「Aは正統派の学者である」と言う場合、これはAにとって褒め言葉であろうか、あるいはけなす言葉であろうか。

学者といえば大学の教授を思い浮かべる。教授のことをprofessorと言うが、これはprofession(職業)と同根の言葉である。仕事に関係する言葉には他にもjob、work、labour、occupation、business、task、duty、vocation、employmentとかあり、いつもいい加減に使い分けている。ここではprofessionだけを話題にする。

professionで示される仕事は特別の修練を経て獲得した技量や知識が要求されるものだ。たとえば、弁護士だったり医師だったりする。また仕事内容が、ある程度の客観性をもって伝達されるような感じがある。つまり、芸術家の仕事には修練が必要であるが、客観的な性格は少なく、professionとは呼ばれていないようだ。

professionから来た名称を持つprofessorは、知識の積み重ねとそれを伝達する客観的な能力を身に付けている事が期待されている。professorだけでなく、学者も同様であろう。つまり、学者と名乗った時点でこれらの技量は当然のこととして身についているはずだ。

これにさらに「正統派の」と付くことにどんな意味があるのであろうか。

正統の反対は異端であるが、こちらの方はイメージしやすい。異端とは、従来のしがらみと権威主義にとらわれた正統派を批判し、あらたな発展の起爆剤となるセグメントである。というと褒めすぎかもしれない。しかし、正統と異端の境界は変動し、入れ替わりもあることは歴史が示している。

「正統 vs.異端」を「伝統・権威 vs.新進・発展の芽」ととらえる上記の考えはいかがであろうか。「正統派はしがらみと権威主義にとらわれているセグメントである」とするのは決め付けが甚だしいと怒られるかもしれない。そう評価されたAも不愉快だろう。

 正統派=多数派ととらえ、「多数派 vs.少数派」と考えることが穏当かもしれない。こうなったとしても、「Aは多数派の学者である」と言ったときに、Aは嬉しいだろうか。

人によると思うが、少なくとも私がAであったら嬉しくない。「少数派だ」と言われたほうが嬉しい。 私は、家人・子女にも「変わっていると言われたら喜べ」と強調したりする。ふと気が付いて、私の周りを見渡してみると、少数派であることを好む者がけっこう多くなっている。つまり「少数派好み」が多数になっているのだ。この中で真に少数派であるために、多数派に鞍替えすべきか、と悩んだりする。

「正統 vs.異端」を「多数 vs.少数」の数の問題にすることが誤りであったのかもしれない。それでは、「正統 vs.異端」を「正 vs.邪」に解題したらどうか。「邪な学者」というのも怪しい魅力があるようだが、やはり倫理的に否定されている方に肩入れは難しく、議論にならない。  

「正統 vs.異端」を「伝統・権威 vs.新進・発展の芽」、「多数派 vs.少数派」、「正 vs.邪」と言い換えて「正統派の学者」の内容を考えてみたが、「正統派」は学者を形容する言葉としてはどうもしっくりこない。この言葉で学者を形容しても、何を言っているのかよく分からないのだ。

 よく分からない、ということを分かっていただくための文章もまた面倒なものだ。よくお付き合いしていただきました。





TOP -- エッセイ -- アマチュア無線 -- スケッチ -- カメラ -- 釣り -- 植物 -- アフリカ案内のTOP -- プロフィール

エッセイへ戻る


「正統派の学者」は存在するか?