場利子率によって元利返済するということも考えられるだろう。
 いま一つの必要は、実際に要援護状態になって老人福祉サービスを必要とする「サービス給付」の必要である。実際に利用したものについては日々コストがかかるからこれの負担が問題になる。このコストは基本的に二つの部分に分けられる。施設サービスを例にとれば、そこで提供されるものすべてが市場補完的現物給付ではない。まず施設の住居としての側面では家賃、そこで提供される食事代、あるいは、日常のこまごまとした雑貨などは家庭にあってはそれぞれその代価を支払って購入するものであるから施設に入所したからといって無料になる筋合のものではない。ただし、貧困、低所得者にたいしては現金代替的現物給付であるから費用負担は減免される。また、自分で選べば到底買わないような高い家賃、食事代を強制される立場に置かれることもあるから平均原価の全部を徴収するようなことも不合理である。何れにしても、これらのものは費用徴収の対象になる。
 二つ目のコストは専門的ないし非専門的人的サービスのコスト、すなわち人件費及び関連費用である。これも確かに特定の個人が利益をうけるものであるが、老人全体の数%でしかない確率的な事故に遭遇しただけのことであるから費用の全部を個人の負担とする筋合のものではない。これはこのような必要に潜在的に晒されているものを組織化して保険として協同で負担すべきものである。この種の保険はメリット財に属するものであるから補助金を投入して個人の負担を軽減する措置も必要である。これを、老齢年金の現物給付として組み立て、付加保険料を徴収するといった案もあるだろう。
 さて、このような租税、保険料、自己負担の組み合わせによって普遍主義的老人福祉を形成する場合、最も重要なことは、福祉サービスは公的機関は無料で提供するといった考え方に慣れてきた国民が人的サービスの経済価値を認めて選好を表明するかどうかということである。保険などに加入しなくとも黙っていればそのうち公的になんとかしてくれるといった「フリーライダー」意識があればこのような計画も普遍主義的老人福祉も砂上の楼閣となる。しかし、近年、大都市を中心に展開している非公的有料福祉の動向などをみるとサービスに対する選好の芽生えのようなものを見てとることが出来ない訳ではない。

 2 非公的有料福祉について
(1)非公的有料福祉の多様性とその背景
 税金によって行う公的福祉が担当してきたようなサービスと同じか類似のサービス、あるいは行政では出来にくいこまごまとしたサ−ビスの分野で非公的部門の参入が近年盛んになってきている。この中には、公的な援助を全く受けない有料老人ホームや「練馬くらしのおてつだい協会」などの純粋の民間部門の参入ばかりでなく、よく知られている「武蔵野市福祉公社」とか「横浜市ホームヘルプ協会」、あるいは「神戸ライフケア協会」のような第3セクター的に何らかの形で公の援助をうけた組織体、あるいは、「灘神戸生協くらしのたすけあい活動」のような相互扶助を目的とした組織体が組合員のために行う事業などさまざまなものがみられ、これらを一律に論ずることは難しいが、これらに共通していることはサービスが有料で提供されるということである。この意味で、それらは、ボランティア・サービスと区別される。このため、ここではこれらを一括して非公的有料福祉としたのである。ただし、有料とはいっても、数百万円から数千万円のオーダーの入居一時金と数十万円の生活費を要する有料老人ホームから、時給5百円程度のホームヘルプ、あるいは労力預託といったボランティアすれすれのものまでいろいろであり、これまた一概には論じられない。
 何れにしても、このような非公的有料福祉が出現する直接の背景としては二つのことが指摘できる。一つは、公的福祉の供給制約の原理によって切り捨てられた者の福祉ニーズへの対応ということである。いま一つは、公的福祉の守備範囲を超えるような生活利便の要求、あるいはよりよい生活をもとめるニーズが広がり始めてきたことである。後者に付け加えて言えば、公的福祉は「措置」制度の下で運営されており利用者が好みに応じて好きなサービスを選ぶことが出来ない。しかし、好みに応じたサービスをあれこれ提供することまで公的責任の範囲に含まれるかどうか疑わしいということもある。公的福祉の不十分性を補うとか、公的責任を超えるようなところにニーズが発生してきたことなどが直接の背景といえるかもしれない。

 (2)サービス選好の芽生え
 しかし、それだけの理由で非公的有料福祉がこのような勢いで広がると考えることは難しい。有料である以上は、単にニーズが在るだけでは成立しないのであり、それが「金を払っても」求めたいという需要にならなければ事業として存立できない。このような人的サービスに対してはニーズは在っても選好されず経済的な需要とならないからこそ市場では供給しえず公的に対応せざるを得なかったものである。この意味でこれらは非貨幣的ニードとされまさに市場補完的現物給付の課題となったのである。もちろん、非公的有料福祉のなかには、半ばボランティア的に安く労働力を提供するひとびとの協力を求めたうえに行政の支援を加えているものが多いのであるから市場において成立したサービスとは言い難い面があるし、有料老人ホームなどは老齢期に住宅を取得する一つの形態と言えなくもないのであるからサービス消費とするかどうかは議論の余地もあるが、ともかくも消費者の立場からみればそれはまぎれもないサービスへの支出であり、人的サービスに対して家計レベルで選好が芽生え需要され始めていることを示していると言えるのではないだろうか。おそらく、それは、家族規模の縮小化、同居率の低下、女性(特に主婦)就業の進展などによる家事代行へのニーズが、従来であれば行政施策への要望となって現れたものが、経済のサービス化の流れのなかでより気軽で便利なものを求めるようになってきたものとも思われる。

