植民地時代の宗主国の制度を反映して、アフリカ大陸東部から南部にかけて自動車は左側通行の事が多い。私は、ケニア、タンザニア、モザンビーク、ザンビア、ジンバブウェ、ボツワナ、スワジランド、南アフリカ、で自動車を運転しているが、すべて左側通行であった。
したがって、これらの国で自動車を運転する事には、すぐになれる事ができる。交通の制度には慣れても、道路の様相には興味を引かれる。整った高速道路から、通行をあきらめざるを得ない道路までさまざまな顔つきの道路がそろっているのである。南部アフリカの国々を自動車で巡ったエピソードを紹介しよう。


自動車道路の諸相

南アフリカ共和国の中心的都市、ヨハネスブルグの空港から市内に通じるハイウェイは、片側5車線もある。日本からヨハネスブルグ空港について、レンタカーで走り始めると、あまりに道路の横幅が広いのでまごついてしまう。

ここでは、タクシーの配車も携帯電話を駆使しておこなわれている。売店では多くの種類の新聞、雑誌が販売され、もちろんテレビ、ラジオの放送も実施されている。各種の情報伝達の手段は整っている国で40年もアパルトヘイトの体制が維持されてきた事を訝ってしまう。正義の主張が伝達されても、それをさらに上回る強い力で抑えつけていたに違いない。

南アフリカの南西部はワインの産地である。広いブドウ畑やビール用のホップ畑の中をドライブし、ゆっくりした気分を楽しむ事もできる。これも道路が十分に舗装されているおかげであろう。

一方で、アフリカ南部では悪い道にも事欠かない。

タンザニア内で「ナンバーワン」とあだ名がついている場所がある。ここでは傾斜が急で、ナンバーワンのギア(つまりローギア)でないと自動車は登る事ができない。この道路は舗装されており、一般の乗用車であればサードかセカンドで登る事ができる。タンザニアへは日本のハイエースやキャラバンなどのワンボックスカーが中古車として輸入され、ミニバスとして働いている。これらの車は、20人弱の人を詰め込み、屋根の上にはバナナや、スーツケースを載せて走っている。これらの車では、たしかにローギアを使わざるを得ない。



日本からの中古車は多く、ハイアス(ハイエース)といえば、タンザニアではこの種のミニバスの代名詞になっている。日本の法人で使用されていた車が、そのままの塗装でアフリカ諸国を走っている。私たちの地元の「埼玉県自動車学校」や「鳩山町立幼稚園」のバスをタンザニア内で見かける。一九九九年の正月に訪問したときには、どうしたわけか、日本の救急車が多く輸入されて、「所沢病院」の文字と、サイレンがついていたボックスも勇ましく、町のミニバスとして走っていた。

ワンボックスカー利用のミニバスではなく、日本の市内循環バス程度の大きさのバスでは、入り口付近に人々が鈴なりに乗車している事がある。足だけステップにかけて体はあいたドアから外に出している人もいる。こんなバスが急な坂道を登るスピードは非常に遅い。その後ろでイライラしながら私が自分の自動車を運転していると、男性がバスから飛び降り、道端で小用をして、また走ってバスに追いついて飛び乗っていった。




高速長距離バス

すべてのバスが遅いのではない。主要都市間の、あるいは国際的なバスの路線は発達していて、多くの人が利用している。

たとえば、タンザニアの中心都市、ダル・エス・サラームとタンザニア西部の都市ムベヤは約900キロ離れており、この間を結ぶバスは毎日、片道20便程度ある。長距離運行のバスは、一般的にスピードを出し、ダル・エス・サラーム―ムベヤを約12時間で結んでいる。

私がタンザニアで使用している自動車は、経済的条件の中でやや無理をして、上等ではないがましなものを選んでいる。車齢は10年くらいで、10万キロ弱を走行したような四輪駆動の自動車に乗る事が多い。具体的には、パジェロ、ロデオ・ビッグホーン(現地ではトゥルーパー)、ランドクルーザーの70系、サファリの4気筒車、ダットサントラック、サーフなどである。舗装道路で時速90〜100キロメートル程度で走っていると、長距離運行のバスに次々に追いつかれ、あっという間に抜かれてしまう。時速120キロ以上で走っているバスもあるのだ。

数年前まで、日本のバスと同じ車幅で、新幹線のように座席が左右に2列と3列になっている長距離バスが多かったが、現在ではほとんど2列ずつである。また、車中でのビデオ放映、エアコンディション、飲み物のサービスを売り物にしているバスもあり、それぞれ懸命に客を集めている。「町の中、地方の村を結ぶバスはゆっくり走り、車体も古い。主要都市を結ぶ長距離バスは高速で、豪華なものもある」と言えよう。

長距離運行のバスは、昼頃にきまったレストランに横付けして、乗客の多くが食事をとる。何台かのバスが止まるレストラン(ホテリ)は、ひなびた村にあっても、冷やしたコーラや暖かい食事がすぐに出てくる、特別地帯になっている。近くの少年少女たちは、果物や、自宅で作った小麦粉の菓子を盆に入れて売りに来ている。









長距離バスも、舗装道路があってこそ高速で走ることができる。ダル・エス・サラームからタンザニアの北西部の都市、ブコバ(図1)、へ向かうバスがある。本来ならば、最短距離のルート、つまりタンザニア内の道、を走る。ところが、1997年の雨季に入って道路が大幅に損傷し、この道路ではスピードを出せなくなってしまった。現在は、このバスはタンザニア北部の町アルーシャから北に向かい、ケニア、ウガンダを経て、ビクトリア湖の北から西側を回ってブコバにたどり着いている。乗客はパスポートを持参して旅に出るのである。ビクトリア湖の南のムワンザに行く場合でも、ケニア経由でビクトリア湖の東側を南にタンザニア側に戻ってたどり着く。









スピードガンでの取り締まり


タンザニアの警察はスピードガンでスピード違反を取り締まっている。タンザニアの道路では制限速度は郊外で80キロ、都市や村の中では50キロである。違反して調書を取られた場合の罰金は1万シル(約1800円)となっている。警察官は、能率よく仕事ができる場所で、スピード違反の取り締まりを行っている。つまり、ドライバーがスピード違反しやすく、警察官が隠れやすい場所である。

このようなやり方は、能率を追求するだけで、本来の目的である「スピード違反を少なくし、交通安全を守る」ことから外れていると憤慨する人もいる。しかし、私が感心するのは、そのスピードガンによる測定が正確なことだ。私は時速80キロで走行しているつもりの時にとがめられ、見せられたスピードガンの表示は79キロであった。この時は村の中で、80キロ制限が50キロに変更になったのに気づいていなかった。また、115キロのつもりの時は116キロであった。この時はスピードオーバーを自覚していた。

ちなみに罰金をまけてもらう光景も私は目撃している。タンザニアでは一般の運転手の月給は最高で10万シル、安い人は5万シルくらいである。その場で5万シルもの現金を支払えないし、何とかまけてもらい、調書なしで済ませる場合があるのである。わたしも一度は5000シルにまけてもらった。この場合は書類ができないので、現金のゆくえは担当者の思惑のままである。


written by TAROTAKO
『歴史と地理』523号に掲載したものに加筆させていただきました。

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アフリカ南部紀行――道路交通と人々の動き(1)――