2001年5月にジンバブウェを訪問した。経済状況は本年1月に訪問した時よりもさらに悪化したようだ。


◎2001年5月 ジンバブウェでこんなことに気づく。
・売り家が増える
  売り家の看板の数が増えている。中には10年保証と書いたものもあった。
  日本の新築の家でも、大手のハウスメーカーが5年保証をしている程度である。本当に10年も保証してくれるのだろうか。

・換金のヤミレートが上がる。
  2001年1月には正規にはキャッシュ、トラベラーズ・チェック (TC)ともに1米ドル(D)=55ジンバブウェドル(ZD)で、ヤミではキャッシュ68、TCで47であった。それが、現在のヤミではキャッシュ115、TCは値がつかず、になっている。正規は55で変わらずだ。
  ヤミと正規の差が2倍以上になっている。

2002年6月にはヤミは360、正規は55で変わらず、と聞いた。差が大きく危険な水準だと思う(この段 2002年8月記)


◎1980年代のタンザニアの場合
 私は1980年代のタンザニアで正規とヤミの5倍の差を経験した。この程度になると「ヤミ」という日本語も、タンザニアでは通じることもあった。町のどの商店でスムーズに換金できるかの情報も日本人社会で流れていた。

 もちろん、タンザニア税関当局も監視を強め、システムを強化していた。入国時に持っている外貨を申告する。あとは換金するたびに、銀行の証明を書き加えていくのである。1000ドル持参して、100ドルずつ3回換金して、それだけ銀行の証明がしてあれば、出国時には700ドル残っているはずである。勘定があわなければ、「どこでつかった」となる。また、申告しないでドルを持ち込んでいれば、「1000ドル申告なのに、どうして2000ドルも持っているのか。ヤミで換金しようとしただろう」となる。

 当時のタンザニアでは、ホテルもドル払いだけを受け付けるか、そのホテルで換金した現地通貨だけを受け入れた。もっとも、これは、大都市の50ドル以上の宿泊費をとるようなホテルだけである。地方の安宿では現地通貨の使用でまったく問題なかった。



首都の風景



整った外観は、経済的にピンチを迎えていると感じさせない。


   美しい公園と、ビル群が好対象だ。道路もマラウィよりもずっと整っている(上)。


ハラレ郊外のショッピングセンター

  日本の商店街を欺くような立派な施設もある
◎2001年ジンバブウェ
 さて、今回のジンバブウェの2倍の差でも、ある程度のコントロールが見られるようになった。

○ホテルにて
・ドルの支払いを客に推奨する(これは国内通貨では15パーセントの税がかかるので、以前から実行されていたホテルもある)
・現地通貨で支払いの場合は、正規の換金である証明を求める(料金が米ドル設定なので、相当する現地通貨を換算するために換金レートを知る、とのレトリックを使用している)

○国境にて
・国境付近の換金の少年たちの一掃。
  タンザニア―マラウィ―モザンビーク―ジンバブウェと陸路で旅行すると、どこの国境でも、国境線のどちら側にも、換金の小年たちがいる。陸路での旅行者は彼らを利用して小額の金を得ることが普通だ。

 また、彼らがいないと困ることもある。新たな国に入って、自動車の一時輸入許可と保険を購入するが、現地通貨でないと受け付けないところがある。これは、マラウィ、ジンバブウェでそうだ。そして、国境には銀行はない。

   マラウィの税関の役人に「今、入国したばかりで金がない。どうするんだ」と尋ねると、「外の小年たちから換金せよ」、とのことであった。
 こうなると、政府機関を補完して働いているようなもので、闇とは違う、ヤミという存在だ。

  ところが、上記の陸路のコースで、ジンバブウェの税関から見えるところには換金の小年がいない。ジンバブウェ―モザンビーク国境は、モザンビーク側では小年は出没しているが、ジンバブウェからは見えない範囲だ。ジンバブウェ―モザンビークの2箇所の国境を経験したが、両方ともそうであった。

  これは、ジンバブウェ側では小年たちを一応取り締まっているのであろう。上記の、入国時に現地通貨も銀行もないのに、保険購入が不可欠である、という問題は、ジンバブウェでもおこる。このときは、銀行ではなく、役人が指定したBureau De Changeで換金したが、ここはいわゆるヤミレートでの換金であった。



・入国時の牽制
 ジンバブウェに入国するときに「ジンバブウェドルはいくら持っているか」尋ねられてた。出国時にはこの質問はよくあるが、入国時には初めてで、「これから入国するのに持っているはずないでしょう」と返答した。あとから思えば、国境手前、(ジンバブウェ側から見えない)モザンビークの税関付近で換金してZDを持ってくる人を牽制していたのかもしれない。



○町の様子
 もちろん一般の人も2倍の差に対応しつつある。
 1980年代のタンザニアでも、配給制のガソリン、灯油、など経験した。また、ヤミのガソリンもあった。ジンバブウェでは、モザンビークから燃料(ガソリン、軽油、灯油)をいれて、それをポリタンクに詰めて、路上で売っている人が出始めた。まだ、これは違法だと認識していない場合もあるようで、路上で売っている小年を遠景で撮影して、「違法です」とテレビで流していた。




   モザンビークに近いムタレから、首都のハラレやその他の都市にヤミガソリンを流通させる経路が作られつつあるようだ。ヤミがあるおかげで、2000年9月のようにいつ来るか分からない燃料を待っている必要はない。町のスタンドで買うのは最初からあきらめる。そして、タクシーのトライバーなどに場所をおしえてもらって、買いに行くのである。高いけれど、待たずに買えるので、痛し痒しだ。もちろん、入荷があったガソリンスタンドで並んで買う風景も見られる。

  このようにポリタンクで燃料を購入する人が増えたからであろう。街角でブリキ製の漏斗を少年たちが売る光景が5月には見られた。この漏斗は、ポリタンクから燃料を車の給油口に注ぐときに必要だ。これがないとホースをサイフォン式に使用するので、へたをすると口の中がガソリンくさくなってしまう。

  昨年9月、今年の1月には見られなかった漏斗が街角に現れたのを見て、「やっぱり需要をつかむ人はここにもいる」と感心した。


 
上記の換金レートは2001年5月中旬のものである。
  同年6月下旬には、銀行での正規の換金で、1ドル=60 ジンバブウェドル、ホテルでの換算は80〜90ジンバブウェドル、街角のヤミ換金では150ジンバブウェドルになっていると、私信を得た。2001年6月追記

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