2000年の10月から11月にかけて、マラウィの新聞紙面にはROCの文字が多く出た。Republic of China、いわゆる台湾政府(中華民国、あるいは国民政府などさまざまな呼称がある)のことである。これに対して、中華人民共和国(People's Republic of China)はMainland Chinaとマラウィの新聞紙上では表現されている。

 

11月中旬にはROCの援助によって北部の中心都市のムズズに大規模な病院が完成し、大統領も出席してオープニング・セレモニーをおこなった。新聞にも「ROC-True Friend of Malawi」といった見出しで、特別ページが挟み込まれていた。これ以外にもパソコンを学校へ寄付した記事など、多くのROC関係の話題が出ている。

 

独立以来政界を支配していたバンダ終身大統領の時代から、マラウィはMainland Chinaとは付き合わず、ROCと関係を結んでいた。台湾政府の援助によって北部には灌漑施設が整った水田ができている。これによってマラウィのコメ生産は大幅に伸びた。

 

中華人民共和国はアフリカ諸国に対して外交攻勢をかけ、正式に国交を結ぶ国を増やした。「一つの中国」が原則であるから、台湾政府とは関係を絶つことが条件である。南アフリカ共和国もマンデラ大統領の時代になって、台湾から中華人民共和国に乗り換えた。台湾政府から中華人民共和国へ乗り換えることは、世界情勢の上からも、自国の運営の上からも、あるいは人類的な視点でも趨勢であろう。


 
マラウィにも外交攻勢があったであろうが、日本では報道されていないので、経緯はよくわからない。これに限らず、マラウィの事が日本で報道されるのはまれであるが。

 

Malawi National Bankの本店のマネージャーと話をした。彼はマラウィ北部の台湾政府援助の灌漑施設がある地域出身である。彼は、ある程度中華人民共和国からの外交攻勢があった事を知っていたのであろう。「ROCからいまさらMainland Chinaに乗り換える必要は一切ない」と語っていた。

 

中華人民共和国にとっては一つの中国の原則を貫き、外交交渉の場での台湾政府の席を奪うことは、非常に大事な行動規範である。マラウィ政府の要人にとっては、ROCMainland Chinaとの間でどう対応するかは、悩ましい問題であろう。

 

中国は歴史的に見ても、現在の世界情勢の上でも巨大な存在である。中華人民共和国になってからも尊敬すべき政治家、芸術家が出ている。その中華人民共和国がアフリカ諸国と外交関係を結ぶ時に、台湾政府との断交を要求する。これは国家としての原則でやむを得ないかもしれない。それに、文化的に大恩がある中国の前では、私など、大人の前に出た子供の気分がして萎縮してしまう。しかし、その立派な大人の振る舞いとしては、関係国に台湾との断交を迫るのは大人気ない気がする。関係国に、台湾政府と中華人民共和国の両方と付き合わせて、おのずと力量の差を見せていけばよいのにと思う。それに、貧しいアフリカ諸国としては両方と仲良くして、できれば両方から援助を受けたいのだ。

 

「原則を貫く人や組織が最終的には評価を得て、無原則な対応はその場の利益しか得られない」というのは、それこそ原則であろう。この点からいえば、中華人民共和国の立場は評価できるかもしれない。しかし、よく考えれば、中華人民共和国の原則は、国家を前提とした原則にしかすぎない。中華人民共和国の歴史は数十年であり、国家という組織の歴史も数百年にすぎない。

 

私だけでなく、民族学や地理学畑の人は、国家という組織を相対的にしか見ない傾向があるようだ。法学や経済学をやっている方、あるいは実際にさまざまな政治・社会運動をやっている方にとっては国家は非常に大事な枠組みで、それが厳然と存在することを疑わない。国家の中でどんな制度を形成していくかに注意が集中している。しかし、民族学屋・地理学屋にとって、国家は多くの枠組みの一つにしかすぎない。大都市を中心とした通勤圏、経済圏が話題になる事もあるし、都市の中の一つの民族のコミュニュティ、国家を超えた民族のつながり、あるいは趣味の集団のつながりが話題になる事もある。さまざまな枠組みの中で、話題にしている事象をもっともうまく抽出できる枠組みを選択するのである。それが、たまたま国家である場合もある。このあたりの事は、1990年代からの東西ドイツ、南北イエメン、ユーゴスラビアの例変で、経済分野の人などにも実感をもって分かっていただき、内心嬉しい。

 

領土問題、帰属問題について政治家が交渉にあたるから妥協も出来ないし、むやみに住民をあおって血みどろになるように感じられる。政治家は国家の枠組みについて、相対的に考える事がもっともできない職業の人だ。彼らは自分が奉仕すべき国家の存在について疑う事ができない。国家のシステムの中で職業上の身分もあり、給料ももらっているのだから。「むりして我が国がこれ以上栄えなくても、人類全体、地球全体はとくに困らない」とはとても言えないだろう。政治家に代わって、たとえば、企業経営者、生態学者、民族学者が領土問題について検討したらより実質的な結論に達するかもしれない。

 

ということで、「原則の尊重は大事だが、その原則をあてはめる単位は必ずしも国家ではない」と思う。では、何が単位になるのか。臨機応変にすべきだ。ある時は国家、ある時は個人でもよいかもしれない。しかし、この二者については、現在でも充分に注目されている単位だ。国家を確立した単位として疑わなかったために行き詰まった交渉がある。また、個人単位で多くの結果、つまり、学力、出世、人物、が評価され、個人を追い詰めたり、レッテルを貼ったりしてきた。この二者は単位として働いている事は確かだが、じつはそれ以外にも組織の単位はあり、そちらにも注目する必要があるのではないか。

 

たとえば、趣味のサークル、地域の友達、同窓生、家族などのまとまりである。多くの問題について、国家と個人のレベルで解決をはからなくても、その外のレベルの話題に転化できる可能性がある。ある土地の領有はABの国で争えば、そのどちらかにするしかない。しかし、実際には多国籍企業がそこで営業活動をし、多くの地域に利益が流れたり、公害を及ぼしたりする。援助のためのNGOが入って新しい技術を伝え、伝統的な方法と補い合ったり、破壊したりする。個人としては、傑出した芸術作品を仕上げる事ができなかった人が、一家として伝統技術を守り、人事によって派をなす事もできる。

 

中華人民共和国が示す一つの中国の原則は、一見、普遍的原則のように見えるが、じつは最近の国家の都合で出来てきた戦術にすぎない。これを原則として外交の相手に押し付ける事には違和感がある。中華人民共和国としてもかえって悪い印象を与えてしまうのではないか。

 

 中国大陸地域は、国家の枠組みで見なくても非常に興味深い地域だ。多くの人口、さまざまな文化、長い歴史、活発な人々の活動を抱え、尊敬すべき人物、尊重すべき物も多い。このような地域には、中華人民共和国の国家体制があろうとなかろうと気持ちが引きつけられる。中華人民共和国は、日本に対する戦後補償を放棄したほどの度量と人民に対する理解がある政治家を輩出した国だ。中国地域の人と文化に関心を寄せて、その中で中華人民共和国についても理解が深まれば嬉しい。





 

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ROCとは何か