2001年1月、昨年訪問してから4ヶ月ぶりにジンバブウェを訪問した。

先回は白人所有の農場が元兵士たちに占拠される事件が続いていたり、自動車の燃料の供給が滞っていたり、旅行者の減少で国外からの旅客機が寄港を見合わせるような事態になっていた。

 事実、2000年9月には首都のハラレで軽油を入手することは困難であった。ほとんどのスタンドでは、「ありません」の看板を出していた。在庫があるところ、あるいはもうすぐ入荷予定のスタンドでは車が何十台もつながっているのですぐにわかった。

 今回(2001年1月)は、ハラレは治安の面でも燃料供給の面でも落ち着いているようである。

  今回の訪問時のトピックは、コンゴ(DRC、DemocraticRepublic of Congo)のカビラ大統領が死亡してハラレに遺体があることだ。カビラ大統領はボディーガードに撃たれ、コンゴ内でか、あるいは治療のためにハラレに運ばれる途中で死亡した。

  どこで死亡したのか発表されていない。報道もまちまちである。「コンゴ内ですぐに死亡した(1月16日)が、政治上の理由で遺体をハラレに運んだ」「親族も同じ飛行機でハラレにやってきていた」とする報道もある。

 「撃ったボディーガードは逃げようとした」とあったが、最終的につかまったのか、あるいはそこで射殺されてしまったのか、私が新聞をざっと見た限りでは記載がない(数日後の新聞に、ボディーガードは3発撃ち、2発が大統領にあたった。そして他のボディーガードに射殺された、と出ていた)。

 結果としては遺体はハラレにあり、遺体を引き取りに外務大臣、遺族がハラレにきている。したがって外交関係の役人などは、弔問の記帳に行ったり、遺体をコンゴへ移す日程の調整など、多忙なようだ。

  コンゴは依然として内戦状態で、ジンバブウェは数千人単位の軍隊を派遣してカビラ大統領を支援していた。コンゴの首都のキンシャサで葬儀はおこなわれ、ジンバブウェのムガベ大統領も出席した。キンシャサを警備しているジンバブウェ軍人をムガベ大統領は見たはずだ。

  コンゴはダイヤ、銅、コバルトなど産出する。現在は一人あたり120ドルのGNPしかない貧国であるが、潜在的な大国である。内戦の原因は複雑であるが、隣国もこの潜在的な大国でプレゼンスを確保しておく意味を感じ取っているのだろう。隣国といってもジンバブウェはコンゴと国境は接していない。


 政治家が多忙でも、ハラレの毎日の生活は動いている。ハラレは10階建て以上のビルも林立する都会で、人も多い。こんな中でホテル生活をしていても、自然に顔を覚える人ができてくる。

 いつもの角には決まった新聞売りと飴売りがいる。

 ホテルの駐車場にある私の車の様子を毎日見に行く。たまに行かないと、ガードマンが「どうしてこないんだ」と言ってくる。

 街角で針金で作ったヘリコプターを売っている青年には、この前「また今度」と言って断った。そしたら今日もつかまった。今日は「うちの子は女の子だから」と言って断った。今度、針金の人形でも持ちだされたら、どうやって断わろうかしら。


 マラウィ案内の表紙に戻る


ジンバブウェ再訪@  カビラ大統領の死とハラレの様子