 (3)経済のサービス化
 統計学の源流の一つとしてよく知られている政治算術学派の始租であるウイリアム・ペティは、すでに17世紀に、所得水準が農業よりも製造業において高く、さらに製造業よりも商業において高いことを述べ、産業形態がそのような方向で傾向的に推移することを示唆していた(『政治算術』)が、20世紀になると、コーリン・クラークは産業を第1次産業、第2次産業、第3次産業に分類し、それを用いて帰納的法則を導いた。クラークによると、経済段階が進むにつれて労働力や所得の構成比が第1次産業から第2次産業へ、さらに第3次産業へと推移することを示し、この傾向法則を「ペティの法則」と名付けた(『経済的進歩の諸条件』)。サイモン・グズネッツは、各国の経済成長と産業構造の推移を体系的かつ実証的に研究し、主要国における労働力や所得の構成を時系列的に明らかにした(『諸国民の経済成長』)。このため、 「ペティの法則」は、「ペティ=クラークの法則」とも「ペティ=クラーク=グズネッツの法則」ともいわれる。
 わが国の経済の現実も、この経験法則に従ってきたし、将来展望もまた、この傾向が衰えることなく進展することを示している。就業構造を昭和45年と1980年について比較すると、第1次産業就業者の割合は17.4% から10.5% へ縮小している反面、第3次産業は47.3% から54.5% へ拡大している。第2次産業は35.2% から34.8% に横這いになっているから10年間における第1次産業の縮小分が第3次産業に吸収された形になっている。特に注目されるのは、第3次産業の拡張はサービス業部門で行われたことである。サ−ビス業就業者は1970年に全就業者の37.8% であったが、1980年には44.2% へ6.4%ポイントの上昇になっている。第1次産業がこの間に6.9%ポイント減少したから、この分の殆どがサ−ビス業へ移動した計算になる。このような現象を指して、今日では、「経済のサービス化」と呼ぶようになった。
 ヒトとカネがサービス業へ流れるサービス経済化はわが国経済の非常に明瞭な傾向であるが、将来展望においてもさらにこの傾向は進むものと見られている。経済企画庁経済審議会長期展望委員会の『2000年の日本』では昭和75年において就業者の半数を超える52% がサービス業に就業し、生産額の48.6% を占めるようになると予測されたのは記憶に新しいところである。
 まさに、今後の産業の主流を形成するのはサービス産業であるということであるが、そのなかでも注目されるのは、対企業サービスよりも対個人サービスおよび社会サービスの伸びである。『2000年の日本』によれば、1980年から昭和75年にかけての就業者の増加は対企業サービスでは27万人でしかないのに対して、対個人サービスでは193 万人、社会サービスでは321 万人の増加が見込まれている。その結果、就業者総数に占める割合は、対企業サービスが僅か3.6 % にしかならないのに対して、対個人サービスは11.3% 、社会サービスは15.6% になると見られている。
 一方、産業・就業構造のサービス化ばかりでなく家計レベルでの消費のサービス化の進展も著しい。家計調査ベースで消費支出を財とサービスに分けて構成比の変化を辿ると、昭和45年のサービス支出は 34.2%であったのに対し1982年では43.9% まで上昇している。もっとも、サービス支出といってもそのかなりの部分は光熱費や家賃地代、教育関係費、レジャー目的以外の交通、通信費で占められており必ずしも人的サービス消費の増大を意味している訳ではない(経済企画庁国民生活局編『消費構造変化の実態と今後の展望−「大衆消費」から「消費ルネサンス」へ−』PP.43-47)。しかし、このような就業、消費面におけるサービス化の動きのなかで、介護サービスをはじめとした福祉サービス価値に対する認識が高まるようなことになれば、公的有料福祉と非公的有料福祉の連結による普遍主義的な老人福祉の展開に大きな力が得られるだろう。

 備考)この論文は1987年に執筆したが、都合により公刊されなかった。15年を経た今日でも多少の意味があるかもしれないと思い公刊することにした。原型を保つため、論文執筆以後に生じた社会福祉政策の変化には言及していないが、論点の一部は1997年の介護保険制度の創設によって成就した。

引用文献
1) 社会保障研究所編『戦後の社会保障資料』p.254
2) 三浦文夫『社会福祉政策研究−社会福祉経営論ノート』pp. 78-79
3) 三浦文夫「社会福祉の転換と供給問題−とくにコミュニティ・ケアとの係わりについて−」社会保障研究所編『現代の福祉政策』所収
4) 三浦文夫『社会福祉政策研究』pp. 130-133
5) 三浦
6) K. Judge, Rationing Personal Social Service, 1979.(高沢武司他訳『福祉サービスと財政−政策決定過程と費用負担−』川島書店, 1984. 参照
7) 荒木誠之、古賀昭典編著『現代社会福祉の課題』pp.86-87