ムワイポポ(仮名)さんはマラウィ北部にすむンコンデ人の首長の家柄に生まれ、この地域のパラマウント・チーフを務めたこともある。

 

1916年生まれなので、はじめはすっかり老け込んだ老人を予想して会いに出かけた。1992年のことだ。ところが、すっきりとした聡明な顔立ちで、健康そうな細身で、美しい英語をあやつる人が出てきたので面食らってしまった。

 

  ムワイポポさんは地域の伝統的な権威を体現しているだけではない。タンザニア、イギリスで見聞を深めた。イギリスではBBCで研修し、マラウィに戻ってからもマラウィ放送でディスクジョッキーをしていた。地域のキリスト教会でも有力者だ。パラマウント・チーフを務めていたときにはバンダ大統領と対立し、解職、自宅軟禁を経験している。その後も、時々警察がきて、数日間連れて行かれたこともあった。

 

当時、息子たちはすべて、タンザニア、オーストラリア、ロシアなど国外に亡命していた。バンダ政権が終わって、マラウィに戻ってきた息子たちはそれぞれ、マラウィの駐ジンバブエ大使、駐アンゴラ大使、医師、などになっている。

 

要するに、ムワイポポさんは有力者で、興味深い経験を積んだ方だ。

 

  彼の人生記は、ンコンデ人でアメリカにわたって30年以上にもなるジャーナリストがまとめている。ここでは私が知っているエピソードを紹介しよう。

 

  ある時、私が泊まっているロッジまで、青年に自転車をこがせ、荷台に乗ってやって来た。私に依頼することがあって来たのだ。

 

ロッジの先のバーでしばらく二人でビールを飲んでいた。私たちの前のテーブルには観光で来ている妙齢の白人女性二人が、タンクトップで肩もあらわに、やはりビールを飲んでいた。ムワイポポさんは私にしきりに「彼女たちに口笛を吹け」と勧めるのだ。今から思えば、「私に言わないで、自分で吹いてくださいよ」と言うところであった。その時は、ムワイポポさんが嬉しそうに私に勧めるので、すっかりどぎまぎしてしまった。

 

  私は、この地域のダンスに興味があるので、いろいろ話をうかがっていた。さまざまな種類のダンスがあり、レクリエーション的なものからいわゆる秘密の呪術に関係するようなものまである。どこまでは地元のダンスを認め、どこからはいわゆる邪教に関するものであるから禁止する、との判断がキリスト教の派によって異なる。また、同じ派でもタンザニアとマラウィで異なる判断をしている場合もあった。

 

ムワイポポさんの好むダンスが、彼の教会の白人指導者に禁止されそうになった事がある。その時、ムワイポポさんは怒って言った。「白人のダンスのほうがよっぽど怪しげではないか。夫婦でもない男女が抱き合って踊るとは言語道断だ。」

 

彼の発言のためか、このダンスは彼のキリスト教の会派では禁止されていない。タンザニア側の同じ会派では禁止されている。

 

  チーフともなれば、多くの妻を蓄えているイメージが植民地時代にはあった。ムワイポポさんは、私が知り合ってからは、一夫一妻であったが、昨年、奥さんは他界した。ムワイポポさんも最近は腰を痛めて、元気がなくなっている。

 

しかし、これからも長く元気で振る舞って、各所ににらみをきかせてほしいと願っている。


 
ムワイポポさんは2001年8月に急逝した。ムワイポポさんはブランディーをファンタオレンジで割って、少しずつ飲むのが好きだったので、ブランディーを墓にそなえて、冥福を祈った。

 ムワイポポさんの墓は、首長の系譜の方だけあって、非常に立派で、家のようなつくりになっており、夫人の墓、父親、兄弟の墓と並んで作られていた。(この上の2段 2002年7月記)



 


マラウィ案内の表紙に戻る


ムワイポポさんのこと