マラウィ案内の表紙に戻る


皆 既 日 蝕

  日本のTVでも「21世紀はじめての日蝕」と報道されていたようだが、アフリカ南部地域で2001年6月21日に皆既日蝕が観察された。

  私が住むゾンバでは、部分的な日蝕であったが、午後3時半前に観察できた。快晴で、部分日蝕なので太陽の直射光はいつまでもあり、窓外のバナナの葉を照らしていた。

  空の色が全体に濃くなって、異様な雰囲気であった。太陽の光が弱ければ、いつもこんな感じなのだろう。異変を感じたのか、カラスがしきりに鳴いていた。ここのカラスは、首から胸が白い、pied crow、というやつだ。月並みな感想だが、太陽はありがたい。

  今回は、マダガスカル、モザンビーク、マラウィ最南部、ジンバブウェ最北部、ザンビアなどを横切る、幅130キロメートルの帯で、皆既日蝕が見られた。

  ザンビアでは、2万人程度の観光客が来て、数十億円規模の収入があったという。つまり、一人10万円以上の支出だ。首都のルサカで皆既日蝕が観察できるという地の利を生かして、この近辺の国の中では一番稼いだ。
  観光客はこれ以外にも交通費を支出しているので、かなりの出費になる。「たかが日蝕に何万人も繰り出すとは……」と感じる人もあるかもしれない。ところが、世に天文ファンは多く、やはり自然の一大スペクタクルには多くの人が魅せられる。日本の天文雑誌には1年前からツアーの募集が出ていたらしい。

ジンバブウェには、このマラウィ案内ですでに記しているような、政情不安があり、観光客の足が遠のいていた。また、首都のハラレでは皆既日蝕は観察できず、北部まで出かけなくてはならない。こんな理由で、観光客の数はザンビアほどではなかった。それでも、ハラレのホテルでは21日前後は一杯のところもあった。
ジンバブウェでは、日蝕に関係して記念切手を発売し、日蝕を解説した本も本屋に並んでいた。



ジンバブウェで発行された記念切手
  表示はジンバブウェドル。
米ドルとの換算は、変動が激しいので、別項を参照。






  ジンバブウェのムガベ大統領は「日蝕観光は、ハラレの治安やガソリン供給が大丈夫な事を国外に示す機会になる」とも語っている。しかし、「南部の観光の中心地のグレイト・ジンバブウェに行くバスが燃料不足で運行していない」との私信も私は受け取っている。
ともあれ、日蝕は、観光客の落ち込みを一時的に補うような効果を発揮したようだ。








  これに比べ、マラウィでは特別な観光客は「ほとんど無し」で終わってしまった。

  マラウィで皆既日蝕を観察するためには最南部にまで出かける必要がある。標高1000メートル程度の南部の中心都市のブランタイヤから、シーレ川の流れに沿って、ザンベジ川近く、標高100メートル前後まで降りていく。ブランタイヤからの距離は180キロメートルしかないが、低地の道路が、今年初めの水害で大きく被害を受けている。私も、この道路をおして、出かける元気がでなかった。それで、ゾンバで部分的な日蝕を見ていたのだ。

  南部の低地の道路ついては、伝聞の情報しかないので、確定的なことは不明だ。2001年3月までの雨季の間に、かなりの被害をこうむった事は確かである。「現在は、小型車の通行には差し支えがない。それにもかかわらず、観光客が道路が悪いと思ってマラウィを敬遠しているのは、たんにDepartment of Tourismが怠慢なだけだ」との意見もある。
 
  国外からの観光客が泊まると思われる、ブランタイヤのホテルでも、日蝕に関連して大きな動きは無かった。前日にセミナーがあったくらいだ。


  マラウィ在住の私は、「マラウィに観光客が来ない」「積極的な誘致をしない」と気にしている。ところが、アフリカ大陸外から来る客になったら、国土の最南端で皆既日蝕がやっと観察できる馴染みがない小国よりも、ザンビアかジンバブウェに行くのは当然かもしれない。その次に、マダガスカルだろう。その次にやっと、内戦の印象がまだ残っているモザンビークと、名前が知られていないマラウィが滞在先の候補になるのだ。

  マラウィでは、新聞に何回も、「太陽を直視しないように」「直視して何千人もの失明者がでるかもしれない」などの記事が出たことくらいが、目新しい事だ。日蝕後に失明の記事は出ていないので、幸いにも、事故は少なかったのだろう。


  次回のマラウィでの皆既日蝕は、2137年らしいが、万全に対応してほしいですね。